第4話 五日ぶりの覗き見1

 今日は五日ぶりに晴れた……ということは。


「待ちきれなかったわ。きゃ、今日もダニエル様はす・て・き」


「はぁ、それは何よりです」


 私は生け垣に隠れ、蒼空そうくう騎士団の詰め所から出て来たダニエル様の隣を歩くオーランドを確認する。


 本日の彼は胸部と肩に銀色の装飾が施された深い青色の上着とパンツに、黒いレザーブーツという格好だ。上着の袖口や襟元には細やかな細工が施され、全体的に上品な雰囲気を醸し出している。

 それもそのはず。オーランドが着用する制服は蒼空騎士団の中でも一握り。エリートと呼ばれる部隊、近衛騎士にのみ許された制服だからだ。


 私は彼の制服姿を目にするたび、まるで自分の事のように誇らしい気持ちになる。


 願わくば、「頑張ったね」と頭を撫でたいし、何なら彼が身に着ける制服の肖像画を著名な画家に描いてもらいたい。しかし、そんなことをしたら彼に殺される未来しか見えないため、私はこうして生け垣の隙間から、自分の目にしっかりと焼き付けておくに留めている。


「ダニエル様の制服姿はいつみても素敵ね! 眼福、眼福」


 バッチリと決めたダニエル様の近衛姿に、リリアナ様は大興奮。


「明日からこの時間にしようかしら?」


 前進するダニエル様とオーランドに合わせ私達も生け垣の間をコソコソと中腰で移動する。


「無理です。今日だって抜け出すのが大変だったじゃないですか」


 本日の覗き見は、リリアナ様を初めとする私達侍女も全員参加する舞踏会を夜に控えているため、いつもより早めの活動時間となっている。


 普段のリリアナ様は、午後のお茶タイムの前に「お花摘みに」もしくは「外の空気を吸いに」と周囲に告げ覗き見時間を確保。その後早歩きで騎士団員の休憩場となる中庭へ直行し、中庭を囲む生け垣の隙間からこっそり覗いているという状況だ。


 以前はリリアナ様の居住区から中庭までの移動に時間がかかり、覗き見時間が数分で終わってしまうことが多かった。しかし、私達は諦めずに努力を続けた結果、脚力が鍛えられ、最近では優雅ながらも素早い足取りで中庭に到達できるようになった。そのおかげで、覗き見時間も存分に取ることができるようになったという訳だ。


 しかし、今日のリリアナ様は、夜に開催される舞踏会を控え朝からタイトスケジュール。そんな中、湯浴びをする前に「お花摘みに」と断り、無理やり時間を作って抜け出してきたというイレギュラーな状況となっている。


 そのため、本日のターゲットは休憩中ではなく、任務中。私達は王城内を警備中の二人を追いかけながら覗き見中というわけだ。


 つまり、本日の覗き見ミッションは、慣れない場所でありながらも移動しながら生け垣に隠れ、ターゲットを監視するという、高難易度の設定だ。正直かなり危険な状況に直面していると言えるだろう。


「あと数時間後には舞踏会でお会いするんじゃないんですか?」


「そうよ。でもそれはそれ、これはこれよ。やだダニエル様が小枝を拾ったわ!きっと私が躓かないように配慮して下さっているのね。彼はなんて紳士的なのかしら」


 いつになくリリアナ様はノリノリだ。しかし私はいつもと勝手が違う覗き見に、周囲に見られたりしないかとヒヤヒヤしている。


「それに今日の舞踏会は仮面をつけるでしょう?万が一ダニエル様に気付けなかったら、お会い出来ないもの」


 リリアナ様はそう呟くと、まるで恋する乙女のようにほうっと悩ましげなため息をつく。


 本日行われる『春の舞踏会』は普通のそれとは少し趣向が違うものとなっている。


 舞踏会の参加者はみな、華やかな動物の仮面を身に着ける事が義務付けられており、正体を隠したまま身分に関係なく他の参加者との出会いや交流を楽しむことができるのが醍醐味だ。とは言え、身内や普段から親しい友人には、仮面の下に隠された正体が判明してしまう場合もある。けれどそれを指摘しないのが、この夜会における暗黙のルールとなっている。


「お揃いのうさぎにしてたじゃないですか、オスとメスで」


 他の人には譲らないの勢いで、リリアナ様は用意された仮面の中からいち早く「これにするわ!」と可愛らしいウサギの仮面を分捕り、「コレのオスを作って欲しいの」と衣装係におねだりをしていた。


