迷いと祝福と (3)

 自分の行為が無駄ではなかったという言葉に、ロットは少なからず救われた気がした。しかし、依然として少年の中の不安と葛藤は残り続けている。


「だけど、オレは結局あいつには遠く及ばない。ようやく始められた魔術の鍛錬だって、ちっとも上手くいかないんだ。こんな調子じゃ、フィアの隣に並び立つなんて……」

「……あのな、君。少しばかり思い詰め過ぎだ。私からすれば、その歳で未経験の魔術を発動させられている時点で上澄みもいいところなんだ。私が初めて治癒術を使えるようになったのは、十四の頃だぞ」

「そ、そうだったんですか?」


 意外そうな顔をするロットを前に、マルテは苦笑いを浮かべる。


「せっかくだから、少し私の昔話にも付き合ってもらおうか。もう随分昔の話になるが、私は修道女見習いだった頃、リーシャ様の世話役を務めていたんだ」

「それは……優秀だったんですね」

「いいや、むしろその逆だよ。あの当時、リーシャ様の名声は国中に轟いていた。彼女は神の声を聞くことができた本物の聖人で、教会内でも数少ない法術の使い手でもあった。同年代で彼女に憧れた人間は数知れず、私もそうやって教会に転がり込んだクチだ」


 マルテの家庭環境はお世辞にも恵まれたものではなかった。物心が付くより前に母親は病に倒れ、父親は酒に溺れて仕事もろくにしない。飲んだくれの父に振るわれる暴力から逃れるため、彼女は教会の門を叩いたという。

 だが、彼女には修道女の才能がなかった。神の声を聞くことはおろか、日々の勤めさえ満足にこなせない落ちこぼれだったという。マルテは当時の自分を、憧れだけで浅はかな小娘だったと自嘲混じりに述懐した。


「そんな折に、長年国を空けていたリーシャ様が本国に戻ってこられると報せがあった。あの時のリーシャ様の立場は少しばかり微妙なものでね。私が世話役に任命されたのは、どちらかといえば厄介者同士をあてがってしまおうという思惑が強かったようだ」


 しかし、そのような複雑な事情を当時のマルテが知るはずもない。憧れの人物に仕える喜びと落ちこぼれで至らない自分への気恥ずかしさを抱えながら、彼女と対面することになったという。


「リーシャさんは、どんな人物だったんですか?」

「こういっては不謹慎かもしれないが、意外に抜けている部分があってね。私はまだ十になったばかりだったのだけど、この人は本当に大丈夫かと何度も思ったくらいさ」

「意外ですね……聖人なんていうから、もっと凛とした人を想像していました」

「はは、私もまったく同じ感想を抱いていたよ。おかげで随分と生意気な物言いもした。だが、それが却って功を奏したのかもしれない。事の真意までは定かでないけど、『私の友人に、少し似ているかも』と言って、大層可愛がってくれたよ」


 きっぱりとした言葉遣いではあるものの、落ち着いた物腰の彼女からは想像のつかない過去だった。

 世話役をしていた期間はごく短い間ではあったものの、マルテはリーシャによく懐き、時には彼女から直々に治癒術の手解きを受けたりもしたという。


「決して優秀といえない私にも、リーシャ様は根気よく付き合ってくださった。それでもなかなか上手くはいかずに、不貞腐れてよく愚痴をこぼしてたっけ。そんなある日、私はとうとう癇癪を起こして教会を飛び出してしまったんだ」


 憧れの人物から教えを受けてなお、努力が実を結ばないことに対する苛立ち。そして、親身に接してくれるリーシャの期待に応えられない自分への不甲斐なさ。それらに心底、嫌気がさしてしまったのだという。

 行くあてもなく街を彷徨い、路地裏で膝を抱え塞ぎ込んでいるマルテにも、リーシャは嫌な顔ひとつせずに寄り添ってくれた。


「お腹を空かせている私を見かね、修道院じゃ滅多に口にできないお菓子まで買ってきてくれたりもしてね。今思えば、彼女には本当に甘え通しだったな……」


 ひとしきり泣きじゃくったマルテがようやく落ち着きを取り戻すと、リーシャは静かにこう訊ねたのだという。


「あなたはどうして、特別な力が欲しいの?」

「えっ? それは、あの……」


 そこに至り、マルテは自分の過ちに気付かされたという。


「私にはね、答えられなかった。ただ漠然とした憧れしかなくて、力を手にしさえすればきっとリーシャ様のようになれると思い込んでいた」

「マルテさん……」

「強い力を求めるなら、それに釣り合うだけの強い想いが必要なんだ。憧れなんて曖昧なものじゃなく、それこそ自分を懸けてでも成し遂げたいという揺るぎない意思がね」

「揺るぎない、意思……」

「君はフィアの隣に並び立つため、彼女の支えになるために魔術の道を選んだのだろう? 昔の私などより、よほどしっかりした動機を既に持ってるじゃないか」

「オレは……本当に、魔術師になれるんでしょうか?」

「なれるさ。君の強い想いは、いずれきっと実を結ぶだろう。願わくば、その力が彼女と君自身をたすけるために振るわれることを、私は祈っているよ」


 礼拝堂の鐘が、高らかに夕刻の訪れを告げる。

 マルテはおもむろに椅子から立ち上がると、ロットに向けてそっと手を差し伸べた。


「さて、すっかり長話になってしまったね。この話が少しでも、君の迷いを晴らす一助となってくれればいいのだが」

「ありがとうございます、シスター。何だか、肩の荷が下りたような気がします」

「それはよかった。……では、最後に一つだけ」

「え?」

「あの子を本気で好いているなら、何はなくとも無事に帰ってあげなさい。恋する女性にとっては、それが何よりも嬉しいはずだからね」


 一転して悪戯っぽく片目をつぶるマルテに、ロットは耳まで真っ赤にして狼狽える。


「なっ……!? べ、別にオレは、そんなつもりじゃ……」

「はは、若き恋人たちを祝福するのも教会の大事な勤めさ。祝言を挙げる日が来たなら、是非とも声をかけてくれたまえ。どこへでも喜んで馳せ参じるとしよう」

「か、からかわないでくださいっ!」


 抗議の声をあげつつ、逃げるように礼拝堂を後にするロットを、マルテは微笑ましげに手を振りながら見送った。やがて、大通りの向こう側にその姿が見えなくなると、彼女は踵を返して教会に戻っていく。


(……リーシャ様。私はあなたのように、道を示せたのでしょうか?)


 見上げた視線の先に、壮麗なステンドグラスが夕日を受けて無数の色彩を放っている。在りし日の聖女との邂逅に想いを馳せながら、マルテは胸の前で聖印を切った。


「どうか、あの子たちの未来に幸多からんことを」


 茜色に染まる空に、鐘の音と祈りが静かに木霊した。

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