間宮の場合(二)
まだ日の光が残っている時間帯。
街灯がつき始めた車通りの多い道路を渡った路地に小柄な影を見つけた。赤になる直前の信号を渡って、慌てて追いかける。
(……こっち方面は)
図書館がある。入るのかなと思った矢先に、現代的に建設された施設内に入っていった。自分も続くと、司書のいるカウンターで何か受け取る『高橋真純』ちゃんがいた。
後ろ髪はそんなに長くない。癖のない黒髪の小さな頭に、ほっそりとした体格で、半袖から伸びる腕は細く白くていやに目についた。
しばらくじっと観察している間に、『高橋真純』ちゃんが奥の視聴コーナーに行った。ついていくと訳知り顔で席に座り込む。何やら操作してヘッドフォンを耳に当てて何か聴き始めたようだ。近寄って覗き込むと、CDケースには『古今亭志ん朝 百年目』とある。
(落語?)
なぜ。
渋いな趣味。と思ってると『高橋真純』ちゃんが急に振り向いた。ドキッと体が硬直する。表情は長い前髪でよくわからない。淡々と俺に聞いてきた。
「なに?」
「あっ、えーと……」
うろたえたが、目的を思い出し口を開いた。
「田崎はみんなにもあんな感じで。でも嫌なやつはあいつだけだからっ。だから塾戻ろうよ」
「─────」
しばらく間があってから、『高橋真純』ちゃんが首を傾げた。
「田崎って誰?」
がくりと力が抜けそうになった。
「だからっ、さっき塾でプリント回さなかったやつだよ」
「……ああ、あれ。───ところであんた誰?」
今度こそ肩の力が抜けた。
「……同じ塾の……間宮だけど」
認識されてないのか……いや、俺も『高橋真純』ちゃんのことわからなかったし……て言うか人のこと覚えるの苦手なのかな……。
「なんで、図書館来たの?」
気になって聞いてみると、
「そう言えば貸し出し中だったやつ返ってきたって図書館から連絡来たの思い出して」
淡々と答えてくる。
それだけ? けっこう変わってるなぁ……変わってるというかマイペースなのか、と目が点になる俺を『高橋真純』ちゃんはじっと見ていたようで、しばらくしてから口を開いた。
「あんた俺追いかけて塾出てきたの? 変わってんな」
変わってる子に変わってるって言われた……なんかショック……。ガーンと脳内で音が鳴るが……って、あれ?
『俺』って、言った……?
───女の子じゃないのか。
「とにかく、俺塾にはもう行かないから」
まじまじと見ている俺に衝撃的な事を言ってくる。
「え? なんで?」
驚いてぱちくりと瞬きしていると、
「あそこであんまりよく思われてないし」
「そ、そんなことないよ」
女子の会話を思い出したが、あえて否定した。ほんとにやめそうで、引き止めたい思いが先に立った。
「高橋……は、どこ受験するの?」
「神城学園」
地元の難関校だった。なおさら塾にいた方がいい気がした。
「なら、やっぱり塾いなよ。難しいところでしょ」
高橋は「うーん」と困ったように口元を笑みの形にした。
「家から一番近いから選んだだけだし、受かればラッキーって思ってただけだし」
「─────」
そんな理由……? そんな感じなんだ、と今まで考えてもみなかった思考で頭を叩かれたような気分だった。……親に言われて、とかじゃないんだ。
「それよりあんた俺のこと女扱いしないんだな」
「え?」
急に言われてギクリとした。……名前から女の子だと思ってたんだけど。
「……髪、長いから間違えられるんじゃない?」
「いや、顔が女っぽいって言われて嫌なんだよ」
(ちゃん付けで呼ばなくて本当に良かった……)
地雷踏むとこだった。内心冷や汗が出たが……俺は思ったことを言ってみる。
「そうなんだ。───俺も高橋と同じ学校通いたいな。神城なら俺も近いし」
やっぱり塾も一緒がいいなぁと何となく思ってたら、高橋がまた笑う。今度は楽しげに。
「じゃあ俺と小学校一緒なんじゃないか? 学校で会おうぜ」
そう言って───高橋は自然な仕草で前髪をかき上げた。
「─────っ、」
魂ごと……持ってかれた。
女の子じゃないとわかるが涼やかな大きな瞳が印象的の───今まで出会ったことのない、きれいな顔立ち。とびきりの笑顔───。
息が止まる───。
「あ、俺そろそろ帰ろうかな。あんたも塾戻った方がよくね?」
立ち上がって、高橋が鞄に出ていたものをしまい始める。はっとしている間に、高橋は駆け出してしまう。何か声を掛けようとする俺を尻目に、「またなっ」と言って、高橋は背を向けて───。
小学生の時ちゃんと話せたのは……これが、最後のことになった───。
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