第15話 私


 私が私としての意識を持った時、既に今と変わらない姿をしていた。

 生まれてから自我が芽生えるまでの時間が長いのか、それともこの姿のまま生まれるのか。詳しいことはよく分からない。

 分かることといえば周りに住む人たちは、みんな黒髪で赤い目をしており、同世代くらいの姿をしているということだけ。

 関わることはないけど、似たような姿をしているから仲間に近い存在なのだろうと分からないなりに理解をした。


 本能的に必要なことは理解できていたので、生活に欠かせない最低限のことはこなすことができた。

 魔法と呼ばれる不思議な力で、食事を作り出す。夜になったら眠る。身体は清潔に保つ。

 しかし逆に言えば、最低限以上のことは何一つ手を付けなかった。突然この世界に生み出され、何をすればいいのか全く分からなかったのだ。毎日時間を持て余し、今日は何して寝るまでの時間を潰すかと考えるような生活を送っていた。

 

 この生活も悪くはない。嫌いではない。

 だけど、意識が宿ってからどれくらいの年月が経ったのだろうか。十年は経っていないと思う。何年も同じ暮らしを続けている中で、他の魔女たちは退屈ではないのかという疑問が湧いてきた。魔女は中々の長寿らしい。私よりも長く生きている魔女は沢山いるだろう。彼女たちも、私と同じような生活を送っているのだろうか。もし刺激がある生活を送っているのであれば、是非とも教えて欲しいと願ってしまった。


「あの」

「……何?」


 こもってばかりの家を抜け出し、同じ容姿の女性に声を掛けた。

 彼女は振り返る。背が高く、冷たい瞳のせいか近寄りがたさを感じた。

 他の人に話掛ければ良かったと後悔をする。しかし、彼女は次の言葉を待つようにその冷たい瞳で私をずっと見つめる。「人違いでした」なんて見え透いた言い訳をしたら、彼女の細くて長い指が私の喉元に伸びてきそうな、そんな印象だった。

 そのため声を掛けたのをなかったことにはできず、恐れを抱きながらも口を開く。


「いつも……何をしていますか」

「…………?」

「くだらない質問でごめんなさい。あ、あの……こういう質問をしたのは、その。いつもやることがなくて、夜を待つような生活を送っていて。だからもし、毎日を充実させられるような楽しみがあったら教えて欲しいなと思いまして」


 不快にさせたらまずいと思い、焦って早口で弁解する。

 私の気遣いに意味があったのかなかったのかは分からないが彼女は不機嫌になることなく、冷たい声で応じてくれた。


「復讐以外に何をすると言うの?」

「…………ふくしゅう」


 私の常識とはかけ離れたその回答を飲み込めずにいると、彼女はまるで私の困惑を察知したかのように、深く息をついた。


「もしかして最近生まれた子? ……はぁ、それは素敵なことで」

「昔に何かあったのですか?」


 無知ですみません、と謝ってから、魔女と人間の関係を教えてもらう。

 私が生まれる以前に彼女たちは人間からの攻撃を受け、生き残った魔女(といっても死なないから当時の被害にあった全員となる)は復讐を誓ったらしい。彼女たちは気まぐれで人間を襲い破壊を続けているとのことだった。


「あなたには恨む気持ちはないと思うけど、やってみてもいいんじゃない?」

「あなたたちの助けになるから?」

「いいえ。楽しいから」

「……楽しい」


 楽しいからと理由を口にする彼女であったが、その冷たい瞳はどこか遠いところを見つめていた。


「私たちを追い込んで平穏を得られたと勘違いした人間の日常を私たちの手で終わらせる。何人もが束にならないと殺せなかった相手に、一人で全てを奪われる」


 彼女はそれって、と言葉を続ける。


「考えただけで可笑しいでしょう」

「…………」


 何も答えられなかった。

 試しに一つあなたもやってみましょう、と勧められた。まるで気軽にできる遊びのように。

 そして私の返答を待つことなく、彼女は魔法で地図とペンを作り出し、ペンをスラスラと走らせる。そして私へその地図を差し出し初心者であるあなたはまずは小さい村から始めるのがいいでしょう、とおすすめの地域を手引きしてくれた。

 とりあえず受け取りぼーっと地図を眺めていると彼女は補足をする。


「殆ど人が暮らしていなかったし、私が手を加えなくても勝手に滅びると思って放置していたのだけど」


 失敗したらつまらないから、と。

 あまり乗り気にはなれなかったが「何をすればいいんでしょうか?」と手段を尋ねた。この話をしてしまった以上、やり方を聞かないわけにはいかないと思ったからだ。


 彼女は殺せれば手段なんて何でもいいだけど、と前置きをしてから


「囲うように火を放てばいいんじゃない?」


 仕上げに上空からも火を降らせるのも忘れずにね。とシンプルでありつつ凶悪な手段を教示された。

 逃げ場をなくしながらとどめをさせる、一番簡単な手段だと彼女は語った。

 一人たりとも生き残らせない方法が良いらしい。復讐の厄介さは痛いくらいに分かるから、と。


「応援してるわ、エルン」




 どうしたものか。と寸前で迷い始める。とりあえず勧めらたこともあり、教えてもらった村へと足は運んだ。

 彼女の言う通り一周するのに三十分も必要ないくらいの小さな村で、住んでいる人間も二十人くらいだろう。その気になれば経験のない私でも復讐を遂行することは可能そうであった。

 この村へ向かう道中、彼女の提案に乗ってやってみるのも悪くないかもしれないなんて考えていた。きっかけがない私の復讐はただの惨殺ではあるが、彼女たちと同じことをすれば仲間に入れるかと思ったから。


 だけど村の様子を見たら、そんな気持ちはすぐに消え失せた。


 この村にいる人たちはキラキラしていたから。

 笑ったり怒ったり照れたり、笑ったり。私が知らない表情を浮かべ、彼らは輝いて見えた。

 今日を良い日に、そして明日を楽しみに過ごす活気ある人々を見て、私の手で彼らの日常を壊すことは許されないと感じた。


 しかし、何もせずに家に帰ったら?

