――おとぎばなし B――
――おとぎばなし B――(1)
「で、お前が洗脳したその素晴らしい国とやらはどこにあるのですか。この野郎」
華美な人形に肩車された少女――ベラドンナは疑わしげに吐き捨てました。
人形は彼女を両腕でがっちりと支えながら、背中には旅の支度がつまったバックパックを背負い、前には森で採ったお菓子の実がたっぷり入った籠を抱えていました。まるで、パシりに使われているいじめられっ子のような風体です。
「うーん、確かにここにあったはずなんだけどなあ。でも、前に来た時はこんなに綺麗じゃなかったから、やっぱり間違えてしまったのかもねえ」
宝物を見つけたような歓喜に満ちた声でモレクが言いました。
彼の前には、水晶のように澄んだ湖が広がっています。
煩わしい虫の声は一デシベルも聞こえません。湖周辺には余計な下草もなく、水面に移った雲が穏やかに流れています。
まさに鑑賞されるためだけにそこに存在しているようでした。
「つまり、私はお前のせいで無駄足を踏んだということですね。全く、無能のせいで私は不幸なのです」
すかさず、ベラドンナが言いました。
相手のせいにできる機会を、彼女は決して見逃さないのです。
「いや、でも中々素晴らしい光景じゃないか。僕は大いに気に入ったよ」
「私はもう疲れたのです。一歩も動きたくないのです」
ベラドンナが人形の頭に顎をのせて気だるそうに言いました。
もっとも、ベラドンナは外に出てから一歩も動いていないのですが。
「そうだね。君の言う通り、ここでお昼ご飯を食べようか」
モレクは瞬時にベラドンナの言葉を翻訳してやりました。
彼には人が嫌に思っていることは何でもわかるのでした。
「仕方ないので付き合ってやるのです。ほら、さっさと水を汲んでくるのです」
ベラドンナが人形のこめかみを小突いて命令しました。
「わかったよ。ハニー」
人形は荷物を素早く地面に降ろすと、湖に向かっていきました。
ベラドンナを頭の上にのせながらしゃがみ込み、右腕を湖に突っ込みました。五指が第二関節のところでぽっきり折れて、湖の水を吸い込み始めます。
「ハニー。残念ながら、この水は飲めないよ。セリチレル飽和水溶液――A級の毒水だ。揮発性はないから、空気汚染は心配ないけれど」
人形は肩をすくめて言いました。
「うるさいのです! 何のためお前に『無垢なる毒見役のエメラルド』で造った肝臓を与えてやったと思っているのですか! とっとと浄化するのです」
ベラドンナは人形の鼻に人差し指と中指突っ込んで、思いっきり引っ張りあげます。
「もちろんだよ。ハニー」
ふがふがした声になりながら、人形はさっそく作業を始めました。
半透明に透けた彼の身体の中に水が満ちて行きます。もちろん、出口は一つしかありません。
「できたよ。ハニー」
やがて人形は股間から、透明の液体の入ったビンを取り出しました。
「次はあっちのお菓子を解毒するのです。言われてからやっている様じゃ、『恋人』として二流なのですよ!」
「気分を悪くさせてごめんよ」
人形は心底申し訳なさそうに頭を下げて、荷物のところに舞い戻ると、籠の果物を口に含みます。
その光景をモレクは、神が降臨した時のような歓喜の表情で見守っていました。
「何じろじろ見ているんですか。変質者。あげませんよ。私のものは私のもの、恋人のものは私のもの。ぶどう一粒たりとて、モレクにくれてやるご飯はないのです」
「いらないよ。気持ち悪いし」
モレクはばっさり切り捨てて、燕尾服の内ポケットから、長方形のブロックを取り出しました。やおら、それを頬張ります。
無味乾燥な携帯食料も、彼が食べると高級な宮廷料理のように見えてくるから不思議です。
「き、気持ち悪くないのです。解毒率は99.999%、加えて腸内熟成により、風味が増す、完璧で衛生的なシステムなのです。また、私を最悪な気分にさせましたね、モレク。全く、凡人の合理性の無さにはあきれ果てるばかりなのです」
人形が『処理』したチョコレートバナナを頬張りながら、ベラドンナは忌々しげに地面に唾を吐き出しました。
頬が染まっているように見えるのは、きっと気のせいです。
「ああ、合理性で思い出した。やっぱり僕が言っていた国はここで間違いないよ。今は滅びてしまったみたいだけど。きっと、さっきの砂漠から毒薬が飛んできて、湖が汚染されて、食糧の虫が枯渇したせいだろう」
