御冗談でしょう、██████さん。

Cellさん

第1話

黄蘗きはだルリは見知らぬ場所で目を覚ましていた。

知らぬ床、知らぬ壁、知らぬ天井、知らぬ人、知らぬ視界が広がる。


「ここは……どこだろう…」


まるでクリシェのように決まった言葉を呟く。見覚えがないのだから仕方がない。

他の人々は皆横たわったまま動かない。死んでいるのか、とも疑ったが、そんなわけは無かった。次々と目を覚まし、目を擦る人々。


「ん…ここ、どこなのぉ…?」

「頭が痛い…」

「夢かな………どこだろう、ここ…」


呟きが聞こえる。先程黄蘗ルリも言ったような、そんな言葉を揃って言う。

皆が目を覚まし、スク、と起き上がった時、1人の女性が皆の前に立って言った。


「皆、ここがどこだか、誰が誰だか分からなくて困惑していると思う。恐らくの所、誘拐だ。閉じ込められているかどうかはわからない。…おっと、自己紹介はすべきだね。

僕は蘇芳すおうツツジ。皆も、名前を教えて欲しいな」


艷めく赤いポニーテールと、羽織ったマントが揺れ、とてもクールな笑みを浮かべたその女性。彼女は蘇芳ツツジというらしい。

黄蘗ルリはそれに続こうと、右足を前に出した。しかしその瞬間、騒がしい声に遮られた。


「ああ、君は蘇芳くんと言うのだね、僕は砥粉とのこミツダ。どうか僕の名前を覚えて欲しい!忘れるなんて許されることではないからね!!」

「騒がしいですわ〜〜〜っ!!」

「なっ!聞き捨てならないな…」


少女の声がその耳障りな自己紹介に文句をつける。ある程度の人々も同じことを思っていたようで、騒がしい青年…砥粉ミツダから目を逸らす。


「……このキーキー喚く猿はいいとして、わたくしは結秦ゆしんツユ、ですわ。以後お見知り置き下さいませ。」

「誰が猿だこの小娘っ!」

「小娘でいいですわ、わたくしあなたの事気に入りませんの!」


そう彼の騒がしい言い返しを一蹴した少女、いや、小娘と呼んでも良いか。その小娘の名は結秦ツユと言うらしい。

自己紹介をしていないのは、黄蘗ルリを含めて13人。

このままでは自己紹介が辺鄙な学校くらいの長さになってしまう。そう思いながらも、黄蘗ルリは皆の自己紹介を待っていた。


「……はい、えっと、私は枯野かれのハクジです。

あまりこういったたくさん人がいるところは好きじゃないので…そこだけ、お願いします…」


弱々しくそう言った女性に、複数人がうんうんと頷く。頷いた者たちはその気持ちがわかるのだろう。


「わたしは退紅たいこうサンゴよ。小学校の教員をしているの。…いや、こんなところに閉じ込められては…教員をしていたの。昨日までね。精神的に参らないようにしなくちゃね…」


少し戸惑っているのか、暗く、目を伏せて女性は話す。沢山人が続いていくので、黄蘗ルリは迷っていた。ここで早く自己紹介を終わらせた方がいいだろうか、待った所で別に構わないが…。


「あ、あのっ!わ、私は黄蘗ルリです。よろしくお願いします…!」


1歩踏み出し、タッタッタと軽快に小走りして前に立つ。深々とお辞儀をし、少しの恥ずかしさを潰して逃げる。

それに続くように、3人の男性が前に立った。


「僕は檳榔子びんろうじクロだ。はっきり言うが、君達とあまり親しくなるつもりはない。」

「俺は御空みそらカチ。この黒いの全然釣れねぇな…。

まぁ…大抵の事は人並みにやれる。よろしく。」

「私は根岸ねぎしクチバデス♪研究が趣味デスが…ココはつまらなさそうですネ、面白いことがあるように祈っておきまショ♪」


愛想のない男性、目つきの悪い男性、研究者の男性が順に自己紹介をする。

淡々としていた前2人の自己紹介を完全に無視するように、根岸クチバと名乗るその男性はテンションが高かった。

それに続くのか、男の子と女の子が前に出て、自己紹介をした。


「ぼ、ボクは朧花おぼろはなアサギ…です!まだボクは子供なので、至らぬ点があるかもしれませんが、よろしく、おねがいします…!」

「うみはうみなの!真珠しんじゅウミ!うみってよんでなの、よろしくなのぉ〜っ」


緊張か、声が震えていた朧花アサギに対して、緊張なんて母の腹の中に置いてきたと言わんばかりにほわほわした雰囲気を醸し出している真珠ウミ。真珠ウミの背中には機械がついていて、彼女の髪をよく見れば、兎の耳のようになっている場所がある。

はいはーい、と大きく手を挙げ、その上2人の少女を無理やり前に行かせた少女がいた。


「はいは〜〜い!!ボクは槿むくげトキ!!よろしくねっ!…そこの2人は?」


前に出たその少女……否、少年は、男性にしか聞こえない声を発していた。スマートフォンを手にして、ウインクをしながらそう名前を話した。なんだか妙にぶりっ子な口調だったが、不思議と腹は立たなかった。

しかも彼は連れてきた2人の少女の名前を知らないらしい。てっきり友人か何かだから連れてきたのかと思ったが、どうやら近くにいたから引っ張ってきただけのようだった。


「アンタ引っ張ったくせに…!!」

「ま、まぁまぁ!!私は薔薇そうびリンナ、宜しくね」

「…アタシは、香凛かりんフジ…不服だけど、しばらくの間だと思うし、よろしく」


紅の髪を、高い位置でバブルツインテールのように纏めている少女が薔薇リンナという名前で、黒髪ツインテールの気が強い少女が香凛フジという名前らしい。残りは2人の男性だ。


