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  • フィンディルさま
    この度は、方角企画を開催して下さり、ありがとうございました!
    感想が更新される度に楽しみに拝読しておりましたが、鋭い分析の数々に、毎回唸らせられておりました。簡単な感想などとはとても呼べない、深い洞察だと思います。
    皆様の多彩な作品を読むのも楽しかったですし、感想交流も参考になりました。
    これほど沢山の作品を読みこみ、感想を書かれたこと、本当にすごいと思います。お疲れさまでした。
    改めまして、素敵な企画に参加させて頂き、本当にありがとうございました!

    作者からの返信

    愛崎さん、ありがとうございました!

    愛崎さんご自身は真北の方だと思っていますが、私は愛崎さんにもスポンジを感じているので(前回も含め)方角企画での経験を刺激にしてくださると嬉しいなあと思っています。
    また企画以外でも縁を続けられたら嬉しいと思っています。
    右手首、お大事にしてくださいね。

  • 今回、二作品で参加しましたが、どちらにも感想をくださりありがとうございました!

    今回も前回同様、拝読した作品には全てコメントを書くことに挑戦しましたが、
    普段読まないジャンルの作品に触れることも多く、楽しませていただきましたし、学びにもなりました。

    企画の運営と感想の執筆、本当にお疲れ様でした。ぜひゆっくり休まれてください。このコメントへの返信も、どうぞお気にせず。

    作者からの返信

    泡沫さん、参加ありがとうございました!

    最後まで積極的な感想交流をしてくださりありがとうございました! 本当に助かりました。
    楽しさと学びを感じてくださったとのこと、嬉しく思います。
    泡沫さんとは企画関係なく仲良くさせていただけたらなと思っています。今後ともよろしくお願いします。

  • 二作目にも感想を下さり、ありがとうございます! 以下、長文失礼いたします。

    昨年参加した際の作品『泡沫』は北北西でしたから、西南西(南がかなり弱いものだとしても)まで来れたのだと感慨深いものがあります。
    この作品は、最初に浮かんだ「視界の隅で〜足蹴にした。」というフレーズを入れたくて始めました。
    考えすぎると意味を込めてしまう気がしたので、考えすぎないようにしながら書き進めていった、という感じです。

    >一文が良い感じに軽くなっていると思います

    言われてみれば、最初の文も口にするとかなり軽いですね。「ころころころころころがって」。
    おそらく、いつもなら「ころころ」を一つ分抜いているはずです。考えすぎないことを意識したからこそ、生まれた表現である気がします。

    >泡沫さん自身も意味を把握していない感覚の集積たる文章のほうが、自分自身が宿っているような気がする

    書き終えてこの作品を読んだ時に感じたのは、「この作品、私は結構好きだな」でした。良くも悪くも私らしい作品のように思えて。その理由が分かり納得しました。

    >泡沫さんは“世界”と“社会”がかなり近いのではないかなという気がします。

    上手く言えないのですが、「現実」を「社会」という名の「世界」だ、と捉えている節が私にはあるので、これは仰る通りではないかと。
    『頭を何度も何度も〜』や『、、。』を読まれたことで、フィンディル様はそのように感じられたのでしょうが、私のことを見抜かれたようですごく恥ずかしいです(笑)。
    西と南がそれだけ、私というものが作品に現れやすい方角である、ということだとは思うのですが。

    >遠くでチャイムが〜

    この部分、私も気に入っているので、取り上げていただき嬉しいです。良い感じに書けた気がしています。


    今回、「南への挑戦を辞める」と宣言したのは、どこかで辞めないとキリがないからです。結果として、南にたどり着けたので満足です。これで目標を達成できなかったらヤバかったですね(笑)。

    >フィンディルとしても、普段の泡沫さんの小説を読んでみたいなという気持ちはあります。

    これは私も感じていました(笑)。変化球ばかり書いて申し訳ないなと。
    ただ、その時書きたいものを書くのが私の基本スタンスであるため、異世界を書いたと思ったらSFを書く、コメディ寄りの作品を書くことさえ時にはあります。普段の作品と言われると難しいです。
    しかし、気づいていないだけで、私らしさはどこかにあるはずなので、企画を通じ作品の方角への理解も深まってきた(はずの)この辺りで、普段の私の作品というものに向き合っても良いのかもしれません。

    南への挑戦は終わりますが、言葉への敬意のお話も興味深く拝読しました。きっと、今後の創作で活用できる時があると思います。
    最後に、重ね重ねになりますが、丁寧なご感想を本当にありがとうございました!

    作者からの返信

    「ころころころころころがって」はとても良い着眼点だと思います。ここに着眼できるのは、泡沫さんにかなり南が伝わっているな~という気がします。
    「ころころころころ」と指が踊った時点でそれが正解なんですよね。それがこの作品としてあるべき姿。そこを後から脳が論理的に「ころころ」が良いのではと考えてそれに従ってしまうと、綴りたい世界からは離れてしまう。
    「ころころ」がいいのか「ころころころころ」がいいのかを決めるのは頭ではなくて指なんですよね。指が「ころころころころ」を選んだのなら、頭が「ころころ」を選んではならない。
    ここが伝わっているのは嬉しいです。

    「この作品、私は結構好きだな」という感覚も南に近しい作品ならではだと思います。
    「自分のなかの〇〇の部分が反映されている」と頭で理解するのではなくて、「何かこの作品、自分だなあ」とぼんやり感じる感じ。
    これは西もそうなんですけど、自分を取り繕っていると西や南は書けないんですよね。自分のなかの〇〇を書こうとか自分のなかの〇〇は隠そうとか自己プロデュースに走ると、満足いくものが書けなくなる。
    良くも悪くも自分が表れている感覚が出るのが、南作品としては良いと思います。
    この感覚、ハマる人はハマるんじゃないかなあと思います。

    変化球とは思いませんでしたよ。いずれも北基準からすると変化球なだけで、泡沫さんの参加作品はそれぞれの方角から見るといずれも直球な作品達です。
    変化球と感じるということは泡沫さんにとっての直球があるということで、ジャンルがどうであっても泡沫さんが直球と感じる作品像が泡沫さんにとっての“普段の作品”なのだと思います。
    私が読んできた泡沫作品は全部直球だったと思います。それぞれの方角の直球。
    なので泡沫さんが直球と感じる作品を読んでみたいなーと思います。

  • この度はたいへんお疲れさまでした。
    改めてお礼を申し上げたくコメントします。
    企画に参加させていただき、フィンディルさんと出会えたこと、たくさんの参加の方々の出会えたことに感謝しています。
    本当にありがとうございました。

    作者からの返信

    ゆげさん、参加ありがとうございました!

    私もゆげさんと出会えたこと、嬉しく思っています。新たな方との出会いが、方角企画の動機のひとつですから。
    今後ともよろしくお願いしますね。


  • 編集済

    今回も、素敵な企画をしてくださって、
    とても嬉しくて、しあわせでした。

    今回は、「~。」というタイトル縛りで、
    最初は、「えっ? どうしよう。自由過ぎる」と思い、
    何を書こうか悩んだのですが、
    いろいろな方角を目指して書いてみたいと思ったり、
    降りてきたので、
    5作も出してしまいました。

    そして、5作も、読んでくださって、
    素晴らし過ぎる感想を書いてくださったこと、
    とてもしあわせな時間でした。

    感想を読ませて頂き、
    思うままに、コメントを書かせて頂きながら、
    他の方への感想も、読ませて頂き、
    今年の冬、カクヨムコンのために書いた1万字以内の短編(真北、エンタメを意識した異世界恋愛ファンタジー)を
    ちょこっと改稿してみたり、
    その作品を読みながら、「、」が多いな……
    と思ったり、でもうまく「、」を減らすことのできない私がいたりして、
    方角企画の感想に書いたコメントのお返事を読ませて頂いてから、
    また考えてみたり、改稿してみようかな、と思う自分がいたりします。

    改稿したらフィン感に出してみようかな?
    と、改稿前に思ったのですが、
    五作も企画に出した後だしな……と思ってみたり、
    方角企画の感想の、コメントへのお返事を読ませて頂いた後に、
    何か、アイデアが浮かぶ可能性もありますし、
    気になることはできるだけ改稿しながら、流れに任せようと思っています。

    ええと、
    他の方の作品を読むのも、作品を書くのも、とても楽しい時間でした。
    楽しいと感じられる素敵な企画に参加させてくださって、
    とても感謝しています。

    ありがとうございました!!

    作者からの返信

    桜庭さん、参加ありがとうございました!

    方角企画について桜庭さんがしあわせな時間と仰っていただけたこと、とても嬉しく思います。
    改稿作、お待ちしていますね。


  • 編集済

    企画の運営とたくさんの感想執筆、ほんとうにお疲れさまでした。
    方角という視点を持つことで書き手としても読み手としても、世界を広げられたような気がします。
    素敵な企画をありがとうございました!

    作者からの返信

    野森さん、参加ありがとうございました!

    方角という考え方が野森さんの今後の創作活動に少しでもプラスになれば幸いです。
    あんまり縛られすぎず、適度に用いてくださればと思います。

  • フィンディルさん、企画の開催をありがとうございました!
    今回もたくさんの学びを得られました。読む方も、書く方も、とても楽しかったです。
    そして、感想の執筆、お疲れさまでございました。どうぞごゆっくりお休みください。

    作者からの返信

    夜桜さん、参加ありがとうございました!

    夜桜さんはスポンジみたいな方なので、これからも良い刺激を吸収しつづけていってくださればと思います。

  • こちらこそ、素晴らしい企画をありがとうございました。こんなにたくさんの感想を書かれるとは、驚きました。本当にお疲れさまでした!

    (ところで、この記事の新着通知が入ってこなかったように思うのですが、たまたまでしょうか? 他の方もそうなら、気付かない方もいるかなあと、少し気になりましたので一応ご報告です)

    作者からの返信

    参加ありがとうございました!

    あー、この記事は途中に挿し入れるように出したので、新着記事扱いされなかったのかもしれませんね。
    まあきちんとした総括をしているわけではありませんし、通知がなくても気づいてくれる人が気づいてくれればそれで良いと思います。

  • そうなんですよねー。ゴリゴリの北エンタメを書きたかったんですが、どうにも上手い題材がなくて。今回の作品はご賢察の通り苦し紛れに放った棒球なんですよ。
    なんとなく創作感性が枯渇してきまいまして。
    ただまあ、参加することに意義があるということで無理やり捻り出しました。
    次はもう少し良質のエンタメに仕上げたいです。

    作者からの返信

    ゆうすけさんは「創作感性が枯渇」と仰っていますが、ここ数年のゆうすけさんの作品の傍から見ているかぎりでは“創作のコミュニケーションツール化”みたいなのを感じています。
    品質を求めて孤独に生産をするための創作というよりも、仲間達と楽しくコミュニケーションをするための創作という印象を受けます。
    本作の少女性癖要素なんかが特にそうで、そこを掘って文字数を割いても特に作品品質が向上するわけではないけれど、すでに仲間内で獲得しているゆうすけさんのキャラクター性を強調する効果は強い。そういうところもあり、コミュニケーションツールとしての小説だなという印象を感じながら読んでいました。
    その理由が「創作感性が枯渇」なのかどうかはゆうすけさんにしかわかりませんが。

    ただ私としては、創作をするなら品質を求めないといけないなんてことはないと思います。仲間達と楽しくコミュニケーションをするために創作をしてもいいじゃないかと思います。
    何のために創作をするのかの目的と理由は個々人の自由ですから。創作仲間との交流が楽しくなって、そちらが最優先になっても何も悪いことではないと思います。
    それでお財布の中身が左右されるわけでもなし、“枯渇”した感性を無理やり潤して苦しむくらいなら、それこそ楽しく楽しめるものを楽しんだもん勝ちです。

    フィン感は基本的に品質を求めることを楽しむための感想なので、フィン感にはあまり合わないスタンスだろうとは思います。
    ただフィン感に合わないからそれがなに? って話でもあります。

  • フィンディルさま。
    こんなエロ作品にまで感想を頂きまして、誠にありがとうございます。

    執筆動機としましては、例のりりちゃんの獄中記的なものが時折ネットに流れてくるのですが、その内容が自己憐憫の連続で、「誰か私を助けて」って感じで、まあ、見てられないんですわ。そして私が注目したのがリリちゃんが貢いでいたホストとそのクラブの経営者も逮捕起訴されてるんですね。
    この人たちは多分、他人の金は自分の金、上手く吸い上げられる奴が賢い奴、逆に貢ぐ奴は馬鹿、みたいに考えているはずなんです。だからりりちゃんも「何で自分がこんな目に遭うの?」という感情しか湧かない。男の方も同じでしょう。こういう人たちは死後地獄に落ちても変わらんでしょう。

    こんな奴らの性根を入れ替えてやれ!!って事ですね。

    リリィのモデルになったのは某エロ漫画に登場するサキュバスです。レミィ、ラミィ、リリィの三姉妹で、上の二人はグラマー美女、三女のリリィはロリ系ですww

    こんなのニッチな作品を知ってる人は少ないと思うし、リリィ(リリー)は欧州の女性名として一般的だし、リリスやアダルトリリーなどの伝説の悪魔にもつながるし、もちろん例のりりちゃんと語感も似てるし、って事で採用しました。

    実は、この作品は長編化を考えていて、今はこの短編を長編の第一章(2万5000字程度)へと書き換え中です。そんな折、こんな貴重なアドバイスを頂きまして、もうどう感謝していいやらわからん位に感謝してます。

    悪魔の作り込みが甘いという指摘、これ、重要だと思いました。
    価値観が達観した人間と大差ないのは、彼女達が千年単位で長生きしているからで、外見よりも精神は古いという設定からなのですが、やはり悪魔特有の価値観を構築した方が断然面白くなりそうです。

    設定では元人間の悪魔リリィと元々悪魔のマダムなのです。この二人の価値観を対比するのが面白いと思います。そして、リリィが悪魔となった経緯や再び人間に戻るエピソードも書くと思うので!!!
    メチャ参考になりました。

    関係ないですが、「メチャを多用する人は語彙力がない」と言われることが多いらしいので、私は敢えて「メチャ」を多用したいと思います。

    この度も参考になるご指摘をたくさんいただきました。
    ありがとうございます。
    メチャ感謝しています!!

