設定)ウィラサラサ卿・ロレッツァ・ガラルーダ(12歳)


 彼が目ざめたのは世に生を受けた日から八年が経つ夏の日で、目ざめると同時に豪爆のように知識が内になだれこみ、幼い彼が知らぬは空の上と海の底だけだった。


 ▽▲


 ベルを鳴らすのは世話人に起床を報せるためで、晴れなら鳥のさえずりを聞くうちに、雨なら雫の音を聞くうちに、髪を梳かれて身支度が整う。

 彼の佇まいは彫刻のように完璧だが、それは鑑賞に値する羨望で、一線を画す隔り故に近づき難い。

 少年は扉が閉まり誰もいなくなったことを確かめると、目を覆っていた布をほどき、それからゆっくりと朝食をとるのだ。


 『エスタリーク・カンパル・スパカーニャ・アントレット・ウィラサラサ卿』

 これはサラがまだウィラサラサ卿と呼ばれていた、二年生の夏の出来事である。


 ▽▲


「おはよう、ウィラサラサ卿」

 扉をノックするのは、今も昔も白髭がトレードマークの学校長である。

「こちらに目を通しておくれ」

 ウィラサラサ卿は政的事案が記される文書に手を加えると、

「このように」

 そして興味は読みかけの本に戻る。


 エスタリーク・カンパル・スパカーニャ・アントレット・ウィラサラサ卿。

 これは血筋の賢人から受け継ぎ受け継がれる称号であり、このように数多の名を継ぐのは数多の才能をもつ証だ。

 例えそうであっても魔力があれば王立魔法学校への入学は義務で、この奇才は礎塔に所属する生徒である。しかし彼の能力『視る』の性質が特異で共同生活が難しく、図書館塔の五階に私室を設けて、まじないが施された布で『視る』を封じる。


「夏休みで帰省していた生徒たちが戻ってきたようじゃ。ふむ、おおこれは。夏の嵐が近づいてきたの、ウィラサラサ卿」

 ウィラサラサ卿は顔を上げて窓に目を遣り、しかし晴れ渡る夏空に嵐の兆候はなくて、扉を開けたまま去っていく校長先生に首を傾げた。


 ▲▽


「こりゃついてる、ガラルーダ。校長がウッカリ扉を閉め忘れたぞ」

「あんなウッカリをするものか、罠だ!」

 校長先生が階下に下りたのを確かめた二人の少年が、本棚の裏から顔を出す。

 茶色い髪に緑色の瞳がロレッツァ、黄金色の髪に青い瞳がガラルーダで、いずれもウィラサラサ卿と同じ魔法学校二年生だ。

「なんつぅ弱腰、お貴族の家名に泥を塗るよ」

「黙れ。ウィラサラサ卿に手を出せば、泥どころか底無し沼だ」

 

 品行方正、成績優秀のガラルーダが未だ宿題を終えていないのは、夏の自由研究のために広大な農地を持つロレッツァの実家を訪ね、農業体験と称した繁忙期アルバイトで疲労困憊、宿題をするフリをしながら眠るという役にも立たないスキルを手に入れたためである。


 ロレッツァは図書館に到着すると、まずは自習室がある二階へ弾むように上がり、ガラルーダにシイッと人差し指を立て静かに専門書コーナーを通り過ぎた。

 中央階段は忍び足、そして古文書が鎮座する重々しい四階はほふく前進だ。

「本気で宿題するつもりなのだろうな!?」

 堪らずガラルーダが訊ねるも、ロレッツァはニカッと笑って五階階段の前にすくっと立った。


「五階は立ち入り禁止だ、罠があるぞ!」

 ガラルーダの忠告はどこ吹く風でロレッツァが走り出し、思わず後を追ったガラルーダであったが、右から左から、上から下から罠が次々と発動し、ハッと気付いたときには立派な共犯者になっていた。


