12 いち




銀山の近くでいちが働き出したのは

そこでは喰いっばぐれがないと聞いたからだ。

それまで住んでいた町にはもう住めない。

何も悪い事はしていないが追われる様に逃げて来た。


かと言ってすぐに仕事は見つからない。

風花が舞う底冷えのする夜に長屋の軒下で震えていると、

そこの若夫婦が哀れに思ったのか声をかけて来た。

家に入れてくれて温かい汁物を分けてくれた。

いちの事情を聴くと若夫婦の妻が働いている一杯飯屋に空きが出ると言う。


「赤んぼが出来たんだよ。」


と女房のたけが言った。

彼女は銀山近くの飯屋で働いていた。

そろそろ出産も近づき店は辞めるつもりだった。

それなら代わりに働かないかと。


いちは驚いた。

どうして見も知らずの女にそんなに親切にするのかと。

するとその亭主の又次がにやりと笑って言った。


「おまえさん、ちょっと前からこの辺りうろうろしてただろ。

で、どうするかと思ってたら色々な店の後片づけとかやってたな。

それで絶対に体は売らなかったよな。」


いちはそう言われて驚いた。

銀山のおかげで町は華やいでいるがなかなか仕事が決まらなかった。

それでも食っていかなくてはいけない。

色々な商店で皆が嫌がる仕事をこなして日銭を稼いでいたのだ。


ただ、女性はその気になれば簡単に金は儲けられる。

正直いちは貧相で見た目が悪かった。

それは無理だろうと自分でも分かっていた。

それでも何度も危ない目には遭ったが、

彼女はそれをしのぐ事が出来た。


「俺達の間でお前さん、有名だぞ。金的狙いってな。」


要するに男性の一番の弱点を狙って逃げていたのだ。


「あ、あの……、」


いちは真っ赤になった。


「良いんだよ、だいたいそう言う事をする奴は

男の中でも鼻つまみ者なんだよ。

たけが働いてる飯屋でもそんな奴がいてな、

みんな何があったか知ってるのに

見逃してやったみたいな事を言っていたよ。

店の亭主は何にも言わないけど、

そう言う奴に困っていたから裏では笑っていたよ。

お前さんがあの飯屋で働き出したら

赤っ恥かかされてるから来なくなるんじゃねぇか。」


翌日又次がめし屋の亭主に話をすると

二つ返事でいちの仕事は決まった。

いちはたけから着物を借りて身ぎれいにして飯屋で働き出した。


一度店に入って来た男がいちを見てぎょっとして

すぐに出て行った事があった。

店の亭主はいちを見てニヤリと笑った。


「おやっさんがあんたのこと褒めてたよ。」


ずいぶんとお腹が大きくなったたけがいちに言った。


「飯屋の?」

「そうそう、あんたが来てから妙な客は来なくなったし、

よく気が付いて働くって言ってたよ。」

「全然だめだよ、ここの人はよく喰うし、早くしないと叱られるし。」

「早飯早食いだもんな。」


とたけが笑った。


「でも金的狙いで男ってすぐ逃げるのかなあ。

あたしもいちに教えてもらおうかなあ。」


たけが言ったがいちは苦笑いをする。

実は彼女が逃げられた理由はそれだけではなかった。


ここに来てから何度も裏路地に連れ込まれた事はあった。

そして以前住んでいた町でも。


何人もの男がいればとても逃げられないだろう。

だがそんな時は必ず青い光が彼女を助けた。

その光は男達の眼を眩ませた。

その隙に彼女は男の股間を蹴り上げて逃げるのだ。


以前の町でもそのような事があった。

彼女の身分はどちらかと言えばかなり低い。

そして彼女にはもう親はいなかった。

一人暮らしの女は軽く見られる。

それ故に何度も危険な目に遭ったのだが、光が彼女を助けた。


だがそれがいつの間にか噂となり、

面白がった武士達が彼女に襲い掛かって来た。

そしていつもの通り光が輝く。


だがその武士の中には身分の高い武士の息子がいた。

その彼の話を聞き親が調べ出す。

そして今までの噂が調べられ、

怪しげな術を使う女と言われて捕らえられそうになったのだ。


彼女は逃げた。

青い光がその先を照らす。


そしてやって来たのは銀山で有名なこの町だ。

ここでは誰も彼女の事は知らない。

興味があるのは金儲けだけだ。

この街でも危ない目には遭ったが数回だ。

そして皆したたかに酔っていた。

光を見てもただの幻覚と思ったのかもしれない。


いちはとりあえずひっそりと生きていたが生活は苦しい。

寝る所もなく人目に触れない所で野宿が続いた。


そしてあの風花が舞う寒い日、

もう死ぬかもしれないとよろめきながら歩いていると

一軒の軒下にあの光があった。

彼女はふらふらとそこに近寄りうずくまった。

そしてちらと光を見る。


そこにはいつも見える顔があった。

男に襲われている時や逃げている時は厳しい顔をしていた。

だが今は優しく微笑んでいる。


多分大丈夫なのだ。


しんしんと冷えて来る中で少しばかり彼女は眠りかけた。

その時引き戸が開いた。


「あっ!」


たけが声を上げる。


「やっぱり、いたよ、又次。」

「お、おい、しっかりしろ、体がかちかちじゃねえか。

たけ、なんか温まるもん用意しろ。」

「ああ、分かってるよ。」

「こいつ、ここんとこ時々見た奴だな。」