    作者からの返信

    参考になる指摘ができていたようでメチャ嬉しいです。

    感想中でも書きましたけど、特にエンタメにおいて時事や風刺を扱う場合には時事や風刺以外のところに注力すると時事エンタメ・風刺エンタメとして映えやすくなるだろうと思います。
    ちゃんとエンタメ作品として面白いというのが土台にあることで、時事や風刺の作品的説得力が付与されるものと思います。北以外では別にそんなことはないのですが、真北エンタメで時事や風刺をするなら。
    なので本作や時事や風刺と直接関係のない悪魔の作りこみができると、作品としてかなり厚みが出ると思います。

    短編ならリリィとマダムの対比は不要でしょうが、長編ならリリィとマダムの対比も取り組む価値があるものと思います。
    またそういう悪魔側の作りこみによって人の業が浮かびあがるようになるとまた良いかもしれませんね。


  • 編集済

    今回も、感想を書いてくださって、ありがとうございました。
    感謝しています。

    >フィンディルは本作を読んだときに「あ、ここで終わりなんだ」といった印象を抱きました。

    最初、藤の話をかこうと思い、おばあさんが浮かびました。

    なので、目的が、
    藤と、おばあさんに出会うことになっていたのです。

    それで、一話に藤が出てきたり、タイトルにも藤が出てきていました。
    ↑が、エンタメ的なのでしょうね。
    伏線と言いますか、先に出しておいた方が分かりやすいと思ってしまったのです。

    でも、読者さんがどう思うか、の視点は、
    なかったと言いますか、気づかなかったのです。
    いつもしていることを、この方が良いという思い込みにより、
    無意識にしていた感じなので。

    おばあさんに会い、話したことで満足をして、
    続きのことは考えていませんでした。
    それと、文字数のことを意識していたのです。

    >エンタメでは「読みやすい」と「続きが気になる」はどちらも一緒くたに推奨されますが、桜庭さんの場合は「読みやすい」は大事として「続きが気になる」はあまり大事でないように思います。「続きが気になる」ような筆致は読者に「つまりエンタメの読書感で読んでもいいんだ」と伝えることになるので、桜庭さんのバランスからは少しだけはみ出るかなあという印象があります。

    最初は、もっと少ない文字数になると思っていたので、
    一話のつもりで、カクヨムに書いていたのです。

    でも長くなったので、なんとなくで2つに分けたと言いますか、
    たぶんクセなのだと思います。
    作品が長い時は、走るシーンで、
    次(2話)に行くという習慣があったので、
    読者さんがどう思うとかは、全く気にしていなかったのだと思います。

    でも、今回、教えて頂きましたので、
    次に書く時は、全体的に(構成や、読者さんがどう思うかなど)、
    もっと考えてみたいなと思いました。

    追記

    わたし、長編とか、カクヨムコン用の短編だと、
    たくさんの人に読んでもらって、喜ばれたいと思うので、
    エンタメを意識して書くことが多くて、
    それで、クセになっているのだろうなと思いました。

    あと、起承転結の結や、オチが苦手なのです。
    たくさん流行りの小説を読んでいるつもりですし(主に異世界恋愛ファンタジー)、
    応募作の時は、小説を書く前に、エンタメ小説の書き方とか調べているのですが、
    結やオチはよく分かっていなかったりするのです。

    でも、エンタメ小説の書き方の細かい情報は頭に入っているようで、
    それで、今回は無意識に使っていたのかなと思いました。
    読者さんが分かるようにしようとしたのかもしれません。
    北北西だと思いながら書いたので。

    「ルリ」は、エンタメのコンテストではないと思ったので、
    好きなようにと言いますか、
    10代の頃に書いた作品が元なので、
    10代の頃に書いた作品の雰囲気で書きました。

    今回も、そんな感じなのです。

    作者からの返信

    桜庭さんがカクヨムで活動するにあたってエンタメを勉強されているのは、作品を読むだけでも伝わってきます。エンタメ的になるよう、ここを工夫しているんだろうななど。
    ただ同時に桜庭さんの適性としては真北エンタメはあまり向いていないというのも伝わってきます。
    桜庭さんは起承転結の結が苦手と仰っていますが、真北エンタメに一定の適性がある人は転結や結は当たり前にこなせるものなんですよね。むしろ転結や結を入れずに作品を仕上げるのが難しいくらい。
    方角企画で北から遠い宣言をしたのにフィンディルに北に近い判断をされてしまうのは、転結を入れてしまっているからというケースが少なくありません。
    それくらい転結や結というのはエンタメにとって当たり前のもの。

    ただその代わり、桜庭さんは北西近辺の高い適性があるとフィンディルは見ています。
    桜庭さんは(転結や結など)エンタメは書こうと思って書けるものではないな難しいなと思われているかもしれませんが、そんな桜庭さんが心の赴くままに綴った作品達は他の人(特にエンタメ畑の人)にとって書こうと思って書けるものではない難しいものだと思います。

    桜庭さんはカクヨムで楽しく活動したり読者を楽しませるために、エンタメというものを学ばれているのだろうと思います。
    その姿勢自体は尊いものなのですが、フィンディルとしては「自分を環境に合わせる努力」よりも「自分に合った環境を探す努力」のほうが近道なんじゃないかと思います。
    桜庭さんには北西近辺の高い適性がありますので、わざわざ適性の低い環境に自分を合わせるよりも、自分の高い適性に環境を合わせるほうが現実的だと思います。

    ただこれは乱暴に投稿場所を変えろとかそういうことではありません。そういうのって大変ですしね。
    実際の行動どうこうではなくて、意識の話。
    「自分に合った環境を探す」のと「自分の立ち位置を作る」のって結構似ているものと思います。環境は変えないが、自分の立ち位置を作る。
    カクヨムはエンタメが幅を利かせている環境ですがエンタメ以外を受けいれる土壌がないのかというと必ずしもそうではないので、「エンタメらしさはないが桜庭らしさはある」という立ち位置を作るのは不可能ではないと思います。
    既にそういう意識を持たれているかもしれませんけどね。

    創作においては自分を無理に変えるのではなく、自分に合った環境を探したり自分らしい立ち位置を作るのが現実的だと私は思います。
    「自分には何が書けないか」ではなく「自分には何が書けるか」を意識してみてそのための向上や成長に励まれると、より楽しいかなと思います。

  • 感想ありがとうございます。

    ―――――――――――――――――――
    まずは本作に対する簡単な解釈を示したいと思います。

    「実習」という言葉から、視点者およびAは大学生と考えるのが一番丸いと判断します。大学院生や卒業して数年の可能性もありますが、概ねこのあたりだろうと思います。

    そして視点者とAは恋人関係や友人関係と考えるのが自然だろうと思います。あるいは一般的なそれらに収まらない、いずれにせよ特別な関係。ただの友人や知りあいにしてはAの、視点者の人生と生活への関与度は高いように見えますので。なお視点者とAの性別についてはどの組みあわせでも解釈可能なようにしているものと思います。
    ―――――――――――――――――――
    冒頭でフィンディルさんの述べられた解釈が作者である私の意図と一致していて、安堵しました。
    特に関係性と性別をいかようにも解釈可能に書いたのは工夫した点だったので、気付いていただけて嬉しく思います。
    本作は傷と愛情について書きたいと考えて執筆しました。
    傷と愛情についてできるだけ純粋な形で書き表したいと考えたとき、少なくとも本作にとって、登場人物の性別を特定したり関係性に名前をつけることはノイズになると感じました。
    登場人物から名前や一人称や、その他性別を連想させる言動を削ぎ落とすことで、あらゆる性別で解釈可能な表現にしたつもりでした。
    彼らの関係性は、名づけないまま定義しないまま、ただひたすら愛情を意味する具体的な行動、相手を思いやる行動を描写することで、読者が好きなように解釈できる余地を作ったつもりでもありました。
    この試みが成功しているのかいないのかは本作における懸念点の一つだったので、感想の冒頭で言及されたことで「さすが」と思うとと同時にある程度安心して読み進めることができました。

    頂戴した感想を読み進め、読み終えてみると、意外なところがないと感じました。これは私個人にとってはいい兆候だと考えています。
    はじめてフィン感に応募してから、自分の思考不足を直したいと常に考えていました。私の場合に限ると、思考不足は必ず作品の粗となって現れるます。これは簡単な感想もふくめればこれまで3回フィンディルさんの感想をいただいて3回とも感じたことでしたから、明確な課題と認識していました。フィンディルさんの思考量は私にとって畏敬の的であり、と同時に追いつき追い抜きたいと考える目標点のひとつでもありました。
    そして小説を書いているときの自分、ふだんの私より賢い私が直観で導き出した答え(文章)の裏に流れている思考を、フィンディルさんに感想で解説される前に自分で読み取り説明できるようになりたい、というのも目標の一つでした。私は推敲する課程で推敲前には考えもつかなかった変更をいくつも経て作品を完成させますが、なぜそのような変更を施したのか、自分では説明できないのが常でした。
    しかし、今作では書いている自分が突如加えた変更について、なぜその変更を加えたのか自分で説明できること、一文一文、一文字一文字に思考を張り巡らせることを課題として強く意識しました。未だフィンディルさんの思考量にも、書いている自分の直観にも完全に追いつけたとは思えませんが、ある程度の達成を示す結果が今回の「意外性のない感想」なのではないかと思います。

    (完全に追いつけていないと感じる理由の一つに、なぜ視点者とAの性別をいかようにも解釈可能なように書いたのか実は最近まで答えが出せていなかった、という事情があります。自分でも謎でしたが、しかし小説を書いているときの私はふだんの私よりずっと賢いと信頼し確信しているので、書いているときの私が思いついたとおり、視点者とAの性別をいずれでも解釈可能なように仕上げました。この書いている自分への信頼は私の長所だろうと考えています)

    指摘された点もすべて想定内でした。西と北の溶接点を見事に言い当てていて見事だと感じました。
    おっしゃるとおり、視点者が話の都合に合わせてあまりにあっさり決意し実行できてしまいすぎていると私も感じたが、視点者の決意と迷いの波や混沌を書くには文字数が足りないとも感じていました。ほかに削れると判断できる部分もなく、また少ない文字数で波や混沌を表現する手法も思いつかなかった、というのが現状です。
    おそらく5,000字で書くにはシーンが多すぎ、書き方が詳細すぎたのだろうと考えています。5,000字という文字量にどれほどの内容がふさわしいかの感覚についても、まだまだ向上の余地があると感じています。前回の参加作品も、伝えたいことを伝わるように改稿したら三倍(15,000字)になってしまったこともあわせて、そう考えています。

    意外なところはほぼないと申し上げましたが、一点だけ意外な点があります。
    ―――――――――――――――――――
    なお昨日の仲違いの内容はわかりませんが、おそらく視点者に原因があるのだろうと思います。それは視点者も自覚しているはずです。そしてAも怒ってこそいますが、それも視点者の一部だと思っているはずです。本当はAは自分から仲直りのアクションを起こしても良かったのでしょうが、怒りの表明と視点者が人と交流をしていくリハビリも込めて、視点者からのアクションを待ったのだろうと思います。視点者から連絡がきた時点で、Aはもう許し、何なら「頑張ったね」と喜ばしく思っているはずです。
    ―――――――――――――――――――
    これは完全に想定していませんでした。
    視点者とAのあいだに起こったことは詳細には設定していませんが、「そして人は人に対するような配慮を神に対してはしないので、そういった態度をとってAを傷つけてしまったのだろうとも想像します。」というフィンディルさんの想像通りの内容を私も想像していたで、なおさら驚きました。
    Aが昨晩のことをどう思っているかについては推測できる材料を作中で書いていないつもりであり、さらにいえば「Aはわりとふつうに怒っている。生きている人間を神様あつかいしたら、いずれそうなる。視点者とAのあいだに起こったことは、いずれ起こるべくして起こったことだ。視点者とAがどうなるかはわからない」と思いながら作者は書きました。
    直裁に申し上げれば、フィンディルさんのAのリハビリ説は言い過ぎではないかと考えます。「Aは許しているとも許していないとも、小説内の描写からは判断できない」というのが妥当ではないか、というのが私の意見です。とはいえもちろん、フィンディルさんの意見も興味深く拝読しました。「Aは許している」と読者が感じるのも、人物の性別や関係性と同じく、本作が持っている余白の一つだと考えています。

    最後になりましたが、本作の人物表現を評価していただいて大変嬉しく思います。
    本作を書いて公開できたこと、視点者やAを書き公開できたこと自体が、私にとってひとつの達成だと捉えています。ですから、作品としてのできばえは頓着するまい、と考えていました。また自分にとって全くなじみのない領域へ踏み出した作品だったので、できばえを測る物差しが自分のなかにはありませんでした。良作なのか凡作なのか、さらには悪作なのか、自分ではとんと判断がつきませんでした。作者にとって意義深い傑作でも、読者にとっては凡作以下というのは創作の場でよくあることです。本作もそうかもしれないなと思いつつ、しかしどう評価されようと作者の私にとっては重要な作品だと信じていよう、と決意し覚悟してから公開しました。フィンディルさんはじめ企画参加者のみなさんに思いのほか楽しんでいただけたのは、望外の喜びというほかありません。

    ありがとうございました。

    作者からの返信

    「性別と関係性をいかようにも解釈可能にする」については、本作に合った良い技術を採用していると思います。
    「性別と関係性をいかようにも解釈可能にする」って、単純に中性的にするとか、何ともいえない関係性にするとかではないんですよね。「性別と関係性をいかようにも解釈可能にする」と「性別と関係性について既存の解釈を排除する」は、一見似ているようで全く違う。
    前者は全ての解釈選択肢を受けいれるよう整備する一方で、後者は既存でない特定の解釈選択肢ひとつに絞るというものです。
    技術的には後者のほうが簡単で、前者のほうが難しい。後者は一定のオリジナリティを発揮した性別・関係性だけを肯定していればいいわけですが、前者は全ての解釈を否定しない整備が必要になるわけで、こちらのほうが考えることは多いだろうと思います。
    そして前者のほうが、本作には合っている。
    後者は作者によるオリジナリティと肯定が入るという点で、世界観と思想が強くなる一方で生活感と卑近さが落ちてしまう傾向があるものと思います。前者は生活感と卑近さが強くなる一方で世界観と思想は落ちる。
    そして本作は生活感と卑近さが重要である一方で、世界観と思想はノイズになりうるので、「性別と関係性について既存の解釈を排除する」ではなく「性別と関係性をいかようにも解釈可能にする」という方針を選んだのは素晴らしいと思います。

    そして久志木さんも仰っていますが性別と関係性を特定してしまうと、そちらを鑑賞のとっかかりにされる確率が増えてしまうので、やはりそれもノイズになる。
    たとえば同性愛を排除しないので同性愛でもいいわけですが、同性愛と特定してしまうと多数の読者が本作を「同性愛の話」として受けとってしまうわけです。仮にそれが肯定的な受け止めであろうと。異性愛でもそう。
    それが創作を取り巻く環境の現状なわけですが、それに対して「性別と関係性について既存の解釈を排除する」ではなく「性別と関係性をいかようにも解釈可能にする」で解決したのはとても良かったと思います。


    指摘も含めて本感想に意外なところがなかったということが、良いことなのか悪いことなのか。これは一概にどうとは言えないだろうなと感じています。
    というのも感想筆者が各感想に費やしている思考量は一定ではないからです。思考量も一定ではないし、文章に落としこまれた内容量も一定ではない。思考や文章の出力は一定ではない。
    考えてみれば当たり前ですが、(“最強の小説”を画一的に押しつけるような感想書きではないかぎり)その小説作品の課題・懸念の突破度に応じたレベルの指摘を提示するのが、感想書きによる指摘の常だからです。
    基本的なところが突破できていない作品・作者に対しては程度を抑えた指摘をするし、高次元の課題・懸念まで行き着いている作品・作者に対しては程度の高い指摘をする。その作品・作者のレベルに合わせた指摘を行う。

    本感想で指摘したことについて、私は「おそらく久志木さんもご自覚されていると思います。それぞれ対策が打たれていますからね。」という文言を入れています。この指摘の本質ってむしろここだと思っています。久志木さんは本感想を「意外性のない感想」と捉えられていますが、そもそも「意外性のない感想」として書かれているのです。
    “「人が西で作品が北」の品質に懸念がある”という指摘自体が本質ではなくて、“「人が西で作品が北」の品質に懸念があると久志木さんも思っているから対策をいくつか入れているようですがその対策は回答としては不十分に見えます”というのが、この指摘の本質であると思います。
    本感想の“「人が西で作品が北」の品質に懸念がある”という指摘の言語化は、フィンディルと久志木さんとのあいだで「こういう懸念があるよね」という確認作業をしているようなものだと思います。もちろんそれが共有されなければそれ自体が指摘となるわけですが、共有された場合には確認作業に過ぎない。
    そのうえで、その懸念に対して示された対策・回答に対しての評価をする。この評価がむしろ本質である。
    1ラリー目にして2ラリー相当のやりとりをしているわけです。

