第5話 短刀の使い方

貴族たちの通う学園の豪奢な一室で、苛立つ青年が一人。

端正な顔立ちに、緩やかに波打つ金髪を整えた、この国のオスカー王子だ。

年の位はカラントとほぼ変わらない。本来ならば王宮にいるはずの彼がこの学園にいるのは「聖女」のためだ。

「まだあの女は見つからないのか?」

「は、はい。やはり、ドリアード達が連れ去ったとしか」

「そんなことはもう分かってる!!」

仲間の言葉に王子は乱暴に声を荒げた。


1ヶ月前の事、学園に突然、ドリアード達が襲撃してきた。

深夜に庭園や温室から際限なしに出現するドリアード達は、マンドラゴラの悲鳴を響かせたり、学園の木をトレントという巨木の怪物に変えたりと、やりたい放題だった。

仮にも貴族の学舎だ。決して警備が薄いわけではない。並の獣、不審者などは決してこの学園に入る事ができないのだが、内部からの自然霊大量発生は前代未聞であった。


そして学園の教師陣、上級生、聖女の召喚獣でどうにかドリアード達を抑えている隙に。


あのカラント=アルグランは姿をくらませた。


「殿下、もう、国の魔術団に相談した方が」

「そんなことをしたら、どうなるか分かっているだろうが!」


フリジアのために、カラントを虐げ続けてきたことがバレれば、『特別訓練に参加した者達』は立場がなくなる。

この、オスカーもそのうちの1人であった。


あの女を虐げた後、目に見えて成長があった。

剣術も魔術も以前と比べ物にならない腕前になり、体力も見違えるほど上がった。

フリジアの言葉を借りるなら「レベルアップ」したのだろう。

それは、真面目に木剣を振るより簡単で、カビ臭い本を読み込むより確実て、手っ取り早い手段だった。


だから、彼らはこっそりと、カラントを「毎日」「全員で」「痛めつけた」


カラントを気にかける生徒や教師がいれば、王家と高位貴族の力で僻地へ飛ばしてやった。うるさい教師の一人が運良く亡くなったりもした。


こんな素晴らしい力は、仲間内だけの秘密にしたかった。


あの女は寮の自室に閉じ籠る抵抗を見せたが、それはそれで好都合だった。

フリジアにカラントの姿をした召喚獣を呼ばせ、それを影武者にして、自室にいるふりをさせた。

カラント本人は、聖女専用の訓練室に『備品』として置いておく事にする。

学園でも古い棟に作らせた訓練室、万が一にでも近寄るものがいれば見張りの召喚獣が惑わせて入らせない。


抵抗されるのが面倒だからと、誰かが鎖を提案した。

うるさいから、騒ぐたびに骨を折って、黙るように躾けた。

どんなに痛めつけても、カラントは死なないから、やがて治療は「どこを壊せばどう治るか」の実験に変わった。


そのたびに、楽に強くなった。


そんな娘がいなくなったのだ。

もしも、伯爵令嬢を痛めつけていた事が、バレたら。

もしも、あの女が、他に仲間を使って復讐にきたら。


万能感に溺れていた王子は、今更ながらに恐怖する。

悪事をしてしまったという自覚はある。人として許されない事だとも分かっていた。


ーーーだから、バレないように、絶対に隠滅しなければ。


反省の心はなく、青年達はただただ全ての責任から逃れようと画策していた。


*****


雲ひとつない青空の日だった。

「カラント、いるかい?」

女族長の来訪に、革紐を作っていたカラントは慌てて体裁を整えて出迎える。

「イナヅ様」

前よりだいぶ血色の良くなった少女の笑顔。

頭蓋埋め、血河の女王と呼ばれたイナヅもこれには満面の笑みだ。

ズカズカとグロークロの家に入り込み、出迎えた少女を抱き締める。

「ははは!来た時よりずっと顔色が良くなったじゃないか!」

「ぁい!ありがとうございます!」

来た時から面倒を見てくれたイナヅに、カラントも懐いている。

「あぁあぁ、あんたはまだまだ肥えなきゃいけないよ!たまにはうちに飯を食いに来い!なんならそろそろうちに住むかい?カラント!」

「族長、リグなら持って行っていいぞ」

「なんでぇ!?なんで僕だけぇ!?」

グロークロの言葉に、目を丸くして驚くリグ。返事もないのでポカポカとグロークロの足を叩いて非難を態度で示している。

「カラント、お前がこの集落にきて1ヶ月だからね。今度の集会でお前をどうするか、そろそろ決めようと思う。あたしの家の子にする予定だけどねぇ。はは!お前を嫁に欲しいって言い出す男もいるかもしれないね!」

