五章 罪業を司る女神(4)
振り返り、隧道から現れた一団を認めてディノンは目を見開いた。相手のほうも、ディノンを見て驚いた表情をする。先頭に立っているのは金髪の若者。その背後には槍を持った偉丈夫、怜悧そうな女神官、二十歳にも満たない若い魔女がいた。
「カシオ……。お前ら、なんで……」
現れたのはディノンの冒険者仲間、カシオ、ダイン、ルーシラ、ジュリの四人だった。
「やはり、ディノン。いや、だが、その姿は……」
若返っているディノンを見て、カシオたちは酷く驚いた様子だった。そこに大蛇の奇声が響き、ディノンたちは顔をしかめた。
「あー、うっせぇな……」
「なんだい、あの巨大な蛇は」
「知らん」
蛇竜とは答えなかった。ディノンの中で、この大蛇は蛇竜ではないと判断した。エルフが語る伝承が本当であれば、この程度の怪物が蛇竜であるはずがないからだ。
「完全に敵視されてるな」
「ああ。だから、まずはあいつを黙らせる。手を貸せ」
「分かった」
威勢よく応えたカシオがディノンの隣に立って剣を構えた。軽く視線を交わして、同時に駆け出した。そのあとをダインが無言で続く。
「なに、あの人たち?」
突然現れた彼らにシェリアたちは困惑する。ただ一人、カシオたちのことを知っていたリーヌが説明した。
「ディノン様の冒険者の仲間です。ですが、どうしてここに……」
さぁな、とメイアが答えた。
「だが、心強い助っ人だ。彼らに合わせるぞ。ウリ、タルラ、ディノンたちについていけるか?」
「や、やってみます!」
頷いて駆け出したウリとタルラは、ダインのすぐ後ろについた。先頭をディノンとカシオが並んで駆け、まっすぐ大蛇に突進する。大蛇はそれを見て身体をくねらせた。
「来るぞ! 散開!」
ディノンの声にカシオとダインは右に、ウリとタルラはディノンとともに左に飛んだ。その直後、大蛇が振り下ろした尾が床を叩いた。
「斬れ!」
続けて投げかけられた声に従って、それぞれ武器を振るった。しかし大蛇の身体を覆う鱗は硬く、彼らの攻撃はことごとくはじかれてしまった。
ディノンたちが距離を取ると、青、緑、黄の閃光が飛んできた。それらを目で追いながら、メイアが軽く感心するような声を上げた。三つの閃光はジュリが放った魔法で、それぞれ魔力を帯びた水流、突風、礫が高速で飛んで大蛇に命中した。最後の礫が命中した直後、大蛇が軽く悲鳴を上げて後退した。
「ルーシラ!」
ディノンの呼ぶ声に、女神官が応えた。
「物理は駄目。魔法が有効。特に火と土の魔法に弱いわ」
よし、と頷いたディノンは微笑を浮かべた。
「ジュリは火の魔法、メイアは土の魔法、出来るだけ強烈なやつを一分以内で頼む」
メイアはジュリと視線を交わし、軽く頷き合い、魔法の詠唱に取り掛かった。
「ほかは時間稼ぎだ。ルーシラとリーヌは加護を」
「了解」
「はい」
応えた二人は杖を掲げた。
「――英知を司る女神よ!」
「――豊穣を司る女神よ!」
それぞれ信仰する神に呼びかけ、二人の声が重なって響いた。
「――我が同胞に、至高の加護を与えたまえ!」
凛と響く二人の声が耳に届いた瞬間、身内から力が湧き上がった。
「行くぞ!」
その合図に、いっせいに駆け出した。ディノンとウリとタルラは左に回り、カシオとダインは右に回った。左右に散った彼らに大蛇は一瞬だけ戸惑うが、すぐに身体をくねらせ長い尾を横に振るった。財宝を跳ね飛ばしながら、尾はディノンたちを薙ぎ払おうとする。
ディノンたちは高く跳躍してこれを避け、間髪入れずそれぞれ一撃を与えた。火花を散らせた攻撃は、やはり効き目がなかった。
大蛇が再びディノンたちに攻撃を仕掛けようとしたとき、今度は矢が飛んだ。目を狙った矢に、大蛇は思わず顔をそらした。狙いが外れた矢は、大蛇の目尻のあたりに当たってはじかれた。
矢を放ったシェリアは、軽く舌打ちする。鱗とは違い、目は軟だと思ったのだ。実際、目を狙って連続で放った矢を大蛇は避けた。ルーシラとリーヌの加護のおかげで、矢の速度と威力が著しく上がっている。乾いた音をたててはじかれた矢は、その威力に矢柄ごと砕けていた。
大蛇の意識がシェリアに向いた一瞬、ディノンたちが再び攻撃を仕掛けた。その意識をさらに散らせる。ところが大蛇は翼のような鰭を大きく広げて力強く羽ばたいた。その風圧でシェリアの放った矢は吹き飛び、ディノンたちの猛攻も止まった。そして飛ばされないよう身を伏せていたディノンに向かって、その巨体を倒してきた。
ウリが盾を投げ捨ててすさまじい速さでディノンの前に飛び出した。両手で握った槍斧で倒れてきた大蛇の身体を思いっきり殴り上げた。総身が鋼の槍斧の一撃はすさまじい。斧刃は大蛇の顎を殴り、長大な身体が大きく後ろに反らされた。さらにタルラが飛び蹴りを叩き込み、大蛇の身体を横倒しにした。
