第42話 紅き魔人の誘い

 セツナは、アズマリア=アルテマックスと思しき真紅の女を追いかけていた。

 相手に気づかれようとも構わない。いや、むしろ気づかれたほうがいいのではないかとすら想っていた。

 さすがに、みずからが召喚した人間を認識して、黙殺するとは考えにくい。

(本当にそうか?)

 不意にセツナの頭の中に生まれた疑念ぎねんは、簡単には振り払えないものだった。

 なにしろ、アズマリア=アルテマックスといえば、セツナをこの世界に召喚した張本人であるにも関わらず、この世界に関する知識、常識を教えてくれることもないままに放置し、何処どこかへと消え去った人物なのだ。

 今にして思えば、ひどい仕打ちとしか言いようがなかった。

 せめて、なにかしらの指針ししん示唆しさでも与えてくれればいいものを、なにもせず、ただ進めと背中を押すだけ押して消えていったのである。

 これほどまでに傍若無人ぼうじゃくぶじんな人物がいるものなのか、と、いまならばセツナも想うのだ。

 しかし、彼女へのいきどおりや不満を抱え込んでいる暇など、セツナにはなかった。

 セツナを取り巻く状況は、瞬く間に激変していった。

 激変。

 カランでの戦い、ファリアとの出逢であい、そしてレオンガンドとの邂逅かいこう

 なにもかもが、変わっていった。

 未知の世界。

 寄る辺もなければ、右も左も分からない。

 それでも、立ち止まってなどはいられず、前に進むことに必死だった。

 死に臨み、死にひんしたことすらあった。

 ガンディアの傭兵として、武装召喚師ぶそうしょうかんしとして力を振るった。戦果を上げたのだ。だれもが考えられないほどの結果を残したのだ。そしてそれは、だれも文句が言えないほどの戦功せんこうだったはずだ。

 それは、いい。

 それはそれで、結構なことだとは想うのだ。

 どこかで野たれ死んでいても不思議ではない境遇きょうぐうにありながら、様々な人との出逢いや繋がりのおかげでこうして生きていられるのだから、幸運といっても差し支えないだろう。

 それには、矛の力も十二分に役立った。

 矛のおかげといってもいい。

 いや、矛がなければ、とっくに死んでいたはずだ。カランの街で、炎に巻かれて命を落としていただろう。

 矛がなければ、炎の中に飛び込んでいなかった、とも言い切れないのだから。

 だから、そこはいいのだ。

 セツナは、冷ややかに肯定こうていした。

 アズマリアに放り出されたおかげで、いまの自分がいるという事実を認める。

 だがそれでも、セツナは、アズマリアを追わなければならなかった。

 色々と聞きたいこともある。

 なにが本当で、なにが嘘なのか。

 数多の二つ名でうたわれるアズマリアとは、一体なにものなのか。

 いくつもの疑問が、セツナの脳裏のうりに浮かんでは消えた。

 マルス区大通り。

 セツナ目当ての人だかりから、次第に離れていく。方角としては南――つまりは、王都の中央へと向かっている。

 目的地はわからないが、王宮に近づいているのは確かだ。

 ふと、疑問が生まれる。

 人ごみの中を悠然と進んでいく紅蓮の女にだれも気に止めないのは、なぜなのか。

 アズマリアは、だれもが息をむほどの美女である。絶世の美女といっても過言ではない。セツナですら我を忘れかけるほどだった。

 だというのに、アズマリアの姿に注目するものが一人としていないのは、不思議だった。

 通り過ぎる人々の視界に入っているはずなのに、だ。

 もちろん、街中で大仰おおぎょうに反応するようなものもいないのだろうが、それにしても反応がなさ過ぎるのだ。だれひとりとして彼女の存在を認識していないかのようであり、まるでセツナだけがアズマリアの姿を捉えているかのようだった。

(なんでだ?)

