最奥/まるで鏡を見るように

 後巫雨陣ごふうじん――それは植物たちのしげる、湿しめり気を帯びた土地。

 奥に進むほど湿り気は強くなり、植物たちの大きさも増していく。


 筆頭巫女ひっとうふじょ赤泉院せきせんいんめどぎと、その付き人の桃西社ももにしゃ鯨歯げいはは、案内役の之墓のはかかんざしの先導を受けながら、最奥さいおうを目指す。



 計画としては――まず、その最奥でいったん休んで後巫雨陣ごふうじん巫女ふじょと情報を共有する。このあと刃域じんいき宙宇ちゅううに追加の手紙をわたすべく、宍中ししなかを目指す。

 平行して、筆頭蠱女ひっとうこじょ楼塔ろうとうすべら捜索そうさくも続ける――という段取りになるだろう。



 後巫雨陣ごふうじんを進みつつ、 めどぎ愚痴ぐちをこぼす。


「……全身がすごく、べとべとするな」

「植物も、これ以上ないくらい巨大化きょだいかしてますよ」


 鯨歯げいはも、周囲を冷静に見つめている。

 そんなふたりに苦笑にがわらいを向け、かんざしはげましの言葉をかける。


「それは、あと少しってことだからね。もうひと頑張がんばりだよ」



 彼女の言葉どおり、困難な道は途切とぎれた。

 さきほどまではだり付いてくるような湿り気だったものが、いつの間にか冷気に変わっていたのだ。

 それこそ彼女かのじょたちが後巫雨陣ごふうじんおくの奥までんだ証拠しょうこである。


 水滴すいてききかけられる感覚はこれまでと同様だが、もう方向感覚がくるうことはない。

 そこに肥大した植物はなく、足下あしもとには小石がめられている。


 ここが、この地の最奥。

 ここを中心に、特別な巫女ふじょ――「みこ」とも呼ばれる姉妹が生きている。


 めどぎは深く、息をつく。


「やっと最奥に着いたな」

「ですね筆頭。出てます、出てます」


 そう答えたのは鯨歯げいはだが、いったい、なにが出ているというのか。


 ――噴水ふんすいである。


 そもそも、なぜ後巫雨陣ごふうじんの地は湿っているのか。

 ……この噴水のせいである。


 後巫雨陣ごふうじんの大部分は植物でおおわれているものの、最奥に関してだけは植物が生えていない。

 そのため、中心にあるものがよく分かる。


 地面は小石でうめつくされ、そのような場所の中央から地下水が途切れることなく天に向かって飛び出している。

 水は天上にて八方に分裂ぶんれつし、後巫雨陣ごふうじん全体の植物の上にふりそそぐ。


 加えて、地下水の噴出口ふんしゅつこうがひとつの円となっている。円周上の小石たちが噴水の動きに連動し、ふるえている。

 それは一本いっぽんの柱のかたちをなす。


 流動する水にはばまれ、そとからなかは確認できないが……太さは、内部にすっぽりと人ひとりが余裕よゆうはいれるくらい。


 そして噴水のそばに、たたずむ者がいる。

 彼女こそ、「みこ」とも呼ばれる巫女ふじょのひとり――後巫雨陣ごふうじんの長女、一媛いちひめである。



「お姉さーん」


 かんざしが、一媛いちひめに手をって呼びかけた。

 き上げる水の柱から目をはなさずに、一媛いちひめは返事をする。


かんざし。……と鯨歯げいはちゃんに、筆頭。ご無沙汰ぶさた


 ここに足を踏み入れた時点でめどぎ鯨歯げいはが声を発していたので、それを聞いていた一媛いちひめにはだれが来たか明瞭めいりょうだった。


 ところで一媛いちひめが見ている噴水の柱だが……その表面ひょうめんに彼女たち巫蠱ふこの顔がぼんやり映っている。

 噴水のそばにいる一媛いちひめはもちろん、その噴水からやや離れたところにいるめどぎ鯨歯げいはかんざしの顔も小さく映り込む。

 なお映った像は小石など、あたりの風景もふくんでいるようだ。


 聞こえてくる声に限らず、噴水の柱の表面に映る情報も加味して一媛いちひめは訪問者の正体を判断したのだろう。


 だが、それだけではなく水の柱のらめく表面に、この場にいない別の顔たちが混じっているように、みえなくもない。