    つまり、本感想に適した思考や文章の出力程度はそこであると私は判断したわけです。
    あなたが今ぶつかって破ろうとしている壁は、ちゃんとぶつかっているし、破る価値があるし、上手く破れていない壁ですよ。ここを感想筆者の認識として明示するのが、本感想の指摘として適切な出力である。し、ここに他者の認識を共有しておくことには感想・指摘としての確かな価値があるものと思います。「あなたが思っていることですが、私もそう思います」と示すことに価値はあると。
    この出力をするだけで本感想には相応の重みが生まれるし、“簡単な感想”程度でこれ以上の出力をする必要もない。そう判断したわけです。
    あるいは、もしぶつかって破ろうとしている姿勢でもって壁を破ったことにしているのであればそれは違うと思いますよ。という柵も置いておこうという意図もあります。

    もし久志木さんがもっともっと本作に思考を傾けて、“「人が西で作品が北」の品質に懸念がある”の壁を見事に破っている、あるいは壁を破れそうである、となれば私ももっと出力を上げるわけです。
    破られた壁をもって本作のさらなる向上を語ることはできませんし、壁を破れそうな有効打を出している人に「破れてないですよ」とだけ言っても仕方ないわけなので。本作をより良くする感想を書こうと思えば、もっと別のことを言う必要が生まれる。3ラリー、4ラリーになる。
    その結果、久志木さんにとって想定外の何かが感想に書かれるかもしれない。書かれないかもしれない。

    なので久志木さんが思考量を増やした結果「意外性のない感想」になったのはその通りだと思いますが、さらに思考量を増やせば「意外性のある感想」になるかもしれない。
    本感想が久志木さんにとって「意外性のない感想」だったのは、「意外性のない感想」でも本感想に十分な重みが確保されると感想筆者が判断したから、というのが割と実際のところだと思います。
    なので「意外性のない感想」が良いことなのか悪いことなのかは一概には言えないだろうなと感じています。
    少なくとも「意外性のある感想」より「意外性のない感想」のほうが常に良い(小説作者はより思考した)、ということはないはずです。「意外性のない感想」より「意外性のある感想」のほうが常に良い(小説作者はより思考した)、ということもありませんけどね。

    ただフィンディルから「意外性のない感想」を得たというサンプルは、久志木さんが創作などを考えるにあたっては何らかの材料になるかもしれませんね。その意味ではプラスかもしれない。


    Aは許しているのか、許していないのか。
    これは別所でやりとりをしたので、ここでは割愛したいと思います。
    仰るとおり、性別や人間性と同じように、ここについてもいかような解釈も否定しない作品姿勢が表れていると考えればいいだろうと思います。特定の解釈を否定するのではなく多様な解釈を肯定することでニュートラルを示している。
    ただ各々の解釈はさておいて作品表現として見た場合には、「怒りの表現」という文言が私の解釈を無意識に「Aは許している」に誘導しているのかもな~という気がします。ここが解釈の小石みたいになっているなと。

    編集済
  • もうまさにフィンディルさんのおっしゃっている通り、タラの芽の収穫を待っているだけの日常です。
    そしてもちろん結果はどんでん返しなんてありませんし誰で想像できますね。
    それがたまたまタラの芽だっただけで、玉葱を育てている人は玉葱の、大葉を育てている人は大葉の、収穫を待っているシーンがあって、そんな日常を切り取っただけです。
    そこに面白みを感じていただいたので嬉しいです。

    >「同じようなことを何度も何度も思考する」の悪い面を抑えるようなアプローチ

    参考にするしないはともかく、心の底から納得です。
    無意識なのかもしれませんが、公募勢のクセみたいなものではないかな、と。
    よく書く子供向けエンタメなんて、飽きはタブーなので。

    とても丁寧な感想と方角にたいする説明をありがとうございました!

    作者からの返信

    えーきちさんが考えられていた勘所を受けとれていたようで良かったです。
    感想中でも述べましたが、数作を経てもっともチューニングがなされた作品だなあという印象があります。
    そしてえーきちさんは創作自体は真北なんですが、生活とか暮らしについては本作のような北北西性があるんじゃないかな~というイメージがあります。
    えーきちさん、趣味性の高い方ですし。

    それを小説作品に落としこむときにエンタメ化工程を挟むので真北になるのですが、その工程を意識的に排除することで北北西になると。
    仰るとおり叙述レベルになると無意識の癖になるので、ここの排除は容易ではありませんが。

  • こちらの作品にもお目通しいただき、また、ご感想いただきありがとうございます……!

    この作品の方角は北西なのですね。私が「内容を分かって、共感いただけなくても良い」と思って書いた作品は北西辺りになることが分かった気がします。

    私は昇華のつもりで書いたのですが、あまりこのような書き方は、私の作品をよく読まれている方には求められていないだろう、という思いがありまして。作中の三谷に、私自身の思いを濃く映した形になりました。昇華したいけれど、それを受け入れてもらうことは難しい。それが分かっていても、どこかで受け入れてもらうことを期待する自分がいる。私の思い込みもあるのかもしれませんが……。

    感想を読ませていただいて、いろいろ考えてみましたが、北西が私の書くことのできる西の果てだろうと思いました。もっと西に向くこと自体はできても、私の書きたい作品ではなくなってしまうのかな、書く意欲がなくなってしまうのかな、と。でも、ご指摘いただいたことはありがたく受け取らせていただきます。

    そんな上で、私が西向き作品を書く場合、「西らしさと北らしさの同居」が正に私に合っているのだろうと思いました。この部分は深く考えてみたいです。

    改めまして、作品を深く読み込んでいただき、ご感想いただきありがとうございました。

    作者からの返信

    西の凄みを出すというのは、もっと西に傾けるということではありませんよ。
    私が本感想で指摘したことは、北西という方角で十分に表現可能なことだろうと思います。北北西でもできると思います。
    「大人しい」というのは西が足りないということではなく、北西・北北西としての面白みをもっと出せるのではということです。
    方角の話をしているのではなくて品質の話をしているのだという意識を持ってくださると嬉しいです。

    起承転結を敷けばエンタメを十分に発揮できたのかというとそうとは限らないように、昇華を経れば西向きを十分に発揮できたのかというとそうとは限りません。
    北を向くことが北のゴールではないのと同じように、北西を向くことは北西のゴールではありません。むしろスタートです。
    果てと満足するには早いんじゃないかなあという気がしました。
    もちろん夜桜さんがどう感じられるか次第ですが。

  •  この度は感想とご指摘、本当にありがとうございました。

    >富士美が同窓会へ参加を決断したことは何らかのかたちで作中で表現する価値のあることとフィンディルは考えます。

     このご指摘を受けて、改めて考えてみると、富士美と砂喜とは年賀状等で交流があり、現在の連絡先を知っている砂喜が久しぶりに会いたいからと同窓会の情報を送ったというのが自然だと思います。
     追加するならばこんな感じでしょうか。

     幹事の高山青次が挨拶するのを聞きながら、富士美はテーブルを囲む元クラスメイトたちを見回し、そっと息を吐いた。
    「同窓会の連絡ありがとう。みんな私のことなんて忘れてるかと思ったけど、思い切って来て良かった」
     富士美は隣でビールを飲む小川砂喜に礼を述べる。

    作者からの返信

    基本的に、指摘を受けて小説作者が考えた具体的な改稿(案)について、フィンディルがさらなる見解を述べることは遠慮しています。
    このラリーがあまりに多くなるとコーチのような関係性になってしまい、小説作者の創作性を確保するのが難しくなってしまうからです。
    本改稿(案)についてもフィンディルが「ここをこうするともっとそれっぽくなるかもですよ」と述べることは可能ですが、そうなると指摘なのか創作協力なのかがあやふやになってしまう懸念があります。
    無責任な態度かもしれませんが、端から(契約などを交わさない)無責任な関係性ですので無責任であることに責任を持ち、他者の一作品に入れこみすぎない距離感を保ちたいと思います。

    そもそも二か月ごしの返信なので本改稿(案)に対するフィンディルのリアクションは期待されていないと思いますが、こういうことでよろしくお願いします。

  • わあ…すごいです。
    この度はありがとうございます。
    すごく的確に足りない部分を突いてくださっていて、指摘でありながらとてもソフトで、読み込んでくださって本当にありがたく思います。作者にまで気を使っていただいていて恐縮です。
     
    本作は「伝えたいこと」は確かにあるはずなのですが、それが何なのかはっきり分からないうちに衝動的に書いてしまったのだと思いました。感想を読ませていただいて、作者自身にも分からなかったもやもやの輪郭が少し見えてきたような気がします。
    読者の方にはどう解釈していただいても構わないと思っていましたが、届かない理由が作者の表現不足であるならば、改善したいと思いました。

    >そういう表現ができるようになると、本作は“LGBTQを取り扱った作品”というパッケージだけでは消化されない“人と社会を描いた作品”になると思います。

    まさに目指したいのはここなのだと思います。登場人物はトランスジェンダーですが、トランスジェンダーの物語を書きたかったわけではありません。フィンディルさんのおっしゃるように、自分が何を表現したかったのか、もう一度じっくり向き合ってみたいと思います。
     
    また改めて追記させていただきたく思います。長くなると思いますが、もう少しお待ちいただけたらと思います。

    作者からの返信

    個人的なやりとりをさせていただきましたのでここでの返信は割愛させてもらいたいと思いますが、目先の研磨に留まらない、ゆげさんの創作および創作人生の本質的な気づきと前進に寄与できていたならば嬉しく思います。

  • 感想を書いてくださってありがとうございます。
    東の方角を意識したものを書こうとして思いついた表現だったので、東の面白さが出ていたようで嬉しいです。

    漢字だけで絵っぽく配置して表現したら面白そう、ってノリくらいだったのを、こうして丁寧に分析してくださって恐縮です。おぉ……!となりました。

    挙げていただいた点は、わかりやすい話で書く、は意識していたのですが、コミカルさが、そういう効果を出すのか、とびっくりしました。
    指摘箇所は、自分でも何かまだできそうだけど、すぐ思いつかないからまあいっか、でやめてしまったところなので、「ですよねー」って感じです。

    あと気を付けているんですが、誤字で「―」が混ざってるあたりが……。ほんと落ち着きがなくてすみません。

    今回、たくさん面白がってくださるコメントがあって嬉しかったのですが、方角企画だったからこそだと思いました。
    改めて方角で面白みを表現する方法は素敵だなと、創作の広がりを感じました。

    大変だとは思いますが、方角企画を開いてくださってありがとうございます。感想もありがとうございました。

    作者からの返信

    感想中でも述べましたが、本作は「見た目のインパクトに比して、やっていることは大人しい」東作品だと思います。
    手法を最優先にして作品を組んでいるところは東的ですが、手法そのものはかなり大人しいと思います。東好きからすると満腹感を得られるものではない。
    それだけに、書く側も読む側もとっかかりやすい、両者にとって入門的な作品だったと思います。評判の良さがそれを物語っていますね。

    なので思いきってみた竹神さんも、面白がった読者も、本作で肩まで浸かったと思わずに、まだまだ突き詰めてみてほしいなという気持ちはあります。
    もちろんどうするかは自由ですけどね。

    とはいえ「やってみっか!」の姿勢は竹神さんはお持ちだと思いますし、そこが竹神さんの魅力のひとつだと思いますので、西も東も北も「やってみっか!」で今後も楽しんでくださればと思います。
    それに対しての冷静な評価は(機会を与えてくださるなら)フィンディルが行いますので。


  • 編集済

    フィンディルさん、感想をありがとうございました。
    書いてよかったなと思いました。
    「細かいところ」は、以前指摘されてから気を付けるようになってはいたのですが、今回やっと「細かいところもほとんど気になりませんでした。」とおっしゃっていただけ、課題としていたので、とても嬉しかったです。
    数作、断続的に読んでいただいた結果としての進歩なので、長期間にわたって感想を書いていただいたのが、すごく良かったと思います。
    私はプロとして出版もしましたが、出版で得られるのとはまた別のものをフィンディルさんの感想では得られ、本当にありがたかったです。

    今回は「“正解”を用意するステージは卒業するころなのかもしれませんね。」という言葉が印象的でした。たしかにそうですね。
    思いがけず多くの方から様々な(しかもけっこう長いものが多かった)、率直な感想をいただいた本作でしたが、心に触れる作品を書くとこういうことが起こるのだなと、勉強になりました。

    エンタメ的な読んで楽しい作品を書きたいですけども、あざといのは好きではなく、そこが商業作品とうまくかみ合っていない部分かも知れませんが、それもまた私の個性だと思うので、今回のような感触のある作品を書いていくのを今後の目標としたいと思います。

    航と亜希は、リアルなモデルがいるのですけども、ご指摘いただいて、私っぽい雑さで作品に加えてしまったように思いました。そのあたりの扱いというか、作品の繊細さに寄せてキャラクターをコントロールするというか、全体を整えていけるようになればと思います。
    ぼんやりとですが、なんとなく今後の方向性の一つが見えてきたように思います。

    企画の開催とご感想、大変ありがとうございました!

