7 ナクラ教官と校長先生
「毒見は要らない。ディファ、結界を解くんだ」
ユージーンの戒めがディファストロの魔力を揺らした隙に、ガラルーダは肩を捻じ入れ路を開き、ロレッツァがスライディングするという連携をみせた。しかし立ち上がるのがちょっぴり早かったため、滝の刃で額がぱっくり裂けて、ヒイヒイと悶絶する姿は情けない。
「いってぇ・・。ねえディファさま。ジーンさまは次代王なんだから元気にならないとダメでしょう」
明快な言葉に不安は払拭され、ディファストロはペタンと座りこんだ。
この行き過ぎでやり過ぎの警戒心は、自分の存在がユージーンの命を脅かすと知っているためで、パックリ開いた額はズキズキするが責める気はない。
「ジーンさま。薬の味がアレだけにグイっといきましょう」
ユージーンを腕に抱えて魔女の秘薬を垂らせば、眉間に皺を寄せはしたものの、最後の一滴まで飲みこんだ。
「こりゃ凄い。ハチミツを混ぜてもマズいのに、さすがはサバイバル仕様の舌だ」
ディファストロがよろよろと近寄れば、ロレッツァはひょいと抱えあげユージーンの隣に寝かした。
「後はディファさまに頼みます。水を飲ませて、」
「分かってる!」
「それじゃ汗を拭いて、」
「いつもそうしてる!」
「ワガママ王子がなんとご立派に・・」
褒めたのに怒っていると苦笑する。
ロレッツァの額の布が赤く染まっていき、ディファストロはごめんなさいと呟いた。
「僕に何ができるんだろう?」
殊勝な姿にロレッツァは微笑んで、
「ウチのイリュージャと友達になっ・・」
「待った、ロレッツァ!それはイリュージャの意見を聞いてからがいい!」
ガラルーダは黄金の髪をブンブンと振った。
▽
▽
滝の瀑布をもろに受けたロレッツァの顔は紫色に腫れあがり、ガラルーダの屋敷に泊まって処置を受ける。
「ハハ、イリュージャとディファさまに接点はないと油断したな」
「ああ、魔法対決になるんじゃないかとヒヤヒヤする」
銀の魔女ほどではないが、ディファストロも魔力値は魔導士レベルだ。
「イリュージャは不本意に慣れてるから平気だよ、イデデっ!」
医者が額に触れると椅子から逃げだし、ガラルーダの伸ばした足に躓き転ぶ。
「防具もなしに魔力の滝に飛び込むからだ、座れ」
ガラルーダは魔力軽減を付与したマントを着用していたが、それでも肩に火傷を負った。
「痛いから嫌だ!」
「岩妖魔オイワサーンが街を歩けば治安が乱れるだろう。皆、皿を構えなさい、いちまーい、にまーいと投げて良し!」
「いいもんかっ!」
諦めて治療を受ければ、女性はガラルーダにかかりっきりで、ロレッツァに包帯を巻くのはおじいちゃん先生だ。
「朝食に梨が無かったな」
ロレッツァの好物は梨だが、旬はもう少し先である。
「粒揃いのいちごは絶品だったし、太陽が昇ってから起きたのは数年ぶり。礼拝は週一だが朝は収穫出荷と畜舎の世話。昼は粉ひきと診療所の手伝いであっという間に夜がきて、迷える仔羊の懺悔は予約制だ」
予約日までに自力解決し、懺悔か世間話かともかく解決して何よりである。
「鳥が卵を産まないのは齢のせいで、もぐらは罠をかけたから安心。ああ幸せ」
「地剣の覇者ロレッツァがずいぶん平和なことだ」
「平和な世で需要が無いからな。平和だと痴話喧嘩が増えるって知ってるか?」
「夫婦喧嘩か?」
「夫婦だけじゃないのよ。嫁姑、子供同士に犬猫まで諭してるんだ」
いくら神仕えでも、犬猫に説法は通じないぞとガラルーダは冷静だ。
「城に戻れ、布団も食事も温かい」
ロレッツァの筋肉鎧は頑丈だが寒さに弱く、10年前にガラルーダから貰った高性能防寒着は、擦り切れた今でも愛用している。
「寒いのは嫌だよな。ノルム出兵時、本隊のお前には焚き火があったが、同じ部隊長の俺は灯りも無かった」
「お前は潜伏部隊長だろう」