 疑問は尽きないが、考えこんでいる場合でもない。

 そうしているうちに、アズマリアが大通りを右に折れ、路地へと入っていくのが見えた。

 セツナは、彼女の姿を見失わないように急いで後を追った。通りを埋め尽くす人波の中を強行突破するのは気が引けたが、悩んでいる暇はなかった。

 いま彼女を見失えば、つぎにいつ会えるのかわかったものではない。

 この世界に召喚されてからというもの、何日もの間その姿を探し続けてきて、ようやく発見したのだ。

 見失うわけには、いかない。

 大通りから狭い路地へ。迷宮のように入り組んだ《市街》の全容など把握しているわけもなく、セツナは、ただ彼女の後を追いかけるしかなかった。例えわずかに姿を見失っても、彼女から発振される違和感を辿ることで辛うじて追跡することができた。

 それがなんなのか説明もできないが、しかし、確かに感じるのだ。

 人気のない路地の中をひたすらに進んでいく。

 アズマリアの足取りは悠然としたものであり、迷いひとつ見受けられなかった。

 セツナが足を止めたのは、前方を進んでいたアズマリアが不意に立ち止まったからだ。セツナは、思わず建物の影に身を潜ませた。息を殺す。

 すると、アズマリアが身動ぎする音がした。

「なぜ隠れる?」

「……なんとなく」

 アズマリアのどうにも呆れたような言葉に対して、セツナは、彼女の前に姿を見せた。そして悪びれることもなく告げれば、やはり、アズマリアが困ったような顔をしていた。

 それは本心から出た言葉だった。実際、セツナが彼女に見つかってはならない理由はないのだ。会って、話を聞くために追いかけたのだから。

「おまえは変わらないな」

「あんたこそ」

 言い返して、セツナは、自分の愚かさに苦笑したくなった。

 アズマリアに出鼻をくじかれてしまった。

 そして、山ほどあったはずの言いたいことや聞きたいことが、頭の中から吹き飛んでしまったのだ。もはやこの失敗は、当分取り戻せそうもない。

 閑散かんさんとした路地の真ん中に、アズマリアの姿はある。燃えるような真紅の髪と黄金の瞳は、以前見たときと変わらない。眩暈めまいを覚えるほどの美貌びぼうも同じだった。

 ただひとつ違う点を上げるとすれば、その肉感的な肢体に纏う衣装だろう。血の如き深紅の衣ではなく、夜の闇よりも深い漆黒の外套がいとうである。それは、彼女の匂い立つほどの妖艶ようえんさを必要以上に引き立てているように思えた。

 その外套をほかの人間が身に付けたところで、アズマリアと同じような結果を得ることはできないと断言できた。

 彼女の放つ色香いろかが凄まじいだけなのだ。

 セツナは、だからこそ、アズマリアの色気に惑わされないように気を引き締めなおした。

 アズマリアが、値踏みするようなまなざしでこちらを見ていた。

「なんだよ?」

「ふむ……面構えは多少なりともよくなったようだな」

「……褒めてんのか? それ」

「戦士の顔になりつつあるといっているのだ。素直に喜べ」

「喜べるかよ」

 やれやれとでも言いたげなアズマリアの態度に、セツナは、憮然ぶぜんとした表情を浮かべた。そんな投げやりな褒め言葉で浮かれられるほど、軽い人間ではない。

 いや、そもそも、戦士の顔に近づいているからといって、どうだというのか。

 セツナは、戦士になどなりたかったわけではない。

 もちろん、戦士として戦場に立ったのは事実であり、並み居る兵士よりも遥かに優れた結果を残したのもまた、事実だ。

 だが、戦士になりたいがために戦場に赴いたわけでもなければ、そんなことのために数多の命を奪ったわけではないのだ。

「――おまえは武器を手に取ったのだ。戦士として、剣の原野に臨んだのだ。破壊と殺戮さつりくの意志が吹き荒ぶ闘争の在処ありかへ。大河の如き赤き血と大地を覆う黒き死の領土りょうどへ。もはや戻れぬ。もはや帰れぬ。おまえの手は血にまみれた。おまえの足は死を踏みしだいた。おまえは矛を振るい、幾多いくたの人間を殺した」

 アズマリアのあでやかな声音こわねつむぐ言葉の数々は、さながら旋律のように響くようであり、セツナの耳朶じだに染みこんできた。そして、意識に溶け込んだかと思えば、瞬く間に彼の周囲に幾重もの幻想を生み出した。