「宿題じゃないのか!?」

「ああそれな、今さらどうあがいても終わるのは無理だろう。そこで俺は考えた、図書館塔の五階にいる噂の賢人なら、お茶の子さいさいだと」

「おい、冗談だろう。宿題が未提出だからって学校は命を取らないが、ウィラサラサ卿に手を出せば償いは命だ!」

「言い訳ならちゃんとあるよ。『五階で迷っていたら偶然会ったから宿題を教えてもらいました』だ」

 ここまで罠を破壊しておいて、誰が信じるもんかとガラルーダは頭を抱えた。


「ウィラサラサ卿って、ベロニアちゃんより美人って本当かなあ」

 ベロニアちゃんとはロレッツァが入学式で一目惚れして愛を告白し、式が終わる頃にはフラれた可愛い女の子である。

「そこで真偽を検証する。まっ、宿題はついでだな」

「私を巻き込むな・・って聞けッ!」

 エイエイオーとこぶしを突き上げたロレッツァを、一発殴ろうとしたガラルーダとのドタバタ追いかけっこが始まったのである。


 ウィラサラサ卿はあまりの騒々しさに顔をあげた。

 彼にとって興味をもつとは稀な行為で、全貌を理解できないせいと知っている。だからその正体を探ろうと『視る』を向けたのは自然なことで、しかし気味悪いと囁く声が聞こえるようで思わず顔を覆った。


 ここは厳重に護られた箱庭だから『視る』の必要は無いのだ。

 呼吸が穏やかになるのを待ち、ゆっくりと目を開いたウィラサラサ卿は、じいーっと顔を覗き込んでいた緑の瞳に驚いて、ズルっと椅子から滑り落ちた。


「うわわっ、マジで美人!さては人形か、ほっぺたを突ついていい?」

 ロレッツァは真剣な顔で陶器のような頬を突っつく。

「温かい・・!人だ、美人の人だ。あ、俺はロレッツァね。で、この美人さんが稀代の天才、ナンタラカンタラウィラサラサ卿だな!」


 ウィラサラサ卿はハッと我に返って人が恐れる『視る』瞳を隠したが、ロレッツァは頬を染めて照れくさそうにした。

「ベロニアちゃんに一目惚れしたときの俺みたいね。ごめんな、いくら美人でも男じゃ、父さんも母さんも嫁には反対だと思う」

 ウィラサラサ卿の首がコテンと倒れたのは真意に辿りつけない混乱で、すると後ろにいた金髪碧眼が眉間を揉んで申し訳ないと切り出した。


「ウィラサラサ卿。こいつは珍種のネコの人型だ」

 ・・ネコ、珍種

「そういうあいつはガラルーダ。美人ハンターだから気を付けろよ」

 ・・ハンター、するとこれらは私を狙った暗殺者とネコの使役魔か?

 そうであるなら結界の魔法陣が発動しそうなもので、そうでないのは海外留学生の語学力不足による相互理解の欠如と、ウィラサラサ卿は仮定する。


「ここで会ったが100年目、友達になろうぜ、ナンタラカンタラウィラサラサ卿」

 珍種のネコは薄紫色の髪を両手で掴み、脳ミソイッパイねとにやりと笑い、美人ハンターはナムアムと経を唱えてとっても縁起が悪い。

「なあなあ、友達の宿題を手伝ってくれよな?」

 緑の瞳を細めた珍種のネコは、ニャーと鳴いて招き猫ポーズを決めたのだった。


 ▲▽


 その日の昼下がり、六等分にカットしたスイカを前にウンウン唸るロレッツァと、いただきますと手を合わせるガラルーダの姿があった。

 光属性のガラルーダと地の愛し仔であるロレッツァは四大寮塔生だ。

 貴族と農夫の二人に面識があろうはずないが、入学式で美人のベロニアちゃんにフラれる瞬間を目にしたガラルーダが慰めの言葉をかけ、大勢の生徒の前で心の友だとロレッツァに公言され、これを突き放すのは人道に悖ると今に至る。