 ……あの冷酷な目をした魔女に滅ぼされるのは私かもしれない。


 そしてどうするか悩み、一週間が経ってしまった。


 いや、実際は答えが出ていた。彼らを傷つけることなく、自らの安全を守れる第三の選択肢を見つけ出していた。

 ここに留まる必要はなくなっていた。ではどうして今日までここにいるか。名残惜しく離れられなかったからだ。

 この村に住む人は魅力的で見ても見ても飽きないのだ。私の知らない表情を浮かべては、数人の男女が楽しそうに会話を交わす。私の腰くらいまでしか身長のない小さな人間もいる。

 知らないものばかり集まったコミュニティは刺激的すぎて、人間観察をしていたら時間なんてあっという間に過ぎていた。


 そして理由はもう一つある。物理的にも動けなかった。


 魔女とは詰めが甘い生き物だ。死なないのであれば、全てにおいて無敵であってほしい。

 傷つかず痛みを感じない体質であれば、人間へ恨みを持つこともなかっただろう。

 ……まぁ今の私の症状は、自らが招いたことなのだけど。


 この村は自然に囲まれ、私が住んでいた地域よりも気温が低い。

 すぐに帰ると思って何も対策をせずに一週間、外に居続けたせいだろう。

 身体は冷え、免疫力が低下。慣れない環境で生活していたストレスもあったのだろう。


 見事に風邪を引いた。

 体温と外気の差がありすぎて、身体の震えが止まらない。家に帰ろうにも頭は朦朧とするし、そもそも身体が重くて動けたものではない。かろうじてごはんを魔法で出すことはできたが食欲がないため一口、二口食べては食事を終了させる。

 

 悪化する条件を全て整え、私は意識を手放した。



 目を覚ますと、そこに空はなかった。寝ている場所も固くない。寒くもない。

 オーク色の天井、適温な空間。そして弱っている状態でも身体が欲してしまういい匂い。

 意識がなくなる前にいた場所でないことを理解し、


「ここは……」


 と起き上がり、辺りを見渡す。どうやら4人ほど座れるソファーに横になっていたようだ。目の前にはテーブルがあり、何やら料理が置いてある。匂いの原因はこれか。


「あら。起きた?」


 安心するくらいの穏やかな声の女性が私に話掛ける。綺麗な紺色の髪をサイドで一つに結んでいた。


「……あ、はい」


 この人は魔女じゃない。……村の人? 見たことあるような気がする。


「アベル。倒れていた子、目が覚めたみたい!」


 女性は別の部屋にいる誰かに私の状態を伝える。

 遠くで「本当か!?」と低く響く声が聞こえ、それからすぐにどたどたとした足音を立てて、ガタイの良い男性がやってくる。えらく綺麗な紫色の瞳をしていた。

 ガタイの良い男は胸元で何かを抱えている。


「ちょっと。さっき寝たばっかりなのにどうして連れて来たの」

「え? ……一人で寝かせてちゃ可哀想だろう」


 ガタイの割に女性へはたじたじとした態度を取る人だった。


「まぁ、眠ってるみたいだからいいけど。起こすようなことはしないでよね」

「あ、あぁ。分かりました」


 話を察するに男性が抱えているのは寝ている子供のようだ。ここからでは見えないが大きさはかなり小さい。生まれてからまだ日も浅いのだろうか。


「あなた、お腹は空いてない? そこにあるのシチューなんだけど、もし良かったら食べて」


 はい、と頷き、シチューをスプーンですくい、口へと入れる。


「…………!」


 今まで感じたことのない感情が身体全体に広がる。

 ずっと下がりっぱなしだった口角は上がり、初めての衝撃を与えた料理を忘れないようにとしっかり目を見開き脳へと信号を送る。

 スープが身体にいきわたるのが分かるように身体が上から下へ温かくなるのを感じた。


「美味いだろ?」


 ぼーっとしていた頭もハッキリとしてくる。この人たちは、倒れていた私をここまで連れて助けてくれたのだろうか。

 ありがとうございます、と伝えなきゃと思ったが身体が食べるのを止めてくれない。美味しい。生を感じる。


「火傷するから、ゆっくりね」

「ふい!」


 何も言わずに食べることを叱ることなく、彼女は気遣ってくれた。私は動作を止めることができなかったので口にスープを入れたまま返事をした。5回、6回とスプーンを運んだところで、ようやく身体の制御が効いてくる。やっと伝えたかった言葉を口にすることができた。


