第3話『約束のキス』
「「いただきます」」
2人分の挨拶と共に、夕食の時間が幕を開ける。
俺の前には生姜焼きと白米、和音さんの前には肉とビールが並べられている。
「ーん!やっぱ肉とビールの組み合わせサイコー!」
和音さんが肉とビールを交互に食べ、咀嚼する度に嬉しそうに笑っている。
ここまで良い反応をされると、横取りされたのに少しだけ嬉しくなってしまう。
「ねーねー、龍斗君ってどこで料理習ったの?」
「全部独学です。強いて言うなら母のレシピを見て覚えました」
「スゴっ!アタシ料理とかできないから尊敬するわ〜ねね、これからもアタシのご飯作ってよ」
「嫌だって言っても来るんでしょ…別に良いですよ」
ここで断ったとしても、どうせ和音さんは家に上がり込んでくる。
なら最初から断らない方が疲れなくていい。
「ラッキー♪ありがとね」
そう言って和音さんは少女のように笑った。
この人は本当に印象がコロコロと変わる人だ。
初めて会った時はカッコイイお姉さんで、次は横暴な年上、かと思えば笑顔が素敵な人だ。
俺にはもう、どれがこの人の本音がなのか分からなくなっていた。
「ねぇ龍斗君」
「なんですか」
「君って童貞?」
「ぶふぉっ!」
飲みかけていた味噌汁を盛大に吹き出した。
「な、何をいきなり──」
「だってさぁ!こぉーんな素敵なお姉さんが近くにいるのに何もしないっておかしくない?」
よく見ると和音さんの顔が若干赤くなっている。
どうやら酔っ払っているようだ。
「アタシって魅力ない?」
「それは…」
正直に言えば、和音さんは魅力的だ。見た目も性格も自由で、俺にはできない生き方をしている。
ただそれをそのまま口にするのは、なんか癪だ。
「あーあ!正直に言わないとアタシも別の人のところに行っちゃうよ?」
「それはダメだ!」
自分でも驚くほどに大きな声が出てしまった。
和音さんは大きな声に一瞬ビクッとした。
だが次の瞬間には、かつてないほどに嫌な笑みを浮かべていた。
「へぇ…ダメなんだ」
「だ、ダメって言うのはその…」
「何がダメなの?アタシが他の人の物になるのが?」
心臓がどんどん早くなっていく。何を言っても嘘のようで、俺はただ俯くしかできなかった。
「ねぇ龍斗君」
「な、なんですか…」
「アタシさ、そろそろ引っ越すんだよね」
「えっ」
思わず顔を上げると、和音さんが頬杖をついてこちらを見ていた。
ニヤニヤと笑うその表情は、どこか嘘をついているような胡散臭さがあった。
「本当…なんですか?」
「うん、これは本当。もう引越し先も決まっててね」
「そう…なんですか…」
自分でもどう感情を処理していいのか分からず、俺はまた俯いた。
だが和音さんは俺の顔を無理やり上げさせてきた。
「ね、さっきアタシが言ったこと覚えてる?」
「さっきって…」
「『これからもアタシのご飯作ってよ』って」
「っ!」
その時ようやく気付いた。
あの時の和音さんの言葉は口約束じゃない。彼女なりに本心をぶつけてきていたのだと。
「今から本気でキスするから。嫌なら振りほどいて」
「本気って…」
「タバコ我慢するためじゃない。アタシがしたいからするキス。あと告白の返事の意味もあるかな?」
顔に熱が集中する。
動かなければ俺の人生は大きく変わってしまう。
それでも俺は、指1本動かさなかった。
和音さんの唇が俺の唇に優しく重ねられる。
いつもよりも短く、触れるだけのキス。それなのに今までのどのキスよりも俺の記憶に刻み込まれた。
「…どう?ドキドキした?」
「悔しいですけど…はい…」
「むふふ!なら良かった!これからよろしくね、アタシの彼氏君♡」
和音さんが少女のように笑う。
禁煙から始まった不思議な関係、その先で待っていたのは彼女の底なしの魅力だった。
俺は唇に残された余韻と数分前と違う関係にドキドキしながら、和音さんにつられて笑った。
隣のお姉さんが禁煙を口実にキスをせがんでくる件 マホロバ @Tenkousei-28
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