「さすがは金賞受賞のスイカは、瑞々しく芳しい」

 ガラルーダはスイカに賛辞を述べ、知恵熱が出るほど悩むロレッツァに関わらないようにしている。

 ちなみにこの金賞スイカは夏のアルバイトの臨時ボーナスで、品評会で金賞に輝いた報せを聞き、草むしりに明け暮れた日々が報われたと涙腺が弛んだ。


「いくら考えてもスイカの品種改良しか浮かばない」

 ロレッツァはお手上げだと草の上に寝転がる。

「改良などせずとも完全たる美味さだろう」

「おまえもウィラサラサ卿を口説き落とす方法を考えてよ。美人を射止めるのは十八番だろう」

「美人でなく美女だ」


 ウィラサラサ卿とお友達作戦は、ロレッツァの主観によると後一歩で、

「脇腹をくすぐったりするから怒るんだぞ」

「だってつまんない顔してんだもん。うちの弟はああしてやると喜ぶんだ」

「三歳でも弟でもないのが敗因だろうな」

 脇腹をくすぐられヒィヒィと涙目のウィラサラサ卿は、薄紫の瞳をキッと吊り上げた。

「人間になりたかったら良い子になれだっけ?」

「全然違う」

 ガラルーダはウィラサラサ卿の一言一句をなぞる。


『永遠の眠りか空の上と海の底。その対価に願いを叶えてあげる』


「そうそれだ。眠ったら宿題が出来ないから、空の上と海の底のほうを何とかしなきゃ。さすが天才だけあってお願いまで賢いよな」

 そんなあらぬ方向に納得して、

「お願いではなく無理難題だろう、その天才が叶えられない願いだぞ」

 ガラルーダは呆れて肩を竦めた。


「スイカの品種改良だって無理難題と試行錯誤から始まるんだ。そうはいっても俺は農夫で、そっちの分野はカラッキシだが」

「そっちの分野の先達から享受するのが最も早い。しかし空と海の探究者など、聞いたことも無いな」

 スイカは中心ほど甘くておいしいが、このスイカが受賞したのは青いところまで瑞々しいと高評価を得たからで、試行錯誤の結実である。


「スイカもほうれん草も野菜で野菜は農夫の領域だ。ってことはだよ、空も海も不思議なものだから不思議の探求者の領域ってことだよな」

 ニヤッとロレッツァが笑えば、ガラルーダの眉がピクリと引き攣る。

「関わるな私。ここから立ち去れ私。しかし誰かが犠牲になるならいっそ私?」

 この愚直な正義感こそ、彼が生涯において気苦労を背負い込む原因である。

「今日の俺は冴えてるぞ!」

 『冴えているのはイタズラばっかり』

 そう嘆くロレッツァの母親を思い出し、どうにか被害を最小限にできればと、ガラルーダはまたしても巻き込まれていくのだった。


 ▲▽


 ウィラサラサ卿はいつも通り就寝したものの、昼間の騒ぎが未だに気を昂らせ、幾度も寝返りを繰り返していた。

「考えるまでも無い、もう二度会うことは・・うわっ!」

「あれ、もう寝てたの?ウィラサラサ卿ってお子ちゃまだな」

 目を覆った呪いの布がグイっと剥がされて、昼間の珍種が顔を覗き込んでいる。


「ロレッツァ、急げ!」

 廊下から美人ハンターの声が響いて、ぐいっと体を起こされると上着をかけられた。

「約束しただろう?空の上と海の底を、50パーセントの確率で見せてやるよ」

「おいっ、50パーセントとは聞いていないぞっ!?」

 美人ハンターはギョッとして、この無計画では図書館塔から出ることも出来ないだろうとウィラサラサ卿は呆れたのだ。


 ▽▲


 それから数十分後。

 まるで誰かのお膳立てのように行く手を阻むものは無く、三人は教員塔の階段を駆け上がっていた。

 珍種のネコと美人ハンターは軽快な足取りだが、階段をのぼる機会など滅多にないウィラサラサ卿の足はもつれて息があがり、それなのに罠は破壊一択の二人が埃をまき散らして涙とくしゃみが止まらない。