「…私は卯ノ花うのはなキナリだよ。君たち、これから宜しく。」


淡々と話す髪の長い男性は、落ち着いた大人の雰囲気を醸し出していた。

最後に残ったのは、ハットを被りマントを羽織っていた男性だった。


「ああ、僕が最後になってしまったようだね。」


薔薇リンナは彼に目線が釘付けになっている。

それもそうだろう、溢れ出るカリスマオーラ。

どう考えてもイケメンだ。何故なら、あの…


「僕は竜胆りんどうハトバ。宜しく頼むよ」


キラキラ〜、という効果音が似合いそうな、そんなオーラを発させながら、彼はそう言った。


「あ、あの竜胆ハトバ!?!?マジ!?ホンモノ!?!?!?!?サイン貰ってもいいですか!?!?」

「構わないよ。しかし、ここがどこだかとか…その問題が解決してからにしよう。」

「は、はい!!貰えるだけで有難いです!!!」


薔薇リンナは、問題を全部無視して、竜胆ハトバに釘付けだ。無理もないだろう、竜胆ハトバは、有名な雑誌モデルだからだ。

よく雑誌の表紙を飾っているのを見かける。

が、なぜそこまで人気なのか、私にはよく理解ができない。


「一通り自己紹介が終わったみたいだね。僕も含めて…16人か。そんなに集めて、何がしたいのだろう…」

「ああ、それと、わたくし、ここに来る前は服装が違うような…」

「僕もそうだよ。なんの為にこんな服を着せられているのだろうかね…」

「私もです。なんででしょうかね…前着ていた服を渡すんじゃダメだったんでしょうか…」


ツツジ、ツユ、ハトバが話している中に、ルリも混ざった。ただ服装がどうとか、ここはどこだとか、そんな話を交わす。


「あ、みんな目覚めたの!!」


口調はウミのようだが、声が違う。

幼女のようではなく、もっと生意気で、もっと気色悪くて、大人になればなるほど好きでなくなっていく、マスコットのような声。


「だ、誰だ…!」


ツツジが大きな声を出して振り返ると、ポニーテールが揺れる、その視線の先には、まるでてるてる坊主のような…しかし、獣のような耳がついている。上から降りてきたのか、天井には四角い穴も空いていた。


「はじめまして、ぼくはディーラーなの」

「ディー、ラー…?あの賭け事等の…だろうか。

私も1度や2度目にしたことがあるが…君のようなマスコットのディーラーは初めて見たよ。」

「ぼくはなまえがディーラーなの」

「へぇ…」


よくもまぁ、こんな化け物と会話ができるなと思いつつ、黄蘗ルリはそのディーラーとやらに話を聞く。


「どうして私たちをここに閉じ込めたんですか…?」

「? 閉じ込めてないの。きみたちを外界からまもってるの!」


どうやら話が通じそうにない。

余っ程狂った思考を持っているようだ、と、黄蘗ルリは質問するのを辞めた。


「…とりあえず、ここでの生活のルール、なの!

スマートフォンの利用制限は、勝手に機能を取っ払ってるから気にしなくていいの!」

「は、はぁ!?何してくれてんのぉ!?!?」


その言葉にトキが騒ぐ。SNSのフォロワーでも沢山いるのだろう、スマートフォンを手にし、カツカツと荒々しく画面を叩く。

SNSにアクセスできたとわかるとホッとし、助けを求めようと投稿をしようとする…が、投稿だけができなくて戸惑う。


「何これっ!?投稿できないんだけど!?け、けど問題なく他の投稿は見れるし…いいねも押せる…」

「投稿だけが封じられてるの。あと電話とかメールとかの外界への通信手段…だけなの。あと、その代わりここだけの連絡アプリが入ってるの」

「えっ?…ああ、なんか腹立つ顔してるコレかな」


そう言って、皆がスマートフォンを覗き込む。

黄蘗ルリも同じようにスマートフォンを開くと、そこにはディーラーの顔を模したアイコンのアプリケーションがあった。


「そこにはここの生活の規則も書いてあるの。しっかり目を通して欲しいの。

それだけなの。ぼくから言えることはそれだけなの。じゃあ、頑張ってほしいの〜〜っ」


そう言って、ディーラーは吊るされて帰っていった。


「全員で規則を確認しよう。皆、覚えておくように。」

「アタシもそんなバカじゃないわよ。」


そこには、以下の内容が書かれていた。


規則1:人殺しをした者は、”JOKER”として然るべき処罰を受ける。


規則2:この施設にいる限り、恨む者・憎む者など、動機が少しでもある場合、強い殺人衝動に襲われる場合がある。


規則3:絵札裁判中に席を立ってはいけない。どうしても席を立たなくてはいけない場合、ディーラーに許可を取ること。


規則4:”JOKER”に殺された者は、”KING”、または”QUEEN”として扱われる。


規則5:この施設から出ることは、殆どの場合において許されない。


規則6:スマートフォンは、元々持っていた物を渡されるが、持っていなかった場合は此方で用意し、渡す。スマートフォンには、最低限の施設内チャット以外の通話・通信手段は搭載されていない。元々持っていた物の場合、そのスマートフォンから以上の機能は取り除いてあり、施設内チャットが組み込まれている。ゲーム、検索、SNSの閲覧は可能だが、投稿は不可。