 そんな奇妙きみょうな柱を観察しながら一媛いちひめは、なにを思っているのだろう。



 ともあれかんざしめどぎ鯨歯げいはが、一媛いちひめの近くに移動する。


* *


 三人の巫蠱ふこから一媛いちひめは、事情の説明を受けた。


「――そう、御天みあめちゃんが」


 宍中ししなか御天みあめが終わりかけていること――それは世界平和を意味する一方いっぽう巫蠱ふこ全体の危機をも示す。



睡眠すいみんにも伝えた」


 そうめどぎは付け加える。


「必要と思ったら今回の件を身身乎みみこに伝達してほしいともたのんである」


 めどぎの妹のひとり赤泉院せきせんいん身身乎みみこ鯨歯げいはの姉の桃西社ももにしゃ睡眠すいみん――彼女たちはめどぎが帰ってくるまで赤泉院せきせんいんの屋敷で留守番をしている。



「いまは各地のみんなと情報共有を図りながら、折悪しく消えてしまったすべらも探しているところだな」

筆頭蠱女ひっとうこじょらしい」


 めどぎたちの報告に対し、一媛いちひめはとくにおどろきも見せず淡白たんぱくに所感をらす。

 その視線は、噴水の表面に映っためどぎたちにそそがれたままだ。


 ひととおり話を聞いたあと一媛いちひめは、水の柱に手をつっこんだ。

 なにかをつかむ仕草をする。


「筆頭」

「なに」


 噴水に映った像のほうでなく、一媛いちひめ自身を目に入れるめどぎ

 かたや一媛いちひめは水の柱のなかをまさぐっているようだ。


「ワタシは平和を信じていなかった」


 この「平和」とは、御天みあめの終わりにともなう世界平和のこと。

 めどぎはそれを了解りょうかいしたうえで、会話を進める。


「つまり?」

「今回のことは、そとの者たちのおかげ」


 ……確かに一媛いちひめは「思う者」たる巫女ふじょのひとりで、「みこ」とも呼べる希有けうな存在。

 もし世界が平和になるとき一媛いちひめが世界平和を思っていたとしたら、それは一媛いちひめによる結果かもしれない。


 しかし彼女自身が平和を信じず「その未来は実現する」とならば、平和は巫蠱ふこによるものでなく世界の人々自身によって実現した結果ということになる。

 もちろんその仮説は、ほかの巫蠱ふこ影響えいきょうをほとんど考慮こうりょしなかった場合のものだが一媛いちひめがそう「思う」のなら俄然がぜん信憑性しんぴょうせいを帯びてくる。


 なお一媛いちひめは、平和が実現するとのであって平和が実現わけではない。

 この違いは「思う者」たる巫女ふじょにとっては重大である。


 しかしめどぎ一媛いちひめの心情を思いつつ……ただ一言ひとこと、つぶやくだけだった。


「あっそ」


* *


 そして一媛いちひめめどぎから目を離し、かんざしを見つめる。

 やはり直接相手の顔を見ているのではなく、水の柱の像から像に、視線を移したのである。


かんざしは、もうから全部を聞いたの」

「うん、全部かは知らないけど」

「そう……」


 そのとき、水の柱に映り込んでいる一媛いちひめの表情がゆがんだ。

 巫蠱ふこの危機を伝えられてもくずれなかった、その顔が。


 それだけでかんざしには、一媛いちひめの思いが伝わってくるように思われた。


「……お姉さん、姉さんのこと心配してるでしょ」


 流杯りゅうぱいは実の姉に対して「ねーちゃん」と「ねーさん」を使い分けていたが……かんざしは実の姉のいみなを「姉さん」と言い、本当の姉ではない一媛いちひめのことを「お姉さん」と呼ぶ。


 一媛いちひめいみなのなにを心配したかについては、いずれ述べる機会もあるだろう。


 ついで水の柱に差し込まれた一媛いちひめの手が、ぴくりぴくりと動いた。

 実は後巫雨陣ごふうじんの噴水のなかには、最初から人がいた。

 そこにひそむ者が、一媛いちひめの手を引っ張ったのだ。


 手の持ち主は、一媛いちひめの妹。

 その名を後巫雨陣ごふうじん離為火りいかという。

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