「罠は破壊でなく解除おし!ほら、私の指示に従うんだ」

 協力する気はないのに知恵を与える羽目になるとは理不尽である。


「すごい!生まれて初めて罠を解除した。さすが天才だな!」

 その言葉が彼を戸惑わせる。なぜならウィラサラサ卿の指示は正しいのが当然で、指示に対して反応されることはこれまでない。

 ならば二人の賞賛ともとれる反応は、歴代の偉人を受け継いだウィラサラサ卿に対してではなく、今ここに存在するこの身に向けられたもので、それはくすぐったさと、先達の鎧が剥がされた不安が混在する奇妙さだ。


「うんうん、ウィラサラサ卿がいれば、成功確率50パーセントが53パーセントに上昇したな」

 珍種のネコが根拠も無い数値を口にすれば、罠を解除し終えた美人ハンターがハアとため息をつく。

「発芽率50パーセントが53パーセントに上昇したとこで収穫量に差はあるまい」

 的を得た例えにロレッツァが悶絶するあいだに、ウィラサラサ卿は『迷い道の呪い』を無効化させた。


 再三だが協力するつもりはなく、この階段にかけられた一段を百段にするという幻惑魔法を無効化したのは、体力が限界の私のためである。おかげでマトモな段数で上階に辿り着き、すると二人はうーんと顔を見合わせた。