「――ディノン!」
メイアの声が響いて、ちらっと振り返った。口もとに笑みを浮かべていた彼女と、困惑したように頭上を見上げているジュリの真上に浮かぶ物体を認めて、ディノンたちは唖然とした。
二人の頭上には、渦巻いた炎に包まれた巨大な岩が浮いていた。炎に熱され、岩は燠のように赤く熾っていた。
「これくらいでいいか?」
「あ、ああ……。いいんじゃ、ないか……」
「ではやるぞ。みんな、巻き込まれるなよ」
返答する間もなく、メイアはジュリと視線を合わせ、杖を大蛇にむけて掲げた。ゴウ、と炎の岩が動いた。見た目はゆっくり動いているそれは、瞬く間に大蛇に迫った。ディノンたちが慌ててその場から退く中、大蛇に命中した炎の岩が、大気が激しく揺れるほどの大爆発を起こした。山の地下に築かれた広大な空洞が、この威力に崩れるのではないかと心配になったが、ドワーフが築いた地下世界は強固で、激しく揺れ動いたものの瓦礫一つ落ちてこなかった。
爆煙がおさまると、黒く焦げた大蛇が倒れていた。ディノンたちは警戒してそれを眺めていたが、やがて完全に動いていないことをたしかめて深くため息をついた。
ディノンは隣のカシオと顔を見合わせた。互いに微笑を浮かべ、拳を打ち合わせた。
「――いや、ちょっと待ってくれ」
カシオは笑みをおさめ、ディノンの顔を指差す。
「それはどういうことだ?」
「どうって?」
「若返っている……」
ディノンは、ああ、と苦笑した。
「お前とギルドで別れてから、いろいろあってな」
ディノンはメイアに視線を向け、これまでの出来事を語り、ここまで来た経緯を語った。レヴァロスが眈鬼を封印していた霊剣を奪い、封印を補うために蛇竜に会いに来たこと、そのついでに錬金術の祖であるテフィアボ・フォンエイムがこの地で作った〈万有の水銀〉を探しに来たことを話すと、カシオたちは驚いたように顔を見合わせた。
「僕たちもそれを探しにここまで来たんだ」
「それ?」
「〈万有の水銀〉だ」
「なんで?」
カシオは強い眼差しをディノンに向けた。
「決まっているだろう。君を治すためだ」
そして、酷く怒ったような表情で、ディノンを睨んでいたルーシラを振り返った。
「実は、かなり前からルーシラがその物質のことを調べていたんだ。君が冒険者を止めると言った次の日に、ようやくそのありかを突き止めることができたが、君は姿を消していて」
そういえば、ディノンはギルドを出て役所に身分証を発行してもらってから、宿舎に帰っていない。行きつけの酒場でメイアと出会い、そのまま彼女と行動することになったのだった。
「探しても君は見つからないし、だから僕たちだけでここまで来たんだ。まさか、そんなことになっていたとは……」
ディノンはすまなそうに彼らを見つめた。
「また、お前らに迷惑かけちまったな。すまん……」
「本当よ。お馬鹿」
と、ルーシラが睨み上げ、ディノンは苦笑した。
「でも、まさかあなたも同じものを探しに来てたなんてね。ちょっと驚きだわ。しかも、あんな怪物……が……いる、なん、てぇ……」
大蛇が倒れているほうを見たルーシラは、途中で声がかすれた。愕然とした様子の彼女の視線は、宙を向いている。不思議に思って振り返ると、倒したはずの大蛇が頭を起こしてこちらを見つめていた。目が合った瞬間、ぐるる、と威嚇するように喉を鳴らした。
大蛇は口を大きく開かれた。一か所に集まっているディノンたちを、一気の飲み込もうとしているようだ。
ディノンは大きく舌打ちした。
「いい加減……」
大蛇が顔を突き出した瞬間、太刀を構え、開いた口にむかって飛び込んだ。
「しつけ――!」
ぱくり、と大蛇が口を閉ざして、ディノンの叫びは途絶えた。
「そんな……ディノン!」
目をむいたカシオが大蛇に飛びかかった。大蛇は大きくのけぞり、振るわれたカシオの剣を避けてしまった。
臍を噛んだカシオは再度斬りかかろうと剣を構えたが、大蛇の様子を見て動きを止めた。
大蛇は目を白黒させ、前脚で長い首をかきむしり、苦しそうにのたうち回っている。激しく床を打ちつける尾に巻き込まれないよう、カシオたちはその場から飛び退いた。
やがて、大蛇は大量の血を口から吐き出し、崩れるように倒れた。そっと近づくと、半開きになった大蛇の口を押し開けて、血まみれのディノンが出てきた。頭をふり、手にべっとりとついた血を振り払った。
「あー、くそ。またかよ……」
血で汚れた自身を見下ろして、ディノンはため息をついた。太刀は刃の中ほどから折れてしまい、それを見てさらに顔をしかめた。
「だ、大丈夫、か?」
