12 禁書と銀の少年
トンガリ屋根のおうちに不満があるなら椅子の座面が硬すぎるってことで、イリュージャはこの椅子を『眠気醒ましの椅子』と呼んでいる。眠気と戦わねばならぬ事をするにはこの硬さが最適で、聖書を暗記するロレッツァは、こういう椅子に座ってブツブツ言うものだった。
「私はサラ先生から借りた本を読むからね、黄色」
黄色が知らんぷりをするのは、その内容が気に入らないからだ。
「どれどれ、ハテナ?・・ここは飛ばして次のページ・・何だって?いいや、次。うっ、次の次・・」
古代語が翻訳されたのはずいぶん昔で、11年分の知識しかない私には難解過ぎる。
「優秀な使役魔さん、これ読んで」
「昔々、どんぶらこっこと流れてきた桃をガブリと齧ったおばあさん。桃はただの桃でなく、『桃妖魔ネクタージューズ』の急所の桃尻で、おばあさんは桃団子を拵えて、ちょーだいちょーだいと火精霊と風精霊と水精霊と地精霊が大乱闘になりましたとさ」
「それが嘘だと分かる程度には読めるよ」
「『桃妖魔ネクタージューズ』は、子供に大人気の実話だぞ」
「へえ、じっくりと聞かせてもらおうじゃない」
硬い椅子からヒョイと下りたのは、北の魔女への興味がその程度で、この本が笑いのツボを心得たサラ先生推薦でなければ、とっくに投げ出している。
「話は今度だ。ガラルーダが来たぞ」
鎧嫌いの黄色が影に潜ると、ノックの音がしてガラルーダが入って来た。
「読書ですか。うーん、これは禁書?さてはサラ・・ですね」
ガラルーダは眉間に皺を寄せ、禁書の本を手に取る。
「読んであげましょう」
必要な箇所だけ抜粋しておあげ。
そんな声が聞えたようで、渋々と頁を捲るのだった。
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◇ 始まりの大地
『ふたつ』は妖魔、共に歩み永久の命を得る。
『みっつ』は魔物、共に歩まず無限の命を得る。
『よっつ』は人、姿、奇跡、力の対価は有限の命。
◇ 盤石
創主 『ひとつ』は、今もただひとつのまま。
妖魔 『ふたつ』は、海に山に空に地に種族を増やす。
魔物 『みっつ』は、世界の表裏で息を殺す。
人 『よっつ』は、世界を統べると宣言する。
◇ 大戦
永久凍土にある創主、『ひとつ』
理に繋がれた妖魔、 『ふたつ』
厄災となったる魔物、『みっつ』
世界を統治した人、 『よっつ』
ガラルーダは一気に頁を進めた。
「世界を統べる人は創主を討つべく決起して、『北の最果てを統べるは、』」
パタンと頁が閉じ、渋い表情のロレッツァが本を取り上げる。
「北の最果てを統べるは世界を統べると欲しがりクンは言いました。おしまい」
再び本に封印を施すと、手が届かない棚の上に置く。
「煤を掻きまわした昔語り。信憑性は疑わしい」
「・・煤を掻きまわしてきたから、そんなにバッチイの?」
ロレッツァの顔と服は、煙突掃除でもしてきたような煤まみれだ。
「煤お化けにぎゅっとされたくなきゃ、本の戯言は忘れろ」
「げっ、この服はガラルーダさんに貰ったばかりの新品よ!」
「買収したな!?リッチだぞ、ガラルーダ!」
「褒められてもな」
ロレッツァが家の外で気配を消していたことは承知していたが、このタイミングで踏み込んでくるとは意外だった。
「てぇっ、せっかく桃を持ってきたのに」
抱えた化粧箱には、6つの桃が行儀よく並んでいる。
「あらまあ、本当にガブッと噛みつきたくなるね」
「桃妖魔ネクタージューズハンターの話だな。『歯を大切に8020運動』のイメキャラばあさんだ」
「へえ、著作権収入とは羨ましい。私もそんなふうに暮らしたいよ」
北の魔女への好奇心はそっちのけになり、大きく口を開けると、桃にガブっと噛みついた。
▽
煤まみれの髪を洗うロレッツァは、排水溝に流れていく黒い水に溜息をつく。黄色が鱗をいからせるのは火事と魔物の返り血の臭気が気に喰わないからで、しかしイリュージャはそれに触れようとはしない。
「どこまで気付いているんだろうな」
「それを知ったところで嘘を重ねるだけになる」
着替えを置いたガラルーダは、浴室の扉越しに答えた。
「獣の暴走に遭遇するとは災難だったな」
「火を噴く獣がいるもんか、あれは魔物だ」
任務を終えて帰城する途中、火の手があがる町に気付いて救助に向かった。
その炎が常軌を逸した魔火だと気付くや否や、ロレッツァはある疑念を抱いてイリュージャの家に駆けつけたのだ。
「祝福の地に魔物が出没など不安を煽るだけだ。今回は獣を退けるために火を放った人災で決着した」
しかしロレッツァは何も答えず、ガラルーダは声を潜める。
「お前はイリュージャの、いや銀の関与を疑ったのだな」
町一つを焼き払う魔法の火。そうやってロレッツァの故郷は、銀の一族に滅ぼされたのだ。
「鉄錆の匂いも落とさずにやって来るとは呆れたな。・・頭を冷やせ、全てを灰燼に帰したくなくば」
