一章 若返りの薬(5)

 店を出て路地の奥へとメイアは歩いた。しばらくして灯りのない広場に一台の馬車が止まっていた。馬車のそばには、メイド服に身を包んだ二十前後の娘が立っていた。


「あの子は?」

「わたしが生み出したホムンクルスだ」


 え、とディノンはまじまじとメイドを見る。月明りに照らされた彼女は灰色の髪と瞳、肌は褐色、表情は乏しいが整った顔立ちをしていた。


「名をタルラという」


 首を軽くかしげディノンを無表情で見つめ返していたタルラは、スカートの裾を持ち上げて上品にお辞儀をした。


「タルラ、館までたのむ」

「畏まりました」


 か細い声で頷いて、タルラはドアを開け、その前に踏み台を置いた。メイアとディノンが中に入ると踏み台をしまって御者台に座り、馬車を発進させた。


「あんたの家は、ここから近いのか?」

「街の南西にある森の中だ」

「あそこに家なんてあんのか?」


 ソルリアムの南西は森が広がっている。樹々は高く樹冠は空を覆いつくし昼間でも暗く薄気味悪い雰囲気の森だ。


「極力人に会いたくなくてね、館はまほうで隠している。この姿を見て察してくれるとありがたい」


 苦笑気味に言う彼女に、ディノンは黙って頷いた。


「一つ、聞いてもいいだろうか? ずっと聞いてみたかったことなのだが」

「なんだ?」

「きみが倒した吸血鬼は、どんなやつだった?」


 ディノンは軽く目を見開き、視線をそらすように窓の外を眺めた。


「聞かれたくなかったか?」


 いや、とディノンは微笑む。


「なかなかのべっぴんさんだったぜ」

「女か?」

「ああ。血みたいな真っ赤な髪にギラギラ光る金の瞳をしててな、抜群のスタイルに妖艶な笑みがそそるんだ」

「そういうのが好みなのか?」

「まぁ、嫌いではない。たしか、エルザ・シュベートって名乗ってたな」


 メイアの目が、すっと細くなった。


「エルザ・シュベート?」

「知ってるのか?」

「有名なまじょだ。人間族のな……」

「人間族? 魔族じゃなくて?」

「もと人間、と言ったほうが正しい。百年くらい前――人間族との戦いがはじまる少し前のことだ。彼女は自身のびぼうを保つため、けがれを知らない若いむすめをざんさつし、その血を浴び、ワインのように飲んだという。そうするうちに彼女は人間ではない存在となり、やがて吸血鬼と呼ばれるようになった。彼女をさばこうとする者たちから逃げるように、の辺境に城を構え、捕まえにやって来た人間族を逆に狩っていたという。その城が、二年前にきみが落としたシュベート城だ」


 メイアは軽くうつむいた。


「わたしはてっきり、きみにのろいをかけたのは、きみが殺した吸血鬼だと思っていた」

「違うのか?」

「断言はできない。だが、エルザ・シュベートはの類を使わないと聞く。そんなまどろっこしいやり方ではなく、自らのまほうを使って目の前でざんさつするのを喜ぶような女だと。まじょというのは頑固な生き物でね、自らのやり方を変えることはめったにしない。たとえ殺されても、それをうらんできみにのろいをかけるようなことはしないと思う」

「へぇ……」


 それからしばらくして馬車は街を出て森に入った。森は月明りが入らないほど深く、馬車の天井と御者台に設えられた小さな灯りが異様に強く輝いて見えた。やがて馬車は一軒の大きな館の前で止まった。馬車から降りて館を眺めたディノンは、感心したように息をついた。


「ずいぶん立派なお宅だな」


 鉄の柵に囲われた中は中央に噴水が置かれた広い庭、それを正面に建てられた館は石張りの立派なたたずまいをしていた。


「一人で住むには少々広いがね」


 苦笑交じりに言いながらメイアが門を潜ろうとすると、突然門の両脇の柱にかかった灯りに火がともった。さらに庭のあちこちに配された灯篭にも火が入り、館の中も灯りが点いた。


 それら一つひとつに感心しながら、ディノンはメイアとタルラのあとに続いて館の中に入った。二階まで吹き抜けになった広い玄関ホールを抜け、廊下を進んだ先は、大きな出窓が正面にある広い部屋。天井から吊るされたシャンデリアの周りに束ねられた薬草が干され、その真下にある広い机には、積み上げられた分厚い本と一緒に、すり鉢や薬研、匙、試験管などが置かれていた。


 窓の正面にも机があり、メイアはそのそばの椅子にディノンを座らせ、向かい合う様に自らも座った。窓の外は――おそらく薬草の類だろう――畑が見える。


「タルラ、薬を持って来てくれ。それとさいけつの準備を」


 頷いたタルラが奥の部屋に入っていった。


「手首を出してくれ。脈を測る」


 ディノンは左手の袖をめくってメイアに見せた。彼女はその手を取ると、机の時計を眺めながら手首に指を当てて脈を測りはじめた。


「薬を打つ前にいくつか確認したい。のろいのほかに、なにか持病はあるかい?」


 いや、とディノンは首を振った。


「アレルギーなどは?」

「特にはない」

「通院の経験はあるかい?」

「大怪我してひと月くらい入院したことはある。まぁ冒険者だから怪我なんてしょっちゅうしてるが」


 メイアは軽く笑って頷いた。


「これまで服用した薬で副作用が現れたことは?」


 ディノンは少しの間考えて、首を振った。メイアは頷いた。


 ちょうどそのとき採血用の器具一式と、血のような真っ赤な液体が入った小瓶を盆の上に乗せて、タルラが戻ってきた。ご苦労、とメイアが言うと、タルラは軽くお辞儀をしてメイアのそばに控えた。