「あの……。助けてくれたのでしょうか? ……ありがとうございます」

「お礼を言われるようなことはしてないよ。道で倒れてたら助けるのは当たり前だろう」


 ふりふりと左右に首を振る。倒れた経験がないため分からないが、あの人たちは誰かを助けるようなことはしないだろう。


「私の住んでいたところではきっと放置されていたと思います。本当にありがとうございます」


 感謝の気持ちを伝えるために深く頭を下げる。


「あまり人と関わらない地域だったのか? ……だったら倒れるのがここで良かったな」

「この近くに住んでいたの?」

「いえ。その、……もう少し遠くで」

「そっか。遠くから来た疲れが出ちゃったのかもしれないわね」


 実際は何日も身体を冷やしたせいなのだが、余計なことを言うと疑われるので口をつぐむ。


「まだ体調も優れないと思うから、良かったら元気になるまでうちに泊まらない?」

「え?」

「良い考えだ。この子も姉ができたような気持ちになるだろう」

「今は体調が悪いんだからね。一緒に遊んでもらうのは、元気になるまでダメだからね?」

「分かってますって。なー?」


 胸元に抱いた幼児の額を撫でながら小さく声を掛けていた。

 幼児は眠りから覚めることはなかったが、口を小さく開き反応をした。


「どうかな? えっと、……」


 そういえば名前を聞いていなかったわね、と彼女は言う。

 手元のシチューは食べ終わってしまい、手持ち無沙汰になりながら、俯きながら答えた。


「エルンです」


 答えると「エルン! 良いお名前!」と名前を褒め、


「ねぇエルン。元気になるまでここにいない?」


 と提案をされた。

 一週間飽きることなく観察していた村に仲間入りできる。それはすごく魅力的な提案だった。だけど私は魔女だ。もう危害を加える気持ちは一切無くなっていたが、魔女の存在は彼らにとって不気味な存在だろう。もし彼らが私の正体に気づいたときに、この村へ留めたことを後悔するかもしれない。

 だから最初は断ろうと思った。


「申し出は嬉しいのですが、これ以上のご迷惑をおかけするわけには……」

「行くところ、ないんじゃないの?」

「え……?」

「なんとなくだけど、さっきの言い方がそんな感じがして」

「さすがリン! 人の心を読むのが上手い」

「もし家だと気が引けるなら近くに図書館として使っている塔があって。そこで暮らすのはどう?」

「…………良いんでしょうか」

「良くなきゃ自分から提案したりしないよ」


 故郷を捨てる心積もりを見抜かれたこと、迷惑を掛けずに居座らせてくれる居場所を提案してくれたこと。

 居ちゃいけないと思いながらも、その理性が勝つことはできなかった。


「よかった。これで断られて、そのまま帰られたら心配で寝られないところだったよ」


 たはー、と緊張が抜けたような顔で男は笑った。

 初めて会った相手をここまで心配してくれるなんて、本当にいい人たちだ。


「夜には魔女が人を攫ってる……なんて噂が回ってきてな」

「…………」


 ……あぁ。やっぱりこの人たちにも魔女の噂は届いているのか。




「エルン!! おはよう!!」


 翌朝、低く活気のある声が塔の外で響く。アベルだ。

 助けてくれたというガタイが良い割に妻にタジタジの男はアベルと言うらしい。ちなみに妻はリン。

 

 アベルは扉をバンバンと叩きながら大きな声で私を呼ぶ。それはとても大きな力で。

 声と力に反応するように建物の揺れを感じる。早くアベルの元へと行かないと崩れてしまうかもしれない。

 飛び起きるように寝床から出て、階段を降り扉の前へと向かう。

 扉を隙間程度に開けたところでアベルの手が侵入し、バッと目の前の板を奪われる。


「おはよう、エルン。今、起きたところか?」

「あ……、はい。おは、おはようございます」


 飛び起きたばかりで何も整えていない前髪をほぐしながら返事をした。


 朝の挨拶をするなんて、いつぶりだろうか。……もしかしたら、この言葉を知っているだけで使ったのは初めてかもしれない。

 そう思うくらいに口は慣れない動きをしていた。


「ど、どうしたんですか? 何か、ありましたか?」

「寂しいと思ってな、トーストを分けに来た!」

「あり、ありがとうございます」


 俯いた顔をさらに下げ、お礼を伝える。

 するとアベルは、不思議そうに息を吐き、もしかして。と言葉を続けた。


「エルンも寝起きの顔が酷いタイプか?」

「はい!?」


 あまりにもデリカシーのない発言に少し怒ってしまった。


「朝は浮腫みが酷いから見ないで、とリンに怒られたことがある。エルンもそういうタイプなのか?」


 浮腫んでいようと何だろうと、リンはいつも綺麗なのにな、とでかい声で惚気る。

 どうやら『顔が酷い』と言うのは悪口ではなく、リンが使っている言葉をそのまま引用しただけなようだ。


 しかし私が俯く理由は浮腫みではない。昨日は何も考えずに顔を見せてしまったが、彼らの耳にも魔女の噂は届いているらしい。

 彼らが魔女の特徴までを耳にしているかは分からないが、正体に気づかれないように下を向くことにした。黒髪であれば、この村にもいるかもしれないが、赤い目は……あまりにも少ないから。


 しかし俯く説明としてはむくみを原因にするのは大変良さそうだ。だからアベルの話に乗ることにした。


「そうです。でも私はいつも酷いです」

「いつも酷い? ……昨日見た時は可愛い顔をしていると思っていたが」

「それは…………気のせいです」

「? まぁいいや。今日は村の奴らにエルンを紹介したんだけど」

「…………えっと。まだ、体調が回復していなくて」


 他の方にうつしてしまうかもしれないので、また今度にしてほしいと断りを入れる。

 アベルは眉をハの字にして心配した顔を浮かべる。


「やっぱり治るまではうちにいないか? 悪化したときに発見が遅れたら大変だ」

「回復していないと言っても一人で何とかできる程度なので大丈夫です。アベルのお家には、まだ免疫ができていないお子さんがいるじゃないですか。あの子に風邪をうつしてしまったら私はあなたたちに顔向けできなくなってしまいます」