「なんだか術者に悪いよね」

「真っ向勝負を避けた後ろめたさだ」

「・・おまえたち、私を百倍もの段数に付き合わせるつもりだったのかい?」

 ゼエゼエと息のあがるウィラサラサ卿に睨まれたロレッツァは、成長の機会なんだがなあと首を捻ると奥の扉を指差す。


「この先が校長室で俺たちの目的地。さあ行くぞ!」

「無理だよ。ここからの罠はこれまでとまるで違う」

 生まれて初めて額の汗を拭うという経験をしたウィラサラサ卿は、二人を『視る』。

 美人ハンターのガラルーダは魔法耐性は高いが感知力が低く囚われやすい、珍種のロレッツァネコは稀なる地の愛し仔だが、ここには結界があるから精霊の助力がのぞめない。


不快感をもたらす 『視る』の反応にウィラサラサ卿は身構えたが、二人は気にしたようすもなく作戦会議をはじめる。

「よし、強行突破で決定だ。教員が生徒の命を取りはしないと合意した!」

「合意の相手が違うよ!」

 ウィラサラサ卿のまっとうさは無視されて、頭脳派で運動神経カラッキシの腕を両脇から掴まれ、奥の扉に猛ダッシュ。


 天井から降り注ぐ矢こそがフェイクで、カーペットの下がじわじわと熱をもって溶けていき、石畳はどんどんと薄くなる。

 矢を剣で跳ね返すのに必死な二人にウィラサラサ卿は叫んだ。

「進むんだよ、奈落に落とされる!」

 罠と知りつつ進むしかない愚策にキイィと癇癪を起こして走り抜け、待ってましたと開いた扉は三人まとめてパックンした。


 ▽


「おっほっほ」

 三人は縄で縛られ書いて字の如くお縄となり、羽ペンをもった校長先生がメモ帳に正の字を書き込んだ。

「フムフム、常連二人とレア一人」

「あーあ、また捕まった」

 口を尖らせたロレッツァはゲンコツされ、苦虫を噛み潰したウィラサラサ卿に「同罪」と片目を瞑るとお風呂の時間じゃと出て行く。


「常連でありながら、何故対策もせずに挑んだ!」

 噛みついたところでガラルーダは涼しい顔だ。

「足の速さには自信がある」

 だからどうしたと返す気力もない。

「校長の風呂は長いんだよなあ。なあ、ウィラサラサ卿は他者の考えが読めるんだっけ?」

 答えに窮すれば、本当なのねとロレッツァは満面の笑みになった。


「連想ゲームを開催するぞ!」

「・・はあ?私は他者の考えを読めるのだよ!」

 思わず肯定してハッと口を閉じれば、ガラルーダが心得たとばかりに頷く。

「我々にハンデを与えるとそう言いたいのだな」

 メラメラとたぎらせる闘志はもはや止められない。

「それじゃ俺とガラルーダはヒントがみっつ、ウィラサラサ卿はノーヒント」

「頭に浮かべたイメージをヒントみっつでズバリ当てるのだな。いざ勝負だ!」

 美人ハンターが金塊色の巻き毛をブンっと振り払い、金の残滓で目がチカチカする。


「それじゃ俺からね。頭に浮かんだコレなーんだ?」

「芋」

「ぶぶっ、コガネセンガンだ。次ね」

「・・それも芋」

「ぶぶっ、アンノウイモだよ。コレは?」

 『視る』は明瞭にロレッツァのイメージを開示しているのだが、それは形と色こそ違えど芋である。

「全部芋だ!」

「全部違う芋だ。俺はロレッツァ、こいつはガラルーダ、お前はナンタラカンタラウィラサラサ卿だろう。全部『人』じゃ正解じゃない」

 だから俺の圧勝ねと勝利宣言し、待ちかねたぞとガラルーダが青い瞳を見開き迫りくる。


「近づく必要はないよ!これは人で・・」

 『視る』が映すのは、華やかに着飾った貴婦人の肖像画である。

「ズルだ!名だたる著名人ならまだしも、世に万といる只人の名前を知りようもない!」

 するとガラルーダは驚いて、

「只人ではなく名だたる美女だ!まったくそんなことも知らないのか」

 憐れなことだと首を振るから意地になり、『視る』を連発したらウゲッと吐きそうになる。


「わわっ、大丈夫か」

「・・酔った」

「『視る』=酔うっ!?」

 ちょっと待ってろとガサガサゴゾゴゾと二人は縄から抜け出して、ガラルーダは水で冷やしたハンカチを渡す。お縄になるのはいつものことで、縄抜け対策はばっちりだろうと得意気だが、そうならない対策を練るべきだ。


 濡れタオルで顔を冷やすウィラサラサ卿は、ロレッツァの膝を枕にして呟く。

「他者に交わるとロクなことにならない」

「だから永遠の眠りなんて言ったのか?」

「そうだよ。目を閉じれば『視る』ことはない。私にそのつもりがなくても視てしまうのだもの」

 口にすれば憂鬱になって、するとロレッツァが「キュウリはな」と、ハナからタメになりそうもない言葉を切り出す。


「あれは朝早くに収穫するが、ウィラサラサ卿がその能力でキュウリを視たからといって何になるんだ?収穫するのは俺で、恵みを得るのも俺なんだ」

「そのうち、カッパナニサマの里に銅像が建つ予定だ」

 ガラルーダが茶々を入れ、そいつは照れるとロレッツァは鼻高々だ。


「『視る』ばっかりじゃ役に立たないってこと」

「キュウリとは平和だね!『視る』は恐怖や悪意を映すもので、死、秘密、虚言とロクでもないものばかり!役になど立つものかっ」

 この力は感情の起伏に左右され、人は幸より不幸に心を揺らす生き物だ。


 それは努力の末の言葉だろうかと、ガラルーダは厳しく問う。

「しかし稀な能力ほど闇雲な努力は効率が悪い。そこでこいつの出番」

 そう言うとキュウリで頭がいっぱいになったロレッツァの背を叩いた。

「ロレッツァで鍛錬すれば芋の銘柄に詳しくなり、今後の勝負にも役に立つ」

 いい加減なことをとウィラサラサ卿はこぶしを握る。


「私が『視る』ものは死期だ!そんなものをお前は知りたいのかっ」

 そして指先が白くなるほど強く瞳を塞いだ。

「なあウィラサラサ卿、俺のじいちゃんが逝ったとき、人は逝くもんだからどうしようもないってオヤジが言った。どうしようもないことをウィラサラサ卿のせいにするのが間違いで、キュウリがよい手本だよ」