規則7:あくまで平和が1番である。


黄蘗ルリは最後の一文に腹が立っていた。

殺人衝動だの何だのと書いておいた癖に、平和が1番だなんて抜かすなんて。

他の人々もそう思っていたようで、皆微妙な顔をしていた。


「こ、これは…なんとも……。」

「殺人?そんなこと…起きる訳ありませんわ…」

「悪趣味だ。それに、絵札裁判?意味がわからないな。」

「おやおや皆様興味がナイのデスか?」

「あるわけないだろう。興味を持つのは君のような変人くらいだ。」

「きゃっ♪照れますネ♪」

「……はぁ」


皆、次にやる事の表示されたスマートフォンの画面を見て、そこに表示されたものを見ながら食堂へ向かう。

黄蘗ルリも同じように、食堂へと歩みを進めた。

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「な、なんですの〜〜〜っ!?!?!?」


食堂のカウンターにある、おそらくこれを食べろと言うような料理は、無色で、全く美味しそうには見えなかった。

しかも匂いもしない。少し摘んで食べても、全く味がしない。はっきり言って気持ち悪い。


「…!?」


キナリが冷蔵庫を開けると、そこには…

目を疑うほどの高級食材ばかりがあった。

1番上の方は、提供されたものと全く同じだが、それから下は高級な肉だとか、珍味だとかばかりで、野菜もとても新鮮に見える。


「…私は、まぁ料理くらいなら少しできる。アレルギー等はないか?」


皆が口を揃えて「ない」と言うと、キナリは料理を始めた。そのまま眺めていると、短時間で16人分のまともな料理を完成させ、皆からは拍手が飛び交った。


「まぁ?わたくしはもっと豪華なものだって食べたことがありますけれど?…頂きますわ。

…お、美味し…しょ、庶民の料理も悪くありませんわね!」


お嬢様が”美味しい”と言う程、確かにその料理は美味しかった。

味付けもよくできているし、材料のカットも完璧。火加減も素晴らしい。

おそらくキナリは料理が人より上手いのだろう。

本人がそれに気づいていないだけだ。

その中で、1人だけ不満そうな顔をしている輩が居た。


「…」


砥粉ミツダだ。

確かに料理には手を付けたし、食べきってもいるが、支給されている割り箸の先をガジガジと噛んでいる。


そのまま夜ご飯を終わらせ、皆はスマートフォンの指示を見ながら自室に帰っていった。


自室に帰ってから、黄蘗ルリはマップを眺める。なぜマップがホワイトボードに書かれているのだろう、と線の端をなぞる。

そうしたら、簡単に消えてしまった。

黄蘗ルリは急いで元に戻すようにペンで書き、直ぐに眠りについた。

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次の日。

朝起きると、夜間に汗をかいたのか、少し身体が湿っている感覚がした。先に服を着替えようとクローゼットを開けると、そこには先程着ていた服と同じ物が沢山。ご丁寧に下着までついている。

