食事しながら嗜む花火

 時刻は午後六時半過ぎ。


 基本的に飲食コーナーのテーブルは満席で一つも空きが無いが、後三十分もしない内に花火が上がるため、ベストな位置から花火を見ようと少なくない人数が観覧席へ移動していく。


 おかげでチラホラと空席が目立つが、金森は迷うことなく飲食コーナーの中を進んで行った。


 やがて、目指していた位置に空席があるのを発見すると嬉しそうに荷物を置き、博士を座らせながら赤崎たちに手招きをした。


「ここの席が空いてて良かったわ! この席はね、飲食しながら花火を見られるベストスポットなのよ。ただし、空が雲一つないくらいに晴れていないといけないっていう条件付きだけれどね」


 自信満々な金森が見上げた空は、色ムラをつける雲が一つも存在していない快晴ほどのだ。


 屋台の並ぶ道理路よりも周囲の光が減ったおかげで天のような星々が大小、様々に輝いているのが見える。


 紫がほんの少しだけ混じったような濃い黒が奥の方へどこまでも続いていて、夜空というよりも宇宙の一部だという印象を強くさせていた。


 金森が言うには、ここまで晴れていれば問題なく花火を楽しめるらしい。


 祭りでは非日常感を味わえるため多くの刺激を受け、高揚感を覚えることができるが、その分、気力や体力を使ってしまって激しい疲労を感じることとなる。


 はしゃぎ疲れた金森たちは、普段は身につけない衣装で動き回ったこともあってクタクタになっていた。


 特に疲労が強いのは清川と博士だ。


 二人は椅子に座った途端に脱力して、背もたれにシッカリと体を預けていた。


「人混み、凄かったね。ちょっと疲れちゃった」


 額の汗をハンカチで拭いながら清川が眉を下げて笑う。


 それから購入したラムネで喉を潤そうとしたのだが、清川の貧弱な喉が炭酸に負けてボフッとむせ、慌てて口を塞いでいた。


 ゴホゴホと咳き込む背中を守護者が心配そうに撫でている。


「あらあら、藍は炭酸が苦手なのね。お茶要る?」


 金森は基本的に炭酸飲料が好きだが、ちょうど、お好み焼きを買った時にオマケでつけてもらったミニペットボトルのお茶を持っていた。


 清川の息が整ったタイミングで声をかけ、お茶を手渡せば彼女は嬉しそうに微笑んで「ありがとう」と礼を言う。


「私も皆みたいに、ラムネを飲んでみたかったんだけれどなぁ」


 お茶を両手で持った清川がしょぼんと落ち込んでいる。


 ところで、目に見えて体力のある赤崎は周囲を眺めたり戦利品を眺めてワクワクとはしゃいだりしているし、体力の無い清川と博士は休むことに集中して静かに席に座っている。


 そんな中、食いしん坊であり疲労は食で回復するというワンパクな思想を持つ金森だけが、黙々とテーブルの上に購入した食べ物を並べていた。


 外気に晒され続けたせいで埃っぽくなった机上が料理で埋まれば金森は満足そうに笑う。


「花火まではまだ時間があるし、何よりお腹が空いたからね! 早速、食べ始めましょうか」


 金森が「いただきます」と両手を合わせると清川たちも食事に関心を向ける。


「私達も食べようか。守護者さんも食べるかなぁ?」


