無機質な社長室でバカンスを 2

「飲むの早いね! ヤケドしなかった?」

「大丈夫、です」

 メリッサはソファから立ち上がると今度はフルーツポンチを持ってくる。

「熱いもののあとは冷たくて甘いものです」

「熱いのと冷たいののジェットコースターだ」

 アルは微笑んで応接テーブルの上に置かれたフルーツポンチを見る。

「ここでココアとフルーツポンチとは恐れ入った。全く似合っていない」

「今、ここは、リゾートホテルなんです。そう思い込んでください」

「じゃあリゾートホテルに2人きり?」

 アルは戦々恐々とした様子でメリッサを見た。自分の言動の端々を窺っているのだろう。慎重な様子が伝わってくる。ここはゲームならば選択肢になるところだ。

「ええ。

 1、新しい計画のため、婚約者のフリをしなくてはならなくなった社長と秘書が同じ部屋に泊まるパターン。

 2、取引先の社長が気を利かせて、2人一緒に泊まらなければならなくなったパターン。

 3、出張先のトラブルで部屋が確保できなくなって一緒に泊まる社長と秘書のパターン。どれがいいですか?」

「どんなロマンス小説だ」

「フフ、定番でしょう?」

「4、騙されて強制的に社長と秘書が一緒の休暇になったが、社長は秘書を意識していても、彼女の真意がわからなくて戸惑っているパターン――ってのはないのかい?」

 驚いた。そんな風に思っていてくれたなんて。少なくとも意識はしてくれたのだ。水着効果だ、間違いない。アルは自分を女として意識してくれている。日々の筋トレよ、ありがとう。そしてエステのスタッフの皆さん、ありがとう。メリッサはやりました。第1関門クリアーです!

「――どうした? 黙りこくって」

 嬉しさのあまり、冷徹秘書の仮面が外れそうだった。

「5、騙されて強制的に休暇になった社長が、騙した秘書と一緒に休暇を過ごすが、秘書が社長を意識していても、彼の気持ちがわからなくて戸惑っているパターン――ってのも定番ですよ」

「定番か」

 そんなロマンス小説を読んだことはないが、メリッサは平静な自分を演じて応える。

「定番です。ロマンス小説が年何百冊出るか知ってますか?」

「本当にすごいよな。同じような欲望のために本が何百冊も出るなんて世界」

「欲望――ですか?」

 いい雰囲気だったのでその熟語を聞いた途端、メリッサは元の冷徹秘書に戻ってしまった。世間的には欲望なのかもしれない。自己嫌悪だ。

「言い直そう。煩悩だっけか。東洋の仏教の概念で、捨てられない欲の数は108だという。全部捨てられれば生きたままブッダになるという」

「煩悩――ですか」

「ZENNでもマスターしない限り、誰にだって煩悩はあると思うよ」

「アルにも?」

「君にも?」

 メリッサは思わず破顔してしまう。アルの言い回しが実に言い訳がましかったからだ。

「私、ロマンス小説、結構好きなんですよね」

「意外だ。読んでいるところを見たことがない」

「かさばるからたいてい電子書籍なんですよ。本当に気に入ったものだけ、紙の本を買います」

「わかるわかる。それでどんなタイプのお話が好きなんだい?」

「そうですね――ヒーローは格好良くて社会的立場もある、または失ったけどあった、けれどどこか抜けていて情けない人。でも、優しい人。ヒロインはそんなヒーローを放っておけなくて世話を焼くだけじゃなくて、結局最後は好きになってしまう。または最初からヒーローが好きでヒロインが世話を焼くパターンもいいですね。でも何故か素直になれない」

 ずいぶんと饒舌に話をしてしまった。呆れられたのか、アルは無言で小さく頷くだけだった。

「――失礼しました」

「いや……そんなに君がロマンス小説が好きだったなんて思わなかった。結構、どころじゃないよね」

「現実を変えたいと夢を見るヒロインは、自分と重なりますから。そうだ。読みやすいカートゥーン版もありますよ。日本で描かれたものなのでちょっと読み方にクセがありますけど、入門にはいいと思います」

「定番のを頼むよ」

「あら意外。そうですか。是非、読んでみてください」

 メリッサはオススメのカートゥーン版をタブレットに表示し、アルに手渡す。

「準備いいな」

「自分が読み返すためですよ。なんてったって休暇中なんですから」

「そうだな」

 アルのテンションは不思議と下がってしまっていた。

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