「知ってんのかい?」

「ああ、噂の主だよ。強いらしいぞ。」

「へぇー。」


薄ぼんやりとした頭でいちは聞いていた。

そして彼女は助けられたのだ。


それからあの青い光は彼女の前には出なくなった。

危ない目に遭っていなかったからだ。


そして月が満ちてたけは子どもを産んだ。

その頃は又次とたけの隣の部屋にいちは住んでいた。

いちはいそいそとたけと赤ん坊の世話をする。


「悪いなあ、いちさん。」

「全然良いよう。このために多分あたしはここに来たんだよ。」

「そうかなあ。」

「それに赤子は本当に可愛いよ。世話が楽しい。」

「いちさんがいるから俺は安心して仕事に行けるよ。

頼むなあ、いちさん。」


と又次が笑う。


穏やかな日だ。そんな日が続くと皆思っていた。

だがある時、


「山で事故だぞ!」


人々が大騒ぎで銀山へと走って行く。

かなり大きな落盤事故が起きてしまった。

そしてその中に又次がいた。


つかまり立ちをしてにこにこと笑う赤子がいる所で

又次の葬式が行われた。

たけは呆然としているだけだ。

いちが全てを取り仕切り葬式を済ませた。


その後いちは葬式が終わるとすぐにたけの家に移った。


たけはしばらくぼんやりとしていたが、

赤ん坊はそんな訳にはいかない。

つかまり立ちしたと思えば次は歩き出す。

よちよちと一歩、二歩と毎日少しずつ歩く距離は増えていく。


気が付くと又次が亡くなって一年が経っていた。

その頃はたけもいちが働いている飯屋で一緒に働いていた。


ある夜、子どもは寝てしまい、

小さな蝋燭の火がゆらゆらと揺れている部屋で

いちとたけが寝ようとしていた時だ。


「ねえ、いち。」


たけがいちを見た。


「一年前だねぇ。」


一瞬いちは何の事か分からなかった。

だがはっと気が付く。


「そうだ、又次さん……、」


たけがふっと笑う。


「あたしの旦那なのに実は忘れてた。」

「ごめん、たけ、あたしも。」

「又次、怒るかな。」

「仕方ないよ、たけは子どもも育てながらだし。」

「言い訳かもしれないけどほんと大変だよ。

今も。

いちがいなかったらあたしも死んでたかも。」

「死ぬって……。」


二人はしばらく無言になる。


「多分そうならない様にあたしがここに来たんだよ。

軒下で動けなくなったの助けてくれたよね。」

「ああ、そうだったね。」

「赤んぼが生まれた後に又次さんがあたしに頼むなあと言ったんだよ。

だからそれ。」

「それって、それだけだよね。」

「そう、それだけ。」


いちがふっと蝋燭の火を消した。


「さあ、寝るよ。明日も忙しいよ。」

「そうだね、お休み。」

「お休み。」


やがてたけの寝息が聞こえてくる。

だがいちは眠れなかった。


ふと窓辺を見ると月明かりが隙間から漏れている。

彼女はそっと起きそこから空を見た。


月が煌々と空に輝いている。


満月だ。

こんな空を見たのはいつぶりだろうか。


前の町から逃げてこの町に来て飯屋で働き、

世話になった女の不幸を目の当たりにし、

彼女を助けて今ここにいる。


毎日が嵐の様だった。


多分自分はこの部屋でたけと子どもを助けて一生を過ごすのだろう。

だがそれでも良かった。

たった一人で生きて行くよりはるかにましだ。

彼女達が見つけなければ

野垂れ死んでもおかしくなかったのだ。


今は月の光を美しいと思う。

そんな心を持つ事が出来たのは彼女達のおかげだ。


するとふっと青い光が自分の隣に現れたのをいちは気が付いた。

久し振りの光だ。

その中に優しく笑っている男の顔がある。


いちはそれを見つめていた。

そしてほろりと涙が落ちる。

彼の手がそっと彼女の頬に触れた。

だがその感触はない。


やがて男の姿は消えた。


いちはしばらく月を見て布団に戻って行った。


それからもいちとたけは毎日の生活に追われた。

生きて行くだけで精いっぱいだ。

育った子どもには又次の面影があった。

それを支えにたけといちは生きて行く。

その後、光の男は一度も姿を現さなかった。


そしてある日、いちは飯屋で働いている時に倒れた。

店にいた者が驚いて倒れたいちを助けようと一斉に集まった。

客は口の悪い者ばかりでいちとは毎日あけすけな話ばかりしていた。

だがみなは心配した顔で大急ぎでいちを医者に運び込んだ。


その頃はたけといちが飯屋を継いでいた。

人の善い前の亭主と女房は既に亡くなっていた。

いちとたけはその二人にとても世話になったのだ。

赤ん坊が小さな頃は飯屋の女房が面倒を見てくれた。


いちはその翌日亡くなった。

結婚もせずずっとたけとその子どもと一緒にいた。

葬式の時は店の常連が次々とやって来た。


たけはその後も飯屋で働き、

その子どもは料理人になり飯屋を立派に続けた。


銀山はいまだに賑わっている。


そしていちが倒れた時に光の男はそっと寄り添っていた。

だがそれは誰にも見えていない。


みな知らない話だ。






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