まぁ!お前の旦那はあたしが見極めてやるから安心おし!とイナヅは白い牙を見せてからからと笑う。

「グロークロさん、今の話、根回ししときましょうか?」

「頼む」

リグの根回しにより、少なくとも救える命があるだろう。

うっかり冗談でも『カラント?俺が嫁にもらおうか?』などいうオークがいれば、次の日には族長の手で頭蓋を埋められているだろうからだ。


「カラント、何か思い出せたかい?」

優しくカラントの頭を撫でながら、イナヅが問う。

「……いいえ、まだ、あまり」

申し訳なさそうな顔をして、表情を曇らせるカラントにイナヅはカラカラと笑う。


「そうかい!あぁ、気にしないでおくれ。今を健やかに過ごせればそれでいいんだ。そうそう、今日は渡したいものはあったんだ」

イナヅはカラントに短い黒い棒を手渡す。

「昔、鬼辰国の戦士に勝った時にもらった短刀だ」

ゆっくりと、カラントがその黒艶の鞘を抜けば、鏡の如く磨かれた刃が見えた。

「きれい」

片刃の短刀はまるで水に濡れたかのように艶やかだった。

その磨かれた刃に、カラントの黒い瞳が映る。

「イナヅ、カラントはまだ子供だ。こんな刃物など危ない」

グロークロの言葉に、カラントが慌ててイナヅをかばう。

「子供じゃない!それに、これがあれば、グロークロの狩りに私もついていけるよ!獲物の解体を私も手伝えるもの!」

「だめだ」

冷静なグロークロの言葉に対して、カラントは口をへの字にして見せる。

「まぁ、最初は芋の皮剥きにでも使いな!」

2人の口喧嘩を、オークの女族長は豪快に笑い飛ばしてみせた。

ーーー微笑ましい会話はそこまでだった。


ガンガンガンガンガンガンと、鐘が鳴る。

見張り台からの警鐘だ。連続で鳴り続けるその意味は『敵襲』

イナヅから笑顔が消える。

「あんたたちは家にいな」

イナヅはそう言うと、すぐさま門へと向かって走り出した。

グロークロも愛用の剣と手斧、弓を背負い、後を追おうとする。

「いいか?家にいろ。何かあれば、リグ『頼んだぞ』」

それは、万が一、オークたちが負けることがあれば、『お前はカラントを連れて逃げろ』という意味だった。

その意味がわかっているのかいないのか、リグは上擦った声で「はい!」と返事をする。

だが、グロークロはカラントの顔を見て足を止めてしまった。

青ざめた声に、ブワと吹き出した汗、ヒュ、ヒュと呼吸の仕方を忘れてしまったようにカラントはその場に立ちすくんでいた。

知っている、カラントは、あの嫌な存在を、知っている。


行かないで、と言葉を出そうとする少女を見て、グロークロは戸惑う。


戦士として向かわなくてはいけないのに、なぜか『この子を連れて逃げるべきか』という普段ではあり得ない考えが浮かぶ。


そんなグロークロの困惑に気づいたか、カラントは唇を噛んで『行かないで』という言葉を飲み込む。泣き笑うような、強がりの笑顔をグロークロに見せた。

「気をつけてね」

「……あぁ、すぐに戻る」


*****


「族長」

物見台に上がってきたイナヅに、物見の若いオークが集落の前で蠢く『それ』を指差す。

それは巨大な肉塊であった。表面を粘液で覆い、淡い桃色肉と腐った肉をごちゃ混ぜにしたような何かが、ナメクジのように這ってきていた。


「なんだい、あれは。牛の三倍はありそうなデカさじゃないか」

「俺たちが知りたい。何発矢を射っても効果がないんだ」

別の物見台からも矢を射かけ続けてはいるが、どうも効果は薄いらしい。

「あのデカさじゃあ、体当たりされ続ければ門も破られるね。戦える戦士を出して足止めするよ。お前らは弓を入り続けろ。ここまで近寄られちゃあ火矢は使えない。毒矢を用意しときな」


オーク集落の防壁は強固なものの、破られないとは限らない。

「グロークロが出ました」

門が開き、真っ先に出たのはグロークロだった。その肉塊に向かっていく。

「おおおおおお!!!!」

剣で分厚い肉を削ぐように、薙ぐ。だが、肉塊はグロークロを無視して集落の門目指して這い続ける。

削ぎ落とした肉が動かなくなるのを確認し、グロークロと遅れて他のオークたちもその肉塊を抉っては削ぐ。

痛覚もないのか、肉塊は削ぎ落とされた部分をぶくぶくと泡立つように修復し、オークたちを無視して進んでいく。


「止まれ!このバケモンがぁ!!」

一人のオークが槍で肉の端を地面に突き刺すが、その肉は自切されてしまう。

どうにかして止めねばと焦るオーク達に。

「カラントを返してください」

突然聞こえた女の声にオークたちは戸惑う。それは女の、美しい声だった。

「カラントを返してください」

その声は自分たちが抑えようとしている、肉塊から出ていた。

表面に、人間の口がところどころに『出来ている』のを見て、その気持ち悪さにオークの数人がのけぞる。

「カラントを返してください」

艶やかなその唇の一つに、グロークロは顔色を変えることなく、剣を突き刺した。


*****


少女は震える。冷たい床に座り込んで、もらったばかりの短刀を抱きしめる。

青ざめた顔を、傍のドリアードが見守る。

「来たんだ、よね?」

少女の言葉に、ドリアードは言葉に詰まるが、小さく頷いて肯定する。

「ねぇ、リグの力で、ここのみんなを助けられないの?」

ドリアードは言葉を苦しそうに絞り出す。

「ま、まだ、『私たち』は協議中で……」

その言葉に、そっか、とカラントは返事をする。その無力なドリアードを決して責めてはいなかった。

「オークたちを信じましょう。カラント、彼らはきっと勝ちます」

リグの言葉に、少女は力無く笑う。


「でも、誰も怪我してほしくない」


グロークロが大怪我をしたのを思い出し、カラントは唇を噛む。

あんな、こと、万が一にも、起きてほしくない。


そうしてーーー少女は震える手で、短刀を鞘から引き抜いた。

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