「だが……」

「朝食ありがとうございます。美味しくいただきます」


 一方的に話を終わらせ、扉を閉める。

 アベルに悲しそうな表情をさせてしまったのは申し訳ないが、私と関わったことを後悔させないためにはこうするしかなかった。


 こうやって突き放せば関わってこないと思っていた。

 しかしアベルは私の想像の型にハマるような人ではなかった。


 翌日も何もなかったかのように朝7時に朝食を運んで来ては調子を伺ってきた。

 翌々日もその次の日も。毎回トーストを受け取っては無理矢理に扉を閉める対応をするが、次の日の朝には何もなかったかのように朝食を届けに来る。

 ある時はくまのぬいぐるみを運んできたことだってある。何やらリンがうさぎ派なのにくまのぬいぐるみを買ってきて怒られたらしい。そして行き場を無くしたぬいぐるみの処遇は一人で寂しい思いをしているかもしれないと考え、私に持ってきたなんて言っていた。

 どうして、そんなに気を遣ってくれるのか分からなかった。

 私はあなたたちが恐怖する魔女なんだから。


 そんな日々が途切れることなく一週間続いた翌日、ついにはアベルだけではなく家族が三人揃ってやってきた。


「出張☆リンさん美容院です!」

「…………」


 どういうことですか、と困惑をしているとリンの隣に並ぶアベルが口を開く。


「エルンが顔を見せてくれないのをリンに相談したんだよ。そうしたらリンが任せろって」

「なんだかデリカシーのないことを言ったみたいでごめんね。本当にこの人は乙女心が分かってないから」


 その直後にアベルが「えぇ……」と萎縮した声を出していた。またリンに鋭い目で見られたのだろうか。


「だからね! エルンが自信をもてるように、おまじないをかけてあげる」

「おまじない……?」


 この人も魔法が使えるのだろうか。

 私の疑問は解決されることはなく、私を椅子に座らせるとリンはその背面に立った。持ってきた櫛を髪の毛に通し毛方向を一定にする。

 これがおまじない……?


「あの、何をするんですか?」

「しっ、静かに」

「リンはこのことになると人格変わるからな。静かにしておけ」


 代わりに、と何故か幼児を抱かされる。

 アベル曰く彼女には癒しパワーの源らしい。彼の言っている意味は分からないが、私を見てにこにこしている彼女は可愛かった。

 この子は私が怖くないだろうか。


 しばらくすると緊張の糸が解けたように、ふぅと息を吐く声が聞こえた。そして私の前に回り込み、じっと見つめる。……が、


「…………」


 何も声を掛けてもらえなかった。何か悪いことをしてしまったのだろうか。もしかして、大切な娘を抱っこしたことに気が触れたのだろうか! いや、でもこれはアベルが渡して来たわけだし片親の許可は……なんて、頭の中で言い訳を並べているとようやくリンは口を開いた。


「せっかく可愛くしたのに、俯いてたら分からないなぁ」

「…………へ?」

「顔上げて。折角可愛くしたのに、これじゃ分からない」


 そして彼女は私の両頬に手を添えると、軽く力を入れ私の顔の角度を変える。

 上を向くと優しく微笑むリンと目が合った。そしてそれから数秒も立たないうちに、


「えーーーーん、可愛い!」


 わたしは天才だ……と自身を絶賛する。

 一通りの賛辞を述べたところで私へ鏡を渡し、おまじないの詳細を説明してくれた。


「可愛いでしょう? この髪型にすれば可愛くならない人はいません」

「自信は自分を信じることを指す言葉だけれど、もしエルンが信じられないって言うならわたしたちがたくさん褒めて貴方を信じさせるお手伝いをする。信頼してる人の言葉なら、少しは信じられるでしょう?」

「だからエルンは、褒めやすいようにわたしの顔を見るようにしてね」

「リンやアベルは気にしないのですか。……私が魔女の特徴と一致していることに?」


 私の質問に二人は「うーーん」と頭を傾ける。そして少し考えた後に、気にしないよ、と口を開いた。


「ただ似てるだけだろ? 知ってるよ。エルンは絶対に悪い子じゃないこと」

「わたしが作ったごはんを美味しそうに食べる子が、わたしたちのことを傷つけるとは思えないから」

「……もしかして、顔を見せてくれなかった理由ってそっち?」

「…………」


 沈黙を肯定と捉えたのだろう。アベルはふっと緩く笑い、


「エルンはエルンだ。もし魔女だったとしても悪いことをしてなければ、俺たちはエルンのことが好きだよ」


 この村に着いた時からこの人たちは好きだった。

 その時その時を大切にするキラキラした人たち。見ているだけでいいと思っていた。

 だけどこの瞬間、私はこの関わりを失いたくない、と思ってしまった。



 私に貸してくれた塔は元は『図書館』と呼ばれる施設で住民が自由に本を借りに来ることができる施設らしい。そこを以前の管理人が暮らしていけるよう改修し(家庭不和だったらしいとアベルが悪い顔をして教えてくれた)住環境を整えたとのことだ。


 図書館としての機能は失われておらず、毎日本を借りにくる人や定期的に勉強会が開催されている。ここで暮らす私が管理人の役割を与えられるのは自然の流れであった。

 役割と言えど、本の貸し借りを管理したり、掃除をしたりその程度だ。


 図書館に人が集まると賑やかになる。騒がしくはあるが、やはり色々な表情をする人間を観察するのは面白い。あんなに待ち遠しかった夜がいつの間にか、寂しい時間になっていた。私は、誰かがいる生活に慣れてしまったらしい。

 