「まずは血をとる」


 メイアの言葉に、タルラは管状の帯――駆血帯をディノンの左腕に巻いて、消毒液を染み込ませた布で刺入部を丁寧に消毒した。消毒液が乾燥したところでメイアは注射針を刺し込んだ。採血管に血がたまり、必要量の血を採ると駆血帯を外して注射針を抜いた。針を抜くと同時にタルラが消毒液の布で刺入部をおさえた。


「ずいぶんと手慣れてるな」


 まぁね、とメイアは笑う。


「さっきも言ったが、わたしはまほう薬学の研究をしている。多少だが医術の心得もある」


 へぇ、とディノンは血が収まった採血管を眺めるメイアを見た。しばらくして、その目に険しいものが宿り、ディノンは首をかしげた。


「どうかしたか?」


 メイアは採血管を眺めながら頷いた。


「やはり、なにかあるな……」


 首をかしげるディノンを振り向いて、メイアは言葉を継いだ。


「のろいはたいてい、血を通して人体に影響を与える。ゆえに血をみればその性質を知ることができる。ある程度だが。そして、きみの血から複雑なまりょくを感じた」

「よく分からん」


 メイアは採血器具の片付けをしていたタルラのエプロンのポケットから、ハンカチを抜き取ってディノンに見せた。縁が複雑な模様のレースで囲われた綺麗なハンカチだ。布面にもとても細かい刺繍がされている。


「このハンカチのししゅうのように、まほう使いはまりょくを複雑に織り込んでまほうを使う。その織り方は流派や個人で違ってくる。強力なまほうほどより複雑で、複雑に織り込むことでまほうの正体をさとられなくもできる。ただ、複雑すぎるまほうは失敗する可能性が高い。それを補うためにまほう使いたちは杖といった道具を用いる」

「ああ、なるほど」

「きみの血から感知できたまりょくは、かなり複雑に織り込まれていた。これだけ複雑なら、きみを治すどころか、その原因を調べるのも困難だろう……」


 ディノンは眉間に手を当てて顔をしかめた。


「つーと、なんだ、あんたが作った〈若返りの薬〉を使っても治らねぇのか?」

「そうは言っていない。〈若返りの薬〉の効果は本物だ。きみにかけられたのろいをくつがえすことだって可能なはずだ。しかし、原因がわからないゆえに、わたしの薬がどのような作用を引き起こすのかも不明だ。かんげんやくも効くかどうか……」

「薬の効果は望めるが、危険かもしれねぇってことか?」

「そういうことだな」

「危険の割合は?」

「五分五分といったところか」


 ディノンは目をつぶった。深く息をついて頷いた。


「薬をくれ」

「いいのかい?」

「俺には、ある目的がある。老いた身体のままじゃ、それが成せねぇ。野望ついえて老い衰えたまま生き続けるより、可能性に賭けてぇ」

「わかった。なにが起きても、責任はわたしが取ると約束しよう」


 メイアは盆の腕の小瓶をディノンに手渡した。ディノンは蓋を取り中に入っていた真っ赤な液体を一気に飲み干した。口に含んだ瞬間に広がった奇妙な匂いと味に、ディノンは目を白黒させ、軽く身震いした。


「うわ。すげぇな、これ……。錆びた鉄と、枯草と、土と、あと訳分かんねぇやつ……」

「おそらく薬の原料だ。味のことはまったくこうりょしていなかったから」

「もうちょっと、考えたほうがいいぞ」


 軽く笑いながらメイアは机の時計を見た。時刻は零時を過ぎようとしていた。


「薬の効果が現れるのは明け方ごろになるだろう。それまで少し休むといい。客間は整えていないから、わたしの寝室を使ってくれ」

「あんたは?」

「これをくわしく調べる」


 と、採取したディノンの血を見せ、いたずらっぽく笑った。


「わたしの寝室だからといって興奮するなよ」

「ガキに興奮するか。アホ」


 けらけらと笑ってメイアは採血管を持って奥の部屋へと消えていった。


「では、ご案内いたします」


 無感動な声で言って部屋から出ていくタルラにディノンはついていった。


 案内されたのは、二階の奥にある部屋。天体が描かれた天井には大きなシャンデリアが下がり、その下に天蓋のついた広いベッドがある。無数のクッションが豪華な彫刻がされたベッドボードに立てかけられ、ふんわりとした掛布団が半分だけ開いて置かれていた。


 中庭を望める大きな出窓があり、反対側の壁には暖炉があり、金縁の大きな姿見があり、衣装ダンスがある。おそらくタルラが常に清掃しているのだろう、かすかだが甘い花の香りもした。


 ディノンは居心地の悪いものを感じて、軽くため息をついた。


「ここか?」


 タルラは首をかしげるだけだった。


「なにか御用がございましたら、そちらのベルを鳴らしてください」


 ベッドの横の台に置かれた銀のベルを示して言った。頷くとタルラは上品にお辞儀をして退出していった。


 あらためて寝室を眺め、ディノンはまたため息をついた。整えられたベッドに手を触れ、さらに深いため息をつく。


「こんなところで休めるかよ」


 もう一度部屋を見まわし、暖炉の正面の低いテーブルを囲うように複数の椅子が置かれているのを認めた。その中に広い長椅子がある。ディノンはベッドから毛布一枚とクッションを一つだけ取って長椅子に近づいた。荷物を隣の椅子に置いて上着を脱ぎ、クッションを枕に長椅子に横になった。毛布を掛け深く息をつく。


「妙なことになったな……」


 ぼんやりと今夜の出来事を思い出していると、夜更けということもあり、すさまじい睡魔に襲われた。そのまま目を閉じるとディノンは落ちるように眠りについた。

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