    作者からの返信

    今回は「簡単な感想」で細かいところをチェックする虫の目になっていないので気にならなかっただけかもしれませんけどね。
    それでも私は割と気づくほうだと自認しているのですが、本作は気にならなかったですね。むしろ梱包の感じとか、細かいところの良さが出てました。
    大きいところを向上改善するのに負けないくらい、細かいところを向上改善するのは難しいと思っているのですが、本作に関していえばすごく向上改善していると思います。
    オレンジ11さんの創作では細かいところの重要度が高いので、とても大事な成長だと思います。

    種類は問いませんが、相談事をされたときに全員の回答が一致することってまずないと思うんですよね。
    極端なケースなら別ですが、大体の場合は相談を受けた人によって回答は変わるものと思います。
    関係性が浅いならば相談者が欲しがっている回答を与えたりもするでしょうが、深い仲ならばもっと本気の回答をして、それだけに回答は割れるだろうと。
    物語の場合は登場人物に気を遣う必要がないので本気めの回答(感想)が集まって割れやすいんですけど。

    なので感想が割れるということは、相談事程度のリアリティがあるということなんですよね。
    これが真北エンタメの勧善懲悪なら(穿った人以外は)感想が一致するわけですけども、素直な受け止めをしたうえで感想が割れるということは、本作には人生が滲んでいるということだと思います。
    「作品そのものへの否定はない賛否両論」は、北北西・北西くらいの作品に対するリアクションとしてはひとつの理想だと思います。真北だと(想定している読ませ方ができていないという意味で)あまり良くないんですけどね。
    読まれ方をどう評価するのかにも、方角は絡んでくるなあと思います。

    あとモデルがいることについては「実際にモデルがいるんだし」を理由にしてしまうところに注意が必要だなと思います。
    実際にモデルがいるんだし、実際にこうしたんだし、それをそのまま作品に入れても何も問題ないだろう。という落とし穴というか。
    実際にあろうがなかろうが、それを作品にその形で入れる判断をしたのは作者ですから、その評価を背負うのはやはり作者だろうと。その事実をどう選択してどう加工して作品の一部に組みこむかにも、当然ながら作者の技量は出ると。
    事実が品質の保証になるとは限らないということでしょうね。
    そんなことをオレンジ11さんも本感想から感じられたんじゃないかなと思っています。

  • 丁寧な感想、ありがとうございます。
    しっかり指摘してもらえてありがたいです。

    釣り堀の店構えの描写。
    実はここ、私もよくわからなかったところです。近くに釣り堀はないし、
    画像検索しても釣り堀の出入り口の画像というのはなかなか見つかりませんでした。
    イケスやお客さんの画像はあるのですが。
    結局イメージできないまま、こっそり流すことにしてしまったのですが、
    そのあたりの手抜きを見破られてしまった気がしています。お恥ずかしい。

    礼菜の掘り下げ、こちらも、とても勉強になりました。
    登場人物やストーリーに深みを持たせるにはどうするか、
    参考にしていきたいと思います。
    ありがとうございました。

    作者からの返信

    私も読んでて「釣り堀の入口の情景が浮かんでこない」と思ったんですけど、じゃあ「釣り堀の入口ってどんなん?」と自分に問うてみるとよくわかりませんでした。画像検索でも釣り堀のなかしか出てこないので。
    釣り堀の入口がわからないという指摘はしましたが、釣り堀の入口の情景描写って実は難しいんだと思います。

    ただ、だから「釣り堀の入口の場面が出てきますが描写しなくていいよ」とはなかなかならないだろうと思います。
    描写を施すのが難しいなら場面として選択しないとか、もっともっと調査や取材をしてみるとか、それっぽい描写を自身で生みだしてみるとか、とれる方法はあるからです。回避するにしても「描写しない」という回避ではなく「場面にしない」という回避のほうが粗は出にくくなります。

    こういうのって作家あるある、文章書きあるあるだと思うんです。「あれ描写するの難しいよね」というあるある。
    だからこそ他者のそれに触れると、意外とバレやすい。「あ、これ描写するの難しいからということで描写してないな」はバレやすい。
    そのうえで「わかるわかる」で温情を向けられるのか「あるあるだからこそ上手く解決しないとさ」と厳しく見られるかは人それぞれでしょうけども。

    逆に「あれ描写するの難しいよね」を上手く処理している様を見せれば「お、上手く処理してるじゃん!」と玄人を喜ばせやすいともいえます。

    それはそれとして、釣り堀の入口って浮かんでこないですよね。釣り堀常連でもないかぎり。

  • フィンディル様

    大変丁寧なご解説、ご感想、どうもありがとうございます。
    ご指摘の件について、特に「ざまぁみろ」の解釈の件についてはただただ私のブラッシュアップ不足だなと思いました。

    このお話はエッセイではありませんが、うっすらとモデルにした人がおり、その方自身の存在に引っ張られ過ぎてしまい、細かいディティールの荒らに繋がってしまったなと反省している次第です。

    物語の見せ方、というものとより向き合って行かなければならないなと強く感じました。

    この度は大変素晴らしい企画に参加させていただきまして、どうもありがとうございました。精進いたします。

    作者からの返信

    モデルがおありということならば、なおのこと北と西を上手く合わせられなかったということなのだろうと思います。

    モデルに即した事実(史実)を重視するならば西が強くなりますし、事実から作品映えする要素・メッセージを再構築するならば北が強くなって。
    西を重視するのであれば「ざまぁみろ」あたりの構成的仕草は自重することが考えられますし、北を重視するのであれば構成的仕草を重視して事実(史実)に一定の加工を施すことが考えられます。
    基本的に人間はエンタメストーリーを仕上げるために人生を送っているわけではないので、「モデルの事実に即したいけど作品映えもさせたい」という北西併せ持つ要請は高度なバランス処理が求められると思います。

    難しいことをしようとしているんだなという意識があると、回避策をとったり、本腰を入れたりみたいなことができるのかなと思います。

  • 簡単な感想どころか、これ以上の感想を書ける人を知りません。ありがとうございます。あいだに連休がありぼんやりしておりまして、この記事に気づくのが遅くなりました。お詫び申し上げます。

    毎回、洗練とは対極の野蛮な作品を持ち込んで、申し訳ないです(笑)
    違和感の管理は作者に委ねられている部分です。もうすこし作為的に意識しないといけない部分でした。

    >なお一人称が「わたし」と「私」で表記揺れしていますが、さすがにこれはミスかなと判断しています。

    「わたし」と「私たち」のことですね。「わたしたち」と書くともたつくように思えて、いつもこう表記していたのですが、表記揺れに該当するとのこと。意識します。

    違和感①卵
    それを「たまご」と判断した理由が読者目線からは確かに脆弱。そしてその違和感を引きずったままラストに向かう不親切設計。
    「学校で習った恐竜のたまごに似ている」などがあれば良かったのかもしれません。

    違和感②一人称視点なのか三人称視点なのか
    実は、一人称か三人称かの区別を意識したことがありません(エエ~ッ)
    もちろん、ざっくりと一人称、三人称で分けてはおりますが、わたしの愛読する小説家が一人称も三人称も溶け合ったような書き方をしていることもあって、ルール化していないのです。
    作文教室では確実に赤点になる、まさにそのような書き方です。
    これはリーディングをする際に添削の目線で見る方には必ず拾われて指摘を受けるところです。

    違和感③小学生とは思えない
    おっしゃるとおりです。中学生も小学高学年も、女子ならば精神年齢にさほど差はないかと考え、小学生にしましたが、一般的にはもっと幼いイメージですよね。岩波文庫好きの六年生と明記すれば、まだましだったかもしれません。

    作者の気づかない部分まで深堀していただけるので、毎回、「おお~……!」と感動します。
    フィンディルさんの独特な視点がクセになります。
    理路整然、どこから切り取ってもきちんと理由がつくような、すっきりした作品を出さなくて本当に良かったです。
    素晴らしい感想をまことにありがとうございました。

    作者からの返信

    創作スタンスは朝吹さんの自由なのですが、もう少し前のめりになってもいいのかなという印象を受けました。

    フィンディルが挙げた違和感については作為的であろうとなかろうと本作品質に寄与しているわけなのですが、(それが作為的でなかったとして)違和感の内容の是非を咀嚼しても本作にとってはあまり意味はないと思います。
    「引っかからない・引っかかる」と「肯定・否定する」は別の話であって、それぞれ作品ごとに違うわけで、それを作家としての創作スタンスのレベルにまで上げてもお行儀の良い洗練にしかならないだろうと思います。
    フィンディルは本作で一人称視点と三人称視点が区別されていないところに気づいて肯定しているだけであって、朝吹さんという作家が一人称視点と三人称視点を区別されているかどうかは重要視していません。両視点を区別していないことがポジティブ評価になるかネガティブ評価になるかは作品ごとに変わって、本作はポジティブ評価になったのなら、どうして本作ではポジティブ評価になっているのかを掘るほうが楽しいと思います。
    フィンディルが本作で気づいて気になった違和感は基本的に全て肯定していて、それを前提にあれこれ品質について前のめりで述べているので、わざわざ姿勢を正して違和感の内容にフォーカスをあてても収穫は多くない気がします。
    もちろん、フィンディルの前のめりが朝吹さんにとって楽しくなかっただけかもしれませんけどね。その前のめりに付きあう価値がないと朝吹さんが判断されただけかもしれません。

    意識的にそうされているのかもしれませんが、指摘のなかから手の届く栄養を選びとって咀嚼・嚥下をする保守的な技術が身につきすぎているように感じました。
    それは作家としての自身を保持するうえで重要な技術でもあると思いますが、その“こなれ感”をどう評価するのかは注目に値するなと思います。

    「わたし」と「私たち」を意図して分けているなら表記揺れとはいえないと思います。
    これは意図に気づけるレベルの使い分けなので、フィンディルの思考不足でありミスです。ごめんなさい。

  • こんな作品にまで感想をいただいてありがとうございます。

    まず、「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」フォーマットの形骸化……を指摘されていますが、これは半分意図的で半分は放棄(諦めている)です。

    意図的というのは、星子は熱くなって語り始めると止まらないという設定があるので、夢中になった彼女の話がモーターカノンとかスカイクロラに脱線していくんですね。キャラ設定がフォーマットを形骸化してます。
    放棄というのは、そもそもこういった内容の話を写真や図解無しで説明するのは困難です。V型12気筒とか星型9気筒とか言ってもわかる人にはわかるけど、知らない人に言葉だけで説明するのはかなり難しい。そういう理由で、専門的な内容を説明文ではなく会話文で軽く流していく方向にしています。
    要するに「知識を持たない人でも読みやすくするつもりがない」というのはその通りで、「同調装置」「推進式」「モーターカノン」こんなのが実際にある(あった)んだねって、ぼんやりと思っていただければそれでいい感じ。
    そういえば、推進式の震電は最新ゴジラ映画で登場しているので、そこは言及しておけばよかったと反省しています。おそらく、知識が無い人の興味を引く最善策は、こういう映像作品からの引用だと思うんですよ。今回のスカイクロラは少し古くてマイナーだった。

    あとは、星子に悪戯してやろうと狙っていた波里なんですが、それを星子のおしゃべりが粉砕してしまう……ってストーリーも蛇足で付け足してますから、専門的な話がよくわからなくても最後の三行でクスリと笑っていただけたらそれで良し!なので。いい加減でスミマセン。

    貴重な指摘をいただきありがとうございました。







    作者からの返信

    フォーマットを形骸化させるかどうかという点において重要なのは、星子ではなく波里であると考えています。
    語りだすと熱くなって脱線するというキャラ設定はフォーマット維持・形骸化においてさして重要ではなく、重要なのは説明を受ける側である波里だろうと思います。
    波里が「それってどういうこと?」と都度補足の質問をすれば「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」のフォーマットは維持できますし、あるいは波里が「もう別の話になっちゃった」と脱線する星子のキャラ設定を捕まえれば「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」のフォーマットを破壊して別のフォーマット・ストーリーへの移行を明示することもできます。
    ただ波里はわかってる風に相槌を打っていて「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」のフォーマットに沿った風の対応をしているので、「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」のフォーマットが実を伴なっていないのに別のフォーマット・ストーリーへの移行できていない(=形骸化)という指摘をしているわけです。維持も破壊でもできずにただただ形骸化している。
    星子がどうかは重要ではなくて、波里がどうかが重要なのです。

    そのうえで波里が空返事をしている(ちょっかいをかけたかったが、失敗してしまって消化試合のような返事に徹している)ということならば、もっと波里が空返事をしている要素も含めてオチに向けて構成するのが無難だろうと思います。形骸化自体を面白くする工夫ですね。
    「最後の三行でクスリと笑っていただけたらそれで良し」というのは、目標としては低すぎると思います。
    「ちょっかいをかけたかったが、失敗してしまって消化試合のような返事に徹している」面白さを活かすためにできることは、最後の三行だけではないはずです。

    もちろん必要カロリーはぐっと上がるので、(企画参加ということもありますし)どうするかは暗黒星雲さん次第なんですけどね。多作投稿をするうえで個々のクオリティに注力するのは大変ですから。
    ただ「〇〇できればそれで良し」系の緩い目標が、作品から発せられる相応しい目標なのか作者から発せられる不似合いな目標なのかについては見極める価値があるものと考えます。

  • 感想ありがとうございます。
    いつも的確にポイントを押さえていただいて、助かります。

    星を吸う行為が当たり前の行為だと思いきれていない。自覚できていなかったのですが納得の指摘です。
    確かに二回目の描写を書くあたりで、分かりやすいようしっかり書こうとする意識があったように思います。
    それが北向きになるのも、この作品の作り込みとして適切でないのも納得できます。
    「非日常の日常」、頭では分かっているのに書いていると意識しきれないものですね。

    「死んだら星になる」のくだりを上手いと言っていただけたの、うれしいです。
    自分でもうまくつながったと感じたところでした。

    そしてラスト。ここはきっと指摘が来るだろうと思ってました。
    書いてて自分でも何かズレてるなと感じていて、けれどどうズレてるのかが分からなくて、サラッと書いてフィンディルさんの指摘を見ようと思ったところです。
    先の指摘も含めて考えて、無理やりつなげた感が出ているのはこの風景が日常にある登場人物の視点でなく、外側から見ている私から出た言葉だからなのかなと感じます。
    もっと彼の日常をしっかり感じて言葉が出せていれば、また違った言葉にできたのかなと思いますし、今後突き詰められるとおもしろそうな部分だとも思います。

    作者からの返信

    「非日常の日常」ってやっぱり繊細なバランス感覚が求められると思います。
    (二回概要説明をするなど)作品として強調処理を施してしまうと“日常”にはならない。
    かといって(一回の概要説明すら薄っすらにするなど)日常を徹底してしまうと、その非日常の面白みが出てこない。
    「非日常の日常」「日常の非日常」「日常の日常」「非日常の非日常」を要素のオンオフで決定的に隔てられれば扱いやすいのですが、実際は見せ方などの微妙な塩梅で隔てられてくるので、やっぱり難しいと思います。
    作品の基本方針・基本構想だけで明瞭に分かれるものではなく、純粋な執筆技術でも分かれてくるので。

    そういう意味で本作は「非日常の(非)日常」くらいのニュアンスにフィンディルは感じられました。非日常性がやや強すぎた。
    ただ本作で日常性を徹底してしまうと「(非)日常の日常」くらいのニュアンスになってしまうので、そのなかで非日常性と日常性がもっと輝くであろう「非日常の日常」に整えるのはやっぱり技術が求められるなと思います。北西程度の適性が求められるだろうなと思います。
    ただこのあたりの塩梅、雨蕗さんなら面白いと思ってくださるんじゃないかと思っています。

    ラストへの指摘は、私としても「据わりが悪いけど、ぴしっとその理由を言語化しにくいな」と思ったところで割愛しようかどうかを迷ったところでした。
    そのなかで一応の言語化ができたので載せたのですが、フィンディルの反応を期待する箇所だったとのことで割愛しないで良かったなと思います。
    ただ仮に割愛したとしても、雨蕗さんなら本感想を受けてご自身で根っこを掴めただろうなという気もしています。

  • 今回はご感想並び解釈ありがとうございます!

    す、鋭い。的確なご指摘に自分でもびっくりしております。
    このお話、おっしゃる通り勢いで書きました。簡単に縛りにあった「。」(句点)を付ける、に着目してそこから少し意味を調べそこから1、2時間程度で膨らませつつ書き上げたお話です。調子乗ると筆が講談調になるのも「反抗期~呼気」もまさか初見で言い当てられるとは……ご慧眼、凄いです。
    (ちなみに今のところ誰にもご指摘は無かったんですが、句点はなき。の部分、何故はなき、にしたかと言うと句点「はなき=花樹」と掛けてたんです……。タイトルの意味回収ですね。桜の切れ目(桜=花樹、切れ目=句点)分かりにくいのは分かりにくいんですが自分の中でこういう遊びをよくやってしまいます( ´∀`)ハハハ)
    普段は一次創作でなく二次の方で書いてるのですが、ギャグは即興、シリアスはガンガン時間をかけて話を捏ねて捏ねてその捏ねた上澄みを掬うような書き方をしてしまうことが多い(酷い時は3万字程度の話でも1年かかったことがあります)のでこの企画期間に間に合わないな……と即興で書いたのがテンポが良すぎる文章になったのであろうと自身は思います。

    そして共感を起こす雰囲気重視のストーリーと言えるストーリーはないものは西にはならないというご指摘、目から鱗です。おっしゃる通りエンタメとして見せるつもりがなかったので「見せ場」をわざと省きました。しかし普遍的な共感は西には向かないとのご指摘、今後参考にさせていただきたいです。
    逆につぎは頭にこびりつくくらいの文体で書いてみたいなあと思ってしまいました(思っただけで書けるかはまだ未知数ですが。)

    ありがとうございました!

