第13話 離さないなら殴るしかない
その日も、カラントは冒険者ギルドの隅、小さな待合テーブルを一つ借りていた。
もうすぐグロークロが仕事から戻る。
帰って来るまでの間、タムラから頼まれて行商の時に売り物になりそうな布袋を作っていた。
まるで託児所だなと笑うものもいたが、ギルド職員に睨まれると引き下がった。
カラントをギルドが預かる代わりに。
「スゥーーーーはぁーーーー」
変質者、セオドアがリグの頭部を吸って吐く。
セオドアが『吸わせてくれないなら他の冒険者を吸いに行く』という暴君ぷりを発揮したため、リグは他の冒険者のために、その身を呈して働いていた。
変質者に吸われているドリアードの目に、光はない。
すまねぇ、すまねぇ、とよく吸われていた獣人たちが身代わりになっているリグに手を合わせる。
その光景も見慣れたものだ。いや、見慣れてもよろしくないのだが。
あれから、水晶洞窟に向かうのは、もう少しお金が貯まってから、という話になった。
危険度の低い洞窟とはいえ、カラントの探索用の装備が心配らしく、グロークロはお金を貯めて装備を整えるつもりらしい。
過保護、と言われてもグロークロはそれこそ真剣な顔で「傷ひとつ負わせられん」と譲る気はないようだった。
彼に大切にされている、というのがわかってカラント少し気恥ずかしいが嬉しく思う。
その一方で、カラントはちくり、と心を痛める。
グロークロが私を助けるのは、私が願ってしまったせいだ。と。
助けてほしい、と願ってしまった。自分の奇跡を使って叶えてしまっているなら、私は何て事をしてしまったのだろう。
「おい」
誰かに声をかけられ、なんだろうと思う前に、反射的にカラントは顔を上げた。
今まで、カラントは恵まれていた。グロークロに助けられてから、悪意をぶつけてくる者はいなかった。だからこそ、警戒が緩んでいた。
「貴様、こんなところにいたのか」
怒りを抑えたものの苛立ちを隠さない声と共に、カラントの胸ぐらが掴まれる。
声をかけたのは人間の男。黒に近い暗緑色の長髪に美しい顔をした青年だ。
冒険者とは思えぬ、装飾華美な鎧と服を着ている。
しかし、その眼はまるで犯罪者を見るように、カラントを睨みつけていた。
カラントは体を強張らせる、息を飲み、声も出せない。
知らない。カラントはこの男を知らない。
しかし、カラント=アルグランの体は知っている。
この男に、何度も切り裂かれ、突き刺された事を。
「さっさとこい」
カラントを引っ張ろうとしたが、彼女は連れて行かれないように抵抗した。
「や、やだ……!」
それは椅子から立たないようにした、本当に小さな小さな抵抗。
気に食わない、というよりは、動かない家畜の尻でも叩くような感覚で、男は一度カラントから手を離すと、拳でカラントの顔を殴りつけた。
ごっ、と鈍い音がして、カラントは勢いよく椅子から転げ落ち、床に強かに体を打ちつける。
目の前がチカチカして、リグの悲鳴が遠くに聞こえた。
「何してんのあんた!!」
カラントと顔馴染みの女魔術師が叫んで、男につかみかかろうとするが。
「きゃあ!!」
いつ剣を抜いたのかも、わからぬほどの早業で男は女の腕を切りつけた。
腕から、じわりと赤が滲みだす。
「何か、勘違いしているようだが」
男は冷酷に、何事かとこちらを見る冒険者たちを見据える。
「私は、これを王都に連れ帰る責務があるだけだ」
床を這うような姿になったカラントの手を、男が踏みつけた。
痛みにカラントが歯を食いしばり、それでも逃げようとする。
「こざかしい」
男は舌打ちする。そして、手を踏むのをやめたかと思えば、今度は少女の体を乱暴に蹴りあげた。
再び響く鈍い音に、誰かが小さな悲鳴をあげる。
呻き声をあげて、カラントは芋虫のように体を丸める。
「テメェ!!ふざけんなよ!!」
青い鱗の蜥蜴人を含め、数名の冒険者達が駆け寄ろうとするが
「近寄るな」と、男は周囲を剣で制した。
「こちらの邪魔をして、不利益を被るのはそちらではないか?」
こちらは貴族で、王都のために動いているのだぞと言わんばかりの態度に、冒険者達は足を止めざるを得ない。
「全員、待ちなさい。剣は抜くな。下手を打つと、僕でも庇いきれなくなる」
冒険者達の後ろから、セオドアが前に出る。
カラントを助けようと暴れるドリアードを抱きしめたままだった。
ーーージアン=ハウンドダガーは聖女の願いを叶えるべく、教職を辞してまでカラントを探しに出ていた。
いくつかの町を巡り、『ドリアードを連れている少女』の話を聞いて、もしやと思い来てみたが、大当たりだった。
これで、フリジアが喜ぶ。自分もまた強くなれると、ジアンはその整った顔の下で笑いを堪えるのに精一杯だった。
「聖女への反逆罪でこの罪人を王都に連れて帰るが、異論はないな?」
したり顔で話すジアンに返ってきたのは、予想外の言葉だった。
「異論あるに決まっているだろう。馬鹿かい?キミ」
