終章 女神の奸計(4)

 リーヌたちに留守を任せ、タルラが御する馬車に乗り、ディノンたちはレミルの案内でソルリアムへ向かった。繁華街へ入って広場で馬車を降り、酔漢がまばらに歩く通りを抜けて行った先は、ディノンの行きつけの酒場だった。ディノンとメイアは不審そうに顔を見合わせながら戸を開けて中に入った。


 閑散とした店内でカウンターを拭いていた看板娘のサラが振り返った。


「連れてきたよ」


 そう言ったレミルに頷き、サラは厨房にいる彼女の母――女将に声をかけた。


「今夜はもう下がっていいよ」


 妙な言い方に、ディノンとメイアは内心首をかしげた。彼女の言葉に厨房で働いていた女将は頷き、奥へと下がっていった。それはまるで主が召使に命じるように見え、実際、頷いた女将はお辞儀をするようだった。


 それより奇妙なのはサラの雰囲気だ。いつもの陽気さは感じられず、どこか妖艶としたものがただよっていた。細められた瞳で、舐めるようにこちらを見てくる。


「きみは誰だ?」


 たずねたメイアは鋭くサラを見返していた。


 サラは微笑を浮かべ、結っていた髪をほどいた。背に垂れた艶やかな髪が灯りに照らされて輝き、さらに彼女を妖艶に魅せた。濃い紫の瞳が異様に光って見える。


 とたん、ぞわっ、と背筋が粟立った。この感覚に覚えがあった。――はじめて蛇竜と出会ったときと同じ感覚だ。


「レミルちゃんに力を貸している者、と言えば分かってもらえるかしら」


 おいおい、とディノンは引きつった笑みを浮かべた。


「あんた、まさか……」


 サラは笑みを深くして頷いた。


「罪業を司る女神エリュヒから生まれた七姉妹の末の妹」


 驚愕した様子で言葉を失った二人に、サラはカウンターを示した。


「とりあえず座って。お酒はいつものでいいかしら?」


 そう言って向いの厨房からグラスを四人分置いてディノンがいつも頼むワインを注いだ。乾燥させた腸詰肉の薄切りとチーズを肴として出した。


「今夜はもう厨房の火を落としちゃったから、こんなものしか用意できないのだけれど」


 ディノンとメイアは顔を見合わせ、カウンターの席に着いた。出された肴をつまみ、ワインを一口含んだ。久々に口にする馴染みの味に舌鼓をしつつも、ディノンは向いのサラを見る。見返したサラは笑った。


「おいしい?」

「いつもどおりだな」

「そう」


 などと呑気な会話をしつつ、ディノンは相手の出方を待った。しかし、サラもレミルも酒と肴を口にするだけでなにもしてこず、やがてディノンから切り出した。


「レミルを使って俺たちを呼んだのは、あんたか?」

「ええ」

「用件は?」

「あなたたちに頼みたいことがあって。でも、それを言う前に、いろいろ説明するわね。まずは私たちの敵の正体について」

「敵?」

「魔王のことよ」


 は、っとディノンは瞬いた。


「魔王を知ってるのか?」

「会ったことはないわ。どんな姿形をしているのかも知らない。ただ、どんな存在なのかは知ってる」


 サラは一つ間をおいて言った。


「私たち姉妹――エリュヒから生まれた七姉妹の長女よ」


 ディノンもメイアも驚愕したまま、しばらく固まった。


「なんで、魔王なんかに?」


 ようやく言ったディノンの問いに、サラは小首をかしげ、難しい表情で考え込んだ。


「詳しくは知らない。でも、そうね……。たぶん、神々の復讐のためだと思うわ。長女は姉妹の中で最もエリュヒの性質を強く受け継いだから。すごく傲慢な性格なの。魔王として魔族を束ね、力を蓄えてきた。そして、復讐のため人間族に攻撃を仕掛け、戦争をはじめた」


 そうか、とメイアが呟いた。


「かつて神々は、巨人族との戦いのあと、地上の諸事に直接干渉しないというルールを決めた。それは、神の一部から生まれたきみたち七姉妹も例外ではない。だが、間接的であればそのルールに抵触することはない。だからきみたちの長女は、魔王として魔族を束ね、間接的にこちらを攻撃してきた」

「そういうことね。いっぽう神々は、長女の企てに気づいていながら、自ら定めたルールのせいで手出しができない。できることといえばアースィル神団を介して人々に神託を与え、加護を与えること」

「人間族を攻撃して、それで神々の復習になるのか?」


 サラは首を振った。


「目的は人間族ではないわ。人間界にいる私や、ほかの姉妹たち。彼女は地上を支配したのち、もう一度私たちと一つになってエリュヒの力を取り戻そうとしている。そして、今度こそ神々を倒し、アストゥーヌから玉座を奪おうとしている」


 そういうことか、とディノンたちはため息をついた。


「でも、私はそれに従う気はないわ。私、いまの生き方が気に入ってるから」


 サラがニコニコ笑いながらそう言うと、レミルが口をはさんだ。


「この人、男遊びが好きなの。特に家庭持ちの男性と」


 おい、とディノンはサラをジトッと睨んだ。


「まさかあんた、よくここに飲みに来るおっちゃんたちを……」

「安心して。ちゃんと節度はわきまえているから。やりすぎて相手の家庭を壊しちゃうと、神々が定めたルールに抵触しちゃうもの」


 何事か考え込んでいたメイアは、やがて口を開いた。


「きみの目的は分かった。きみは長女に逆らい、倒そうとしている。そのためにレミルを介してレヴァロスを組織し、レミルには魔王を倒す条件にディノンに〈老衰の呪い〉をかける力を与えた」

「ご明察。ちなみに実行したのは今年の大宴会で、二人でディノン君を襲ったときね……」


 ディノンは顔をしかめ、レミルは苦笑した。


「だが、魔王はきみと同じエリュヒから生まれた存在なのだろう? そのような奴を倒すことなんてできるのかい?」


 サラは苦笑した。


「とても難しいことだけれど、不可能ではないわ。だから『勇者の犠牲によって魔王は倒される』なんていう予言がされたの。それだけの犠牲を払わないと、長女は倒せない、ということね」


 そう言ってサラはディノンをチラッと見た。ディノンは知らん顔で視線をそらした。そんな彼を見て、サラとレミルは肩をすくめた。


「ほかにも、次女――あなたたちは眈鬼と呼んでるんだったわね、彼女のように封印する、という方法もあるわ」

「エルフの里から霊剣を奪ったのは、そのためか?」


 ええ、と頷いたサラは、さらに苦く笑う。


「でも、あれは眈鬼の封印を維持するためのもので、長女を封印する力なんてなかったわ」


 それに気づいたから、レミルはメイアに霊剣を返したのだという。


「あとは長女を魔王の座から引きずりおろすことね。権さえ奪ってしまえば、長女は神々が定めたルールによってなにもできなくなる」


 ああ、とディノンとメイアは納得した声を上げた。


「新魔王ゼルディアは、そのための布石か」

「ええ。だから、今回の戦いは大きな意味を持った。長女の最大の剣だった獣魔将は失われ、彼女の軍はほぼ壊滅。逆に新魔王のもとには十万近い魔族が集った。それもこれもディノン君のおかげ」

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