    作者からの返信

    講談調の文体は割と個性が強いほうだと思うので、伝わる人にはすぐ伝わるものと思います。
    また文章を書いている人だと「講談調で書くのって楽しいよね」というのも共有されていると思うので、この人は筆が乗るとこういう癖が出るんだろうというところまで察せられるものと思います。
    それだけに、作品に応じて上手く使い分けられるといいなと思います。

    なお「句点はなき。」の部分は読者が気づくのは無理だろうなと思います。これはもうエスパーの領域。
    ただ作者だけがわかって作者だけが楽しい要素もあってもいいと思うので、「これは作者である自分だけがわかるところだ」という自覚があるなら全く問題ないと思います。
    伝わるものと思って書くのはあまり良くありませんけども。

    共感と方角については若干複雑で、結果的に中小人数が共感するくらいなら方角は関係しないものと思います。共感性溢れる西向き作品もあります。
    作品が積極的に不特定多数を共感させにかかっている場合は、北が強いということですね。
    “共感するかどうか”よりも“共感させにかかっているかどうか”が重要だろうと思います。
    本作はその点、共感させにかかっているように感じました。不特定多数が共感する題材ですし。

    私はうさぎパイセンさんの作品は本作しか読んだことがありませんが、うさぎパイセンさんの雰囲気的に色々なタイプの作品を書けそうな感じを受けるので、色々とセンスを発揮させた多様な作品も読んでみたいなと思います。

  • 想定される質問への応援コメント

    自主企画の運営ありがとうございます&お疲れ様です。

    ひっそりと方角企画に参加させた二作目について、質問というより確認がございます。
    二作目の作品タイトルはルール違反ではないでしょうか。

    小説タイトルは必ず「最後を句点にする」がルールならば、「。」一文字のタイトルでもいけると思いそうしていますが、
    もし、違反であれば仰って下さい。その場合はタイトルを変更いたします。
    どうぞよろしくお願いいたします。

    作者からの返信

    ご確認ありがとうございます!

    「。」のタイトルについてですが、企画のルールには違反しておりません。
    句点が最後であるというルールに則してさえいれば、句点前の文字の有無については問いません。

    細かな齟齬もないようにとの慎重を期したご確認、嬉しく思います。


  • 編集済

    南はなかったのですね。あらら。
    読んでくださって、感想を書いてくださって、とても嬉しいです。
    感謝感激です。

    >ただそれでもここまで“願望”というものが色濃く出ている、あるいは積極的に肯定しにいっている作風だと、南というより西なのではないかという気がします。

    この作品は、「サクラ」とほとんど同じタイミングで降りてきたものを紙に書いていたので、
    そのまま書きました。

    とは書いても、文章は「南西」だと思うような分かりにくい言葉だったのですが、
    ホラーを書くと現実に影響が出るのですが、それと同じ感じで、

    (ホラーじゃなくても、ケーキを書いた直後にケーキをもらうとか、書いたセリフをそばにいる人が言うとか、雨のシーンを書けば雨が降るとか、現実とシンクロ、リンク? したりするのですが、それとはちがう感じなのです)、

    現実と精神的に影響が出たので、
    あれ? ホラーのエネルギーになってる?
    と思い、読める、理解できる日本語に整えたのです。

    わたしの場合、明るい時間のお話を書くのは苦手と言いますか、
    長編なら必要なので、朝や昼も書けるのですが、
    短編ではなかなか、明るい時間を書くことはできないのです。
    (方角企画1回目は、タイトル縛りのおかげで、東屋なら書けるかな? と思い、書いてみたら、昼間だったか夕方だったか、まだ明るい時間のお話になっていましたけどね)

    でも、灯りは好きで。自然と無意識に、夜に見える灯りを書いていたりします。
    あとは幼い頃から「自由」や「空」に憧れると言いますか、
    ドラゴンに乗って空を自由に飛びたくて、
    そういうゲームをさがして、やってみたりしていました。

    なので無意識に、物語の世界でも、主人公が自由や解放に向かおうとするのだと思います。
    肯定しようとは思わなくても、否定しようとも思わないので、
    肯定になっているのかもしれませんね。

    >“願望”を即座に肯定してボクにとって望ましいもののみで構成されているこの世界ですが、どこかその裏には孤独などが存在しているような気配も感じます。

    そうですね。気づく人は気づくようなのですが、
    無意識に、作品の裏には孤独があるのだろうと、最近思います。
    明るくて、毎日幸せだったなら、物語を書こうとしていないのだろうな
    って思うのです。
    無意識にある孤独を癒すために書いているのだと思います。

    8歳ごろから、30歳まで、怒りを感じることができなかったため
    (優しい良い子じゃないといけないと思い、断るとか嫌だと言えずに、素直な気持ちを抑圧していたため。言えなくても泣いたり、パニックや過呼吸になったりして、逃げることもありましたけどね)、

    さびしさや孤独や悲しみぐらいしか感じられなかった。

    (好き嫌い、嬉しいなど、少しは感じられましたが、感謝とか、しあわせとか、分からなかったのです。今は、感じられるようになりましたが。切ないとか、嫉妬を感じられるようになったのは、この数年です。カクヨムのおかげです)。

    なので、子ども時代は、ほとんど灰色と言いますか、

    そう、見えていたのです。

    2011年に、旅行先、東京の、ふらりと入った駅ビルで出会った占い師さんに、闇のトンネルから出たばかりと言われましたが、長く、トンネルの中にいたのです。

    その占い師さんに、小説家になりたいと伝えたら、「うーん」と言われたのですが、
    「光の作品なら良い」と言われました。
    その時は、何年か小説が書けなかった時期なのですが、
    何年か経ち、ネットで小説を公開するようになり、
    書いたことが現実や、テレビやネットで起こる(見える)ようになったり、
    霊感的にもいろいろあって、そういう意味かと理解したので、
    自分の中では、おかしなエネルギーにならないように、
    気をつけていたりします。

    話は戻りますが、
    灰色だった過去が元にあるので、
    無意識に作品にも、それが出ているのだと思います。

    >古代中国における桃源郷に似たような質感を覚えます。古代中国の逸話で桃源郷を求めている者の大概は、桃源郷とはほど遠い人生を送っている(し、最終的にその桃源郷に永住できるかというと必ずしもそうではない)。
    であるなら、この世の全ては桃源郷でないことを認めたうえであえて桃源郷で視界を埋めているかのような解釈もできると思います。

    ほほう。

    >なので成人の印象を受けました。フィンディルはこの台詞にそこはとない気持ち悪さを感じたのですが、それは成人っぽさによるところだろうと思います。

    おねーさんの赤いくちびる、ぽってりしてるね。色っぽい。
    とか、
    おねーさんの赤いくちびる、おいしかな? 
    とか、書いていますしね。

    幼い子供ではないのです。

    最初は、むねが大きいとかも書いていたのですが、
    気持ち悪いかな? と思ったのと、
    なんかいらない気がしたので、やめました。

    作者からの返信

    灰色の過去があるから、その灰色が作品に表れる。
    無意識の孤独を癒すために作品を書いている。幸せだったなら作品を書いていないだろう。

    このエネルギーは創作としてとても真っ当なものだと思います。西向きのエネルギー、自分のための創作。
    そして桜庭さんがそのように創作に対峙されていること、私には(そして少なくない方にも)十分に伝わっていると思います。
    だからこそ本作は南には向かなかったけれども、だからこそ桜庭さんの作品には良さがあるのだろうと。

    ご自身の願望とエネルギーを、無視せず、上手く制御して創作として表す。
    桜庭さんが既にそうされているのなら、今後も続けていただければと思います。これは創作の真っ当のひとつですから。
    そして上手く制御することを前提に、セーブをかけずに強く解放できれば、作品としてのスケール感もより大きく深くなるだろうなと期待しています。

  • こちらにも感想と指摘をありがとうございます!

    思いつきで書きはじめて、思いつきだけでおわってしまったというか、どうにもしっくりこないすわりの悪さのようなものがあったのですが、まさにご指摘のとおり『視点者設定と視点者表現が噛みあっていない』からですね。すとんと腑に落ちました。
    ちなみに、作中ではまったく語られていない半濁点のまるですが、脳内設定では句点のマルとは別キャラでした。

    まだ東にも北にもおもしろくできる余地があるというのは非常にわくわくします。
    方角を意識して物語を書くというのは、思った以上に奥深いものですね。

    本作にかぎらず、掌編はつい思いつきのみで書ききってしまうことが多いので、思いつきから一歩思考を深める習慣をつけていきたいなと思います。

    自分だけでは気づけない、気づけるとしても非常に時間がかかるだろう気づきをいただけたこと、心より感謝申しあげます。

    作者からの返信

    「思いつきだけでおわってしまった」というのは私も感じていたことです。もちろんそれは邪推ですので、野森さん本人が仰ることで初めて表に出せることではありますけども。
    掌編はアイデア一本が通用しやすい形式ではあると思いますが、だからこそアイデア一本に終わらせないアプローチを私は大事にしたいなと思います。

    もっと良くできそうで作者としては満足していないんだけど、どこをどう考えれば良くできるのかはわからない。それに多くの読者は現状でも十分楽しんでくれているようだ。じゃあこれでいいのかな、でもなあ。
    そういう作品や作者に対して私の感想は役に立てることが多いので、それを「簡単な感想」という“体験版”で感じてくださるのは嬉しく思います。
    何ともいえない品質的なモヤモヤ感が、フィン感を通すことで、もっと面白くできるんだというワクワク感に変換される。フィン感の良さであり、創作の楽しさであると認識しています。

    お話などを見るかぎり野森さんはかなり前から私を認知されていたようですが、今回の方角企画を機会に接点を持とうとしてくださって嬉しかったです。
    ありがとうございます。


  • 編集済

    フィンディルさん、こんにちは。

    そうか、そうか、とごっくんしました。
    欠落を感じていたのですね、わたくしは。
    気づかなかった。
    ありがとうございます。




    8水木レナ

    あい、数か月経ちました。
    その間にゃんこは手がかかるなあ、でもそこがよい、と改めて思いました。
    コロナにかかって、猫の砂を買いに行かねばならなくなったときはスリリングでした。
    一生お世話させていただくのです!




    10水木レナ

    作者からの返信

    この感想当時から数か月経ちましたが、水木さんの心が少しでも穏やかな方向に向かっていればと思います。


  • 編集済

     またまたズバリ鋭い指摘を頂きました。フィンディルさんありがとうございます。

     まず、この作品の登場人物は手塚先生の「火の鳥・復活編」に登場するレオナとチヒロをモチーフにしています。一作目がロビタのオマージュだったので、こちらはロビタの元となったレオナとチヒロにしています。
     ざっくりと説明しますと、交通事故でいったん死んでしまったレオナは、とある医師の手術で生き返ります。その際、体のあちこち(脳髄を含む)を人工の素材で補ったため、人間などが無機物に見え機械などの無機物が人や自然の風景に見える。例えば主治医の先生(名前は忘れた)は泥人形のように見えるし、溶鉱炉から流れる溶けた鉄は大自然の大河のように見える。だからレオナにはロボットのチヒロが美少女に見えた。そして恋をするわけです。こんな背景なので、どの程度取り入れるのかは悩みどころです。今回は単純に〝そうプログラムされている〟で済ませてしまったので、意外性や独創性を期待した人には残念な事になったかもしれません。私としては大御所の設定をそのままパクるわけにもいかず、更に独創的な設定を短期間で思いつくはずもなく、やっぱりごめんなさいって感じです。

     次は方角に関してです。
     今までの人生で、私は北向きの作品ばかり親しんでいたような気がします。子供の頃は「ライダーキック!」とか「ゲッタービーム!」みたいなのばかりやってましたから。脳内がそういう方向性で埋め尽くされているのでしょう。そのせいか他の方角の作品に親しむという経験に乏しく、記憶にあるのは学校で習った恐らく西方向であろう古典や漢詩くらいでしょう。
     私はそういう人間なので、他の方向には鈍感で北向きではないと感じる程度だと思います。逆に北に向いたものは感覚的にピンとくる部分があります。フィンディルさんに褒められたのは恐縮ですが、私の方向感覚はそんな感じです。

     さて、今回はハードSF要素を多く取り入れたら東に向くのでは?? と思って書きました。結果は中途半端になり北を向いてしまう。しかし、ハードSF要素を突き詰めて書けば東に向くし、西にも向ける事が出来るとの解説を聞き安心した次第です。次のチャンスがあればもっと徹底してやっちゃると、何やら創作意欲が湧いてきます。

     この作品は東を意識した為に、北向きのエンタメ要素が薄くなってしまったのは事実ですね。フィンディルさんは「設定を壊して展開していく」と解説されていますが、私としては「主人公が自ら課した世界の誤認をチヒロが解いていく叙述トリックの一種」との認識で書いていましたので、この辺も主人公の描写に繋がると思いますが、やはり中途半端だと。何となくそんな気はしていました。もっと大袈裟に壊しちゃえばいいんだって事ですよね。
     また、エンタメ系の要素を排するために除外した設定もあります。①チヒロも元人間でアキラと恋人同士だった。ラストシーンでアキラはその事を思い出す。②三次元存在の地球は滅びたが、次元昇華した人々は難を逃れる。アキラとチヒロも高次元存在となって再会する。みたいな感じ。
     こんな設定だと北一直線だと思うので採用していないのです。字数的にもかなりオーバーしそうな気もしますし。

     ラストシーンの「その瞬間を体験したかった」は苦し紛れのオチなんですが、ここに意外性があったようで少し恥ずかしいです。

     最後になりますが、やはりどの方角を目指すにせよ〝徹底的にやるべきだ〟なんですよね。今回も貴重なアドバイスを沢山いただきました。本当にありがとうございました。

    作者からの返信

    もっと徹底的に壊すか、もっと徹底的に作りこむかの二択だろうなとは思います。基本的に。
    個人的にはハードSFらしさを出すなら作りこみを徹底、エンタメSFらしさを出すなら破壊を徹底かなあという気がします。
    また「平和で文化的な世界が実際にあって、それが物理的に破壊される」のと「平和で文化的な世界という誤認が解かれる」のは作品的にはそこまで大きな違いはないだろうと思います。いずれも読者に提示していた世界を壊すという点では同じなので、叙述トリック的な仕掛けがあるかどうかは「生成と破壊」という作品アプローチとしては枝葉のことだろうと。

    「徹底的にやるべきだ」というのは基本的にはそのとおりと思います。ただ何を徹底的にやるのかが大事だろうと思います。
    これは方角を問わずまたジャンル感にも通ずるでしょうが、とある方向性を打ちだす方法として「他の方向性を弱める」のは確かに有効ですがまずは「その、とある方向性を強める」のが大事だろうと思います。
    中華料理っぽさを出したければ、和食っぽさフランス料理っぽさを弱めるまえに、まずは中華料理っぽさを出すのが大事といいますか。