ギルドマスターセオドアは、ジアンを見据える。
「聖女への反逆罪?そんなもの初めて聞いたね。どんな罪だい?聖女様にその子が何をしたんだ?証拠は?王家からの書状は?」
ギルドマスターの後ろから、動く鎧の受付嬢がゆっくりと動き、隣に並ぶ。
片手には大きな鉄盾を構え、反対の手には鎮圧用の鉄の棍棒を握っている
「少なくとも、その子の犯罪歴や手配書がないくらいウチも調べてるんだ。今のキミはただの暴行者だよ」
本来なら、シャディアが容赦なく鎮圧すべき存在だが、ジアンの貴族の肩書には慎重にならざるをえない。
「うちのギルドが預かっているお嬢さんと、所属している魔術師に怪我をさせたんだ。治療代をおいてさっさと出てくのをおすすめするよ?あぁ、ちゃんと負け犬らしくキャンキャン鳴くのを忘れるなよ?」
セオドアも立場上、警告をしなくてはいけないのだが、もはやその言葉には悪意が滲み出ている。軽口を叩きながらも、セオドアはリグを安心させるように撫でている。
「お前たちは何か、勘違いしている」
ジアンは引く事はなかった。
「聖女様への奉仕を放棄した怠け者。それを連れ帰るだけだ。それに、こいつは殺しても死なない。お前たちが護る必要のない生き物だ」
もう恐怖で動けない少女の顔を、ジアンは上等なブーツで蹴り上げた。
ジアンの剣の腕前はかなりのものだと、その場にいた冒険者は判断していた。
だからこそ、もたつけばカラントが余計に危ない。
しかも服装から考えるに彼は貴族階級。余所者や労働階級出身の冒険者が手を出すとどんな報復があるかわからない。
ーーーだが、同じ貴族であるギルドマスターの命令があれば、多少話は変わってくる。
「マスター」
命令を、とシャディアが急かす。私が率先して出るべきであると言わんばかりだが、セオドアはニタニタと笑いだす始末だ。
「ハウンドダガー家の小僧が随分と偉そうな口をきく」
ぴくり、とジアンはその眉を動かす。
「その剣の構え、剣の作り。あぁ、知っているとも、数年前、君の名前を知らない貴族令嬢はいなかったからね。で?そのたかだかハウンドダガー家の小僧如きが?この僕に、楯突くと?はははは!考えなしにも程がある。三流戯作者でも、もう少し話の流れを考えるものだがね!?」
あぁ、何て稚拙な流れだと、セオドアは嘲笑う。
「その少女を拐かすならもっといい方法があっただろうに。随分と手際が悪いじゃないか?頭に血が登ってしまったかい?それとも頭に羽飾りでもつけるために中身を軽量化したのかい?」
ベラベラと喋るギルドマスターに、ジアンはその美しい顔を顰めるだけだった。
「逆でしょう。たかだか、こんな小娘如きに、私を、聖女を、王国を、敵に回すと?」
少しだけセオドアは沈黙し、その後耐えきれないとばかりに大声で笑った。
「随分大きく出るじゃないかお坊ちゃん!あぁあぁ、待て待てみんな。落ち着けよ。君も落ち着きなさい。まだだ、ここは待ちなさい」
自らの腕の中で、ふーっ!ふーっ!と息を荒げる可愛いドリアードを撫でながら、メガネをかけた美丈夫は笑い続ける。
「死なないと言ったね?つまり君は彼女は死んだのを見たのかい?死んで生き返ったのを。いや、その言い草だと君がまるで彼女を殺したみたいじゃないか!?」
「あぁ」
ジアンはその美貌で笑って見せた。
「試しに殺してみせようか?そうすれば、貴様も、口より頭が働くようになるだろう」
「やめろ!!」
耐えきれず、リグが悲痛な声で叫んだ。
「それ以上!カラントをいじめてみろ!僕は!僕は許さないぞ!」
短い手足をばたつかせるドリアードが滑稽で、ジアンは鼻で笑う。
「笑うなぁぁぁぁ!!!!!!」
今の自分の無力は知っている。けれど、リグは悔し紛れに叫んだ。
「うるさいな。おい、さっさと立て」
ジアンはそう吐き捨てると、少女の髪を乱暴に掴んで引っ張り上げた。
それを見て、治癒術師の女が怒りのあまり唇を噛む。
ーーーついこの間、髪が伸びてきたからと、手入れ方法を、はにかみながら顔馴染みの魔術師と治癒術師に相談してきたばかりだった。
「やめてぇ……」
叫ぶ気力もないのか、それでも絞り出した少女の言葉。
「マスター、許可を」
シャディアはもう我慢できないと言わんばかりに許可を求める。
セオドアの一声で、彼女はジアンの脳天を打ち据えて見せるだろう。
他の職員も殺気を隠さずに、ジアンを見据えていている。
しかし、セオドアは笑顔を崩さない。
「落ち着きなさい」
ギルドマスターは語る。まるで舞台役者のように。
「やっと間に合った。ここは『彼』の見せ場だろう」
セオドアが笑い、ウィンクをして見せたタイミングだった。
美しい剣士に向かって、走ってくる灰緑色の肌をした大男。
ーーーグロークロが、ジアンの整った顔面に拳をぶち込んだ。
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