「守護者は要らぬそうだ。ブラッドナイトは、まあ、お前は食うよな」


 守護者がフルリと首を振って「私は大丈夫ですよ」と笑うのを代弁すると、赤崎は膝に座るブラッドナイトを見て苦笑した。


 ブラッドナイトは黒い瞳孔を丸く、大きくしたキュルンキュルンの瞳で赤崎を見つめ、舌なめずりをしながら「うにゃん」と鳴いている。


 普段は無口な割に、甘える時には随分と可愛らしい声を出せるようになるらしい。


 太い尻尾でペシンペシンと赤崎の太ももをはたき、「早くしろ!」と急かしている。


 仕方がないな、と割り箸で掴んだタコ焼きを口元まで運べば、ブラッドナイトが柔らかい口がグワッと開いて鋭い牙を見せつけ、丸い生地を一口で口内に押し込んでしまう。


 空中で消えるタコ焼きに清川は目を丸くした。


「わっ! 凄い、一口だ。でも、猫ちゃんがタコ焼きを食べても大丈夫なの?」


 タコ焼きには通常、ネギが入っている。


 そうでなくとも、雑食である人間の食べ物は他の動物にとって毒となるものばかりだ。


 ブラッドナイトが食事をしている姿を見たことがなかった清川が不安そうに眉を下げた。


「大丈夫だ。俺も初めてブラッドナイトがチョコレートを食べ始めた時には焦ったがな。だが、博士や守護者が言うには中身、つまり内臓などが普通の猫の物ではないらしい。まあ、マボロシだからな。ブラッドナイトは」


 そもそも、体の中に内臓が詰まっているのかということや、食べた物がどこに行っているのかも不明であるらしい。


 摂取した栄養が直接エネルギーに変換されているのではないかと推測はできるが、確たる証拠もない。


 毛皮の奥はブラックボックスで、解剖しなければ中身を知ることはできない。


 いや、解剖しても中身を理解することはできないかもしれないが。


 とかくマボロシとは不思議な存在なのだ。


 赤崎の言葉に博士がコクリと頷く。


「まあ、そもそもマボロシは食事を必要としないし、僕も基本的に食べなくても平気になっちゃったんだけどね。飢えることも無くなっちゃった。それでも、食事が目の前にあれば食べようかな、とは思うことができるけれど。ところでブラッドナイトさん、猫舌の方は大丈夫なのかい?」


 博士の問いにブラッドナイトは「むにゃ!」と自信ありげに鳴く。


 余裕だ! と言いたいのかもしれない。


 その隣で赤崎が顎に手を当て、ふむ……と、考え事を始めた。


「確かに、ブラッドナイトは熱いものも平気で食うな。だからあまり気にしたことは無かったのだが、冷静に考えるといれたてのお茶をチッタチッタと舌で飲んで……ブラッドナイト! お前、大丈夫なのか!?」


 金森と同様に食事はアツアツ派のブラッドナイトは、朝、赤崎に淹れてもらった熱い茶を優雅に舌で飲むのがお気に入りである。


 スープもあんかけ焼きそばも、できたてを美味しそうに頬張る。


 今更ながら不安になってしまう赤崎だが、ブラッドナイトはニヤリと口角を上げるばかりである。


「まあ、聞いておいてなんだけれど、ブラッドナイトさんは猫じゃないし、本人が平気そうにしているなら大丈夫なんじゃないのかな? ところで怜さん、半分以上食べられちゃってるけど良いの?」