「寒いし、暗いし、潜伏しっぱなしだし」
寒さが絡むと、過去の恨みつらみまで甦る生粋の寒がりだ。
「うちの農場は市場相場の目安なんだよ。養鶏500羽の卵、牛30頭と山羊15頭の搾乳、麦は二毛作で野菜は四半期ごと、果樹の剪定、新梢管理、摘果、そして収穫と出荷だ」
「教会農園の規模じゃない」
「維持にはカツカツだよ?」
きっと流通の段階でカモられているのだろう。
「市場が荒れて卵と乳が買い控えになったら、子供の成長が阻害されるしなあ」
「不安定な情勢に勝る理由にはならない」
「それはそれ。健康に育つことだって大事だろう」
魔力が原因で虐げられてきた子供が、喉を鳴らして乳を飲むんだと目を細める。
「・・わかったよ。乳と卵市場の価格動向を調査し、変動分は慈善事業として介入しよう」
「へへ、さすがガラルーダ」
「イリュージャを育てた乳への恩返しだ」
「あの子は牛乳アレルギーで、大豆が乳代わりだったな」
「大豆市場にも恩返しの介入が必要か」
考えておこうとガラルーダは眉間を揉みながら登城を促す。
「俺は家に戻って服を着替えてから向かうよ」
「用意した服のサイズが合わなかったか?」
「そうじゃないけど。なんかさ、これって発表会の衣装みたいなんだもん」
貴族標準の胸元と袖元のフリルをヒラヒラ振るロレッツァに、ガラルーダは頭が痛くなった。
▽
▽
ここは魔法学校教員塔。生物学教授シャラナ先生は、黄色を一目見たあの日からもう二日も悩んでいた。
「あの生き物を私の眼鏡で表現したいものです」
一日に数十本の眼鏡を替える彼の棚は眼鏡で埋め尽くされ、今日はどれとどれとどれ(以下省略)と選んでいると、高く本を積んで運ぶ男が扉を蹴って入ってくる。
「はい、ドサッ」
「ナクラ教官。ノックをしたまえ」
「トントントン」
「誰だね?ナクラか、入りたまえ」
これはいつものことで、褐色の肌と赤い髪と瞳のナクラ教官は動じない。
「なんで俺がアンタの荷物を運ばなきゃなんないんですかね?」
「私は賢いが力がなく、君は賢くはないが力があるからだ。実に合理的だろう」
なぜ分からない?と首を傾げた。
「ナクラ教官。深淵とは移ろいやすく不確かなものである」
「アンタの荷物を俺が運ぶ理由と、どこで繋がるんです?」
「まさか!繋がるものかね」
口端が痙攣するナクラの後ろから、校長先生がひょいと顔を出した。
「おや、指導中だったかね?」
「校長。ボンクラナクラの指導には割増賃金を請求致します。しかしご安心あれ、考えていたのはメガネのデザインです」
「ふおっふおっ、今週に入って何本目かのう?」
「21本目ですな。今回は秀逸ですぞ。新入生の妖魔にそういう生き物がおりましてね、くっくく」
「銀の女の子の使役魔でしょう?こんなのに目を付けられるなんて可哀想に」
入学式で黄色い妖魔を見た日から、ちょっかいを掛けるだろうとナクラは同情していた。
「角が珊瑚でして、あれはフレームに良いものです」
「ほうほう、フレームに良い」
「擦れてイガイガ、お肌が大惨事になりそう」
「そして暗七色のレンズは洒落オツですぞ」
「ふむふむ、洒落オツぞ」
「レンズが暗くちゃ、前が見えないんじゃないかな」
「ナクラ。黙っていたまえ!」
シャラナは机にあるペンを投げつけたが、実技担当のナクラは難なく躱す。
「校長、用事があったのでは?」
「おお、そうじゃ」
話がメガネから逸れ、校長は無の境地から戻ってきたようだ。
「使役をもつ生徒全員に対し、実地訓練がカリキュラムに追加となった」
「今頃になって?」
使役魔の暴走で大怪我をする生徒が続出し、実地訓練が議題になったのはもう数年前だ。
「ナクラは頭ばかりか勘も悪いことだな」
4本目の眼鏡に替えたシャラナはやれやれと首を竦める。
「痴情のもつれが原因の使役魔合戦など、愉快なだけで上が取り合うものかね」