黄蘗ルリは直ぐに着替えると、自室のマップを写真に撮り、それを見ながら自由時間に部屋を回ることにした。

キナリの作る朝食を食べ、早めに去る。

…然し、食事の場には根岸クチバがいなかった。

昨日あんな規則を見てしまった為、黄蘗ルリは彼を探すことにした。

まずマップを見て思ったのは、空き部屋って何?だった。

2階に行き、空き部屋へと向かう。

空き部屋の扉に手をかけ、押し込んだ。その時、


「あら、お客サンデスか?」


そう言って椅子に座っていたのは、根岸クチバだった。その横には卯ノ花キナリもいる。


「えっと…空き部屋って何かな、って見に来たんです。」

「あぁ、悪いデスケド、ココは私の研究室デス!!!」


彼は肘をついて、偉そうにそう言った。

なんでそんなに偉そうなんだ、とツッコミを入れたくなるが、その言葉は胸の内にしまう。


「私は彼と少し仲良くなっただけさ。君たちが話すのなら、私は出ていくけれど…」

「い、いえ大丈夫です!」

「大丈夫ですよキナリさん、正直、ルリさんよりもアナタとお話したいデス」

「そ、それは…ルリさんに失礼じゃあないかな」

「アラそうでした?ゴメンなさい」


正直言って腹が立つが、その気持ちをグッと堪えて、少し気になったことを聞く。


「いえいえ…こちらこそ、邪魔してしまったならすみません。あ、そうだ1つ聞きたいことが…」

「ン?」

「ここの物って…どこにあったんですか?」

「地下階の倉庫に」

「…す、すごいですね……よく運べましたよ」

「倉庫に台車もあったので。それで終わりですか?用がないならお早めに立ち去って頂けると。」

「は、はい、ありがとうございます!」


黄蘗ルリはとても真面目に、スマートフォンのメモ機能に「地下階の倉庫には物が沢山あるかも」と書いた。

鐘が鳴る。スマートフォンの通知を見ると、昼食の時間だと書かれていた。

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昼の自由時間がやってきた。

黄蘗ルリは、何処に行こうかと迷う。迷った末、武器庫を調べてみる事にした。武器庫というだけあり、色々な武器が揃っているのだろう。

いざ扉の前に立つと、そこには鍵が掛かっていた。

扉にかかった小さめの南京錠を見詰めていると、後ろから声をかけられた。


「そこで何をしているんだい」


腰から剣を抜き、黄蘗ルリの肩にギリギリ触れないくらいの場所に剣先を当てた、赤いポニーテールの女性──蘇芳ツツジが立っていた。


「武器庫の管理は僕が行っている。例え誰であろうと、武器を持ち出すようなら容赦はできない。」

「あ、その…ごめんなさい!!」


ルリはペコ、と大きく深くお辞儀をした。

それを見て罪悪感が湧いたのか、ツツジは向けていた剣をしまう。


「こ、こちらこそごめん。よかったら、今度僕とウミくんとツツジくんで娯楽室の映画を見ようと思っているんだ。来てくれるかな?」

「は、はい…!行きます!」

「ありがとう。とても嬉しいよ。」


にこりと笑ったツツジに釣られて、ルリも笑顔になっていく。

そうしてしばらく話していると、また鐘が鳴った。


「もう時間なのか」

「はい、一緒に行きましょう、ツツジさん。」

「ああ。」


2人分の足音が廊下に響く。

ペースは違えど、時々合う、コツという音が心地良い。こんな時間が続けば良いのに、とルリは心の底で思ってしまっていた。

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夜の自由時間だ。

今日最後の探索時間だから、大切にしなくては。

ルリはどこへ向かうかよく考えた後、情報が多くありそうだった為、書庫へ向かうことにした。


書庫の扉は両開きで、少し重たかった。

ドアの端をよく見ると、錆びついているようにも見える。

ドアを開けた時、視界に入ってきたのは、本。

本棚に並べられた本の数々。分類等も揃っているようで、見ていて心地が良かった。


奥の方の本棚はどうなっているのだろう、と覗き込むと、檳榔子クロが本の整理をしていた。


「……ああ、君か。確か…黄蘗だったか。ここの本は僕が管理しようと思っている。」

「あ、あの、大変そうですね…何か手伝…」

「手は貸さなくてもいい。僕だけで良いのだ。」


ルリが手伝いましょうか、という前に、突っぱねられてしまった。ルリは少しショボンとし、他の本棚を見て回ることにした。


大抵の本は、普通の図書館にありそうなものばかりだった。文学作品だの、絵本だの漫画だの、情報だの、詩集だの。

脱出などの手掛かりになりそうなものは、何ひとつとして見つからなかった。

少し落ち込んだのか、ルリは早足で書庫を出ていった。

出ていった後、暫くしてから鐘が鳴る。これは、自室に帰って寝ろ、という鐘だ。

しかし、自室に帰る必要はないため、おそらくクチバはあの研究室で眠るのだろう。


ルリは寝る前の少しの時間で、マップの”空き部屋”を、”根岸さんの研究室”に書き換えた。

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次の日の昼の自由時間。

ルリは、ツユと、ウミと、ツツジと、娯楽室に映画を見に来ていた。

1時間ほどのもので、これを見ても自由時間はまだ余っていそうだった。


「これかな。じゃあ、再生するよ」


………。

真っ暗なスクリーンが映し出されるのみだった。

特に何も映っていない。テープが破損していたのか、と他の3人の反応を見ると、それは…


「あ、ぁ、あぁ…っ、?」

「っ……」

「……っ、なん、なんだこれは…」


ツユはスクリーンを見つめながら、肩で息をしている。

ウミは自身の兎耳で耳を塞ぎ、何も聞こえないようにしている。

ツツジは青ざめながら、周りの反応を見て、止めようか迷っていた。


「ツツジさんっ、止めてぇっ、こんなの…見たくない、ですわ…」

「わ、わかった!!」


ツユにそう言われ、ツツジは急いで映画を止める。何も映っていないようにしか見えなかった黄蘗ルリにはなにもわからない。


「それにしても……あれは悪趣味だな。」

「…あの、みなさんなにか見えてたんですか?」

「うみこわかった。たすけてルリちゃん。」

「え、えぇ…私には何が何だかさっぱり…」


「……ふぅ、酷かった、ですわ…」


先程まで呼吸を整えていたのか、少し顔色の悪いツユがいた。

黄蘗ルリが聞く。


「皆さん、何が見えてたんですか…?」

「…恐らくだけれど、これは僕たちの嫌いなものや苦手なものを見せている。…あまり言いたくないんだ。すまないね。」

「うみもやだ……。」

「わ、わたくしも、言いたくは…ありません、わ」

「そう、でしたか……」


黄蘗ルリは少ししょぼんとして、人差し指同士を合わせた。自分だけが真っ暗な画面を見せられていたのか、と除け者にされている気分だ。

それより、顔の青い友人達が心配なようで、少し声を掛けた。


「ツユさん、ウミさん、ツツジさん、大丈夫ですか…?私には何も見えなかったんです。だから、皆さんの辛さがわかんないんです…ごめんなさい。」

「……いや、大丈夫だよ。僕は平気だ。」

「わたくしも…少し、落ち着きましたから」

「みんなすごいね…うみはまだこわい。」

「この後皆で僕の部屋に来ないかい、少し話せば気持ちも落ち着くはずだ。」

「わたくしはいいと思いますわ。ウミさん、大丈夫ですの?」

「うん。だいじょうぶ。ルリちゃん、ツユちゃん、ツツジちゃん、いこう。」


そのままツツジの自室へと向かい、黄蘗ルリ達は、鐘が鳴るまで女子会のような話を楽しんだ。

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ある日のこと。

黄蘗ルリはウミから遊びに誘われた。

なんでも、外に出ることが出来るらしい。

昼の自由時間から、鐘が鳴る直前まで、少し遊ぶことにした。

少し話したり、隠れんぼだの鬼ごっこだのといった、子供みたいな遊びをしたり、日向ぼっこしたり。外の景色が見えると、妙に安心する。

しかし、高い柵に囲まれていて、空は見えても奥の景色はほとんど見えない。

登ることが出来ないかとも思ったが、柵は尖っていたし、途中に横棒があるかと言われれば、無かった。足場にできるものもないし、諦める事にした。

しかし、黄蘗ルリはこんな生活に満足していた。

殺人なんて起こらないし、自分が誰かを殺したくなったこともない。自殺する者もいない、友達もいる。料理はおかしいが、キナリが居る限り困らない。さらにはSNSの閲覧まで許されている。