 それから「当日は絶対、これにしてくださいね」とダニエル様に念を押し渡していた。


 全ての現場に立ち合っていたので、間違いない。


「わかってないわね、エマは」


 私は至極真っ当な事を告げたはずなのに、リリアナ様は大げさな仕草で肩を竦めてみせた。


「立ったらダメですってば」


 私は慌ててリリアナ様の腕を不敬承知で引っ張る。


「あらやだ。つい、うっかり」


 中腰になったリリアナ様は続ける。


「誰かわからないのをいい事に、私という婚約者がいるにもかかわらず、ダニエル様にちょっかいをかけてくる令嬢がいるかも知れないでしょう?」


「誰かわからないなら、その心配もなさそうですけれど」


「衣装係を脅して、アミラがダニエル様の仮面の事を聞きつけているかも知れないじゃない」


 リリアナ様はダニエル様を視線で捕らえたまま、素早く次の生け垣に身を隠し告げる。


 確かに王城内に比較的自由に出入りする事が可能であるアミラ様だ。衣装係に仮面についてすでに探りを入れている可能性がないとは言い切れない。


「あ、でもアリス達の情報ですと、アミラ様の次なるターゲットは、私の弟のようです」


 そう言えばバタバタしていて、報告していなかったので、さりげなく今知らせた。


「ニーナからその噂は聞いたわ。オーランド様もお相手がいらっしゃらないものね。でもエマが守ってさしあげるのでしょう?」


「守るですか?」


 その発想はなかったと私は驚く。


「だってエマにとってオーランド様は大事な人じゃない」


 生け垣の先に目を向けたまま、まるで核心をつくかのようなリリアナ様の物言いに、私は心臓が止まる思いで立ち止まる。


 まさか私が生け垣からこうしてオーランドに、彼の息災を祈った視線を日々送っている事をリリアナ様は気付いているのだろうか。


 私は自らの気付きに青ざめる。


「やだ、エマ。立ち止まらないで。ダニエル様と距離が離れてしまうわ」


「あっ、失礼しました」


 私は慌ててドレスの裾を上げ優雅に小走りし、先を急ぐリリアナ様を追いかける。


「早くに家族を失ったあなたにとって、グラント伯爵家の皆様は、大事な家族ですもの。あなたが心配する気持ちは私だって知ってるわ。だからアミラのお相手がオーランド様なんて嫌でしょ?」


 ダニエル様を巡り積年の恨みがあるせいか、従姉妹であるにもかかわらずリリアナ様は辛辣だ。


「それにオーランド様は物静かな方だから、ご結婚なんてされたら、アミラの止まらないお喋りで早死にしちゃうと思うの」


 普段は人の悪口を自ら公言しないよう心掛けているリリアナ様にしては珍しい物言いに驚く。


 因みに王女であるリリアナ様が愚痴を言えない分、彼女が感じた事を私達が代弁し、鬱憤を溜めないようメンタルケアを日々心掛けるのも侍女の大事な役目だ。


 もしかしてリリアナ様は、私が口に出せない気持ちを敢えて吐き出してくれているのではないだろうか。


 だって私はオーランドがアミラ様と結婚するのは内心嫌だと感じているから。もちろん、それは大事な私の可愛い弟を取られるのが嫌という、我儘な気持ちだと言うことも理解している。


 でも嫌なものは嫌だ。


「あ、オーランドもこんな気持ちだったのかも」


 私は数日前、突然私の部屋を訪れて終始ぷんぷんして帰った、あの時オーランドが抱えていた気持ちを理解できた……気がする。


 やっぱりあれは「お姉ちゃん、お嫁に行かないで」から来た態度に違いない。


「なんだかんだ、やっぱりまだ、お姉ちゃんっ子なのね」


 私は自分で呟いた言葉に思わず頬が緩む。


「エマ、離れすぎ」


 リリアナ様の小声が少し離れた所からして、私は緩んでいた顔を即座に戻す。


「もうそんなんじゃ、諜報部にはなれないわよ」


「別に諜報部に入りたいとは思ってませんよ、リリアナ様」


 私は笑顔で返し、生け垣の間を素早く移動してリリアナ様の元に急ぐ。


「ようやく追いついたわ。それにしてもダニエル様は足が長いから、ドレスで追いかけるのは大変。やっぱり休憩中のダニエル様を覗き見するに限るわね」


「気付いて下さって、感謝します」


 私がおどけた顔をリリアナ様に向けた次の瞬間。

 横にある生け垣から突然三毛猫が飛び出して来た。


「きゃっ!」


 可愛らしい悲鳴をあげたリリアナ様が驚いた拍子にバランスを崩す。


「危ない!」


 私は咄嗟にリリアナ様の背後に駆け寄り、彼女が転ばないよう体勢を取った。しかし何段もフリルが縫い付けられた豪華なドレスの重みには耐えられず、私は無様にも尻餅をついたリリアナ様の下敷きになってしまう。


 端的にこの状況を表すと、うつ伏せになった私の上にリリアナ様が尻餅を付いているというミラクル。


「うっ、リ、リリアナ様、お怪我はございませんか?」


 私はひとまず彼女の安否を確認する。大事な主に怪我をさせたとあっては、自分が許せない。


「ええと」


 びっくりしたのか、言葉を失い固まるリリアナ様。


「い、痛みなどはございますか?」


「私は平気よ。ありがとうエマ。あなたは大丈夫なの?」


 こちらに顔を向けたリリアナ様と目が合う。


「で、出来たら上から降りていただけると」


 申し訳なさ全開で、リリアナ様に涙目で訴えた。


 リリアナ様単品であれば紙のように軽いので、たとえ下敷きにされていたとしても余裕だ。けれど、パニエとドレスの重みは頂けない。しかも倒れた拍子に足首を捻ったのか、ジンジンとした痛みが私を襲っている。私はこのまま窒息と破傷風のダブルで死ぬかもと、珍しく弱気になる。


「殿下、大丈夫ですか?」


 突然男性の声がして、背筋が凍る。確認しなければと思うけれど、出来れば見て見ぬ振りがしたい。何ならこのまま気絶したっていいくらい。


 何故ならそこにいたのは――。

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