 ある日の勉強会。いつものように遠くで眺めていると、一人の少女が私に声をかけてきた。短い髪を高い位置で二つに結んでいる。これはリンの仕業か、なんて考えた。


「エルンも一緒に勉強しよう?」

「勉強……?」

「そう。計算とか言葉を学ぶんだよ。立派な大人になるために!」


 キラキラとした顔で説明をする。


「私は大丈夫です……」

「何で? 勉強しないとずっとバカなままだよ」


 この村の人はみんな言葉選びが下手すぎないか? 教える人が悪いのか? ……勉強の成果が全然出ていないじゃないか。

 勉強したことはないが本は読んだことある。簡単な計算もできる。暮らしていくのに困らないくらい知識はあるはずだ。

 だから不要だと断ったのだが、彼女にとっては勉強嫌いな子供に見えたのだろう。


 かけられた汚名を返上すべく、少女に提案をすることにした。


「じゃあ、問題を出してください」

「え?」

「バカじゃないところを見せてあげます」

「ふーーーん」


 少女はちょっと待ってて、と言ってから座っていた席へと戻り、紙を持ってくる。自分が解いている問題を出題しようという考えのようだ。

 私の元へと戻ってくると、悪い顔をして問題を出す。


「68+49は?」


 彼女の中ではこれが一番難しい問題なのだろう。分からないだろう、難しいだろうと、ニヤニヤとした表情を見せる。

 しかし私にとってこれくらいの足し算は何の問題もなく困った様子も見せずに答えを出す。


「117」

「え!」


 悪い表情を崩し、純粋な驚き顔へと変化した。子供らしくて可愛い顔だ。


「筆算しなくても分かるの?」

「計算のコツは、なんとなく知っているので」


 昔、夜までの時間暇つぶしとして計算を極めたことがある。それが役に立つ日が来るとは。


「わーー、すごい! かがく? もできる? お花が咲くためにはどうしたらいいか、みたいな!」

「……多分、できると思います」

「わーー」


 少し前まで私のことをバカにしていた少女の顔はどんどんと希望が溢れる表情へと変わっていく。

 この子は勉強が好きなのだろうか。


「エルン、私たちの先生になって!」

「え?」

「エルン先生。うん、良い響き!」

「私はここにずっといるわけじゃ……」

「えー? どっか行っちゃうの?」

「……ずっとここにいていいんですか?」

「もちろん。当たり前じゃん! ずっといてよ!」


 いつまでも居ていいの?


「エルン先生。みんなのところ行こう? 私たちを天才にしてください!」



 村の子供たちの先生役を任されたことで、逆に自分も勉強するようになっていた。

 自分が理解しているだけでは相手に伝わらない。誰か何を教えるためには、その十倍は自分が理解していないといけないというのが分かったからだ。

 幸いなことにここは図書館なので理解を深めるための蔵書は揃っている。

 アベル家族に会いに行く時間、子供たちの先生をする時間以外は専門書を読み込み勉強に励んだ。


 この村に来てから夜を待つ退屈な昼の時間は、もうなくなった。

 毎日が充実し、明日には何をしようと期待に胸を膨らませるようになった。

 初めて村の人を見た印象と、今の私の気持ちは同じになれた。


 専門書の読み込みが一通り終わり、片付けをしているときにとある本を見つけた。


「……魔法の本?」


 人間が暮らす村にどうしてこの本があったのかは分からない。かつて棲み分けができていた時代の娯楽として書かれた本なのかもしれない。何が書かれているのか気になり、椅子に座って内容を確かめてみることにした。


「意外としっかりした本……」


 本に書かれていた内容はこうだ。

 この世界に住む魔女が使う魔法と呼ばれる超自然的な力は主に二つの種類に分けられる。

 物質を生成する力と、エネルギーを操る力。この二つを組み合わせることで、ほとんどのことが実現可能。

 これらの力は本人の意志によって意図的に譲渡することはできる(人間・物・動植物など対象は問わない)。ただし、不可逆。

 魔法の源は不明だが魔女はある一定の年齢を超えると年を取らないことから、成長が一つの要因になっていると考えられる。


「…………」

 

 夢のような内容だった。ここに書かれている内容が本当であれば、彼らの危機となりうる要素を排除できるのではないだろうか。

 誰に言われたわけでもないが、彼らに危害を与える力を持っていることに、どうしても後ろめたさを感じていた。


『囲うように火を放てばいいんじゃない?』


 いつかの魔女に言われた言葉を思い出す。人を傷つける手段はいくらでもあるが、魔女らしさのある火を放つ力を失えば後ろめたさを感じず、一人の人間のように振舞える?


「確か、火は可燃性の物質に熱を加えることにより発生する化学反応。じゃあ、可燃性の物質……物質を作る力を無くせば、私は彼らの脅威にはならない?」


 これは私の自己満足だ。彼らを脅かす武器をもっていないと、自分を安心させるための行動。

 方針が決まったところで譲渡の仕方を確認する。


「触れて、念じる……」


 なんていい加減な。

 魔法の詳細は事細かに分析されていたが、譲渡の方法になると急に簡易的な文章となる。

 執筆者は人間なのだろうか? 真実が分からないのが見え見えだ……。


「……とりあえず、試してみよう」


 譲渡する相手はアベルからもらったくまのぬいぐるみにすることにした。

 物質を生成する力はこれまで食事を作る際に使用していたため、失うと生活に支障が出る。

 いつかこの村から離れることになったときに、一緒に持っていけるものが良いと考えぬいぐるみを選んだ。

 

 ぬいぐるみの手を取りぎゅっと掴む。

 目を瞑り、念じるのはこれでいいのだろうかと考えながら、私から魔力が無くなるのを願う。

 どうか、みんなに危害を与えない、自分に恥じない人になれますように、と。


 数分は念じただろう。光ったり、ぬいぐるみが勝手に動き出したりすることはなく、上手く行った実感は沸かない。

 でたらめだったかと思うことでガッカリしない予防線を張ってから、成果を試してみることにした。


 いつものようにテーブルに手をかざし、夕食を作り出そうとする。

 しかし――

 

「出てこない」


 手とテーブルの間は空虚が続くのみ。これはつまり、成功したということだろうか!?