いつものように友達と遊んで、友達の部屋に行って、友達を部屋に呼んで、好きな動画を見て、やりたいことをして…それでいいじゃないか。

ここから出る理由なんてあるのか、という思考が過ぎる。いやいや家族がいる、と頭の中でその思考を隅に追いやった。

鐘が鳴る頃には、空は赤く焼けていた。

私の目には、誰かが空を燃やしたのだという意味のわからない物に見えていた。

これから空は焦げて、灰になる。

黒く染まって、その後は、新しいものと、取り換えられる。

そう、映ってしまっていた。

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その次の日の昼時、結秦ツユが切り出した。


「地下の倉庫に、行ってみませんかしら」


彼女がそう言うのは珍しかった。

大体こういうことを言うのはツツジだからだ。


「何故行く必要が有る。僕はどうでも良い。」

「俺もパス」

「私も…クチバくんの所にお昼ご飯を届けに行こうと思う。だから行けないかな。ごめんね。」

「私も……いや、です」

「わたしも辞めておくわ。何の為に行くかハッキリしていないのだから。」


そんな言葉が続くが、結秦ツユは続けた。


「クチバさんが言っていたじゃない、倉庫から色々なものを持ってきたって」


ね、そう言ってたんでしょ、とルリの方を見る。

少しルリは驚くが、すぐに2回ほど頷く。

それを見ると、ツユは次の言葉を発した。


「だから、行こうかなと…」

「私もいいかな。やめておく。」

「僕も。だって物持ちたくな〜い!」

「アタシもいいや。理由はそこのSNS廃と同じ」

「みんな我儘だねぇ……僕はついて行くよ。」


行くメンバーはいつの間にか、黄蘗ルリ、結秦ツユ、真珠ウミ、蘇芳ツツジ、竜胆ハトバだけになっていた。なにかそれに違和感を覚えた。誰か、忘れているような?

どうせ気のせいだろうと、倉庫へ向かった。


倉庫のある廊下に着くと、そこは薄暗かった。

コンクリートにの床に壁、地下なので窓があるわけもない。ランタンのような明かりだけが、廊下を照らしていた。

部屋は4つ、うち1つは鎖でグルグル巻にされていて、鍵までかかっている。また、もう1つ鍵がかかっている部屋があった。廊下に入ってきて右側の部屋だ。この部屋は適当な南京錠しか掛かっていない。さらに、他の1つの部屋の扉には傷のようなものがついていた。

鍵のかかっていない部屋は探索したが、あまりめぼしいものはなかった。しかし、適当な南京錠は簡単に壊せそうだった。


「僕が壊してみるよ。」


そうツツジが言うと、腰に刺さっていた剣を引き抜き、鍵に打ち付けた。

鍵はボロボロと壊れて、その場に落ちた。

そのままルリがドアを開けると、血腥い臭いが鼻を貫いた。

目線を下に向けると、そこには


「……ぇ、っ?」

「っ────!?」

「これ、は…」

「ひゃッッッ!!」

「嫌、…ぁぁぁぁぁあ!!」


うつ伏せで、砥粉ミツダが倒れていた。

背中には何とも言えない傷がついていて、喉元がグチャグチャにされている。

部屋全体に血が広がっていて、さっき感じた臭いはこのせいだったのだと悟る。

その瞬間、スマートフォンからアラートのような轟音がした。「KINGの死亡 及びJOKERの発生を確認しました」と書かれており、その下にはOKと書かれたボタンがある。

皆はすぐにOKボタンを押していた。黄蘗ルリもそれと同じようにOKを押すと、アラートは止んだ。その瞬間、今1番見たくない人物の顔が映し出される。


「あーあ、起きちゃったの、殺人…悪い子ができちゃったのは、と〜〜〜っても悲しいの。」

「悲しんでなんかないくせに…何言ってるの!?」

「これから暫くすると、絵札裁判が始まるの。

それでJOKER、人殺しを突き止めるの!鐘がなったら、裁判所に集まってなの〜。またねなの!」


録画されたものなのか、ディーラーに罵声を浴びせど反応1つよこさない。その画面が閉じられると、皆が砥粉ミツダに目をやる。

犯人を突き止めて処罰を受けさせたところで、彼が生き返ったりはしない。彼が1番情報を持っているが、死人に口はない。

そんな現実だけが突き付けられるが、上手く飲み込めない。

ウミは意味のわからない光景に吐き気を覚えているのか、口元を押さえていた。ツツジはそんなウミの背中をさすり、慰めている。

そんな中、黄蘗ルリにある覚悟が決まった。

犯人を突き止めて処刑しなきゃ。

然るべき処罰を受けてもらわなきゃ。

彼の為にも。そして、皆の為にも。


砥粉ミツダの死体には、短い横線のような傷が沢山ついている。一番深い傷は背中で、後ろから襲ったのだろう、争ったような形跡もない。

倉庫の中に血の着いたものはない、しかし目的もなく倉庫の真ん中で突っ立っていることがあるだろうか。


1度廊下に出る。バラバラに砕けた錠は少しだけ端に寄せてあった。

廊下の奥に、何か光るものが見えた。

近寄って見てみると、それは何かの屑。先程砕けた錠に少し似ている気がする。しかし、何か別の屑と混ざっていた。それも光っているから少し分かりづらい、比較対象が無ければ気づかなかっただろう。