 油断も隙もあったものではない。


 ブラッドナイトは、赤崎が目を離している内に鋭く長い爪でタコ焼きを突き刺しては口に放り込むことを繰り返していた。


 おかげで、八個あったはずのタコ焼きが残り三つになっている。


 赤崎はギョッとしてタコ焼きとブラッドナイトを交互に見た。


「良くないぞ。俺だって流石に腹が減ったからな。ブラッドナイト……お前というやつは、全く! 残りは金森響にでも分けてもらえ!」


 彼を見上げるブラッドナイトの表情はどこか自慢げで、一切の悪気がない。


 おまけに長い舌がペロペロと自身の口元についたソースを舐めとっており、まるで、


「ごちになりました。あざっす!」


 と、赤崎を嘲笑っているかのようだ。


 ブラッドナイトは少し悪い猫である。


 赤崎はワシッとブラッドナイトの脇の下に両手を入れ、みょいんと持ち上げる。


 そして、誰よりもブラッドナイトに甘い金森へ引き渡そうとしたのだが、ちょうど彼女はタコ焼きを食べ終えたところだった。


 金森は最後の一つを美味しそうに咀嚼し、ラムネで一気に流し込む金森は満面の笑みを浮かべている。


「ふぃー! やっぱりお祭りと言えばタコ焼きね! 広島風お好み焼きもいいけど、やっぱり私はタコ焼き派だわ!」


 タコ焼きがベストと言い張る金森だが、その隣にはシッカリと広島風お好み焼きがある。


 金森に持ち帰って自宅で食べるなどという考えはない。


 タコ焼きの完食後に食べられるよう、キチンと袋から出されて、輪ゴムの封さえ解けば食べられる状態にまで準備されていた。


「金森響、お前、食べ過ぎじゃないか? 食べるのも早いし」


「当たり前よ! 縁日な食べ物を食べるためにお金を貯めたんだから!」


 一見すると大きく見えるタコ焼きは実際には生地ばかりで、ネギなどのまともな具材すら碌に入っていない。


 タコも小さすぎて、ムチムチというよりはコリコリとしたスナックのような食感のものが一つ入っているだけだ。


 場合によっては入っていないことすらある。


 しかし、縁日で出されるタコ焼きにクドクドと文句をつける者もは少ないだろう。


 何故なら、こういう物は雰囲気で食べているからだ。


 雰囲気的に美味しければ微妙なタコ焼きも至高の一品になる。


 いや、むしろ、いかに安く仕上げるかに注力された微妙なガッカリタコ焼きだからこそ持つことができる愛しさと風情がある。


 金森は、専門店の物とは比べることすら難しい、縁日の微妙な食べ物が大好きである。


 そのため、金森は貯めた小遣いをつぎ込んで食べ物を購入し、黙々と食べ進めていた。


 一つ目に見えたタコ焼きも実は二つ目であり、広島風お好み焼きも実は二つ用意されている。


 まあ、二つ目の広島風お好み焼きに関しては、


「あら、ブーちゃんも食べるのが好きなの? 少し食べにくいから気をつけて食べるのよ。ふふ、ガッついて可愛いね。のどに詰まらせちゃ駄目よ」


 といった調子で、デレデレとした金森からブラッドナイトへとあけ渡されたのだが。


 ところで、元々食べる速度が速い金森だが、今回は普段よりも急いで食事をしているようだ


「響ちゃん、食べるの早い」


「早食いは良くないですよ、金森さん。ちゃんと味わって食べましょう」


「大丈夫! ちゃんと美味しいと思って食べてるから! それに、早く食べなくちゃ、かき氷が味付きの水になっちゃう! かき氷は鮮度が命よ! それにしても凄いわねぇ、最近のかき氷は。まさかカップが輝く使用になっているとは」


 早食いの問題は美味しいと感じるか否かではなく、消化吸収の効率が悪くなることにあるのだが。


 まあ、金森は胃腸が強いから腹痛などは起こらずに済むだろうか。


 金森は守護者たちの言葉を適当に流すと、プラスチックの容器に残った焼きそばをかき込み、今度はかき氷を手に取った。


 プラスチック製の容器は二重になっており、内側には球体のミニライトが入っていて刺激を与えるとビカビカと激しく点滅する。


 おまけにプラスチックにはラメが練り込まれているようで、夜闇に輝く姿は美しいというよりも、やかましい。


 なお、商品名は「電撃ショック! ラメラメスーパーかき氷」である。


 刺激的であるのは商品名だけにしておけば良いものを、真っ白い氷には通常のシロップに各種エナジードリンクが混ぜ込まれた改造シロップがたっぷりとかけられており、その上に胡椒やシナモン、コリアンダーなどの各種スパイスがトッピングされている。


 実にやりたい放題な一品だ。


 何故、大人しくイチゴやブルーハワイなどの味を用意しなかったのか。


 キラキラにしたいのならばアラザンやスプレーチョコでもいいじゃないか。


 大体、その食べ合わせは色々と大丈夫なのか?


 そのような常識的な問いは、例のかき氷屋には一切通じない。


 あの屋台の周辺だけは魔境であった。


「響さんのかき氷は、容器以前にツッコミどころがある気がするけど」


 博士は約二十年という時を幻想世界で過ごしているため、体に変化が生じ、人間ともマボロシやカクリツなどといった幻想世界の住人ともつかない、不思議な存在になってしまった。


