#7 申し上げます、旦那様。
彼の演技は、限りなく『自然体』を意識したもの。舞台の上で起こっていることは、たいていがフィクションだ。学生演劇ならなおさら。ノンフィクションものであっても、脚色は避けられない。そんな舞台では、ストーリーや設定なんてものはフィクションだらけだ。しかし、そこに生きた演者がいて、その場で演じていることだけは、舞台で唯一の現実。その演者が、リアリティを追求しなくてどうする? と彼は語っていた。
そんな彼が、大学から使用していた演技の流派は、『自分50%型』。高校演劇界を短い間ながらも駆け抜けた、あの
二年生になり、横浜洋六大学演劇部『劇団紫炎組』の団長になってからは、さらにその心身を部のために捧げた。それは紛れもない、『演劇が好きだ』『部活が好きだ』という気持ちから来る行動であり、後輩をこき使ったり、自分のみが楽しんでやろうという魂胆があったり、そういうものではなかった。
今や、そう思っているのも、部活を抜け出して唯一俯瞰で彼らを見ている俺だけかもしれない。部の中で戦っている、俺の友人たちからしてみれば、OBらの言い分など戯言にしか聞こえないだろう。
現在、大学を卒業している獅子王先輩・就活で部には来ていない4年生と、主に活動している3・2年生は、冷戦状態にある。
きっかけは、俺の演技についてだった。些細な演技の指導を、1年生だった当時の俺が受けていたときだ。歩き方が人間の自然なそれとは違う、一部分のセリフの読み方が仰々しい、など。リアリティを追求する獅子王が部長の劇団紫炎組においては、至極まっとうな指摘だった。
俺の演技のクセは、ますます部に馴染むように、先輩好みに矯正されていった。まあ、周りからはそう見えていただろうが、俺はクセを治すつもりなど端からなかった。
「郷に入っては何とやら、と言うだろ。俺は先輩の指導自体には従っていた。けど、別に今までのやり方を捨てることは無ェ……そう思っていた」
「アトム自身は、先輩の指導をどう思っていたの?」
「苦痛ではなかった。違う価値観を見れるのは、俺にとってマイナスではなかったんだ」
俺は複数の演じ方を学ぶというきっかけにもなろうと、元のクセを治すことなく、ふたつの演技法を持ったまま普段の練習をしていた。
しかし、俺の元の演技を、ありがたいことに高校時代から見ていてくださった、現部長の逢坂が噛みついた。確かに上の先輩の指導はキツいものがあった。なにしろ歯に衣を着せることを知らない、歯の露出狂のような先輩だったものだから、言葉はキツかった。言っていることには納得できたが。
俺たち後輩の言い分としては、『演技に正解なんてないし、言い方があまりにも悪いので俺たちのやり方でもやらせてほしい』というもの。
先輩方の言い分としては、『演技そのものに正解はないが、うちの昔からのやり方にケチをつけるな』というもの。
俺はこの言い争いが、どちらも正しい主張であることを知っていた。その時点では、どちらも直接手を出してなんかはいなかったし、飲みながらでも腹を割って話せば今まで通りに戻ると思っていた。
『だいたい、涼の演技は下手くそなんだよ』
そう言ったのは、当時三年生、現四年生の英先輩だった。
口喧嘩において『だいたい』『そもそも』と、過去のことを話してしまったら、両者の意見のぶつかり合いはさらに熱を帯び、長期化する。こうなってしまったら、もう互いの鬱憤を吐き出すまで終わらない。互いに頭を冷やして話しきれば、まだ部の解散や部員の大量な喪失は避けられるだろう。
そう、まだその時は平和に終わる道もあると思っていた。
「最初に手を出したのは、獅子王だった」
「えっ!? 殴り合いっ!?」
「いや……」
俺は獅子王に、部長権限で舞台を降ろされた。先輩の過半数が賛成した、臨時部会で決めた事だったそうだ。
先輩たちと対立し始めて一か月、去年10月の学園祭のことだった。俺は中立の立場を保ちつつ、『表の顔』を保ちつつも飲み屋で互いの愚痴を聞き続けた緩衝材だった。それにも関わらず、俺はいち早く先輩たちの『部内いじめ』の標的にされた。
獅子王曰く、『あの伝説の役者である穂村燃、その息子は過去に学園祭での公演の舞台を降ろされたことがあるらしい。なので、お前にも同じ試練を与えることにしたのだ』とのこと。
もともと、獅子王は俺の演技の上手さを気に入っていなかった。
そんな中、穂村の一族と高校時代に一騎打ちまでした俺を、獅子王は妬んでいた。そこで獅子王は、当時の俺の同期や二年生を敵に回し、陰湿ないじめを行うことにした。
「……腐ってる」
「酒癖も酷けりゃ、口も悪い。もともと、いい先輩って感じでもなかったんだ」
「でもイジメはいくらなんでも!」