やはり、奥の右側の部屋だけ、扉に傷がある。

恐らく何か凶器になり得るものを掠ったのだろう、しかし扉に血は着いていない。


そんな所か、めぼしい情報はないな。と丁度捜査を切り上げようとした時、鐘が鳴った。

裁判所に行く途中、黄蘗ルリは思いつきでマップの写真を撮った。議論に使えると思ったからだ。

その写真と現場写真を手にして、黄蘗ルリはこの事件の真相を突き止めに向かった。

──────────────────────

黄蘗ルリが裁判所に着く頃には、もう皆自身の席に着いていた。席には番号が振られている。

14と書かれたその席に座ると、真ん中の台に座っていたディーラーが話し始める。


「みんな揃ったの!…まぁ、KINGはそりゃ居ないの。そこはどうでもいいの。

早速、絵札裁判、開廷〜〜〜っ!なの!」


取ってつけたような語尾を添え、無い腕でガベルを鳴らす。


「…………」


絵札裁判が始まっても、しばらくの間皆は無言だった。なにか、JOKERの目星や取っ掛りが欲しい。


「ひとつ聞いてもいいかな?」


竜胆ハトバが話を始めた。先程まで異様に静かだったからか、皆竜胆ハトバに視線を向ける。


「……なぜあの部屋には鍵がついていたんだい?」

「君は何を言っている?鍵付き倉庫だからに決まっているじゃないか。」

「違う、あそこは鍵付き倉庫じゃないんだ」

「え…?」


黄蘗ルリはスマートフォンの写真を確認する。しかし、確かにあの鍵のついていた部屋は鍵付き倉庫だと書いてある。


「そんな、わたくしの部屋のマップにはあそこが鍵付き倉庫だって書いてありましたわ」

「うみも」

「私は違った。あそこは普通の倉庫だったよ。」

「はぁ?あんたら何言ってるの、キナリの言う通り、あそこは普通の倉庫のはずよ。」

「僕もおかしいと思うんだ。鍵付き倉庫だと書かれていた所には鍵がついていなくて、普通の倉庫だと書かれていた所には鍵がついていた。これを取っ掛りとして、真相に近づけたらいいのだけど」


皆にマップについて聞くと、どうやら変わっていたのはルリ、ツユ、ウミ、ツツジのみだった。

なぜ変わっていたのかを考える。

……書き換えられていた。

マップは軽く指でなぞれば消える程度、普通にホワイトボードに書かれているだけだった。

それなら、書き換えるのは容易である。


「……あの」

「どうしたんだいルリくん」

「もしかしたら、もしかしたらなんです。

マップは、書き換えられていたんじゃないですか?あのマップは、ただホワイトボードに書かれていただけ。だから、書き換えるのは難しくないはずです。」

「……そう、だね。だとしたら、誰が書き換えたのだろうか」


やはり、書き換えられていたと考えるのが妥当だろう。そうでもなければ全く説明がつかない。


「マップの書き換えが行われていた君達4人は、僕達から見ても仲が良かった。その中の誰かがマップを書き換え、砥粉を殺したと考えるのが無難だろう。」

「……けれど、わたくし誰も疑いたくありませんわ…」

「ハッ、疑いたくないのなら疑わなければ良いんじゃないか。ただ、それが人殺しであることには変わりない。そういう事ならば、君抜きで議論をさせて貰おうじゃないか。」

「…………。」


檳榔子クロが話している時に、結秦ツユが感情に訴えた否定をして来た。それを檳榔子クロは躱す。それどころか、正論を振り翳して攻撃してきた。結秦ツユは何も言えなくなる。


「多分、マップの書き換えと同じ時に、カギの位置も入れ替えられたんだと思います…!」

「……だとしたら、それをやったのは誰なんだろうか。」

「ツツジちゃんじゃないとおもう。ツツジちゃんはね、いっつも剣持ってるし、さっきドアのカギこわしたとき、ドアに剣あたらなかったもん!」


おそらく、他の人々から見て鍵付き倉庫になっていた部屋のドアに傷がついていたのだろう。ならば、廊下の端に落ちていたあの光る破片は、やはり南京錠だったと考えられる。


「凶器が何かはわからないけれど、もし凶器にある程度の大きさがあれば、ウミくんも外れるかな。」

「そ、それで思ったことがあるんです!」


凶器の話になった途端、黄蘗ルリが手を挙げた。

大きな声を出したからか、少しだけ周りの人が驚いたような反応を見せた。


「……あの傷…凶器は、倉庫にあった火かき棒だと思うんです。

この施設には、暖炉なんてないんです。だから、きっと昔使われていて…

けど、ほとんど汚れがなかったんです…誰かが拭いたんだと思うんです。あくまで推測ですけど…」

「そうね。個人的に使う用事でも無ければ、火かき棒なんて使わないわ。もし風呂を火で沸かしているのだとしたら、倉庫になんて置かないものね。」


黄蘗ルリは、自分の主張が通ったことにほっと胸を撫で下ろす。

火かき棒。それは、暖炉やストーブから灰や燃えカスを掻き出すときに使う道具だ。倉庫に置いてあるということは、使う機会がほぼない、ということだ。それなのに、汚れていたり、埃をかぶっていたりしないのはおかしい。