 言葉にならない喜びの感情が胸から湧き上がってくる。これで、私は彼らと同等だ。

 傷つけることなく、一緒に過ごすことができる。


 そしてぬいぐるみに譲渡した力の方だが、


「ごはん、作ってほしいです」


 と声を掛けるといつも私がやっていたように何もないところから料理が出現した。



 みんなへの後ろめたさがなくなったからだろうか。

 これをきっかけに自分比ではあるが以前よりも積極的に、村の人たちへ声を掛けられるようになった。

 近くに住み着いてから半年以上経ってしまったが、遅い挨拶に怒ることなく歓迎してくれた。


 やっと一員になれた。

 やっと居場所ができた気がした。


 


「エルン! 今日は自分でツインテールに結んだの?」

「リンがツインテール可愛いって言うので」


 両手で二つに結んだ髪をそれぞれ掴みながら返答をする。その姿を見てなのか、リンは可愛い!! と声をあげる。後々分かったのだが、リンはツインテールマニアだった。本人の髪質ゆえに叶えられない望みを私に託し消化しているらしい。


「エルン。今日もお使いに行ってもらってもいい?」


 最初会った時は寝転がり寝ては泣きを繰り返していた彼女たちの子供は、いつの間にか四つん這いで動き回るようになるくらいまでに成長していた。自我も芽生えつつあり、外出先で突然自己主張をし始め騒ぐことも稀ではないらしい。

 そんな大変な時期であるため、最近はリンから買い物を頼まれることが多くなっていた。


「分かりました。何を買ってきたらいいですか?」

「まずは食材でしょ。あとはこの子用の絵本とおもちゃ」


 リンは指を折りながら買い出しリストを挙げていく。いつもは5つくらいなので全ての指を負ったところで終わりかと思ったが、今日は珍しく折られた小指が再び上がる。


「それと、赤のリボン」

「……リボン? 何用のものを買ってくれば良いでしょうか」


 普段は頼まれない買い物に首を傾げた。

 リボンといえど形は様々だ。用途に合わせたものを買わねばと情報を集めようとすると、予想外の返答が返ってくる。


「エルン用。ツインテールをもっと可愛くするリボン」

「…………私、ですか?」


 彼女の言葉に耳を疑うように聞き返すと、リンは笑顔で頷く。聞き間違えではなかったようだ。


「可愛い髪型にしたらアクセサリーも付けてあげたくなっちゃって。で、考えたんだけどエルンって綺麗な赤い瞳をしてるでしょ。だから赤のリボン」


 その黒い髪色にも合うと思うの、と私の髪の毛を指さし可愛い笑顔でリンは語る。

 気遣いはありがたいが、アベルやリンのお金で自分のものを買うのが気が引ける。彼らには十分に与えてもらっているのだ。これ以上、何かをしてもらうのは申し訳ないので断りの申し出をする。しかし、リンは引かなかった。


「えーー。わたしが見たいんだけど」


 頬を膨らまし、怒った素振りを見せる。むーーん、と言って怒っているのかと思ったら、息をぷっと吐き笑顔になった。


「じゃあ、こうしよう。娘のためのリボンを買ってきてください♪」


 それなら、と私が承諾すると追加条件があるとでも言いたげに、人差し指を立て左右に振る。リンはだけど、と言葉を続けた。


「まだ髪は短いから、結べるようになるまでは代わりにエルンに貸してあげる」

「それって結局は私のものみたいじゃないですか?」

「ばれたか」


 舌を出し、少女のような顔をして笑みをこぼす。もう、と思ったが、これ以上反論する気にもならなかった。彼女の好意をありがたく受け入れよう。


「ぬいぐるみだって貰ってしまいましたし、これ以上は……」

「エルンは迷惑に感じてるの?」

「……いえ。親切にしていただいて、感謝しかありません」


 ただ、と私は言葉を続ける。


「してもらうばかりで、私は何も返せていないので。感謝よりもまず先に申し訳なさが言葉に出てしまって……」

「エルンはここに居てくれるだけでいいんだよ」

「どうして、そこまで肯定してくれるんですか」


 私の質問に対し、分からないの~? とまず返され、リンは理由を述べる。


「好きだから。一緒にいて楽しいから、だからずっとここにいてほしい」

「…………」

「それにね。……覚えてるかな? 今日はね、エルンを拾った日なの」


 風邪で倒れていた私を、アベルが助けてくれた日。もうあれから一年が経ったのだろうか。


「誕生日は分からないって言うから、この日をエルンの誕生日にしちゃおうって思って。リボンはね、誕生日プレゼント。生まれてきてくれたエルンのことをお祝いする日であると同時に、わたしたちがあなたが生まれてきてくれたことに感謝する日でもある」


 だからね、と微笑んで言葉を続ける。


「エルン。わたしたちと会ってくれてありがとう」


 胸の奥がじーんとした。今まで私がいることに感謝をされたことなんてない。

 ましてや私は彼女たちに何もできていないのだ。ただ毎日を一緒に過ごしているだけ。

 それだけなのに、こんなに存在を肯定されていいのだろうか。


「こんなに幸せをもらって……いいのでしょうか。バチが当たらないか……不安です」

「ふふん、素直にもらっておきな。幸せに上限はないんだよ」

「……はい。そうしておきます」

「って、エルンが不安そうな顔してるから言っちゃったじゃん! サプライズにする予定だったのにー!!」


 可愛らしくぷんぷんと怒る。その姿が可愛くてふっと笑いが零れてしまった。

 

「リン、ありがとうございます。可愛いリボンを買ってくるので、帰ってきたら結んでくれませんか?」

「~~~~! もちろん、任せて!」


 この約束は果たされない。

 私の幸せは、ここでおしまいだから。


 街で買い物をして帰ってくると、目の前は赤く染まっていた。

 理解が追い付かなかった。どうしてこんなことに。

 この村は放置していたんじゃなかったの?


