応援コメント

第47話」への応援コメント

  • 少し長くなりますが、すみません。

    私の実家は貧乏だったので、私が医学部に進学した時には、子供のころからかかりつけだった診療所の先生が、「君みたいな若者を医者に育てるのも、医師の仕事の一つだと思う」とおっしゃってくださり、心の面でも、お金の面でも応援してくださりました。拙文では「恩師」という言葉で書いていますが、本当に先生がおられなければ、私は医師になれませんでした。

    先生のような医師になりたい、と思って医師になり、修業期間を経て、その診療所に「医師」として戻ることができました。先生とは4年間、ともに仕事をしました。

    最後の年、6月の職員健診で、先生がご自身の胸のレントゲンを確認しておられました。「先生は大事な人だから、私にも確認させてください」と伝え、二人で先生のレントゲン写真を確認し、「何も(問題)ないね」と結論付けました。

    先生は夏ごろから「この夏はしんどいな」とおっしゃられるようになり、診療所のスタッフみんなが、「先生もお歳だからなぁ」と思っていました。

    9月頃にベテランの看護師さんたちが、「先生、顔、むくんでない?」と繰り返しおっしゃられるようになり、「では先生、レントゲンを確認しましょう」と私がレントゲンの指示を書きました。撮影した写真には、6月にはなかった淡い影がありました。

    そのころは、非常勤で、私の修業していた病院に週1回、訪問診療のために通っていたので、そのレントゲンと、そのあと撮影した胸部CTを「師匠」(師匠は内科全般を見られますが、専門としては呼吸器内科医です)に診てもらいました。

    「先生、厳しいことを言うけど、これ、肺がんのStage 4だよ」と言われ、目の前が真っ暗になったことを覚えています。確か9月の末だか、10月の頭の頃でした。

    「恩師」の肺癌は、私が現在まで経験した肺がん患者さんの中で、最も経過が速いものでした。10月の末に、診療所50周年祝賀会が予定されていて、恩師はそのあいさつで、「私も命懸けの戦いを行ないます」と言われ、集まった全員が言葉を失ったことを覚えています。

    恩師はその後急速に悪化し、1月の正月明けに永眠されました。

    永眠された日の朝、私は夢を見ました。恩師と、恩師が大活躍されていたころ、事務長として活躍されていた方(その時は存命)、そして私でお茶を飲んでいました。「先生がお元気になられてよかったなぁ」と私は心から嬉しくなりました。恩師は私に、「先生、あの時の健診のレントゲンは、全くわからなかったよねぇ」とおっしゃられ、大きく笑われていたことをはっきりと覚えています。

    目が覚めると日曜日の午前7時過ぎでした。「あぁ、夢だったのか。今日はお休みだし、先生のお見舞いに行こう」とおもい、布団から出て、もう起きていた妻に、「今日は先生のお見舞いに行こうと思うんだ」と声を掛けました。「そうね」という妻の言葉を聞きながら、こたつに入った時に、私の携帯電話が鳴りました。

    恩師の後を継いだ新理事長からの電話でした。「先生が、先ほど息を引き取られました」とのことでした。

    私は、恩師の病気が見つかってから、再度健診の写真を見直しましたが、「病気がある」と思ってその部位を見ても、そこに病変がある、とは思えませんでした。でも「私が気づけば…」とずっと心の重荷になっていました。

    恩師は、そんな私をおもんばかって、夢に出てきてくださったのだろう、と思っています。

    長くなりましたが、私の経験でした。

    作者からの返信

    ご経験談をお書き下さいまして、ありがとうございました。
    偶然の夢では、ないですよね。胸が熱くなりました。
    亡くなられた先生は、川線・山線さんの、心のコンパスとなって、いつも近くにいらっしゃる様に思います。
    川線・山線さんにとって、大切なお話をここに書いて下さって、ありがとうございました。