 そのため実年齢は三十歳を超えるが、外見は幼く、彼が洞窟に住み始めた小学生くらいの姿で止まっている。


 内臓や脳のような中身の年齢まで止まっているのかは不明だが、少なくとも肌年齢は十代のようだ。


 そんな彼にエナジードリンクがドボドボと注がれ、胡椒で天辺が黒くなったかき氷を渡すのは気が引ける。


 そのため、博士には唯一まともなかき氷である、抹茶のかき氷に缶のゆで小豆と練乳がトッピングされた宇治抹茶もどきを購入した。


 地獄のラインナップの中にも救いがあるのならば、金森もそれを購入するのが自然な流れだろう。


 だが、金森は怖いもの見たさで、三種類のエナジードリンクが掛け合わされている上に胡椒がバサバサとかけられた品を注文してしまった。


 金森の雄姿を尊敬の目で見つめていたのは清川ただ一人であり、ブラッドナイト含め他の者たちはドン引きしていた。


 赤崎などは「腹を壊すぞ」と苦笑いをしていたほどである。


『テンションがハイになっていたとはいえ、我ながら変な物を購入してしまったわ』


 真っ白だったはずの氷は緑と黄色、そしてオレンジのエナジードリンクに侵され、底の方が灰色っぽく変色している。


 また、てっぺんに真っ黒い胡椒がふんだんに繰りかけられている姿は中々に刺激的だ。


 全体的に小汚く、匂いだけでも強いショックを受けてしまうことだろう。


 溶ける前に食べなければ、待っているのは得体のしれない黒い液体を飲む地獄である。


 通常のかき氷を食べるのとは違った理由で、金森は素早くかき氷を食べなければならなかった。


 かき氷を手に取れば、自然と友人たちの視線が金森に集まる。


 得体のしれない物を食べることもあって緊張してしまうが、こういう物を食べる時は勢いが肝心だ。


 金森は一番シロップと胡椒がかかっている部分をスプーンで大きく掬うと無造作に口へ放り込んだ。


 そして時折、眉をひそめながら無言で咀嚼していく。


「お味はどう? 響さん」


 一口目を食べ終えて無言になる金森に博士が恐る恐る問うと、彼女は微妙な表情で首を傾げた。


「んー、コショウと各種エナジードリンク、そして隠し味に入れられたニンニクとショウガで舌がかなりヒリつくけど、まあ、スパイシーなだけの甘い水ね。割と普通に食べられるわよ。氷で中和されてるからかしら?」


 好奇心のみで購入して食べきれずに捨てれば、金森は食べ物で遊んだことになってしまう。


 可能な限り食べきろうと思っていた彼女にとっては完食できそうな味で助かったのだが、正直、拍子抜けしてしまった。


 金森はつまらなさそうに見かけ倒しのかき氷を食べ進め、最後にカップを傾けて底に残った薄味の水を飲み干した。


 自然と目線が上の方へ向くわけなのだが、そうすると視界の隅に光の線が夜空を走ったのが見えた。


 目を丸くして線を追うと、空の天辺に駆け上がった時に光が丸く弾けて広がった。


 夜空に花火が咲き誇ったのだ。


 光と音では光の方が、速度が速い。


 遅れて聞こえた爆発音につられて清川たちも顔を上げれば、二発目の花火が上がるのが見えた。


 赤、白、黄色、緑。


 様々な色の花火が入れ代わり立ち代わり咲いては萎んで散っていく。


 盛大に咲き誇り、すぐに枯れ落ちて消えてしまう様子はまるで桜だ。


 しかし、そのように表現するにはあまりにも派手で力強い。


 周囲を圧倒する美しさに魅了された金森たちはジッと空を見つめ続けた。


『そろそろ、花火がなくなるのかな?』


 最初に比べて花火の上がる間隔が少し長くなっている。


 もうすぐ花火大会が終わってしまうのかもしれない。


 立つ鳥跡を濁さず、とでもいうように十数分後には普段通りの夜空が帰って来て、花火は完全に痕跡を消してしまう。


 目の奥に鮮烈に焼き付いた光だって、少しすればなくなってしまう。


 最期まで残るのは可視化できない記憶だけだ。


 そのような在り方も美しいが、やはり、どこか寂しくて切ない。


 感動を切り取って可視化できる状態にしたいと願った。


「ねえ、皆。悪いんだけど、一瞬だけこっちを向いてもらってもいい?」


 金森はスマートフォンのカメラを起動すると椅子から降りてしゃがみ、守護者を含む友人たち全員と花火が画面に入り込むように調整した。


 全員が金森の方を向いたのを確認すると花火を待ち、上がり始めたと同時に連写して確実に花火を画面の中に収める。


 写真撮影後に一際大きく咲いた花火が最後の一つだったようで、光と轟音が弾けた後、急に辺りが静かになった。

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