 絶望的な光景を目の前に、頭の中にたくさんの疑問が浮かぶ。

 しかし、出来事の理由を考えたところで現状は変わらないと気づきハッとする。

 今することは救出活動。それだけだ。


 頭から水をかぶり、一度だけ上がった助けを呼ぶ声が近いところから火の中へ潜り込む。

 ぬいぐるみに力を譲渡するなんてしなければよかった。そうすれば魔法で水を生成し消火することだってできただろう。

 ……って、また余計なことを考えてしまった。今は、目の前に集中しよう。


 熱い。眩しいくらいの光で目が細くなりながらも必死に人影を探す。

 救助を呼ぶ声は途絶えたが、代わりに小さな子の泣き声が聞こえた。声の主は考えることなく分かった。この声を辿っていけば、アベルたちに会える。耳に意識を集中させながら歩いていくと蹲っている一人の姿が見つかった。

 ――アベルだ!


 足元に気を付けながらアベルの元へと駆け寄る。


「アベル!! よかった。……リン、リンは!?」

「リンは…………家にいる……」

「家……。見てきます!」

「待ってくれ」


 アベルたちの家へ向かおうと身体を向けたとき、アベルの大きな声で制される。


「エルン。イデアを頼む」

「え。でもリンを助けないと」

「優先すべきは無事の可能性が高いやつからだ。この子はまだ無傷だ。最優先で頼む」


 彼は私に無理やり幼児を抱かせるとホッとしたように笑う。まだ火中。何も助かってない。笑うのはあなたがここから出られてから。


「アベルも先に外に出ていてください。私はまだ元気ですので」


 だけど、アベルは動こうとはしない。

 代わりに、震える指で小さな彼女の額にかかった生えたばかりの髪の毛を左に寄せ、顔全体を見えるようにする。


「泣かないで。お前は笑った顔が可愛いんだから」


 動くこともやっとな身体で彼は彼女の頭を優しく撫でる。まるで噛み締めるように。これがこの子に触れられる最期の時であるかのように。

 すると彼女の涙は止まり、どんどんと笑みが広がっていく。それを見てアベルも笑う。


「やっぱりイデアは笑った顔が一番可愛い」


 こんなことをしてる場合じゃない。


「アベルも逃げましょう。立って――」

「イデア……」


 彼の声はどんどんと濁っていく。


「喋っちゃだめ。無駄に体力を使わないで。ここから離れることだけを考えましょう」


 しかしアベルは動かない。彼の脚に目を向けると原因が分かった。動かないんじゃない。動けないんだ。


「イデア、イデアイデアイデア。もっと一緒に過ごしたかった」

「アベル!!!」


 動けないからといって諦めるのはまだ早い。私が頑張れば……。

 そう希望を胸に、右腕でイデアを抱えながらアベルの腕を右肩に掛け引っ張る。しかし何倍も体格差のある男性を動かすことは難しく、全く動かない。譲渡した生成以外の能力は使えるはずなのに、一部の魔力を失ったせいか魔法で動かすことも出来なかった。どうして全て裏目に出るだろう。


「……最後に見る親の顔が泣き顔じゃ、イデアも悲しいよな」


 涙を拭くことなくアベルは笑みを浮かべ、


「イデア。お前の未来は絶対に幸せだ」


 まるで最期の別れかのように、イデアへの祈りの言葉を伝えた。それに耐えられず諦めないで、と叱咤するがアベルはふっと笑いを浮かべるだけで動くことはなく、そのまま私の背中を押した。


「エルン。イデアをよろしくな」

「アベル……やだ、私は――」

「エルンも。心から笑って、大切なものをたくさん作って、楽しい日々を送ってくれ」


 私の幸せまで望まないで。


「イデアの安全を確保してから、助けに来てくれ。待ってるよ」


 この言葉を最後にアベルは口を聞いてくれなくなった。反応をするとここに留まる時間が長くなると思ったのだろう。

 急いで炎の中から抜け出して、私が暮らす塔の中へと寝かせる。

 何かあったときに対処できるようにと、イデアに私の持つ魔力を譲渡した。エネルギーを操る力で自身を守れるかは分からないが(そもそもイデアが使いこなせるかも分からない)、魔力を持った人間のことを仲間だと勘違いして魔女が見逃してくれるかもしれない。


 そして私は村の中心地へと戻る。


 しかし、もう遅かった。

 そんなに時間は経っていなかったと思う。

 あんなに言葉を交わしたのに。……言葉を交わしすぎたせいだろうか。


 アベルの息は途絶えていた。


 家にいるというリンの元へも行った。家は崩壊し、リンを見つけ出すことはできなかった。


 アベルを助けるという約束も果たすことはできなかった。


 イデアの幸せも、ここでおしまい。


 おしまい。


 終。

 