「俺よりも、他のみんなの方が酷い目に遭ってる」
「ど、どういうことっ?」
俺の抜けた舞台は、一・二年生のみが参加する劇だ。青春群像劇の台本だったので、登場人物も多かった。もともと人数がカツカツだったものだから、やはりというか、人員は足りなくなった。俺を抜けさせた張本人である先輩たちは、一切手を貸さず、台本を変えることを提案した。
本番一か月前にして、台本変更を余儀なくされるというのは、大学演劇においては正気の沙汰ではないという扱いを受けている。
高校演劇とは違い、バイトや学業などの部活以外の自分の時間がより必要になる大学生にとって、毎日の練習時間は貴重なもの。せっかく覚えた台本を手放し、新しい台本でやり直し、一か月で仕上げるなど無謀も無謀。特殊な事情がなければやらないようなことだ。音響が腕を折って卓をいじれないとか。
そうして台本を変えることを余儀なくされた部員たちの劇は、さんざんな出来となった。週三で行われる先輩の台本覚えチェックでボロクソに叩かれ、演技指導も前よりも良質なものではなくなっていった。むしろ、前より口が悪くなった。さらに演技の指導というよりかは、粗探し大会になっていた覚えがある。
舞台を降ろされた分際で、俺は練習を少しだけ見に来ていた。それはひどい光景だったことを覚えている。先輩たちの怒りの火の粉がこちらに向かってくることもあった。
もちろん、本番も実力を十分に発揮することができず、結果としてはやや失敗。あの環境にしては十分に頑張ったほうだとは思うのだが。
元凶の先輩はというと、自分たちが積み重ねてきた努力と実績に泥を塗ったと、感情に任せて今までのストレスをぶつけていた。手こそ出さなかったのが陰湿でいやらしい。しかし、口でなら何を言ってもいいと思っているのだろうか。
人が汗水流して作った演劇を通して人格否定をするやつに、ろくなやつはいない。
かつて共に演劇を作った仲間が争っているのを見ていられず、俺は猫かぶりの時にしては珍しく、先輩に異議をとなえた。その結果、俺は半ば強引に部活から引退しろと言われた。無理やりにこじつけたような理由は、今となってはもう覚えていない。
「自分の意思でやめたわけじゃあなかったんだ」
「まあ、少しは……いや、最終的には俺の判断で部を辞めた」
今、部活にいても俺のできることはない。舞台にも立たせてもらえず、仲間のためになることは何一つできない。だから、先輩に嫌われている以上、俺は部活に戻ることそのものが足手まといになるのだ。
「でも、戻ってほしいって言ってたよね。定助さんは」
「戻れねェよ、今更」
「……アトムは、どうしたいの?」
「だから、俺は戻りたくなんてない……みんなに迷惑は、かけたくないんだ」
「そうじゃなくって!」
「あ……?」
チャイナ服のまま、真白は俺の肩に寄りそう。
「私の好きだったのは、確かに素のアトムだよ。でも、特に好きだったのは『好きなものに真っ直ぐなアトム』なの」
「何が言いたい」
「アトム、また気使ってるでしょ」
「……」
「ねえ、もう一回聞くよ。アトムは、どうしたい?」
俺の意思。そんなものは、個人の勝手な思いなんてものは、仲間たちのこれからの残り少ない学生演劇人としての歩みには邪魔になるだけだ。
しかし、演劇そのものをやめたいと言えば、それは間違いなく嘘になる。
俺も演劇が好きだった。いや、今も好きだ。この右目に、かつての『演劇人のオーラ』が渦巻いている限りは、俺の演技をすることに対する未練は消えない。結局、俺も舞台で演じる快感に、舞台の煌めきに憑かれた者のひとり。その性からは逃れられない。
「迷惑を考えなければ、したいさ。演技は」
「じ、じゃあ、どっかの地域の劇団に入ろうよっ。それか、新しく自分のサークルを作るとかさっ」
「そこまでの気力は、残ってねェ」
「! ……そ、そっか」
「今、劇団紫炎組に戻ったとて、俺が今まで通りに演技ができるかどうか。家で昔の台本を読んでみようともしたさッ、でも……」
「思い出しちゃう? 先輩たちのこと……」
そうだ。いつ、どこで演技をしていようが、あいつらに全てを否定される。そういった脅迫観念に襲われ、セリフが口から出てこない。
先輩たちの中にも、ミヨ姉や古屋先輩のように俺をかばってくれる人がいるのは分かっている。分かっているが、やはり元の精神状態が不安定なのもあり、演劇をやりたくてもできないジレンマに襲われているのだ。
「わ、私はねっ!」
「……」
「アトムのやりたいことは止めないよ」
真白は、俺の肩に頭をくっつけたまま、こちらを見上げる。手を俺の太ももに置き、さすってくる。誘ってんのか。さすってんのか。どっちだ。
「でも、無理はしないで」
「お前には関係ねェ」