駆け寄ったカシオたちに、ディノンは顔をしかめたまま手を振った。
「酷い目にあったぜ」
「ぱっくり食われたからな。なんともないのか?」
「くせぇ。べたべたする。気持ちわりぃ」
「だろうな……」
それ以外は平気なようで、カシオたちは安堵した。ディノンは絶命した大蛇を見下ろした。
「あれだけの魔法を食らわせて、まだ生きていたなんてな。見た目通りの化け物だ」
ディノンはメイアとジュリを振り返って苦笑した。
「にしても、すげぇ魔法だったな。ジュリ、また腕を上げたが?」
ジュリは慌てて首を振って、メイアを見上げた。
「この人がすごかったんですよ。いきなり魔法を合わせてみようか、って言ってきて、わたしが生み出した炎の塊を、この人が作った大きな岩にまとわせて、そしたら、あんなすごいことになって」
へぇ、とディノンはメイアを見た。
「もしかして、耳飾りの力を使ったのか?」
いや、とメイアは首を振って大蛇を見下ろした。
「耳飾りは使っていない。精霊たちが、これと戦うのを拒んでいるようだったからな」
「拒んだ?」
「理由は分からない。だが、呼びかけても、精霊たちはまったく応えてはくれなかった」
メイアは大蛇に近づき、観察するようにその死骸を眺めた。
すると、突然、大蛇の身体が黒い影となって地面に溶けた。影は地面を這って広間の奥のほうへと滑っていく。それを目で追っていた彼らは、その気配に気づいて硬直した。
そこには巨大な隧道が続いていた。その先から積み上げられた財宝が崩れる音とともに、ずる、ずる、と重いものを引きずる音が響いた。ぼんやりと照らされた隧道の奥から、なにかが近づいてくる。やがて、隧道を塞ぐほど大きな物体が広間の中に、ぬるっと侵入してきた。
それは、先ほど倒した大蛇とそっくりな生き物だったが、それよりはるかに巨大な身体をしていた。広間に入りきらないほど長大で、前脚より後ろは隧道に残ったまま。ぐるる、と喉を鳴らす音は腹に響き、息遣いだけで軽く地揺れが起きていた。
こいつだ。とディノンは直感した。――こいつが、蛇竜……。
蛇竜は、じっとディノンたちを眺めていた。しばらくして、突然、頭の中にぼそっとした女の声が響いた。
「小さい……」
「は?」
蛇竜の声だろうか。声とともに蛇竜は目を細め、ディノンと自身を交互に見るようなそぶりをした。
「君たち、小さい。この身体じゃ、しゃべりにくい……」
蛇竜の身体が、突如として歪んだ。形を変えながら見る見るうちに長大な身体が縮み、やがて、長い蛇の尾を持つ若い娘の姿に変わった。肌は青みを帯びた灰色、角が生えた鋼色の髪は地面につくほど長く、耳のあたりには魚の鰭のようなものがある。背中にも翼のような鰭が二対四枚生えていた。
「これで話しやすくなった」
今度は淡々とした声が口から響いた。娘――蛇竜はディノンたちを見つめた。その青い瞳は、どこか睨んでいるように鋭かった。
ディノンたちはその場から動くことができなかった。姿は若い娘に変わっても、その威圧するような強い気配は変わっていない。緊張したように鋭く彼女を睨んだ。
そんな彼らを見て、蛇竜は小首をかしげた。
「そんなに睨んでこないでよ……」
ディノンは、一つ、呼吸してから言った。
「そっちが、睨んでくるから、睨み返してるだけだ」
薄い笑みを浮かべて虚勢を張ったつもりだが、声は自分でも分かるくらい震えていた。
蛇竜はさらに首をかしげ、手で顔を撫でた。目の周りをこすり、頬を引っ張った。
「人の姿になるの、久しぶりだったから、ちょっと、顔、強張ってるかも。ごめんね。睨んでるつもりはないんだ」
蛇竜はそう言ったが、ディノンたちの緊張は消えない。彼女の強い気配は、なおもディノンたちを圧迫していた。
蛇竜は困ったように軽く眉を寄せた。
「分身を使って、君たちを襲ったのも謝る。ちょっと、大人気なかったね」
「あんたが襲わせたのか?」
「だって、なんか、楽しそうだったんだもん。君たち……」
その答えに、ディノンは小首をかしげた。
「どういうことだ?」
一拍遅れて、聞き返した。蛇竜はさらに険しい目つきをした。
「だから、君たちが楽しそうだったから……。だから、分身体を使って、ちょっかいかけたんだ」
ディノンは思わず仲間を振り返った。みんなも蛇竜の言葉を理解することができないようで、困惑したようだった。
「えー。つまり、あんた、俺たちに嫉――」
「妬」と続こうとしたディノンを、物凄い形相になった蛇竜が尾で引っ叩いた。ディノンの身体はその場から吹き飛ばされ、財宝の山の中に消えていった。
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