 幸せの終わりを迎えたならば、ここで私の時間も止めてしまいたかった。同じ最期を迎えたい。だけどこれは叶わぬ夢だ。


 魔女は死なない。そう、死ねない。

 私は好きな人たちの元へはいけない。


 そして彼らが大切にしてきたイデアを任された。まだ生きなければならない。

 苦しんで死んでいった彼らにできる唯一の報いはイデアを生き長らえさせることだ。


 お腹が空いたと泣いている。もう口にしなくともイデアのごはんは出せるようになっていた。

 ペースト状にしたじゃがいも、小さくほぐされた魚、彼女に適量の白米。ごはんが作れるだけではなく、対象にあった形式で提供される。

 村を助けられなかったのは、このぬいぐるみに力を譲渡したせいだが、こうなってしまった今、自分の意志に関係なくイデアのごはんが提供できるこの存在は重宝した。


 背もたれのある小さな椅子に座ったイデアの前にしゃがみ、スプーンでぬいぐるみから提供された料理を一口一口食べさせる。

 「あーうー!」と何かを伝えたいように声を出す。嫌な顔をしていないから、肯定的な感情だろうか。しかし彼女にどういった言葉をかけていいのか、頭は全く働かない。そうこうしているうちに手元の皿に食べ物はなくなり、完食していたことに気づく。昔に比べて食べるのが早くなったのかもしれない。前はもっと時間が掛かっていた。二人が知ることのできなかった成長を私一人で知ってしまい、息は詰まっていく。


 彼女の完食したお皿を流しへと持っていき、勢いよく蛇口をひねり汚れた皿に水を浸す。勢いよくひねったのは一秒でも早くイデアの元へと戻るためだ。幼児はすぐ危ないことをするんだから目を離しちゃ駄目、とリンがアベルに怒っていたのを覚えていたから。

 戻るとイデアは肩を上下に動かし、気持ちが良さそうに寝ていた。なんだ、これなら急ぐ必要もなかったじゃないか。


 あの日から何日が経っただろうか。以前よりも身体が大きくなった気がする。

 上下で二本ずつしかなかった歯がいつの間にか倍になっていて、提供されるごはんも離乳食から普通の食事へと変化していた。これから食べる量も増えて、好きな食べ物ができて、食べることを楽しみながらもっと大きくなっていくんだ。

 もちもちのほっぺに涎を垂らして、小さいパンのような手を万歳するように広げて寝るイデアの姿を見る時間はもう少なくなる。


「…………美味しそう」


 きっと彼女の成長を見るのを二人は楽しみにしていただろう。

 髪の毛が伸びたらツインテールをして、あのリボンを結ぶ。可愛い洋服を着て、好きな人に頬染めるような――……あれ。私、何て言った?


 無意識に口にした言葉の情報が脳へと伝達され、放心状態だった頭が久しぶりに覚醒する。そして自分の発した言葉の意味をじわじわ理解すると、それに反応するように心臓が握り潰されるようにきゅぅっと痛くなる。痛みのせいか鼓動は主張を強める。バクバクと、今まで詰まっていたものが取れたように急激な速さで動き出す。


「私、今、何を?」


 イデアを見て、美味しそうって?

 

 自分が何を言っているのか理解ができなかった。唯一分かることは、これが正常な状態であっても言葉の意味は理解できないということだけ。

 大切な人たちを殺してしまったことに加え、連日の断食のせいで精神に異常が働いているのだろうか。どうせ壊れるなら、イデアに害のない壊れ方をしてくれ。

 このままじゃ、イデアすらも守れなくなってしまう。


 ……そう守れなかった。


 日に日に自分が壊れていくのが分かる。ごはんを食べようと口に入れても胃が侵入を拒絶し、口からあふれ出す。喉に熱い液体が流れ、焼かれたような感覚になる。

 今日もイデアは甘えた声で食事を求める。前に抱いた感情を二度と湧き上がらせないように、感情を無にしてごはんを与える。イデアは自分でスプーンを持ち、口の周りを汚しながら食事を楽しむ。イデアが一人で食べられるようになったのに、喜ぶことができなかった。むちむちの腕、食べると膨らむお腹。

 気を緩めた瞬間に湧き出るのは歪んだ感情だった。


 このままではいつかイデアに手を下してしまうかもしれないからと、行動を決断したのはそれから何日、……何か月後だっただろうか。

 イデアを私が昔住んでいた家へと連れて行くことにした。周りは魔女ばかり住む、イデアにとっては最悪な環境。けれど魔力を持つイデアであれば、危害を加える者は恐らくいない。私といるよりもよっぽど安心できる場所だ。


 幼児であるイデアが一人で生活できるのかと心配は不要だった。

 いつかの晩、食べない日々が続き、体力が限界を迎えた日があった。意識を手放し数日の昏睡状態に陥った後、残った僅かな魔力を元に目を覚ますことができた。数日、世話をできなかったイデアは、何事もなかったように生きていた。恐らく自身とぬいぐるみの魔力を上手く活用したのだろう。私がいなくても、イデアは立派に生きることができたのだ。私は必要なかったのだ。


 アベルのイデアを守るという約束を半分破り、イデアを捨てるように昔の家へと置いていった。いくつかの絵本と、印をつけた村の地図と共に。

 寂しそうな顔で「うーー?」とスカートの裾を引っ張られたが、魅力的な手を無理やり離し扉を閉める。ぱたり。ドア越しに私を呼ぶ声が聞こえる。


「エゥ? エーゥ!」


 あなたのいくつもの初めての相手が私になるのが辛い。

 あなたの喜ばしい成長を辛いと感じてしまうのも辛い。

 後ろめたさで胸がいっぱいになってまた息が詰まる。

 

 どうして私はあの魔女に声を掛けてしまったのだろう。

 どうしてあの村に来てしまったのだろう。

 どうして出かけてしまったのだろう。

 どうして約束も守れず、

 大切な人を置き去りにして、


 どうして。


 全部全部、私のせいだ。

 私を殺して。

 復讐して、イデア。

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