忘却の退魔師

BES

第一章 記憶喪失の退魔士と陰陽師の少女

第1話 退魔士の帰還


 ”記憶喪失になっても案外困る事はない。”


 それは俺が特殊な環境に居るせいか。それとも元からそういうドライな性格だったのか。

俺には十二歳の十一月六日より前の記憶が無かった。何故記憶喪失になったのかは分からないが、日常的な動作や物事は覚えていたし、目が覚めた時の異様な状況の方が困惑したくらいだった。


「しばらくぶりだね。最近の調子はどうだい?五十六番、いや、本田祐也って名乗ってるんだっけ?」


「名乗ってるんじゃなくて、そういうことになったんです。先生」


 施設の診察室で軽く手を振る人物。彼は松崎大誠まつざきたいせい、俺の担当医だ。俺の事を番号で呼ぶが何故かは分からないし、聞いてもはぐらかされるから気にしないようにしている。


「右腕の具合はどうかな?」

「向こうでも診てもらったので大丈夫です。調整は少し違いますが」

「それはいけないな。今すぐ私が調整しなくては。君の右手は僕が造ったのだから」

「……」


 俺の右手は義手だ。義手といっても医療用義手ではない。今の俺が装着しているのは戦闘用の特別な義手で、近代発見された特殊な黒い合金、”緇緇色金シシイロカネ”を使用し、松崎先生の研究開発を経て製造された物だ。


 形自体はロボットやパワードスーツの腕のように無骨に角張っておらず、医療用の腕を模した義手と似てはいるが、少し流線型だ。しかし拳の部分だけは威力を増すためか手甲のような造りになっている。全体色は合金を加工しているため黒いメタリックな輝きを放つ。内部に機械構造は全く存在せず、関節部は退魔の力である霊力を流し込むことで普通の腕や手のように扱うことができる。


 義手だと気付いたのは一番古い記憶。目が覚めて最初に思ったのは身体の違和感だった。その違和感のあった箇所、右手に目をやると機械の腕だった。この松崎先生が着けたらしい。それは十二歳の俺の身体に合わない大きさだったが直ぐに調整され、以降俺の成長と共に調整され続けた。


 松崎先生に連れられ診療室から奥の扉に入る。瞬間、部屋に充満している穢れを一身に浴びた。松崎先生の研究室、何度来てもここは異質だ。この部屋ごと退魔したほうがいいんじゃないか?


 それに相変わらず整理整頓のされていない場所だ。そこらじゅうに撒き散らされた資料や乱雑に置かれたファイル類、いつ食べたのか分からないカップラーメンのゴミもあり、腐臭が漂っている。これが穢れの原因だろ片付けろよもう……


 しかしそんな部屋の惨状を差し置いて目立つ物がある。それは正面にある複数のモニターと他の機械群だ。詳しくは分からないが義手を調整する類の機械だ。俺は義手のロックを外し先生に渡す。義手の結合部はT字のような構造をしていて、腕の部分に差し込むように入れて回してロックが掛かる。この自動化時代に随分簡素だとは思うがこれが一番外れる確率が低いとのこと。外す時は霊力を込めればロック解除される。


 先生は義手をその機械と接続し調整を始める。モニターに映し出される様々なデータに先生はモニターのテーブルに両手を打ち付けた。


「ふざけるなよ……!こんな継ぎ接ぎの調整じゃ性能を充分に発揮できないのも分からないのか!?無能な研究者共が……!やはり僕もついて行くべきだった……!!」


 先生は自分以外がこの義手の調整をするのをひどく嫌っていて、他の研究者をずたぼろに罵っている。松崎先生は口も性格も悪い。彼が裏の世界で医者や科学者として名を馳せたのは、その欠点を補って余りあるほどの天才だからだろう。と彼の開発した義手ユーザーの俺は思っている。


「ああ、そういえばさー」


 毒を吐き終えたのか、普段の口調に戻った先生が画面を見て何やら調整をしながら話しかけてきた。流石だな。あっちでは数人掛かりで必死な思いで調整していたのに。


 「あっち……京都はどうだったのかな?」

 「そうですね……魔物一個体一個体が相当な”霊格“を持っていて尚且つ数が多い。一瞬も気が抜けませんでしたよ。流石京都ですね。日本退魔の最前線なだけありました」


 俺はつい最近まで京都に行っていた。この施設で目覚めた俺は記憶喪失だったが、拾ってくれた恩を返すために、自ら訓練に参加させてくれと懇願した。要求は通り、基本訓練に加えて特殊訓練を受けることになった。それから六年。十八歳になって初めての特殊実戦訓練の為に俺は京都に出向いた。そして京都で四年間、退魔士の敵、魔物と戦っていたわけだ。


