第2話 人の恋愛に寄生する”ナニカ”

「人の恋愛に寄生する生き物がいるって知ってる?」


終電間近の電車、揺れる車内に記者の伊藤は座っていた。目の前のカップルが、やや興奮気味に会話をしている。


「“愛憑(あいづ)き”っていう名前らしいんだけど」


女性の声が印象的だった。柔らかい声で、けれどどこか楽しげにこう話し始めた。


「寄生?恋愛に?何言ってるかよくわからないけどまたなんか都市伝説の話?」

彼氏の方がめんどくさそうに返す。どうやらその女性は日頃からその手の話をするのが好きらしい。


「いや、今回のは私の友達の話でまじのやつ!その子がそのナニカに寄生されたんじゃないかって周りで噂になってるの!それに寄生されたら今までの性格とか全部変わって相手のことに夢中になるんだって。もう生活習慣とか付き合う友達とかも変わって別人みたいに」


「いやそれ普通に恋愛に夢中になっちゃってるだけじゃん。よく聞く話でしょ」


「違うんだって、ちゃんと話すから聞いて?」

彼女は怪異について話し始めた。

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大学生の佐伯悠真(さえき・ゆうま)は、恋人の里桜(りお)の寝顔を見つめていた。ふとした瞬間、彼女の頬に触れようとした指が震えて止まる。理由もなく、不安になる。


"なんでこんなに不安なんだろう。彼女が他の男に笑いかけたら、どうしよう…"


それは最初、ささいな心配だった。里桜のスマホを無断で見るようになったのも、ほんの出来心だった。だが数週間後、悠真は彼女のSNSのDMを監視するアプリまで入れていた。


「君の全部、僕に見せて。じゃないと、不安で…」


愛の名のもとに、彼は彼女を縛り続けた。


ある晩、悠真の部屋に友人の佐山が訪ねてくる。久しぶりに会った悠真は、やつれ、目の下に隈を浮かべていた。


「…なあ、佐山。おかしいんだ。俺、なんかずっと…燃えてる感じがする。愛してるっていうか、追い詰められてるっていうか…」


佐山はふと部屋の隅に目をやる。そこに、何かがいた。


黒い霧のような、人の形をした…何か。


それは悠真の背中に張り付き、脈動していた。まるで彼の感情を吸い上げ、膨らませているかのように。


「…見えるのか?」


佐山は民俗学を専攻する大学院生だった。地方の伝承で読んだことがある。“愛憑(あいづ)き”という怪異。


“愛憑”は、人の恋愛感情に寄生する。


優しさも不安も、独占欲も、全部を歪めて増幅させる。そして宿主が恋人を壊すと、満足して次の人間へと乗り移るのだ。


佐山は忠告する。「離れろ、悠真。あれはもうお前の感情じゃない」


けれど悠真は聞かない。「俺の愛は本物だ!あいつがいなきゃ、俺は俺じゃない!」


その夜、里桜は消えた。


部屋には悠真が作った"愛の契約書"と、割れたスマホが残されていた。


数週間後。


佐山は大学のキャンパスでまた“それ”を見た。


別の女の背に取り憑いた、あの黒い霧。


女のSNSの投稿には、こう書かれていた:


「彼が私を愛してくれるの。全部、私のものになるって」


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「こわ!笑

 本当にそんなのいるのかよ」


「いるよ。だって私の友達の話だもん」


「もしかして俺にその怪異寄生してたりして」


彼氏が、笑いながら言った。


「そんなわけないよー」


彼女は笑って答える。

そんな会話をしながら二人は電車を降りていった。


その瞬間、彼らが電車を降りる間際、伊藤の目が釘付けになった。


彼女の背中。そこに、黒い影が張り付いていた。


霧のように揺らぎながら、ゆっくりと伊藤の方を振り返るように──


伊藤は声も出せず、そのまま電車のドアが閉まるのを見届けた。


去っていく彼女の顔は伊藤の方を向いたまま「気づいた?」と言わんばかりの不気味な笑みを浮かべていた。




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隣の怪異【短編集】 赤色 @akairo_sink

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