3 合理性――Are you right? ――(4)


「しかし、エイク。あんなにたくさんあるのだから、一つくらい渡しても支障はないだろう」


 セールが説き伏せるように言う。


「それでは、受け取る訳にはいかないな。正当な理由がないから」


 すぐさま、老人がカップケーキをエイクに押し返してきた。


 少年ががっかりしたように肩を落とす。


「いえ。でも、ある条件を呑んで頂ければ、双方にとって利益のある取引ができると思うわ」


 エイクは家族をざっと見回して微笑んだ。


「ある条件とは? 簡潔にお願いしたい」


 男性が若干、苛立たしそうに言った。


「私は『ココノテ』よ。これ以上の説明が必要かしら?」


 エイクがそう言うと、家族の視線が一斉に少年に集中した。


「つまり、エイクさん。あなたがうちの息子を『処理』してくださる。そういうことですわね」


 女性が確認するように言った。


「ええ。私が彼から生理的嫌悪感、同情などあらゆる『非合理』を奪い、『合理性』を埋め込みます。『非合理』は余所の街では高く売れますから、カップケーキをおまけにつけても私には利益があります。あなた方の息子さんは早くこの国の社会的規範を身に付けることができる上、食糧が手に入ります」


 ディベートをするような早口で、エイクがまくしたてる。


「なるほど、私たちの価値観にそぐう良心的かつ合理的な取引だ。しかし、外の人としては合理的な考えではないな。自らの利益の最大化を図るのが商人だと思っていたよ」


 エイクの言葉の裏にある真意を探るように男性が言う。懸念を示すためにわざと感情を表出させているらしい。


「私は『ココノテ』であって、商人ではないので」


 逆にエイクは一切の感情を封じた声で、さらりと受け流した。


「なるほど。確かに十年前うちに来た『ココノテ』さんも合理的な善人だったと聞いているよ。では、お願いします」


 男が急かすように少年を指さす。


「はい」


 エイクは頷いた。


 少年が怯えた目で、エイクを見つめる。


「おい……エイ――」


 セールが言い終わらない内に、エイクはすでに行動を終えていた。


 どこからともなく取り出した手のひらサイズの白い歯車を、少年の身体の心臓部分に押し込んだ。


 どういう仕組みになっているのか、エイクの手が二の腕部分までずぶずぶと少年の身体に沈んでいく。血が出ることもなく、浴槽の水に手を突っ込んで温度を確かめるような簡単さで。


 少年は一瞬、目の光を失ったきり、後は悲鳴を上げる間もなく、一連の動作をなされるがまま受け入れていた。


 やがて、エイクは腕を引き抜いて、中から絡まった赤色の毛糸の塊を引っ張りだしてくる。


 エイクはその塊を空中に放り投げ、鋏で突き刺した。


 毛糸が音もなく消滅する。


「終わりよ。さ、セール。そのケーキも彼らに差し上げて」


「あ、ああ……」


 セールは手に持ったカップケーキを家族が囲むテーブルの中心に置いた。


「素晴らしく合理的な取引だった。これで、新たな食料が手に入った。それじゃあ、さっき話した通り、一かけらを私が食べて、余剰な食料は父さんが食べることにしよう」


 男性がしたり顔で頷き、意気揚々と提案した。


「そうしましょう」


 女性も頷く。


「では、わしが頂こう」


 老人が手を伸ばす。


「待って」


 少年がその横から、カップケーキをひったくった。


「どうした?」


「なにをするの?」


「お前はもう十分な栄養を摂取したじゃろう」


 決定を翻した少年を咎めるように残りの家族が言う。


「お父さんも、お母さんも、おじいちゃんも、合理的じゃないよ」


 少年が口の端を歪めて、顔を上げた。


「どういうことかしら?」


 エイクは司会進行を務めるような調子で問う。


「このお菓子の賞味期限はあと一か月も先でしょ。これからどんどん食糧事情が悪くなって価値が上がっていくのに、今食べちゃうのはもったいないよ」


 袋に印字された賞味期限を指差して、流暢に言う。


「良く言った。さすがは僕の息子だ。とても合理的な判断だ」


「あなたが立派な合理的な人間になって、お母さんとっても嬉しいわ」


「孫のような人間がいれば、この街も安泰だろう」


 皆が口々に少年を称え、頭を撫でる。


 少年は、誇らしげに胸を張り、再び口を開いた。


「後、さっき、お父さんがおじいちゃんにちょっとでもご飯をあげたのは間違いだったね。餓死してくれた方が食い扶持が減って有利だったのに。おじいちゃんはもう働けない役立たずなんだから」


                 *


 用件を済ますとエイクはすぐにホテルへと取って返した。


「しばらく、ここにとどまることにしたわ」


 自ら商品であるお菓子を袋に詰めながら、エイクが愉快そうに呟いた。


「俺は嫌だ。早くここから離れたい」


 セールはベッドに腰かけて、頭を抱えている。


「だめよ。ちょっと待っていれば、お菓子の値がかなりつりあがるはずだから。あの家族が、合理的な食料確保の方法として宣伝してくれるはずだし」


「エイクは、『はさみとぎ』を追っているのだろう。急ぎの旅なのではないか?」


 セールは、合理的説得を試みる。


「急いでいるわ。だけど、追跡するのに一番重要なことは、『はさみとぎ』の行った方向を見失わないこと。情報収集には蓄えが必要なの」


 エイクは袋の口を縛り、肩に背負う。


「しかし、俺はもう彼らを見ていられない」


 セールはうなだれて首を振った。


「……じゃあ、寝てなさい。寝るのは得意でしょ? ずっと砂漠でそうしていたんだから。この国を出て行く時なったら起こしてあげるわ」


「しかし――」


 セールは口ごもる。


 手伝うと約束した以上、その取り決めは破りたくない。


「私はこれから、街中のまだ『処置』を受けていない子供たちの所を周るつもりなの。セールはそれでも来たい?」


 その声はこちらを案じているというよりは、仕事を邪魔される可能性を懸念している、そんな声色だった。


「……遠慮する」


 セールはため息一つ、ベッドに身体を投げ出した。


『そう。それが合理的だ。繊細なガラスの瞳には厳しすぎるだろう。自らの痛みから逃げてはならないが、無理して他人の痛みを抱え込む必要はない』


 鋏が一人でに動き出し、壁に器用に文字を彫り出した。


 エイクが、ゆっくりセールに歩みよってくると、その顔に手を伸ばしてくる。


 その白い指先が、蛍石の瞼に触れる。


 セールは自分では、目を閉じることも眠りにつくことができないのだ。


 闇がやってきた。


 セールの瞼に『恋人』の面影が浮かぶ。


『どうか、彼女が合理的な人間でありませんように』


 自分の身体のどこにあるかもわからない心の中で、セールは祈った。


 もし彼女が合理的な人間なら、自分なぞ捨ててもっと良い恋人を造ってしまうかもしれない。


 そんな不安に襲われたから。


 眠気はなかった。


 ただ、電灯のスイッチを切るように、意識は唐突に途切れた。


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