ダンッと浴室の壁を殴る音に、ガラルーダは嘆息した。
▽
▽
パタン、パタン
機織り機に掛ける糸は紺と青と白、縁起の良い吉祥柄の紋様ほどよく売れるとはリゼの助言で、図柄を含めて情報料は金一枚。
旅立つ人の安全祈願にハンカチを贈る風習は、魔石狩りができない学校生活唯一の収入源で、来たる夏休みに備えてイリュージャは今日も機を織る。
「パッタンパッタン、うるさいっ」
数式に苦戦するカタスミ違いの王子ディファストロは、きいぃと髪をかきむしって怒鳴り声をあげ、イリュージャはフンっと鼻を鳴らした。
「ここは私の家ですよー」
ディファストロがトンガリ屋根のおうちで試験勉強しているのは、そこでユージーンが欠席分の補講をガラルーダから受けているからで、ガラルーダはイリュージャの世話係だからトンガリ屋根のおうちにいるといった事情だ。
礎寮塔で補講のはずだったのに、長湯し過ぎで湯あたりのロレッツァがソファに撃沈し、役に立たないどころかデカくてジャマでしかない。
学校の試験問題は個人のレベルに合わせ、同じ問題は二つと無い。だからこそ通常学力がものをいい、これを怠ければ出題される問題も低レベルとなって、たとえ満点であろうと評価は低レベル、試験直前丸暗記の学習法は使えない。
「『試験日をうっかりしてた、満点はまぐれだよ』と、これぞ王子さまのタシナミ・・」
数式と睨めっこの見栄っ張り王子ディファストロはぶつぶつと呟くが、
「んー、そう」
煩い弟に慣れているユージーンは生返事だ。
「休憩しようよ。洋館からコップを持ってくるね」
「だったら俺も行く。風呂にペンダントを落としたみたい。探し物の礼は生物学の試験問題でどうだ?」
ロレッツァは冷たいタオルを頭に置いて立ち上がる。
「シャラナ先生なら対策済み。”そーゆー生き物デス”って無敵の呪文」
「イリュージャは優秀な生徒であるからな」
胸を張る黄色には申し訳ないが、これは他に使い道のない無敵の呪文なのだ。
▽
浴室をくまなく探したが、ロレッツァのペンダントは見つからない。
「素材は銀。黒ずんで欠けてて、しかも歪んでるペンダントだよね?」
「そうそう。捨てられても仕方ないようなやつ」
そういいながら目を凝らして探している。
「大切なものほど隙間に転がるものよ」
塀の隙間に転がっていった告げ口の魔石が思い出され、ズンと気持ちが落ち込んできた。
「隙間か、この通気孔なんていかにもだな」
クローゼットの通気口をロレッツァが覗きこみ、黄色の毛がブオッと逆立った。
「来るっ!」
そう叫ぶとイリュージャを乗せ浮上し、しかしクローゼットから漂う冷気は扉も窓も凍りつかせて逃げ場はない。そしてこの輝きはまごうことなく銀の魔力だが、イリュージャではない銀だ。
「銀の子供に祝福を」
クローゼットから伸びた銀の枝に立っていたのは銀色の髪と瞳の少年で、背丈ほどの弓を引き絞りイリュージャめがけてヒュッと矢を放った。
黄色の咆哮で屋敷が揺れ、矢は髪を掠めて壁に突き刺る。その隙に珊瑚の角で全身を覆い、七色の鱗を翼に変えた戦闘形態で火の玉をドチューンと口から吐いたではないか。
「ワーオっ」
「気を抜くな。次が来るぞ」
「祝福を」
再び弓矢を構えた銀の少年に黄色は襲いかかり、イリュージャは壁に掛けてあった剣を手に取った。
「醜い『ふたつ』。鎖で穢れた憐れな妖魔」
舞い上がった粉雪が地に落ちて視界が開け、銀の少年の足下に赤い髪が見えてくる。
「ナクラ先生?」
「これも醜い。銀の欠片では一部を通すのに精いっぱい」
氷に広がっていくのは髪でなく出血で、イリュージャから躊躇が消えた。
-銀が命ずる-
「だめだ、あれは同族だからで銀の魔力は効かぬぞ。我の力を使え」
そう言うと黄色が炎をあげた。
「わかった。『我は炎の術者、使役は紅蓮の焔なり』」
渦巻く火柱が氷を覆って矢を溶かし、床に水銀の溜まりが滴る。
「私の勝ち。『銀の茨は真実を暴く』」
茨は胸にぽっかりと穴を開いたが、銀の少年はそれに頓着せず、凍った扉の向こうを凝視していた。
「竜がいる」
「ジーンっ、来ちゃだめ!」
叫んだイリュージャから剣を奪い取ったロレッツァが、扉の前に立ち塞がった。
「ガラルーダ、ジーンさまを連れて逃げろ!」
銀の少年が手を伸ばせば凍った扉がギギギと開き、ポッポーと鋭く鳴いたポッポは間一髪でユージーンを鷲掴みに飛翔していく。
「欲深く滑稽」
銀の少年は銀の糸で後を追ったが、宰相サラの祝福を受けたガラルーダの剣に阻まれ、枝はザザッとしなると銀の少年を包んで消えた。
『銀の子供はガシャルに還る』
ロレッツァは氷を粉々に砕いたが、すでに銀の少年の姿はない。
そしてガラルーダがナクラに蘇生を施す間に、割れた氷から古い銀のペンダントを拾うロレッツァに私は気付いていた。
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