「聞いたよー。四人犠牲になったんだってね?君の隊は」

「……」

「君以外の隊員は全滅。悲惨だね~。でも君は悪くない。君の側にいて死ぬ方が悪いからね」

「アンタは、俺を怒らせたいのか」


 正直ここに来る時点でこうなるだろうとは思ってはいた。だが考えていたのと実際言われるのとでは全然違う。それに先生は笑っていた。嘲るように。何の目的かは知らないが、俺を怒らせようと煽ってくるのは少しだけ不快だ。


「おっとそんな怒んないでって。君が感情をコントロールできているか試しただけだよ」

「アンタが何と言おうと俺のせいで隊の仲間が死んだのは事実です。彼女等の死の原因を彼女等に押し付けるのは許さない」

「わかったわかった。次から気を付けるよ」


 言葉ではそう言いながらも先生は尚もヘラヘラと笑っていた。こんな人とはすぐにでも縁を切りたいが、義手の設計者兼研究所長、彼以外完全に義手を調整できないということもあって、義手を人質に取られているようなものだ。迂闊なことは出来ない。


「よし。付けてみて。それと新たな日常生活用義手の人口皮膚も試してくれ。違和感はないだろう」


 俺は二つの義手を持っている。


 一つは戦闘用の義手で正式名称は特殊退魔義手「破軍」。松崎先生が造りあげた唯一無二の特別な義手。


 一つは目立たない、不便に感じない、ある程度の耐久性を目指して作られた日常生活用の隠し義手だ。知らずとも不便はないので詳しくはないが静音モーターや筋電位センサー、パターン認識等によって無音での操作が可能、勿論動力は霊力だ。この義手自体は何も特別ではなく退魔機関に支給されたものだ。そしてその人工皮膚の部分のみ高度な技術を持つ松崎先生が造っているというわけだ。


 調整が終わったようだ。先生に投げ渡された日常用義手を左手でキャッチして装着する。うん、確かにこれなら近くでガン見されても分からないだろう。後は動作だが、意識を集中させ霊力を流し込むことで自分の手の様にスムーズに動く。機械やギア製じゃないから異音もしないし、完璧だな。


 次は「破軍」だ。先程と同じ様に装着して手を動かしたり霊力を込めたりして動作確認をする。可動域に問題なし。少し霊力伝達率が良くなったか?起動は……ここじゃできないな。危険すぎる。後は実戦で確かめるしかないな。


「そうですね。大丈夫です。ありがとうございます。それでは失礼します」

「おや、もう行くのかい?もっとゆっくりしていけばいいのに」

「用事があるので」

「それなら仕方ないね。また調子悪くなったら来てね。五十六番」


 先生が別れ際にも煽ってくる。だが、何故五十六番と先生に呼ばれるのか分からない。どうせ俺のことを実験動物のモルモットにでも見ているのだろう。


 診察室の扉を開け、廊下に出てエレベーターに乗り地下一階から地上一p階へ行く。エレベーターのドアが開くと目の前に書類を大量に抱えた人物の姿があった。


「おう、本田か。松崎先生に診てもらってたのか。大変だな」

「吉野先輩。大荷物ですね。手伝いましょうか?」


 吉野先輩は同じ職場の先輩だ。現在三十三歳、京都に行く前からの知り合い

で、子供の頃からよく世話してもらっていた。


「こいつは松崎先生に持っていく物だが、手伝ってくれんのか?」

「すみません。自分で言いましたがやっぱ無しで」

「それがいいぜ。あんなのには出来る限り会わねーほうがいい。特にお前はな」

「それって、どういう?」

「ん、まあ、お前はあの人に気に入られてるからな。またおちょくられちまうぜ?って事よ。んじゃあおれは行くぜ」


 先輩、一瞬しまったというような顔だったな……。なにか失言でも言ったのか?だとしたら松崎先生に関する事か?あの人は秘密主義すぎるからな。俺程度じゃ暴けるもんでもないし、しばらく気にしないでおこう。今んところ実害ないしな。


 先輩が地下に行った後、途中すれ違う同僚や市民の皆さんに軽く挨拶をしながら通路を歩いて窓口の方へ、そしてそのまま外に出て振り返る。


 今でも信じられない。俺が十二歳から訓練をして過ごしてきた場所が、市役所の地下だったなんて。

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