 手本が示唆するものとは何だとガラルーダに翻訳を求めれば、カッパの里に銅像が建つにはキュウリの収穫量が足りないのだと説明し、ますます謎は深まるばかり。


「人の死期をウィラサラサ卿は操れるのか?」

「私は人だよ!『視る』は稀有だが命は神の領域で、介入の権限などあろうはずがない」

「うん、介入できないなら責任を問われることはないだろう?」

「そうとも、私にはどうしようも・・ないのだもの」

 胸のうちに閉じ込めた言葉を口にすれば力が抜けて、そんな私の肩をロレッツァはぐっと握る。

「ウィラサラサ卿、悩むのは宿題の答えだけでいいんだ」

 ・・珍種のネコに何か期待した私がバカである。


「そろそろミッションをはじめるぞ」

 話が終わったと判断するや否や、完遂がモットーのガラルーダは壁の絵画を指差した。

「ラジャ!畑全般が農夫の領域であるように、摩訶不思議は魔法使いの領域だ。行こう、摩訶不思議な空の上と海の底」

「無理だといっている!どんな仕組みが摩訶不思議にあるというんだいっ」

 するとロレッツァはニカッと笑った。

「摩訶不思議の仕組みが知れたらもう不思議じゃない。俺たちに今必要なのは『摩訶不思議』って神頼み」


 -頼むぞ、摩訶不思議ちゃん-

 目をキラキラさせるロレッツァはウィラサラサ卿の手を取って、蒼と青と碧の絵の具がぐるぐると渦巻く名画『ぎりぎりハジでぎりぎりのトコ』へ飛び込んだ。

 すると足下から地面が消えて、ブオッと強い風に煽られギュッと目を閉じる。

 ガラルーダが背を叩いてソロリと顔を上げ、すると体は気流に乗って上昇していくところで、周囲の水滴が氷の礫になって雲が形成しキラキラと光りが散った。

 太陽が真横から差して目が眩めば、ガラルーダがマントで光を遮ったものの、そのゴージャスな金髪は太陽より眩しくて、目はいっそうチカチカだ。


「空の上」


 ロレッツァはヤッホーと叫ぶと耳を澄まし、やまびこが戻らないのは障壁が無い空の一番上だからだと万歳し、頭を下にすると直下降がはじまった。

 風は盾のように強固な抵抗でウィラサラサ卿の頬をキュウリほども長くしようとし、いよいよ首が抜けると思いきや、ドボンと水音を立てて紺青色の海に飛び込んだ。

 浅い海は光が波の白線に沿うように輝き幻想的で、しかし深く深く沈むほどに光は薄れて、やがて沈黙の静寂の中にいる。


「海の底」


 指で海底の砂をさらい、私は未踏の地にいるのだと胸を震わせたのだ・・


 ▽▲


「お帰り、ウィラサラサ卿」

 校長先生の声に顔をあげれば、摩訶不思議な絵画を見上げていて、

「空の上は眩しくて眠れない。海の底は深閑で眠れない。私は人のように眠るのではなく、人だからここで眠るのだ」

 そうかそうかと鼻をすすった校長先生は、ウィラサラサ卿の頭を撫で、ロレッツァとガラルーダにゲンコツを落として涙ぐんだ。


 これは後にサラとなったウィラサラサ卿の大切な大切な思い出だ。

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