「それで、結局君達の誰が犯人なのか、さっさと決めたらどうだ。」


凶器の特定に逃げ、話を逸らしていた黄蘗ルリに対して、檳榔子クロが突き刺すようにそう言った。


「いや、凶器についても大事だよ。ウミくんの身長では、倉庫の火かき棒の大きさだと持てない。」

「そ、そう、すると…」

「わたくしか、ルリさん、ということになりますわね…」


しばらく沈黙が続く。黄蘗ルリには、結秦ツユを疑うことができなかった。しかし、黄蘗ルリは砥粉ミツダを殺していない。


「あっ、火かき棒を拭いたという主張なら、わたくしはハンカチを使っていませんわ。ハンカチは濡れていませんし、ドライヤー等で乾かしたとしても、わたくしが浴場の更衣室に入った証言はありませんわ。ほら!」


そう言って自信満々に結秦ツユが見せてきたハンカチは、綺麗な刺繍の施された、今日1日は使われていないであろうハンカチだった。


「……じゃあ、ルリくんが…?」


皆の疑いの目が一気にルリへ向く。選択肢を絞らせたのは確かに黄蘗ルリだけれど、どうやら自分のことをあまり考えていなかったようだ。

思考を巡らせる。

なぜハンカチに血がついていない?けれど、血の着いたティッシュが捨てられていたわけじゃない。使い捨てのタオルもない。沢山あって、替えが利いて、かつ捨てたり、押し込んだりできるもの……


「服」

「……?どういうことだい、それは」

「血を拭うのにハンカチは要らなかったんです」


自室から服を持ち出したなんて、そんなバカなことではない。長い服の裾で拭いたのだ。


「スカート丈の長い人なら、裾で血を拭うことは簡単だったはずです。そして、女性の中で特にスカート丈が長いのは、ツユさんとサンゴさん。

サンゴさんは事件に関係が無い…と考えると…」


これはあくまで推測。

真実は間違っているかもしれない。


「きっと犯人は─────」


彼女は初めて砥粉ミツダが自己紹介した時から、耳を塞ぎ、彼の騒がしい声に頭を抱えていた。

毎回毎回食事が終わると大声で様々な事を語り出す、彼の声が嫌いだった。

彼女は、探索をしたい、と彼を地下の倉庫に呼び出した。

最初は注意するだけのつもりだった。

強く言って、少しだけ黙ってもらおうと思っていた。

規則2、殺人衝動。

それに襲われた彼女は、いい物がないかと探す砥粉ミツダの背を、重く大きな火かき棒で殴った。

切り傷なのか、刺し傷なのか、なんとも形容し難い傷が、大きく背中についた。

彼女は強い衝動を抑えきれず、何度も何度も殴った。

彼の声が嫌いだった。彼の声が気持ち悪かった。彼の声が忌々しかった。彼の声が嫌だった。

そう思って、彼の声が出る、喉を殴って潰した。

何度も何度も何度も何度も潰した。

耳障りだ。目障りだ。

そう言い訳をして、殺した。

凶器に付いた血は、スカートの裾で拭き取る。

可憐で豪華なドレスが、血塗られていく。

彼女の水色の可愛らしいドレスに、赤はよく映えた。

物に着いた血も、血塗れのドレスで拭く。

彼の居る倉庫には鍵をかけた。古びた南京錠を、とても雑にかけた。

鍵付き倉庫の南京錠を綺麗にした火かき棒で殴ると、すぐにそれは壊れた。とても脆かった。

いつの間にか、血は布に染み込んで、裾を上げても垂れなくなった。

結秦ツユの自室に、走りにくいヒールを脱いで、靴下で走る。

誰かに見られてはいけない。早く、早く。

自室に着けば、すぐにクローゼットに血の着いた服を押し込み、新しい服に着替える。

最後に、黄蘗ルリ、真珠ウミ、蘇芳ツツジの部屋に遊びに行く。

遊びに行くなんてただの嘘だ。マップを書き換えるために。せめて、少しでも議論が混乱するように。犯人だとすぐに悟らせないために。

もう、わかっているだろう。


「……結秦ツユ、さん。

あなたなんですか、砥粉ミツダさんを、殺したのは。」

「………………。」


沈黙。それが数十秒続いた後、彼女は…JOKERは、やっと口を開いた。


「ええ」

「わたくしがやりましたわ」

「ルリさんは…すごく、頭が良いんですのね。わたくしのやった事、全部正解ですわ。」

「なんで……なんでそんなこと……」

「ルリさんも言ったでしょう?あの人の声、耳障りだったんですの。」

「…。」

「ああ…哀しい、ですわね。わたくし、一人で。」

「ツユくん、言ってくれれば、良かったのに…」

「もういいんですの。何も言わなくたって。」


皆の視線が、結秦ツユに集まっている。

それから、砥粉ミツダよりも、遥かに忌々しい声が聞こえてきた。


「結論が出たみたいなの。投票ボタンを押してほしいの。」


ディーラーがそう言うと、机にボタンが現れる。

砥粉ミツダを除いた、皆の名前のボタン。

その横には、大きな赤いボタン。

黄蘗ルリは頭の中で、何度も「ごめんなさい」と呟きながら、「結秦ツユ」の文字が書かれたボタンを押した。


「決まりなの。満場一致で、結秦ツユが”JOKER”となったの!これから、人殺しの”JOKER”には、きっつ〜〜いバツがまってるから、覚悟してるの!じゃあ、みんなこの台に乗って!」


