あっけない爪痕

 真上を見上げても太陽など見当たらないが、何故か周囲は明るい。


 おまけに階段の一つ一つが光に照らされてキラキラとグラデーションを変えながら七色に輝いている。


『なんか、雲の上を歩いているみたい。現実感が無いというか。まあ、それはこっちに来てからずっとなんだけれど』


 踏みしめた板は固くないが柔らかくもない。


 というよりも踏んだ質量すらない階段だが段差が低い上に段どうしに隙間がなく、おまけに虹色に発光していたため、金森も少女も踏み外すことなく進むことができた。


 階段はどこまでも続いていて終わりが見えそうにない。


 上り始めてから十分と経っていないはずなのに、チラリと目線を下に落とすと地上からはだいぶ遠のいていて女性が豆粒のように小さく見えた。


 じきに下を向いても何も見えなくなる。


 階段を上って地面が見えなくなったら、それ以降は一切振り向かないこと。


 少女には決して視線を向けず、例え話しかけられたとしても無視をすること。


 そして繋いだ手から少女の力が抜けたのを感じたら、そっと手を放して階段を上ることを止め、ジッとその場に待機すること。


 これらが、女性から伝えられた話の内容だった。


 ふざけた雰囲気の目立つ女性だったが耳打ちをしている最中は非常に真剣で、約束を守らねば最悪の事態にすらなりかねないと話していた。


 そのため金森は女性との約束を忠実に守り、少女に、


「どうして、むしするの? つのおねえちゃんに、おしゃべりはだめって、いわれたの?」


 と、震える声で不安そうに問われても無視をした。


 ギュッと手を握られても決して握り返さない。


 前だけを向き、歩調のみを合わせて黙々と歩き続けた。


「ひびきおねえさん、ひどいよ。もしかして、わたしのこと、みえなくなっちゃったの? ねえ、わたしのこえ、きこえる? ひびきおねえさん、ひびきおねえさん」


 不安そうな声はやがて大きく震え始め嗚咽を漏らすようになる。


 一分と経たずに泣きじゃくり始めた少女の小さな声だけが金森の鼓膜を揺らしたが、それでも彼女は無視をした。


『絶対に反応しちゃいけない。分かっていても辛いわね』


 金森は元々お人好しだ。


 泣いている子供がいたら駆け寄って、どうしたの? と声をかけるような性格をしている。


 そのため、少女の涙声と鼻をすする音を聞いてズキズキと心臓が痛んだ。


 少女の頭を撫でようとする右手をギュッと握って、思わず漏らしてしまいそうになった溜息を飲み込む。


 そうして金森は淡々と階段を上っていたのだが、不意に左手の方に違和感を覚えて立ち止まった。


『あれ? なんか、隣から存在を感じない……あっ!』


 手の中にあった少女の右手がズシリと重くなる。


 完全に力が抜けたのだと知ると金森も慎重に手を握る力を緩めた。


 すると少女の小さな手がスルリと金森の手のひらを抜け出し、ダラリと力なく垂れさがる。


「……おね、ちゃ……わた、し……わた、し?」


 自我の無い声はそよ風にすら掻き消されてしまいそうなほど弱々しい。


 ポカリと空いた唇から漏れ出る音は段々と不明瞭になって掠れ、消えていく。


 少女がこの体験をするのは二度目であり、一度目は金森に発見される直前の花火大会の会場で起こっていた。


 少女は一度失敗してしまった成仏をやり直し、再び天へ昇ろうとしていたのだ。


「……」


 震える唇は何かを語っているのだが、金森でも聞き取れぬほどに小さくなった。


 誰にも存在を教えてもらえない少女は指の先や目の縁から光の泡を放出し、ゆっくりと崩れていく。


 出来上がった光の泡は上へも下へも飛ばず、その場で一つずつ弾けた。


 まるで水面に浮かぶ泡がポツン、ポツンと消えてしまうようでショッキングな光景だが、金森は何故か恐怖を感じなかった。


『これは、消えてるわけじゃないのかもしれない』


 目の前で光が弾けた時、金森は直感した。


 金森の目には、彼女自身が幻想世界へ飛ばされた時のように少女の光が別の世界へと飛ばされたように映ったのだ。


 金森が静かに少女の冥福を祈っていると、不意に腰に違和感を覚え、つい、そちらを見てしまった。


 そこには、光の塊になった幼い手が金森のスカートを掴んでいるのが見えた。


 ここまで成仏が進んでいれば、金森が少女に話しかけようと彼女が戻ってくることは無い。


 金森は無言で少女の手を包み込んだ。


 肌が触れた瞬間に少女の光が弾ける。


 少女は何処かへ行ってしまった。

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