    ハードSFで東を目指すのであれば、真北エンタメと思わしき要素を削るのも大事ですが、まずはハードSF要素をぐんぐんに出していく。
    本作は「東を出すために北っぽさを弱めたけど思ったより東にならなかったので真北宣言」という経緯があるものと思いますが、まずは東を出すために東っぽさを強めるのをどれほどできるのかがやはり大事だっただろうと思います。
    方角はある程度相対的なものですし、東を強く出せれば北を削らなかったとしても十分東向き判定になっただろうと思います。


  • 編集済

    こんばんは。
    作品を読んでくださって、感想も書いてくださって、とてもうれしくて喜んでいます。

    今日はいろいろありまして。

    自分ともっと仲良くなりたいな、深く自分を愛せるようになりたいな
    と思い、潜在意識関係で、何か調べてみようかな(星読みブログとか、心理カウンセラーさんのブログとかは読んでいるのですが、心の中の幼いわたしをもっと癒したくて、愛したいなと思ったのです。そうしたら、もっと他の人間とも仲良くなれる気がしました)

    と思いながらネットの世界に来てみましたら、
    方角企画作品への丁寧なコメントや、
    こちらでも、わたしの作品の感想が書いてあり、
    ふむふむと読ませて頂いていましたら、
    何故だかニヤニヤと笑っているわたしがいたのです。

    エネルギーが整ったと言いますか、すごいなー、この感想(言葉たち)と思いました。
    なんだか心がすっきりしたと言いますか、綺麗になった気がします。

    コンセプトですか。全くそんなことは考えず、浮かんだままを書きました。

    >方角を西に傾けるうえでも、本作にもっと品質的な深みを持たせるうえでも、もっと桜庭さんの世界観を輝かせられれば突き抜けたものになれるのではないかと思います。

    ほほう。すごいなぁ、としか書けませんが。
    品質的な深みですか。品質的な深みという言葉は、
    ネットで調べてみましたが、どういう意味なのか分かりません。

    でも、もっと突き抜けたいとは、昔から思っていて、
    少しずつではありますが、昔とは違う自分になっているように感じています。

    >「桜でないと出せない表現なのに、桜かどうかがどうでも良くなるような心情」という域、桜庭さんならば出せると思います。

    桜かどうかがどうでも良くなる心情ですか。これも理解はしていませんね。
    どうでも良くなる?
    って、きょとんとしています。

    >最終的に桜が人間に変身してミノリとコミュニケーションがとれるようになったり、人間に変身せずとも桜の想いがミノリに伝わったりすれば、物語としての着地が描かれますので真北判断だっただろうと思います。

    よくある話としては、桜の精霊と人間の恋で、それを書いたら真北か北北西になるのだろうなと思いました。
    桜の精霊の末裔だったか、そんなキャラクターとか、
    梅の精霊の女性と、人間の男の話は書いたことがあって、
    他にも似たような作品やキャラを書いた気がするので、
    今回は精霊とは書かずに、サクラそのままで書きました。

    物語として作らず、と言いますか、今までとは違う感じで、
    読者さんのことは気にしないで、
    感情だけ書いたら真西になるかな?
    と、単純に考えたのです。

    今回の企画は、「~。」というタイトル縛りで、書きやすかったため、
    いろいろな方角を目指してみよう、間違えても勉強になって、
    次の方角企画で、もっと素敵な作品が書けるかもしれないし、
    という軽い気持ちで(でも本気で楽しんで)、たくさんの作品を書いてみたのです。

    思っていた以上に奥が深いのだな、
    ということがとても理解できたように思います。
    楽しかったです。

    あと二作、参加させていますし、
    締め切りはまだなのですけれどね。

    作者からの返信

    たとえば人間が登場する作品って、人間でないと出せないような展開や表現があると思います。
    それは生物学的なこともそうだし、社会・文化的なことでもそうだし。人間が出ていなかったら同じ展開・表現にはならないだろうと思わせるものがあるはずです。
    ただ一方、登場しているのが人間かどうかについて作品・作者は頓着していないんですよね。「人間ならではのものを作ろう!」とわざわざ意識していない。“人間”というものに対して作品や作者が特別視していない。
    作品として人間を特別扱いしていないが、人間だからこその展開や表現が出ている。これが一般的だと思います。

    これを桜に置き換えて示すことができると、もっと作品として深みが出るんじゃないかなと思います。
    桜を作品として特別扱いせずに、桜だからこそ出せる展開や表現を示す。
    桜という存在を他人と思うのではなく自分と思ってみる、みたいな感じですかね。
    これは桜庭さんはあまり慣れていないとは思いますが、桜庭さんに合っている表現な気はします。


  • 編集済

    企画概要への応援コメント

    初めまして、二作目を執筆しております秋坂ゆえと申します。
    質問はこちらでよろしいでしょうか?

    僕は、今回「西かつ東」に挑戦しており、その「実験的」な構造故、章立てをしたいのですが、可能でしょうか?
    もちろん、全て合わせて5000字前後にいたしますし、他のルールも厳守いたします。
    ご回答いただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。


    追記
    とりあえず、章立てをした状態で公開いたしました。
    また、僕や他の参加者さま達が数名フィンディル様の感想をいただいていないのですが、後回しになっているのか、何らかの意図があって書かれていないのなら、理由や説明を伺いたく思います。
    何卒お願い申し上げます。

    作者からの返信

    秋坂さん初めまして。主催のフィンディルです。

    「章立て」について、複数ページにて作品を構成するという意味なら何の問題もありません。
    全部で5000字以内(多少超過可)ならば、ページ数や章の数についても制限はありません。

    主催者からの感想につきましては、
     ・主催者フィンディルも応募作品への感想を執筆する予定ですが、全ての作品に必ず感想を書くというわけではありませんのでご了承ください。
    と企画ページに明記しておりますので、十分ご納得のうえで参加いただいているものと認識しています。

    また「理由や説明」につきましては、「想定される質問」にて企画開始時よりご案内しているとおりです。
    ―――――――――――――――――――
     ●主催者さん(フィンディル)も感想を投稿するとのことですが、これは応募すれば必ず主催者さんが感想を書いてくれるということですか?

     それをお約束することはできません。
     主催者フィンディルも応募作品への感想を書きますが、全ての作品に必ず感想を書くというわけではありませんのでご注意ください。感想を書かない作品もあるだろうと想定しています。
     仮に応募作品にフィンディルが感想を書かなかった場合でも、それに対して不満を表明することはご遠慮ください。
     なお「どの作品(作者)に感想を書き、どの作品(作者)に感想を書かないのか」の線引きについてはお答えしませんので予めご了承ください。
    ―――――――――――――――――――
    こちらを回答といたします。

    以上よろしくお願いいたします。

    編集済

  • 編集済

    丁寧なご感想をありがとうございます!

    最近の私は『頭を何度も何度も〜』は真西かなと思いつつあったのですが、北の方角がまだ残っていたようですね。
    ただ、南の方角でなくて残念という気持ちより、これでもまだ北なのか、方角って面白い!という気持ちの方が勝っています。作品の方角は本当に深くて面白いです。

    今回の企画では、すでにいくつかの作品に感想を書かれていますが、その中で一番と言っても良いくらいに、方角について解説されているように感じます。拝読していて、なるほどの連続でした。

    >「作者が作品・文章の意味を把握しており、かつ、多くの読者にはその意味がおよそ正確に伝わらない」に当てはまる

    仰る通り、この作品を書いた私自身は、語り手である「わたし」が何に悩み、どんな状況でいるのか理解しています。同時に、読んだ方には内容が伝わってもいいし伝わらなくても問題ないと考えました。
    また、仰る通り、「わたし」の悩みは人間関係から生まれでたものになります。

    >もはや言葉から伝達という機能が否定されてきますので〜、それは「秩序」から観測しているがゆえの一側面に過ぎない点にも留意が必要です。

    この辺りの解説を読むと、たしかに、南の方角は抽象画に近いものがある気がします。読んでいて、ジャクソン・ポロックとかが頭に浮かんできました。

    >意味がわからないし、作者も答えを持っていない」には埋められない差があります

    実は、この作品を推敲する過程でもっと分かりにくくするかどうか迷いました(南=分かりにくくすること、とはまた違うのだとは思いますが)。
    その時に、読む方が読んだ時に分からなすぎたら困るのかなとか、せっかく投稿するのによく分からない作品を書いていいのかな、みたいな恐れを抱き今の形になっていきました。
    ですが、私は恐れてはいけなかったわけですね。南は作家自身も答えを有していないわけですから。分からないことに対する恐れではなく、分からないことに対する肯定が、私には必要だったのかもしれないと思いました。

    >「人間関係・病気・死などを由来としない、ままならない心情により心や有機を描く」

    これは難しいですよね。人間関係を由来としない、が本当に難しい。でも、だからこそ形にできたら面白いでしょうし、達成感もあるのでしょう。

    そして、話は、私が南への挑戦を続けるのか否かになるのかと思いますが、
    フィンディルさまの負担が増えますし、書かないでおこうかと思いつつ、ここまで深く解説してくださったのに挑戦しないのも悪い気がしています。
    ということで、もし今回の企画中に二作目を参加させるなら、企画の終了ギリギリにひっそりと参加させると思います。
    その時は、どうぞ温かい目で見守ってあげてください(笑)。ちなみに結局、南の作品にはならない気がします。

    重ねてになりますが、感想をいただき本当にありがとうございました! 企画の方は引き続き、読む側で楽しんでいきますね。まだまだ参加作品が増えていて大変かと思いますが、他の方への感想も楽しみにしております。
    長々とコメントを失礼いたしました。

    作者からの返信

    本感想は方角への言及が多く、(方角抜きの)作品品質への言及がほとんどありませんでしたね。
    申し訳ないなとは思ったのですが、泡沫さんが本作については方角を特に気にされていたのでこういうかたちとしました。
    なるほどの連続だったならば良かったです。

    北半球ならば大なり小なり「わからない」は悪とされやすいものと思います。
    意味がわからない、理解できるようになっていない、伝わらなければ意味がないと。
    もちろん西半球になると作者と読者がともに思索するという趣きも出ますが、それでもどこか作者が先行している感じはあって。
    南では、作者と読者がある意味同じラインに立つんですよね。同じラインに立つことを作者も読者も受けいれられれば、ですけど。
    「わかりやすい」を愛する北、「わかりにくい」を愛する西、「わからない」を愛する南、という感じで。

    もちろん「わからない」を愛せる作者・読者は限りなく少ないとは思うのですが、だからといってそれを方角上から消すのもおかしな話で。
    人口密度と面積は別の尺度ですからね。
    南を受けいれられる作者・読者が少ないからこそ、南に一方角として半球を与えておくのは大事なことと思います。

    ―――――――――――――――――――
    これは難しいですよね。人間関係を由来としない、が本当に難しい。でも、だからこそ形にできたら面白いでしょうし、達成感もあるのでしょう。
    ―――――――――――――――――――
    「人間関係・病気・死などを由来としない、ままならない心情により心や有機を描く」を受けての第一声が「難しい」であること、素晴らしいなと思います。
    泡沫さんは方角への挑戦欲とリスペクトを併せ持っていますよね。

    二作目について、このまえ夜桜さんにも同様のお気遣いをいただきました。
    そのときにも申したのですが、負担よりも嬉しさのほうが十倍勝りますので気にせず応募してくださればと思います。
    お気遣いありがとうございます。積極的な感想交流についても(前回同様)感謝しております。

  • 素晴らしい感想を頂戴しまして、誠にありがとうございます!!
    昨夜拝読しましたが、喜びのあまり変なコメントを書き込んでしまいそうで…お返事遅くなり失礼しました。
    このように丁寧に読み込んで下さって、的確なご意見を頂けるなんて、本当に感謝しかないです…。何よりも「前回の作品より確実にちゃんと面白い」と評して頂けて、とっても嬉しいです!

    「エンタメホラーとしての面白さ」についてのアドバイス、なるほど、と思いました。ご指摘頂いた「後からくる怖さ」の創作ポイント、非常に参考になります。
    そういう工夫を凝らすと、もっとゾクゾク体験を提供できて良いのだなあ、と思いました。そうなんです、私はあまりホラーと言う認識は無かったのですが、そのようなテクニックを使うことで更なる面白さを追求できる、というのがとても勉強になります。もともと「二転三転の展開で面白くしたいな」というのが本作の目標だったので。なので、エンタメらしい読書体験を提供できている、とのお言葉、とても嬉しかったです!

    去年に引き続き、西方面に憧れつつの真北になりました。
    こうしてみると、どうも自分の創作には、北方面が馴染むのかもしれません。
    そういった自分の創作傾向も、方角企画で見えて来て、とても学びが多いです。

    私は、カクヨム歴=ほぼ創作歴でして…他サイトへの投稿など、もちろんしたことがなく。(以前、少し脚本を学んだことがあるのですが、仕事が忙しくてあっさり脱落)読書はしていましたが完全に消費者側で、小説創作にまともに取り組んだのは去年からなんです。読むのと書くのと、難易度全然違うな?!って思いましたw 今でも思ってますが。

    ので、前回より上手くなっている、とお褒めに預かり、本当に嬉しいです…。
    1年間、文字通り「書く・読む」を続けて来て良かったー!と思いました。
    この1年のカクヨムでの学びは大きかったようです。

    去年の自分の目標は「まともに読める長編を1つ完成させたいな」でした。
    今年の目標は、「どうしたら面白く書けるかな?」です。道のりは遠いですねえ。

    ご指摘頂いたことを今後の創作に活かして行けたら、と思います。
    素敵な企画に参加させて頂き、本当にありがとうございました!

    作者からの返信

    喜んでくださったようで良かったです。
    方角について真北ですが、真北の品質としては向上していると思います。

    ―――――――――――――――――――
    もともと「二転三転の展開で面白くしたいな」というのが本作の目標だったので。
    ―――――――――――――――――――
    感想でも述べましたが、しっかり感じられると思います。二転三転している。また一転一転の移動量もちゃんと大きい。し、荒唐無稽になっていないのも真北としては大事なことと思います。
    本感想では、その二転三転させる場所についての話でしたね。新たな情報単独で二転三転させるだけでなく、新たな情報により既情報が二転三転するような仕掛けがあると、面白くさせ方に幅が生まれますからね。
    ずっと同じ位置から花火が上がっても綺麗ですが、サラウンドに花火が上がるともっと綺麗なはず。

    ―――――――――――――――――――
    私は、カクヨム歴=ほぼ創作歴でして…他サイトへの投稿など、もちろんしたことがなく。(以前、少し脚本を学んだことがあるのですが、仕事が忙しくてあっさり脱落)読書はしていましたが完全に消費者側で、小説創作にまともに取り組んだのは去年からなんです。読むのと書くのと、難易度全然違うな?!って思いましたw 今でも思ってますが。
    ―――――――――――――――――――
    あー、そうなんですね。創作歴は浅めと。
    そう考えると、上手いと思います。順調に上手くなっていると思います。読者側で小説を摂取してきた蓄えがあるのでしょうね。
    今後も楽しく悩んで創作を続けてほしいなと思います。
    指摘へのアプローチも良いと思うので、今後も良質な指摘を受けてほしいなと思います。

    愛崎さんが仰るとおり、愛崎さんの適性方角は真北付近だと思うので、方角企画に参加して方角を無理に振るのは愛崎さんにはあまり合っていないかもしれませんね。
    私の本活動の「フィンディルの感想」では方角ではなく品質を主軸に置いていますので、ご興味がありましたら検索してみてください~。原則10000字以下の作品が対象ですが。


  • 編集済

    フィンディルさん、作品を深く読み込んでいただき、ありがとうございます……!
    感想を読ませていただいたのは昨日なのですが、興奮冷めやらぬままコメントを書いた場合、文にならない可能性しかなかったので……落ち着いた今、こうして書かせていただいています。
    細かいところまで、とてもたくさん褒めていただいて、少し恥ずかしいのと嬉しいのが混ざってふわふわしています。ありがとうございます。

    フォントや文字色の変更について、なるほど仰る通りだと思いました。色々変更が出来た場合、そのシステムの実演のようになっていたかもしれないです。その場合、私が表現したいことは伝わりにくかったのかもなぁ、と思いました。
    「制限の中の工夫を楽しむ」。書いていてそんな節があったなぁ、とも思いました。システム上、出来ないことが多い中で、どうしたら手書きっぽく見えるかを考えて楽しんでいました。こうしたところが、東向き創作の楽しさなのですね。早くも癖になりそうです……!