ディーラーの居る、大きな茶色い台に乗ってと言われているのだろう。皆渋ったような顔をしていたが、結秦ツユは真剣な表情でその台に乗った。


「じゃあ行くの。せーのっ」


ディーラーがその言葉を言い終わり、目を開けると、そこには大きな水槽があった。

ビンのように飾られている訳でも無く、魚がいる訳でもない。ましてやまだ水も注がれていない、そんな空っぽの水槽。


「……っ、さっさと始めなさいよ。こんなの見てるだけで嫌になるわ」

「言われなくても、結局やるの。急かさないでもいいの」


パチン、という謎の、指パッチンのような音が鳴ったかと思うと、小さな白いぬいぐるみたちがわらわらと集まってくる。蛇口に繋がれたホースを水槽のてっぺんから入れると、他のぬいぐるみが蓋を閉める。水が水槽の内部に当たる音だけが響いていく。


「あぁ……やっぱり、死にたくない…」


俯き、涙を流す結秦ツユ。足下から、徐々に水が溜まっていくのにも関わらず、目から水を流す。

よく見ると、足元に溜まっている水は海水のようだった。


「嫌だ……助けて、助けてくださいまし…

ルリさん、ウミさん、ツツジさんっ……!!」


ガラス越しに聞こえる声はくぐもっていて、はっきりとは聞こえないところもある。しかし、確かに彼女は助けを求めていた。


「許して、助けて…1人は、1人は嫌ですわ…。

また、また一人ぼっちに…今度は、わたくしが死ぬ側だなんて……」


ガラスに何度か拳を打ち付けるが、びくともしない。強化ガラスか何かのようで、まったく割れる気配がない。


「お友達ができて…仲間がいて…それでいいって、思ってたのにぃっ…!!」


{わたくし、確かにお嬢様でしたの。

これは幻でもなんでもない、確かな記憶。

抱き締めた微かな記憶。

思い出したくなかった。思い出せなかった。

わたくしは今も昔もずっと、父上と母上がいて、高貴で可憐なお嬢様だった。

今日もわたくしは、父上と母上と、楽しいね、面白いね、って話をしていた。

大きな船に3人だけが乗っていて、遠い所へ旅行に行く……筈だったんですの。

その船に、何があったかはわからない。

気づいた時は、もう見る影もなく沈んでいた。

父上と母上は、いつの間にか居なくなっていて、わたくしだけが海の上を彷徨っていました。

けど、わたくしは今も昔も、ずっとお嬢様で…

父上と母上がいて、幸せ。

水を含んで重くなったドレスを脱いでなんていない。その、はず────}


「嫌ぁっ、嫌だ、嫌……死んでっ、死んでぇっ、死んじゃえばいいんですの…っ!

わたくしと、わたくしと一緒にぃっ…!!」


ぐずぐずになる程に泣いて、泣いて、それは死を近づける。いつの間にか、ある程度浮いていても首までが海水に浸るほどになっていた。

死んで。死んで。死んじゃえばいい。

そんな言葉を彼女が口にした瞬間、彼女の涙は黒く頬に染み付いていく。彼女のドレスは泡となってとけていく。豪華なリボンも、髪紐も、全て。

最後には、彼女の体すらも、泡となっていく。

もう彼女は、人間ではなくなっていた。

人型で、人間を模しているけれど、醜くて美しい。


「嫌……だっ…げほっ、ゔぅ、いや、ですわ…」


海水を飲んでしまったのか、声は掠れ、うまく大きな声が出せなくなっていた。


「嫌なの……死にたく、死にたくないっ……」


力無く水槽を叩く。体ももう端の方から泡になっていた。足もまともに動かせず、拳も握れなくなり、目は虚ろになる。


「いやぁっ゛、いゃあっ゛!!」


いくら泣けど、いくら喚けど、誰も助けられない。むしろ、泣けば泣くほど死は迫ってくる。


「ぅ゛……いや……だ………」


もう、呼吸することもできない。蓋に頭がぶつかる。それでも空気はない。

がく、と浮こうとしていた足が力を無くす。虚ろな目のまま固まっていて、死んだのだと確信する。


「ツユくんっ……ツユ、くん……」

「ツユさん、ツユさんおきてくださいっ…」

「…ツユ、ちゃん?」


死んだということがわかると、途端に皆青ざめる。人殺しをした者は、化け物にされ、禁忌を暴かれ、そして死ぬ。それが”処罰”。


「CROWN【還るヴィーナス】の処刑を完了したの!」

「CROWN……、ってなんですか?」

「あれ、説明してなかったの?

CROWNは、JOKERの行き着く先。化け物なの。

JOKERになったヒトは、みんなああなるの。

たまにJOKERにならなくてもCROWNになることがあるみたいなの。まぁ、あんまり気にしなくていいの。」

「あ、そうそう。これからしばらくしたら処刑台は引っ込むから、さっさと帰った方がいいの。」


ディーラーは、いつもの口調と態度を全く変えずに話す。不気味だ。気持ち悪い。


「……わかりました。」


そう言うと、黄蘗ルリは眠りにつこうと自室のベッドに潜った。

しかし、頭が痛い。結秦ツユの処刑が、目に焼き付いている。処刑について、CROWNについて、特例について。沢山考えていたら、いつの間にか瞼を下ろしていた。

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