 眼前に展開したのは、平原だった。

 そのどこまでも続くような平原に描き出されるのは、戦場の景色だ。

 あざやかなまでの青空の下、ガンディアとログナー、両軍合わせて一万人以上の人間が青々とした大地を埋め尽くしていた。

 睨み合う双方の前線に列を成す重装歩兵じゅうそうほへいたちが、大盾を構え、長槍を携えたまま、時が来るのを息を潜めて待っている。

 その後方には無数の歩兵、騎兵、弓兵たちが、整然と隊伍たいごを組んでいた。

 ガンディア軍を率いるのはレオンガンド王であり、ログナー軍は確かジオ=ギルバースという将軍だった。

 沈黙に包まれた緊張を破ったのは、どちらの軍だったのか。

 ともかくも、平原の中心で衝突は起きた。

 何千人もの兵士たちが、死に物狂いで戦っていた。

 命を賭して、勝利を掴み取ろうとしていた。

 生き残りたい――だれもがそう願っている。だれもが。

 だが、次の瞬間には、無数の兵士達が無残な亡骸なきがらとなって大地に横たわっていた。大量の死体が山のように積み上げられ、流れ落ちた血が大河のように流れていく。地の底から噴き出した業火が、渦を巻いて立ち上り、焼け焦げた死体のにおいを蔓延まんえんさせた。

 地獄。

 そんな言葉が、セツナの脳内を席巻した。

「悪魔、化け物、鬼神、死神……おまえをそう言い表すものもいるようだが、おまえはそれほど上等なものではないよ。力の使い方もわからない、未熟な戦士に過ぎない。だが、いつまでも未熟なままではいられまい? でなければ、おまえに殺されたものたちが浮かばれないし、おまえ自身納得できないのではないか?」

 突如としてセツナの耳に飛び込んできたアズマリアの声は、天上からの救いの言葉のように想えた。希望などありはしない地獄に差し伸べられた、救いの手。そう確信させるほどの強い力を持った言葉だった。

 しかし、セツナは、かぶりを振った。

 この地獄の景色だって、きっと、アズマリアの術か何かに違いないのだ。でなければ、こんな幻覚など見ることもないはずだ。

 うずたかく積み上げられた死体の山と、どこまでも流れていく血の河、燃え盛る紅蓮の炎の狭間で、セツナは、激しい怒りを覚えた。どこからともなく亡者もうじゃの声が聞こえる。怨嗟えんさ呪詛じゅそとなり、憎悪ぞうおに満ちた数多の叫びがこだましている。

 生への執着しゅうちゃくが、嵐となって吹きすさんでいる。

「おれにどうしろってんだ!」

 セツナは、すべてを振り払うように叫んでいた。悪意に満ちた幻聴げんちょうは収まらないが、収まらないのはセツナの感情も同様だった。

 叫びが引き金となったのかもしれない。

 激情が、彼の意志とは無関係に溢れ出した。

 意識が、目まぐるしく変転する。

「力の使い方なんてわかるわけねえだろ! 何も知らないんだ! 教えてくれる人もいねえ! そんなこと、話せる相手もいなかった! だから、自分でなんとかしてきたんだろ! それのどこが悪い! なにがいけないんだ! なにが――!」

 ほとばしる激情は、確固たる言葉になどならなかった。ただの感情の羅列に過ぎない。思いの丈をぶちまけただけなのだ。

 しかし、それで十分だった。

 いや、それしかできなかったというべきか。

 だが、結果的にセツナは、地獄のような幻想から解き放たれたのだ。

 周囲には、絶望的な光景ではなく、殺風景さっぷうけいな路地が横たわっていた。

 死体もなければ、平原ですらない。血の臭いも、死臭が立ち込めているということもない。

 あきれるほどの快晴の空の下、世界は、平穏そのものを表現していた。

 セツナは、安堵あんどとともにとてつもない疲労感を覚えていた。アズマリアにぶつけるべき言葉さえも思いつかなくなっている。

 アズマリアが、ささやくように言ってくる。

「悪いなどとはいっていないよ。ただ、教えてやろうというのだ」

「え……?」

 セツナがきょとんとしたのは、アズマリアの態度があまりにも優しかったからだ。その声音には、信じられないほどの暖かさがあった。柔らかく、身も心も包みこんでくれるようだった。

 だが、油断してはならない。

 セツナは、瞬時に警戒したが、彼女に一笑いっしょうされただけだった。相手にされてもいない。

 しかし、彼女のそういった反応は不快ではなかった。予想通りだったからというのもあるのだろうが、アズマリアのまなざしが、やはり柔らかかったからというのもあるかもしれない。

「わたしがなんの目的もなくガンディオンを訪れるとでも、考えていたか?」

 そして、満足げな表情を浮かべた女は、静かにこう告げてきたのだった。

「わたしの目的のひとつはおまえに逢うことだよ、セツナ」

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