友達と興じていたジェンガが崩れたような調子で、モレクが言いました。
「何を馬鹿なことをいってるんですか。このうすのろモレクは。砂漠からここまで、飛んでくる砂糖は全体の一パーセントにも満たないのです。砂漠全体の量から言えば、存在しないと言ってもいいくらいです。一人の人間が散布した毒薬が、都合よく全部この湖に集まってくる訳がないのです。どうせ、どっかのアホが邪魔になった毒薬をここに大量投棄したに違いないのです」
「砂糖に比べて、セリチレルの固体は比重が軽い。砂糖よりも風に飛ばされやすいから、君が考えているよりも多くが、この湖に沈殿していると思うよ」
モレクは携帯食料の包み紙を湖に向かって投げ入れながら言いました。
「それでも、一人が撒いた毒薬では絶対量が足りないのです」
ベラドンナは剥いたバナナの皮を、ゴミ箱にするがごとく人形の口に突っ込みました。
「どうして、毒薬を撒いたのが一人だと言い切れるんだい? いつの時代にも悪意を持った人間は一定数いる。毎年、何人かが砂漠に毒を撒き、それが風に流されて、徐々に湖に蓄積していったと考える方が自然だ。いわば悪意の貯金だね。もっとも、毒薬を撒いた本人が望んだ形では芽を出さなかったわけだが」
モレクは地面に寝転がり、気持ち良さそうに目を閉じました。
「ふふん。探偵気取りですか。全く、馬鹿なモレクの推論を聞かされて、私は不幸なのです。もし、徐々に蓄積されていったのなら、この国の人間が滅亡するはずがないのです。モレクはここを合理的な人間が住む国だと言っていました。もし、モレクの仮定が正しいとして、合理的な人間なら、徐々に水質が変化していることに気づいて、早々に原因を突き止めたはずです。もちろん、湖全体を解毒する技術をこの『世界』の住人は持ち合わせていない。それなら、国を放棄する選択をしたはずです。だとすれば、他の人間が居住可能な区域にコミュニティを形成しているはず。しかし、ここまでの旅の中で、一度も合理的な人間には出会わなかったではないですか」
ベラドンナは水の入ったビンを乱暴に傾け、口の端からこぼしまくりながら飲み下します。
「そうだね。いなかった」
モレクはベラドンナの言葉に素直に頷きます。
「ほらみるのです。だとすれば、私の論が正しいに違いないのです。毒薬は一日の内に大量投棄され、住民はそれを飲み水として使用し、一瞬の内にコミュニティが維持できないレベルにまで、人が死んだに違いないのです! ああ、その瞬間に立ち会えれば、きっと、良質な絶望と苦しみのココノハが取れたに違いないです。全く、私は運が悪すぎなのです」
ベラドンナは不遇を嘆くように自身の両肩を抱きしめます。
『そうだね。君はいつもただしい』
人形が追従を述べましたが、バナナの皮で口を塞がれているので、二人の耳には届きませんでした。
「そうか……君にはわからないんだな。よしっ!」
モレクははしゃぎながら起き上がり、いたずらっ子のような笑みを浮かべました。
「じゃあ、僕と君は、今日ここでお別れしよう。合理的に考えて、君は僕にとって必要のない存在だから」
唐突に言われて、ベラドンナは二の句を告げることができずに口をパクパクさせました。
「君がいなければ、僕の旅のスピードは十倍になる。トラブルに巻き込まれる確率は40%低下し、路銀は三分の一でいい。じゃ、そういうことで」
ベラドンナに答える暇も与えず、モレクは走りだしました。
驚異的な跳躍力で、湖を一っ跳び。
お菓子の木々を飛び移りながら、あっという間に姿を消します。
「何をぐずぐずしているんです! さっさと追いかけなさい!」
人形の首を締めながら、ベラドンナは居丈高に命令しました。
「君には僕がいればいいじゃないか」
人形はバナナの皮を吐き出して、嫉妬を滲ませて言いました。
「ちっ」
ベラドンナは、舌打ち一つ、人形の両目に指を突っ込んで、脳みその辺りをいじくりまわします。
「『恋人』モード解除、『修羅場』モードに移行し、モレクを追跡せよ」
「リョウカイシマシタ」
人形は急に機械的に切り替わった声で答え、目から七色の光線をほとばしらせます。
その身体が変形して、流線形の船体となり、よくわからない気体を肛門から噴射して大空を音速超えて突き進みます。
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