「もぉ〜っ、困ったらすぐそれ言う! あのね、あるよっ! 関係! 好きな人のことだもん!」
一転、彼女は俺に抱きついてくる。柔らかい身体が、サテン調のチャイナ服と、俺のVEDUTAの着物越しに伝わる。
まず、俺の精神が不安定になったのはお前のせいでもあるんだからな。
「ぐぅ」
「ギリギリぐぅの音は出るんだな」
「で、でもでもっ! 私、アトムの力になりたいんだもん!」
勢いあまってという感じで、椅子を立って俺の前に立つ真白。
頬を膨らませ、『お前を世界で一番想っている女の本音だ』とばかりに胸を張る彼女。チャイナ服に刺された龍の刺繍が盛り上がる。俺も思わず、ナイスバディに盛り上がりそうになる。
そのナイスバディを際立たせるくびれのある腹からは、まるで山梨県甲府市の甲斐善光寺金堂の鳴き龍のような唸り声が聞こえた。それを聞いて、互いに腹が減っている事を今一度思い出した俺は、少し重くなってしまった腰を上げる。
「ダージーパイ、だったか。探しに行こう」
「あ、アトム……もう大丈夫なの……?」
「今、俺のためになるのは、お前と一緒にいることだ」
真白は階段方面に歩く俺の手を引く。振り返ると、彼女は涙目だった。深夜にバッドに入った昨日の俺に負けず劣らずの情緒不安定さだ。
「嫌いにならないで」
「ならないさ。そんなに心配する事
「あ、甲州弁。というか、好きな人に嫌われたくないのは、当たり前の
「そうかよ。大体、お前を心から嫌いになった日なんか、今まで一日たりともない
「えへへ」
お前のことは、恨んでも恨みきれなかった。恨んだこと自体はあった。しかし、同時に愛しさもあった。あの日の、俺が惚れた真白に。憎さあまって愛しさ五万倍といったところだ。
昨夜、急に自分が惨めになって泣いていた俺に、真白はキスをくれた。俺も咄嗟にそうしてやるべきだったか、といった思考が頭の中を過るが、こんな公衆の面前でラブラブキッスをすれば幻滅待ったなしだ。冷静になってみることにしよう。
真白は着替えて行くのか。そう問いかけようとした途端、真白は握った俺の手を自分の方に引っ張り、俺をよろけさせる。
ああ、お前はいつもそうだ。マッチポンプがお家芸。俺の足もとをすくっては、そうやって俺を救ってくれる。
俺の唇に、12時間ぶりに真白の唇が触れた。そのまま俺を抱きしめ、真白は俺の堅牢な唇を舌でこじ開ける。こういう行為に全く慣れていない俺は、瞬時に脳がとろけそうになる。
目だけで周囲の店員や観光客からの視線を受け、正気に戻ろうとする。しかし、真白の舌は俺の口内を暴れまわり、歯の一本一本までをもねぶり尽くす。│
「ん……ぅ……」
「……ぷぁ。えへへっ、へへ」
「急にするなよォ……ビックリするだろ……ッ」
「嫌じゃない
嫌なもんか。バカ。好き。タバコ臭くないかだけが気になるところだが。
真白は『お前のこんなに可愛い姿を他人に見られるのはなんか嫌』という、前話の俺の要望通りに、チャイナを着替えるために更衣室に入る。
まさかあのバカップル、更衣室の中でチョメチョメしねェだろうな、とばかりに鋭い店員の視線。前にそういうことをした奴らがいたのだろうか。安心してください。俺は婚前交渉はしない主義ですので。大人しく着替え終わりを待っていますよ。
「ほかに食べたいモンはあるけ?」
こちらに来てからあまり口に出せていなかったせいか、俺は真白といる時は甲州弁が口から勝手に出てきてしまう。
「おっきいお肉! いちごの飴! あんかけチャーハンっ!」
「ディーゼル10が橋から落ちるときじゃん」
「タンポポ頭、ティーポット、ブリキのやかーん! じゃないんだから」
口周りについた彼女と自身の唾液を指で拭き、舐めとる。
こんなに俺のことを想ってくれている彼女と、舞台に立ち、共に演じることができたのなら、どんなに嬉しいことか。俺が再び演技ができるのは、いつになるだろうか。
ゲームセンターの窓から、横浜中華街を見下ろす。いつになく金色の装飾が太陽の光を反射して、東門周辺は輝いて見えた。
tips.高校演劇第三世代
かの有名な戯曲『贋作マクベス』の発表から始まった高校演劇第二世代は、ある一人の演者が高校演劇の舞台で初めて演じた2017年度で終わりを迎えた。その演者の名前は、蛇崩神楽。山梨県立甲斐青沼高校の演劇部に所属する演者であり、空飛夢や真白の直属の先輩である。蛇崩の高校演劇デビューから一変、それまで弱小校だった甲斐青沼高校は一気に全国大会へ。それにつられるかのように、山梨県内の演劇部の実力は一気にインフレを迎えた。
演劇やめたので殺してください。 苗根 杏 @Rhythm_Johannes
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