    また、レイアウトの指定があるからこその書き方、その手があったか! と唸りました。行の処理までは頭が回らなかったので、その辺りも考えられたら面白さが増しそうです。
    ページの表現については、泡沫さんにご指摘をいただいて、仰る通りとてもワクワクしました! コメント返信にも書きましたが、まだまだ色々と出来ることがあるのだなぁと思い、楽しくなりました。とてもありがたかったです。
    この辺りは、最初、ページごとに話数を区切ることも考えていました。でも、そうすると続けて読んでいる気分になれなかったので、一話に収める形にしました。それが結果として良かったのだな と思うと嬉しいです。
     
    この作品は、「コミュニティノートに書いてありそうな文章を考える」→「文字におこす」→「実際にノートっぽく配置する」→「追加で文字や記号を入れる」のような流れで書きました。
    最初の二つと後の二つでは、使っている頭が違っているようにも思えて、とても楽しかったです。
    最初の二つは、特に苦労しないで楽しく書けたのですが……私が変わっていたのですね。色々な人がいて、書きたいことは違っているので、どんどん増えていって逆に収拾がつかなくなりそうでした……。ここを強みに考えたら良いのかな と思います。

    そして最後、「コミュニティノートは読み物であり書き物である」とのお言葉。加えて、作品の最後を白紙ノートにするというご指摘。流石だなぁ……と思いました。すごく面白くなりそうで、本当にワクワクして、もっと考えたくなりました。この作品を書けて良かったなぁと思いました。
    作品を公開して、コメントをいただく。そしてコメントに返信する。私には、このやり取りも含めて、この作品が出来ているように思えたのです。だからこそ、作品と読者の垣根をなくすような、そんなご指摘をいただけることが、とても嬉しいです。本当に、ありがとうございます。

    長くなりましたが、ここまで深くワクワクするご感想をいただけて、本当にありがとうございました。東向き創作の楽しさを感じる機会をいただけて、とても楽しかったです。改めまして、本当にありがとうございました!

    作者からの返信

    ツイッターでの夜桜さんのファーストリアクション、好きでしたよ。

    東の楽しさが癖になりそうならば良かったです!
    本作のような「既存の何かの再現」は割と大衆に受けいれられやすい東ですので、夜桜さんの楽しさもポップに伝わるんじゃないかなと思います。あれこれ探してみてほしいと思います。

    ページごとに話数を区切る表現は、悪いとは思いませんが実はそんなに相性が良いわけでもないのかなという気はしちゃいますね。
    ノートは一ページに書ける文量が物理的に決まっているので機械的なページ繰りをしないといけないのですが、小説投稿サイト(カクヨム)は一ページの文字数に原則制限はありませんからね。
    カクヨムでページを区切るとそれは「作者があえてページを区切った」という見え方になってしまいます。
    それは、物理的にページ繰りをしているコミュニティノートの表現とバッティングしやすいかなと思いますね。本作の平坦さや冗長さが、悪い方向に傾いてしまう危険がありそうです。

    70くだりを用意するのが苦ではなかったのなら、それは夜桜さんの強みだと思います。楽しみながら書いたことの証かもしれませんね。
    確かに使う頭は違いますよね。量を用意するのと、東的工夫を施すときに使う頭は違う。そしていずれも、真北小説を書いているときの頭とも違ったはずです。
    この「使う頭が違う」感覚は、色々な方角を書く醍醐味のひとつかもしれませんね。もちろん西や南ではまた使う頭が違ってきます。

    ―――――――――――――――――――
    作品を公開して、コメントをいただく。そしてコメントに返信する。私には、このやり取りも含めて、この作品が出来ているように思えたのです。だからこそ、作品と読者の垣根をなくすような、そんなご指摘をいただけることが、とても嬉しいです。本当に、ありがとうございます。
    ―――――――――――――――――――
    仰るとおり、本作を読んだ読者からのコメントも本作に含むという表現もあると思います。コミュニティノートはそうやって続いていると。
    そして、だからこそ作品と読者の垣根をなくすような表現が大事というのも仰るとおりです。
    読者が本作を「架空の静花市を用いた、夜桜さん個人の作品」と思っている以上は、本作中のコメントと読者のコメントが同一化することはありません。
    読者が「本当に静花市のコミュニティノートを閲読した」という錯覚を覚えたら、本作に寄せる読者コメントにもその空気が乗るはずです。そのとき、夜桜さんが覚えた感覚はより表現味が増すものと思います。

    こちらこそ、ワクワクしてくださってありがとうございます。ワクワクできることが何よりの素質です。
    前回同様、今回の方角企画も刺激にしてくださればと思います。

  • こちらの作品は読んでいて本当に面白かったです。コミュニティノートを上手く表現されていると感じました。

    ただ、そもそもの素材である「ノート」自体の表現が弱いと感じ、よりノートっぽくするにはどうすれば良いのか考え、コメントを述べた次第でしたが、
    こうしてこの場で取り上げられるとは思わず驚きました。同時に、私のコメントが的外れなものではなかったようですので安堵しました。
    ありがとうございます。

    今回は参加作品数が多く、企画の運営にも負担がかかっていることかと思います。無理しすぎないようにお気をつけ下さい。

    作者からの返信

    ノートのページ表現が弱いのは作品を読んでいるときに感じたので指摘しよーと思って応援コメントをチェックすると、泡沫さんがずばりとされていたので嬉しい気持ちになりました。
    今回は積極的にワクワクしてくれる夜桜さんの貪欲さが素晴らしいというのもあるのですが。その指摘がその作品に対して有用である言語化をせずとも、夜桜さんが上手く栄養を取りこんでくださっているので。

    お気遣いもありがとうございます!


  • 編集済

    ほえーと思いながら読ませて頂きました。
    作品を読んでくださって、丁寧な感想も書いてくださって、ありがとうございます。

    わたしは七歳から俳句を書いて、八歳から短歌を書き、
    同じころに詩を知って、詩の方が文字数が多いから好きに書けるし、
    俳句も短歌も学校で応募をしたら受賞したので、詩も賞が欲しかったのです。
    そして町の小冊子に載りましたが。

    10歳から、少女向けの小説雑誌に詩を応募していて、
    同じころからその雑誌に、小説も応募し始めたと思うのですけれど、
    一番自由で楽しいのは詩で、
    でも、詩集は売れないとか編集者さんに言われたりもして。
    それでもやっぱり詩が好きなので、
    今でも詩は書いているのですけれど。

    わたしが書く詩は、心のことか、この作品のような自然やファンタジーで。

    今回は、方角企画なので、
    詩としてではなく、南の方角作品として、
    何か書けたらいいなぁと最初に思ったのです。

    基本的に自分の中にある、好きな世界しか表現できないと言いますか、
    降りてくるイメージのほとんどは、ご縁のある神社の神様にいつもお願いしているので、
    わたし好みなものが多くて、
    今回も、好きな世界だったのですが、
    いつもとは違う書き方を意識してみたのです。

    同じ書き方だと、コメントに詩だと書く方がいるだろうなと思いまして。
    違っても、詩だと書く方がいらっしゃいましたし、
    詩なんだろうな(言葉としては)、と思いました。

    わたしは基本的に、物語は生き物だと考えています。
    物語という言葉でまとめなくても、作品は生きている。そう感じているのです。

    できるだけ、頭で考えずに、浮かんだ世界を
    そのまま書けると楽しくて、気持ちが良いのですが、
    毎回、そのまま書ける、というわけではなく。
    自分の感覚で、そのまま書けた時は、とても満足したりします。

    植物も生きていますし(外で植物を見たら話しかけています。動物でもですが)、自然を書いたとしても、それは生きていると思いながら書くと言いますか、
    「世界は素晴らしい、世界は美しい」
    と思いながら、
    外を歩いたりするのです(田舎なので、自然が多いのです)。

    それぐらいに世界を、自然を愛しているので、
    自然だとしても、愛を込めています。

    生命力を感じてくださったこと、とてもうれしく思います。

    方角は北西なのですね。ほほうと思いました。

    あと、妖精は、たまに見るので、よく書いています。

    作者からの返信

    喜んでくださったようで良かったです。

    「作品は生きている」というのは、「作品は変化する」とか「作品の感じ方は人それぞれ」を生物になぞらえて表現したものではなく、そのままの意味で作品は生きていることを伝える言葉ですね。
    動物は生きている、植物は生きている、と同じ温度感で、作品は生きていると。

    桜庭さんがそういう価値観を持たれていることは素晴らしいことと思います。
    し、それをもっともっと作品として輝かせることができれば、もっともっと素晴らしい作品が書けるだろうと思います。
    桜庭さんが言葉を紡ぐだけで作品は生きていますが、作品を生き生きと輝かせられるかどうかは桜庭さんの紡ぎ方次第ですから。


  • 編集済

    はじめまして。ご挨拶が遅れて申しわけありません。
    読了とご感想をありがとうございます。
    あんこのたとえが素晴らしく的確で『なるほど……!』という言葉しか出てきませんでした。
    そしてまったく関係ないのですが、つい最近あるツテから幻のあんこといわれる高級あんこを入手したばかりだったので、必要以上にあんこに反応してしまい、妙にテンションがあがりました。笑

    今でこそ小説を書いていますが、わたしの創作の原点はそれこそ『感情を切りとった詩作』だったので、そこをほめていただけたこと、とても励みになります。

    ラストのハッピーエンドというより願いではないかというのも、特に意識していたわけではないのですが、いわれてみれば確かにそういった傾向が(この作品に限らず)あるなと。

    方角にかんしては、じつはあまり重要視してなくて(企画なのにすいません!)
    ずっと昔、ほかのサイトで詩作をしていたときに、わからない部分をわからないままに書いて難癖をつけられたりしたことがあったので、そういうときにフィンディルさんの東西南北システムがあったら便利だったろうなあと思ったくらいの軽めの認識でいました。
    それでも、方角を考えながら書くということ自体が新鮮で楽しかったです。

    なにより、ふつうに投稿するだけでは得られなかっただろう気づきをいただけたこと、心より感謝いたします!

    作者からの返信

    あんこのたとえが刺さったようで良かったです。

    終わり方については、仮にこの締めをカットされたら野森さんはどう思われるだろうかなというのを考えてみました。
    おそらく「作品として締まりがなくなるじゃないか」というプロデューサー的見方ではなく、「そんなのはあんまりだ」という一人の人としての見方をされるのではないかと想像しました。
    そういうのを感じさせる作品だと思います。

    方角に関しては重要視しなくてもいいと思います。
    レギュレーションとして方角の宣言をしてもらっていますが、それをどこまで重視するのかは各参加者次第ですから。
    私が方角を軸にした指摘をしているのも、およそ初対面の人が指摘を受けるなら(品質ではなく)方角を軸にしたほうがソフトに受けられるだろうと考えてのものですし。

    確かにわからない部分をわからないままにしていることに難癖をつけるようなわからない人には、方角システムは一定の便利さはあるだろうなと思います。
    その指摘の理屈は北のもので、この作品は西だから、方角違いの指摘をしていますよって(方角システムを共有できていれば)言えますからね。
    「明後日の方向の指摘」というのをシステム上で説明しやすくなります。

    本企画への参加によって何らかの気づきを持って帰ることができたのなら良かったです!

  • フィンディルさん、解説をありがとう存じます。

    胸がいっぱいで言葉が出てきません。
    こんなことってあるんですね。


    大切なお時間を割いていただき、感謝にたえません。




    8水木レナ

    作者からの返信

    ノイズになるような冷たい感想でなかったようで安心しました。

  • フォンディルさん、返信が遅くなりまして申し訳ありません、そしてここまで深く読み込んで頂きありがとうございます!

    いつも北しか書けないので(それはそれで自分の強みとも思っています)、今回は捜査報告書の様式でどこまで物語を書けるのかというものに挑戦してみました。挑戦っていくつになってもいいなぁと思いますし、フィンディルさんの企画はその機会になるのでとても楽しみにしていました。

    さすが慧眼とも言うべきでしょうか、フィンディルさんの仰ることがかなり当たってて驚いています。捜査報告書が主でストーリーは従、というのが完璧にその通りで、今回のコンセプトはガチガチに報告書を書こうということだったので、この視点が本当に脱帽です。

    被疑事実の要旨も、こういう事件顛末を書く報告書にはあってもおかしくないそうで、リアルを追求するために入れたのですが、その「被疑事実の要旨」がとてもいい仕事をしてくれたようで、入れててよかったなぁと感じます。

    わりとこういう司法書類に目を通すことが多いのですが、事務的な報告書なのにストーリー性を感じるものも多く、ひょっとしたら物語好きには受け入れられるのではないか、と思ったのが本作を書くキッカケでした。ですので今回、「面白い」と評して頂けて嬉しいですし、頂いた感想を読んでも、自分のように感じる人がいてくれた! と思えて、書いてほんとうに良かったなぁと思えました。ありがとうございます。

    最後の指摘は本当にありがたく、伏字にするか名前や地名を創るかで悩んだので、創るほうにすればよかったと思えました。まるっきり地名を創作するってちょっと難しく(適当に作っても本当にあったりします)、でもこだわって創るのもよかったかな、と思いますね。


    最後になりましたが、ここまで深い感想を頂けて本当にありがとうございました。東を向いて書いたので、「北東」と評してもらって自信がつきました。ほんとうに、ありがとうございます!

    作者からの返信

    ―――――――――――――――――――
    わりとこういう司法書類に目を通すことが多いのですが、事務的な報告書なのにストーリー性を感じるものも多く、ひょっとしたら物語好きには受け入れられるのではないか、と思ったのが本作を書くキッカケでした。
    ―――――――――――――――――――
    やっぱりここから本作が発進しているのがとても重要だったと思います。とても良い気づきだと思います。
    この気づきを大事にして執筆された以上、作者(薮坂さん)がやったのは捜査報告書のなからピックアップしてきただけですよという真に迫るようなものが作品にもたらされると思います。

    またストーリーが主で捜査報告書が従だと、ああいう終わり方は絶対にできないと思います。ああいう終わり方とは「8 参考事項」のことですね。あれだけを見ても本作は主従を見てとることができます。
    ストーリーが主だと序盤は捜査報告書っぽい手触りに仕上げたとしても、後半から終盤はもう形骸化しちゃってるでしょうからね。
    捜査報告書を書くんだという強い意思がないとスタミナが持たないだろうと思います。

    まるっきり地名や人名を創作するほうが作業カロリーが高いのはそのとおりと思います。
    実在のそれと被らずかつ実在感のある名称を出すのはなかなか骨ですからね。捜査報告書っぽくするには一定の量を出さないといけませんし。
    ただ捜査報告書の読みにくさを純粋に表現するなら、気張る価値のところなのかなと思います。

    フォンディルが北東と解釈するような作品を、薮坂さんが持ってきてくださったこと、嬉しく思います。
    フォンディル!?

