散文
日暮ひねもす
その一 救いについて
救われたい、といつからかずっと願っている。昔は幸せになりたい、だった。それがいつの間にか救われたいと願うようになった。大丈夫だと言われたい。いつも先の見えない、苦しみという名の水の底にいる。水面に、首だけでも出して呼吸がしたい。それが救われたいと願う気持ちだ。少しでいいから。陸に上がりたいなんて思わないから、呼吸だけでもさせて欲しいのだ。
人を救う言葉がある。歌や、絵でもいい。創作物には人を救う力がある。ただ、救いの手を差し伸べるだけで人は救われない。受け取る側の感受性が本質なのだと思う。万物を救える言葉などない。救われた、と思える自分の力が自分を救っているのだ。
言葉を読み、想像し、自分の経験や価値観と見比べて、砕いて、飲み込む。吸収された言葉が自分を形作って、生きる糧になる。どこかの瞬間に自分が食べた言葉の味を思い出す。自分の血肉になった作品は、未だ自分の身体をめぐっている。
最後に自分自身を救えるのは自分しかいない、と思う。気の持ちようとも言えるが、救われるにも意志が必要だから。もちろん、きっかけや環境を整えることはできる。
私は、自分が救われるためにしか文字を書くことはない。今や、過去や、未来の自分の苦しみを昇華してやれるような言葉だけを書きたい。感情を整理し、創作物という虚構に落とし込む。こうあればよかった、こうなりたかった、こうしなかった自分の選択を、人生を肯定してやりたいのだ。
それを読んで誰かが救われたというなら、それは私の文を読んだあなたの感受性が、あなたを救っているのである。
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