「俺は愉快じゃなかったよ」
妖魔使いのナクラは使役魔の危機管理責任者であり、毎年のことだが対処に相当な時間を割いている。
討伐なら容易いが、ダメージを受けた使役魔は契約者から過剰な魔力を摂取して命を危険に晒す。そうならないよう諌めるか、それでダメなら強制的に契約を破棄せねばならない。
シャラナも妖魔使いだが彼は使役魔の運行管理責任者で、口は出しても手は出さないおいしいポジションだ。
「聞き給え、ボンクラナクラ。私はキミのようなボンクラどもを卒業させるのに忙しい。しかし今回ばかりは協力を惜しみません」
「うむ。ディファストロさまのリヴァイアサンと、イデア・イリュージャの黄色い妖魔は警戒せねばな」
ディファストロがイリュージャに興味を示し、黄色を警戒するリヴァンがいつ成体するやもしれない。その時に未知の黄色がどう反応するか予測もつかないのだ。
「おお、黄色!なんと抜群のネーミングセンス。これ以上ふさわしい名はありません」
「そのまんまじゃん。アンタは黙っててください、口にメガネを詰めますよ」
しかしメガネに手が届かず、代わりにメガネ拭きを口に押し込んだ。
「ここ数年において、」
今じゃとばかりに、校長は堰を切って話し出す。
「リヴァンはディファストロさまが自ら使役した妖魔であるから契約に忠実だが、昨今は第三者が介入する使役契約が散見される」
メガネ拭きをムシャムシャと咀嚼していたシャラナは、噛みごたえがよろしくないと、棚のメガネ拭きカタログをテーブルにドンと開いた。
「息するように話を遮るとはもはや才能。ハイハイ、カタログは後!」
「キミと違って優れた私は同時に二つを行えるのだ。メガネを拭きながら授業だって可能である」
「俺だって可能だよ!」
うっかり相手をしてしまい、思うツボだと背中を向けた。
「第三者によって飼い馴らされた妖魔の流通を危惧されているのですか?」
「そうじゃ。使役魔は力の象徴であるからの。学び舎に王族がいれば、目を惹こうと使役魔を調達するのは今も昔も変わらぬ」
「ですが、妖魔が契約以外に服従するはずがない」
双方に利があるからこその使役だと、妖魔使いのナクラは首を振った。
「やれやれ、ボンクラナクラ。メガネを直したまえ」
「かけてねぇ!」
またしてもシャラナの思うツボ。
「ズルさは生き物である証。大いに結構!」
「校長、バカがうつります。俺の執務室で話しましょう」
「ナクラ、君のバカはカバにしかうつらない。聞きなさい。耳を6つ開いて聞きなさい」
6つもあるのは魔物でも希少だが、話を進めるためにグッと堪える。
「妖魔は賢くズルい。やがて摂理が帳尻を合わす時を待つのは、命に限りがない奴らに有益な手だがね。しかしナクラ、キミの脳ミソでは知恵熱が出るから理解せずともよろしい」
なんで一言多いんだと引き攣るナクラを校長は宥めた。
「使役魔に与える魔力は契約者の裁量によるが、第三者が介入する使役は単なる魔力の紐づけで、我々が考える使役契約とは異なるものと思うてよい」
痴情のもつれで制御不能になるなどそのせいで、行き過ぎの対価は命か魂だが、これが正しき契約の使役であれば、契約者を窮地に追い込むことはあり得ないのだ。
「ナクラは実技に於いて力量を見極め、相応でないと判断すれば剥がしてよい。シャラナには補佐を頼むぞ。ガラルーダとロレッツァへ要請がいるかね?」
「うげげっ」
シャラナはウゲゲウゲゲと歌った後にキラリとメガネを光らせた。
「知っているかね、ナクラ。私が学会で発表した新生物『人妖』とは、あやつらのことであーるっ」
「マジなの!?うう、知りたくなかった・・」
ナクラが頭を抱える隣で、論文を絶賛した校長はガクッとうなだれたのであった。
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