  • 二作まとめての感想、ありがとうございました。
    なかなか狙い通りにならない悔しさもありつつ、企画に引っ張られ過ぎて作品の推敲が足りてなかったなと反省してます。
    分かりやすいのはこちらでありつつ、読んだ方からの反応は明らかに「長い旅」の方が良いので、やはりこちらの自主性が低いことと、どの方角にせよ作品としての魅力が足りてなかったかと思いました。いえ、二つとも感想は投稿された直後に読んだのですが、コメント入れるのに一呼吸置いたほうがよさそうだと思って今書いてます。
    また学びのある企画になりました。
    改めて、ありがとうございました。

    作者からの返信

    試み自体はすごく面白いなーとワクワクしていたのですが、試みに引っ張られすぎたのかなーという気はします。
    いずれの作品も「もう片方の作品がいるから」と思いすぎているというか。

    ただ、それはそういうコンセプトならそれでも何も問題ないんですよね。ニコイチで互いを補いあう二作品と思えば、それは立派に作品コンセプトになりますから。クイズの管理は「長い旅を往く。」の課題として、「短い旅を終える。」の自立性が弱いのはニコイチコンセプトとしては何も問題ないんですよね。そういう作品なだけで。

    方角について考えるならこうですよというだけですね。
    もちろん本二作が「ニコイチ」をコンセプトにしているのではなく、「ニコイチなのに各作の方角は大きく違う」をコンセプトにされているのならクリティカルな指摘にはなってしまいますが。
    「同じ物語で、両作品の要素を補いあう二作品」
    「同じ物語で、それぞれ方角が大きく違う二作品」
    「同じ物語で、両作品の要素を補いあいながらも、それぞれ方角が大きく違う二作品」
    と三つほどコンセプトが考えられますが、下に行くほど難易度は跳ねあがっていきますね。本二作は「同じ物語で、両作品の要素を補いあう二作品」としては立派に成立していると思いますが、「同じ物語で、それぞれ方角が大きく違う二作品」から下は本感想のとおりと認識しています。

  • おおおおお。

    めちゃ的確な指摘を頂きました。
    フィンディルさん、ありがとうございます。

    「“ギャグに憧れているコメディ”」ですか。これ、言われてみればその通りなんですよね。でも自分では気づいていなかった。

    フィンディルさんの、この慧眼にはひれ伏すしかありません。

    あと、「ギャグコメディ」の考え方も意識していなかったです。
    自分のやり方は、ある程度ストーリーラインを考えてそこにギャグを盛り込んでいくものなので、この「ギャグコメディ」そのまんまです。
    そして次の指摘で「ギャグが弱い発露・爆発が弱い」にも納得しました。自分としては、羽目を外し過ぎるとストーリーが収まらない気がしていて、敢えて丸く収めるように書いていたと思います。もっと爆発させれば西に向くと分かって良かったです。

    「粗雑さをあえて配置・放置」というのもその通りです。意図的にやってます。登場人物は昨年の作品からそのまま持ってきてますし(オイ!)、人間サイズに原子炉の搭載なんて無理ですし、仮に搭載可能だったとしても、複数の安全装置が設けられていて簡単にメルトダウンしないはずですし。最新(開発中?)の小型モジュール炉は3メートル程度らしいので、ガンダムサイズ(18m)のロボなら搭載できそうですね。

    往年のギャグについては、私が古い人間である事と、古いものは定型化している部分もあってオマージュであると認識されることが多いのではないかと思っています。
    新しいネタ、例えばアニメだと鬼滅の刃やスパイファミリーなど、ゲームだと艦これやウマ娘などが挙げられると思うのですが、この辺は取り扱いを間違えるとパクリや二次創作になってしまいそうな不安があります。この安心感は使う側の安心感であると言えます。この部分でも挑戦していく姿勢が必要なんだと思いました。

    今回も沢山の貴重なアドバイスを頂きました。
    どうもありがとうございました。

    作者からの返信

    ストーリーが収まらないことを気にするのはやはりコメディ的と思います。
    不条理ギャグでストーリーが収まるかどうかを気にしたって仕方ありませんから。
    散々ギャグや世界観を爆発させて受け手に「これちゃんとストーリー収まるの!?」と思わせておいて、案の定収まらずにそれがどうしたっていう顔をするのがギャグの基本と思います。
    受け手に「これちゃんとストーリー収まるの!?」と思わせておいて見事に収めてみせるなんてのは真北エンタメに任せておけばいいのです。

    それと往年のギャグというのは、往年の版権から引っ張ってきたギャグということではなく、ギャグの発想そのものが往年ということですね。
    確かに近年の版権から引っ張ってくれば表面的な目新しさは得られますが、根本的な往年さが変わるかというと微妙だと思います。

    登場人物を昨年から引っ張ってきているのは、霜川君はわかっていましたが他キャラまでは把握してませんでした。
    「暗黒星雲さん、霜川っていう名前が好きなんかな」と思ってたくらいで。
    ここはもうちょっと気づけたなー私、と反省ですね。


  • 編集済

    こんばんは。
    作品を読んでくださって、感想を書いてくださって、ありがとうございました。

    北西だったのですね。書いている時は北西だと思っていたのですが、
    公開した後、コメントを頂いた後は、北北西だと思っていたので、
    いつも通りなのだなと勝手に思っていたのです。

    でも、龍に乗って飛ぶのを書いてないので、北西になっていたのだなとか、理解しました。
    いつものパターンだと、いつも通りだなという気持ちもあり、
    いつもと違う、を目指してみたかったのです。

    最初は、窓が開いた時に、満月が見えるのも書いたのです。
    ふわっとした感じの伏線? ではありますが、
    春の嵐の後なので、分厚い雲間から満月が覗くシーンを書いていたのですが、
    なんか、上手い描写ができなくて。

    元々、作品を書く時に、自分好みの美しい描写をすることを一番大切にしているというか、
    色とか、雨とか風とか月とか花などの自然を書きたいと思っているのです。

    でも、今回はなんだかうまくいかなくて、花は夜ですし、主人公視点では家の中からは見えないので、香りだけになりました。そういうのも好きなので。

    そういうことを考えると、わたしにとっての一番の面白みは自然の美しさ、ということになるような気がします。動物の可愛らしさを書くことも好きなのですが。

    一番最初に浮かんでいた、龍に乗って空を飛ぶシーンも、満月があれば美しいと思うのですが、
    わたしの中ではよくあるイメージで、空を飛ぶシーンは何度か書いている気がするな、くらいな感じなのです。
    新しさがないのもあるし、北北西になりそうで、
    いつもと違うことを書きたいという気持ちを、大切にしてみたのです。

    >「わたし」にとってりゅうさんとはどういう存在なのか、どうして「わたし」にとってりゅうさんはそういう存在なのか、こういう半径の狭い規模感でりゅうさんに言及する。この角度だと「わたし」が深掘りされるようになるので物語が動かない作品でも一定の映えが出るのではないかと期待します。し、桜庭さんの得意分野のはずです。

    うーむ、たぶん、思春期の子なら、主人公の内面が深く書きやすいと思うのです。
    この子は幼すぎて、あまりわたしとは合わないと言いますか。

    繊細な感情がまだないと言いますか、言葉を知らない、言葉にできないのかもしれないのですけれど、
    まだ、内面はあまり書けない、年齢なのです。
    と、感想を読みながら思い出しました。

    わたしがこの子の内面を深く理解していない、入れないだけなのかもしれませんが。

    わたしが一番、キャラに入りやすいと言いますか、心を書きやすいのは思春期なのです。

    なんてことを思いましたが、今回は、難しいなと、読ませて頂きながら感じたので、
    またじっくりと、読ませて頂こうと思います。

    追記

    思春期の女の子主人公で、自然な自分らしい作品を書き始めました。現代ドラマの普通な話です。わたしの中では。

    たぶん、北北西になりそうですが、方角企画は四作遊んで、いろいろな方角を楽しんだので、
    五作目は、楽に自然にあるがままな感じで、楽しもうと思います。
    自分色だと楽しいというよりも、梅雨な感じになる気がしますけれどね。雰囲気的に。

    作者からの返信

    桜庭さんは自然の美しい描写を書くのがご自身の持ち味だと考えられている。
    しかし本作は夜の部屋を舞台にしているのでこれを表現するのが難しく、香り程度になっている。

    夜の部屋であったって、自然の美しさを描写していいんですよ。
    それは何か工夫して部屋の中に自然を出現させようということではなく、自然が見えなくたって自然を表現していいということです。
    見えないものは描写してはならない、なんて決まりはありませんから。作品が作品として美しければ何でもいい。
    夜の部屋には自然の香りだけしかないなら、それを膨らませて自然の美しさを表現してもいいでしょうし。
    さすがに真北なら違和感が出てしまうかもしれませんが、ある程度西に傾けばそんなことをわざわざ気にする必要もないと思います。

    また「わたし」を掘り下げるとは、繊細な感情を書きましょうと決まったわけでもありません。深掘り=内面描写、ということでもありませんし。
    繊細な感情を抱かない幼い子であっても心はありますし、人生はあるし、生活はある。
    ではどうすれば「わたし」という存在を言葉で伝えることができるのか。
    これも考えてみられると、より世界が深まるんじゃないかなと思います。
    桜庭さんが思春期の人物の繊細な心情を描くのが得意で好きなのは、もちろん知っていますよ。

    もちろんどういう作品を書いていくのは、桜庭さん次第ですけどね。

  • 作品を読んでいただきありがとうございます!
    感想いただけて嬉しいです。


    企画に参加させていただいて、フィンディルさんもおっしゃる通り、自分の基本ベースは北向きなんだな〜と思いました。感覚的に書いていてもある程度のストーリーラインは必ず想定しているので納得です。「こういうの、排除していっても小説って成り立つんだ!」という驚きもあり、今回の経験を通してとても視野が広がりました。


    まひろと美涼の淡い関わりにも気づいていただけて嬉しかったです。確かに私、メリハリをつけてはっきり書き切るのを避ける癖があるなあと気づきました。一応の事実は想定しつつ、あえてギリギリぼやかして踏み込み切らない方がしっくりくる……。


    自作内の登場人物も現実に存在する他者と同じに見えるというか、「この人、口ではこんなこと言ってるけど本心わかんないな〜」みたいな気持ちになる時も結構あるんです(長編とかだと、書いていくうちに後からわかったりします)。


    「登場人物も他者であり未知である。ゆえに断定はしきれない」みたいな、この距離感が西的な『手グセ』の正体かもなあ、と、自分の胸の内を探って思いました。ほめていただけて嬉しい!大事にします。


    『良くない手グセ』の方も、そういうことだったのかー!と大いに納得。言われてみれば、確かにその辺に自分でも引っかかりを感じたんです。かと言ってどうすればいいかもわからず、そもそも直すべきかどうかもわからず……だったのですが、私の作風的には別の表現でどうにかした方が絶対にいいですね(実は「予想通り」の前をもうちょっと書き込もうかとも思ったんです。でも例の『書き切らない方がしっくりくる』が発動してやりませんでした笑)。


    もしくは読者にめっちゃ親切な主人公を意識して書いてみるのも、新しい挑戦になって面白いかも、なんて……それはそれでワクワクしますー!


    長々とコメント書いてしまってすみません。「そうそう、そうなんです!」って言いたくなる箇所が多すぎて! この企画では『簡単な感想』とのことですが、かなり丁寧に書いていただけて嬉しかったです。


    素敵な感想をありがとうございました!

    作者からの返信

    こちらこそありがとうございます!

    仰るとおり、瀬名さんは基本のベースは北向きで、そこに西向きの表現を乗せているタイプの作者だと思います。一作しか読んでいませんけどね。
    なので確かにバチバチに真北のなかに入ると浮いてしまうんですけど、瀬名さんが伸び伸びと創作してきちんと評価される場はちゃんとあると思います。北北西ってそういう創作だと思います。
    なので安心して、ご自身の創作を突き詰めていいんじゃないかなと思います。場所選びは大事でしょうけど、選べるだけの場はあると思います。

    「登場人物も他者であり未知である。ゆえに断定はしきれない」という感覚は、特に大事にしていただきたいな~と思います。
    多分瀬名さんは「もっと社会に迎合していこう」という方向の研鑽は気が進まないと思いますが、「もっと自分の創作・感覚を磨いていこう」という方向の研鑽は気が進むんじゃないかなと思います。
    そして実際、(メソッドがある程度確立している)「もっと社会に迎合していこう」よりも「もっと自分の創作・感覚を磨いていこう」のほうがずっと難しいので、それだけ挑戦し甲斐もあるんじゃないかと思います。

    フィンディルの感想や他の方からの感想も受けて、「自分の創作は受けいれられるんだ」と自分の創作への安心感を感じていただけたなら嬉しいです。

    「簡単な感想」というのは飽くまでフィンディル比での話です。
    「作品を読んだその日に感想を執筆する」は通常の私の感想執筆からは考えられないくらい簡易的なもので、他の感想執筆工程もかなり簡易的なんですよね。
    これを“ちゃんとした感想”と呼びたくないなという個人的な想いがありまして、「簡単な感想」と銘打っているという次第です。
    良ければ方角企画が終わったあとにでも、「フィンディルの感想」をチェックしてもらえると嬉しいな~と思います。「フィンディルの感想」で検索すれば出ますので。「なるほど確かに方角企画のは“簡単な感想”だ」と思ってくださるんじゃないかなと。

  • 想定される質問への応援コメント

    >またタイトルのみならず作品内容まで酷似している場合は、相応の対応をとる場合があります。

    こんばんは。
    今、たくさん推敲をしてから一作目を出したのですが、
    完成している二作目は、今週末にしようと思っています。

    一作目のコメントのお返事を丁寧に書けたらいいなと思っていますし、
    リアルでも大事な予定があるので、それが終わってからがいいかな?
    と思っているのです。

    なので、似た内容の作品が先に公開されたらと、不安な気持ちが出てきましたが、
    昨夜書いた近況ノートには、二作目は「真南」で短い、ぐらいしか書いていませんからね、
    内容は分からないはずです。
    わたしの好み、そのままなので、
    わたしの作品をよく読んでいる方は、分かる気もしますが。
    ちゃんと「真南」を意識しながら、新しく書いたのです。
    「好きな世界」を書いただけで。

    まあ、何か、お言葉を頂いた場合は、
    その時はその時で、
    三作目のために、今は、知りたいことのお勉強をしながら、
    物語が浮かぶのを待つことにしますね。
    って、コメントが長くて申し訳ないですが、
    あと一作出したいので、他の方の作品を読んでしまうと影響されそうな気がします。

    似たのは書かないぜ!! と思いながら読んだら良いのか。
    いや、読む時は純粋な気持ちで、読みたいので、
    そのあとに、似たのを書かないように、
    わたしの好みで、わたしらしく、理想とする方角に向かって、物語を産み育ててゆきたいなと思います。

    作者からの返信

    明らかに文章を同じにしてきてるよね、とか露骨に悪意を感じるレベルでなければ問題ありません。
    「またタイトルのみならず作品内容まで酷似している場合は~」は、「タイトル同じ感じでも気にしないでね」を拡大解釈されないための一文なので桜庭さんは気にしなくてOKです。

    仮に似ている部分があったとしても、「影響を受けた」程度で問題にすることはないと思います。