第2章 終わらない冬05
北へ進めば進む程、身も凍る風が勢いを増す。周囲の雪も高く積もり、川は完全に凍り付き、その下を魚たちが身震いしながら泳いでいた。それでもサフィーは走り続ける。自身の角を輝かせ、凍てつく空気を裂くかのように前へ進み続けていた。すべてはこの冬を終わらせる為……であったのだが、今の彼女にはもう一つ目的が出来てしまった。ウェンディゴ、及び霜の王に奪われてしまったペンダントを取り戻すことだ。あれはアリトンから受け取った、サフィーの唯一の財産と呼べる代物であった。
それがその身に無い今、彼女は一抹の不安を抱えていた。
夜が更けると寒さがより一層牙を剥くため、流石のサフィーも足を休めていた。そうして夜空に視線を移し、そこに輝く星々とお喋りをしようと試みた。だが今では分厚い雲が空を覆い隠してしまっている。稀に雲の隙間から顔を覗かせることがあっても、相談事をするには短すぎる時間だ。
「……またひとりぼっち」
サフィーは寂しそうに呟き、森に居た時よりも早く瞳を閉じた。だが寝付くことが出来ない。止めどない不安と孤独が、彼女を覆い潰していたからだ。
「あのペンダント……アリトンは『お互いが永遠に友達でいられる魔法』が込められていると言っていたわ。それが無いと……彼は私のことを忘れてしまう?……いや、逆ね。私が……私が彼を忘れてしまうのよ。私が、幻獣である為に……」
――サフィーは彼のついた細やかな嘘を本気で信じていた。それと同時に自身が幻獣の枠組みに捕らえられていることを疎ましく思っていた。
だが悲しきかな、人も幻獣も等しく生まれは選べない。すべては神の気まぐれ、采配次第なのだ。
サフィーがふと瞼を開くと、彼女は暗い森の中でひとり佇んでいることに気づいた。今ではもう懐かしい故郷だ。彼女は朧げな意識の中、かつて慣れ親しんだ森を歩き回っていた。鳥の囀り、そよ風で葉が擦れ合う音、そして青々とした草の感覚……。何もかもが懐かしく、そして愛おしいものだった。そうして望郷に浸る内に、サフィーの中である考えが浮かんでしまった。
(……もう、ずっとここに居れば良いじゃない。不死鳥さんが言った通り、アリトンさんのことなんて忘れちゃえば良いのよ。それが……それが最善なのかもしれないわ……)
ユニコーンは初めて夢を見た。自身がアリトンとの絆を求めることに疑問を抱く夢だった。今のサフィーにとっては飛びっきりの悪夢だ。結局は自分も傲慢な幻獣かつ、目先の欲望に惑わされる畜生であると再認識させられるようなものだった。
だが、サフィーはそれを全力で否定した。あの日アリトンと共に過ごした時間を、彼女は忘れたくなかったのだ。
(……いや、私は何を言っているの?私と彼は確かにあの時、あの瞬間対等だった!そして……楽しかった!彼とお話して、魔法を学んだことは決して忘れたくない思い出よ!)
まやかしの木々が次第に枯れ落ち、サフィーは都合の良い夢から目覚めていく。
(私とアリトンは友達よ!誰が何と言おうが否定させないわ!私が!……私がそう望んだのだから……!)
その瞬間、彼女はハッと目を覚ました。丁度その時、雲の隙間から差し込む朝日が彼女を照らしていた。弱々しくも、確かな温もりがサフィーを奮い立たせる。
「……行こう」
サフィーは直ぐに駆け出した。正面から吹き荒れる寒風など意にも介せず、彼女は足をどんどん速める。休憩すら殆ど挟まず山を、川を、そして村々を駆け抜けていく。
――早く走ろう、終わらない冬を掃う為に。
――早く取り戻そう、彼といつまでも友達でいる為に。
やがてその姿は閃光のように霞み、白い大地に一筋の光の尾を描いていく。そしてサフィーの痕跡は僅かな温もりを残し、周囲の呪われた雪を消し去っていった。故に彼女が訪れた土地には微かな緑が蘇り、一時の春が訪れたのだ。その様を運良く目撃した人々は口々に噂した。
「白い大地の中に、北へ向かって駆ける光を見た」
「それが走り抜けた後には、短い春が訪れる」
噂は瞬く間に広まり、実際にその光を捕えようと試みる者まで現れた。しかし例えサフィーを見つけたとて、如何なる駿馬でさえ彼女に追いつくことは叶わず、その光がユニコーンであることさえ人々は認識出来なかった。だが、その漠然さが返って神秘性を帯び、サフィーは人間達からこの終わらない冬を照らす一片の希望の象徴となりつつあった。
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