初めての夜 2

「面白い?」

 ドアを使って懸垂をしながらアルが聞く。懸垂機より負荷がかかるらしい。

「休憩時間をずらしてとってましたら、マジマジと見るのは久しぶりですよ」

「そうだね。君も筋トレした方がいいよ。習慣は貴重だ」

「もう少ししたら。疲れ切った方がいい気がします」

 そうしないと眠れないだろうから。

「そうか。今日は別の意味で疲れただろうからね。筋トレで発散するといい」

「ご自身がそうなのですね」

「僕はまた別」

 さて、そうなるとアルの心中が想像ができない。アルは筋トレで流した汗をシャワーで流しにいき、メリッサも軽く3分間だけ無心に筋トレをする。軽い疲労が筋肉にたまり、気持ちがいい。アルはトレーニングウェア姿で戻ってきて、入れ替わりにメリッサがシャワーを浴びる。

 何百光年を一気に飛び越えてきたアルが、今夜、何千光年を飛び越えないとは限らない。もしかしたらアルが自分を求めてくるかもしれない。準備は万端だが、念入りにシャワーを浴びる。ピルは飲んでいないが、避妊具はばっちり用意している。アルは避妊具をつけないようなキャラクターではないと思うので、その点の心配はしていない。

 うん。頑張れ、メリッサ。

 髪をドライヤーで乾かし、ラフな格好で執務スペースに戻ると音楽がかかっていた。ムーディなJAZZだ。60年代だろうか。進行はそんなに難しくなく、耳馴染みがある音楽だ。

「おお、出てきたね。何かを見ようと思うんだけど一緒にどう?」

「ええ。いいですね。メジャーリーグでも、映画でも、お好きなものを」

「それは相談しよう。君はアルコールは飲む?」

「アルは?」

「僕は自分を律するために仕事以外では飲まないよ。知っているだろう?」

「今も自分を律してしまいますか」

「今こそ、自分を律するときだろ?」

「では、私もアルコールを飲まないことにします」

 1人だけ飲むなんて一方的に不利になるだけだ。

「そうか。じゃあ、炭酸水でも飲もうか」

「それがいいです」

「何を見ようか」

「古い映画が好きですね。メジャーリーグならヤンキース戦がいいかな」

「ではメジャーリーグはやめておこう。僕はレッドソックスがひいきだから」

「知ってます」

 メリッサはクスリと笑った。

「そうか。じゃあ、『タイタニック』?」

「もっと古い映画です」

「そうか。『プリティウーマン』?」

「ジェンダー的にどうかと思います」

「『ニューヨーク8番街の奇跡』」

「いい線きましたね」

「いっそ、『イージーライダー』」

「いいですね。でももっと明るい映画が」

「『風と共に去りぬ』」

「長すぎます!」

 メリッサはこんなどうでもいいやりとりが楽しくなってきた。

「『2001年宇宙の旅』」

「モノリスを探しに行きましょう」

「じゃあ、そうするか」

 あれ、決まってしまった。まあいい。2001年宇宙の旅なんて何年前に見たかも分からないくらい昔に見た映画だ。

「木星なんて太陽系内ですから近いもんです」

「そうきたか。上手い!」

 アルは苦笑した。スターウォーズを選ばなくて良かった。あれは何光年もハイパードライブするから、アルと自分の距離は光年単位のままだったに違いない。アルはリモコンを操作して、サブスクの映画の中から『2001年宇宙の旅』を選択する。リマスター版だったので映像がとても綺麗だ。CGがなかった時代の映画とはとても思えない。全てが特撮だ。ストーリーも含めてとても壮大で、映画史を変えたと言っても過言ではないのがわかる。

 途中、冷蔵庫から炭酸水を出して2人で飲む。

 AIの叛乱という今、正に現実になっても不思議がないことが半世紀前に予言されていることがすごいと思う。宇宙開発は宇宙で原子力が使えなくなったために2001年には木星に行けなかったが、今はもう火星に行く宇宙船が開発される時代だ。

 そういうことを抜きにしても息をのむという言葉が相応しい映画だった。

 エンドロールを最後まで見て、2人で揃って息を深く吐いた。

「知っているはずなのに、引き込まれる。すごい!」

「本当にそうですね。私が見たのは子どもの頃、TVでなので、今、新作としてみたようなものですが」

「あー いい映画のセレクトだった。休暇にならなかったら、もう一生見ることがなかったんだろうな」

「そんなことないですよ。えにしがあればいつかは見ます」

「縁?」

「ブッディズムの言葉ですよ。そうなる運命フォーチューンだった、みたいな。魂の定め?」

「そんなものあるのかね。アカシックレコードじゃあるまいし」

「人が信じるか信じないか。それだけですよね」

「信じれば縁とやらもあるのかもしれないが……」

 そこまで言ってアルはメリッサを見た。

「そうか。君とこんな風に映画を見て夜を過ごすことも縁だったのかな」

「かもしれません。面接で私の話を聞いてくれたことも、手紙に返事を出してくれたことも」

 しかしアルは言葉を濁した。

「それは――わからないけど」

 どうしてそう彼が言ったのか、メリッサには分からなかった。しかし、それはネガティブな否定ではなく、戸惑いというかためらいのようなものを感じているように見えた。だからメリッサは冗談を言うことにする。

「ボスがご自分の休暇届と気づかずにサインしたのも縁なんですよ」

「それは間違いなくそう。じゃない、君の計画通りだろ!」

 アルは声を大きくして、メリッサに向けて両腕を上げて、お化けが襲うようなジェスチャーをした。しかしバランスを崩して、アルは応接ソファーにメリッサを押し倒すカタチになってしまう。

「――す、すまん」

 メリッサは再び自らの意思で瞼を閉じる。

 2度目のキスが欲しかった。

 しかしいつまで経ってもそれはなく、アルは頭をかいてソファに座り直した。

「済まなかった」

 再びアルは謝った。

 メリッサは目を開け、呆然として彼を見る。本当に呆然としてしまった。アルは本当に申し訳なさそうに距離を取ろうと立ち上がったからだ。あのキスが幻なのかとまで思ってしまうくらい、まだ彼との距離は縮まっていなかった。

「――早いが、寝る。せっかくだから睡眠不足も解消したいしな」

 まだ10時半を回ったところだった。しかしメリッサは答える。

「賢明ですね」

 そう、氷の秘書が言うようなことを言わないと、このほんの少しだけ遠くなった距離を、自分に説明できないメリッサだった。

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