第43話 あいつら①

 錠は、渋谷から電車に乗り、車両の隅にもたれ、サングラスの向こうに流れていく灯りを眺めながら突然の出来事を整理した。

 ずっと、玲子が東大大蔵の名の前に落ちたのだと思っていた。完敗だと思い込んでいた。だが、向こうが錠への対抗心を口にした。

 錠は部屋に着くとすぐにエアコンを入れ、腕を組んで寝転がった。先ほどの玲子の言葉が思い浮かぶ。そのときの彼女の表情はどんなだったか、一瞬さえも見ていないことが悔やまれた。

 そこへ電話が鳴った。錠は体を起こし、静かに受話器を取った。

「あ、錠か?」

 男の声だ。聞き覚えがあるような気はするが、出てこない。もしや、と思った矢先だ。

「俺、河野だけど」

 思った相手ではなかったことに、当てが外れたやら、ほっとするやらで、錠はかすかに息を吐いた。

「あのさ……。ごめん、すまなかった……」

 河野はいつもと違うテンションで、ばつが悪そうに謝罪を口にした。またしても意外な展開だ。

「そ、それじゃあ」

 そう言って河野が切ろうとしたと同時に、錠も言葉を発した。

「それだけか」

 ふと突いて出た言葉だったが、それをその程度ですむかと解釈した河野は慌てた。

「だってよ、あんときお前、冷たかったじゃん。久々に会ったのによ」

「あ、いや……、そういう意味で言ったんじゃ……」

「俺、お前に何したってんだよ」

 そう言ったあと、さすがに河野は逆ギレになっていることに気付き、テンションを落ち着けた。

「いや、実はあいつらによ、謝れって言われてよ」

「あいつら?」

 そう言いつつ、察しのほうはすぐついた。

「そりゃ俺が悪かったわ。だからごめん」

 河野は先ほどよりも普段に近い口調で言った。

『怒ってないから』

 玲子の言葉を片隅に、錠はもはやその件はどうでもよく思えた。

「もう、いいよ」

「マジでごめん」

 しゃべり方はいつもどおりに戻ったが、河野はこのあとも彼らしくない言葉を続けた。

「あのさ、前田は悪くないから責めないでやってくれ」

 錠のなかで声に出せない思いが膨らむ。ここのところ、人に頭を下げられるたびに自責にかられてばかりだ。

「前田さ、高校時代、干されてたらしいんだ。だから、すごく友人関係に敏感みたいでさ」

 錠は知らなかった。おそらく酔って自分から河野にしゃべったのだろう。

「でもさ、俺が言うのもなんだけどさ、あいつらいいとこあるよな」

 錠に三人の顔が思い浮かぶ。

「そういや、謝れって俺んちに来たとき、大木の妹がさ、すごいおっかなくてさ」

「大木の妹?」

「ああ。俺も最初おとなげなくキレて、なんだこのガキってなっちまった」

「あの子、まだこっちにいたんだ」

「大木は用あって、その代理だって。多分あれだな。大木、弁護士目指してるからだろ」

「え?」

 これまた錠には初耳だった。

「たぶん、その関係でいなかったんだろう。でも、うちから弁護士なんてな。まあ、あいつならわかんないけど」

 いくら優秀だといってもうちの大学でのことだ。最難関といわれる国家資格に挑むなんて無謀だ。錠はそう思った。

 そのあと、錠は河野から大木が弁護士を目指すことになった経緯を聞いた。河野も竹内や前田から聞いたようだ。話を総合すると、こういうことらしい。

 大木の家庭は共働きだったが、バブル崩壊を受け、経済的な余裕はなかった。大木は高校でも優秀だったが、家計の負担を考えて大学へ行くことはあきらめ、卒業後はすぐに働くつもりでいた。が、なんとか大木を進学させてやりたいと思う両親との話し合いの結果、私立大は受けず、経済的負担のより少ない国立大に絞って受験に挑むことになった。そこから本格的に勉強を始め、大木は本番のセンター試験でも好成績を挙げた。

 だが、志望大の二次試験が目前に迫った時期のことだ。

 妹の優はこのとき中学生だったが、インフルエンザにかかり寝込んでしまった。優は病院で薬をもらい自宅で安静にしていたが、共働きの両親の代わりに大木が勉強と並行して看病にあたった。

 その甲斐もあって優は比較的早めに回復したが、今度は大木にインフルエンザの症状が表れた。それに加え、もともと抱えていた気管支の障害が悪化し、大木は入院となった。

 それが原因で大木は二次試験を受けられず、唯一の進路を失ってしまった。浪人という選択肢はないため、これから就職先を見つけねばならないという、最悪の事態に陥った。

「でもさ、誰か調べたんだろうな。うちの学校、追加募集で特待生制度やってるじゃん。学費免除になるやつ。大木、あれで入ったらしいんだ」

 錠も制度自体は聞いたことがあるが、大木がそれを利用して入ったことは知らなかった。

「でも、それで済むわけないよな」

 河野の言うとおり、優は私のせいだと自分を責め、大木の親も自分たちが受験前の息子に任せてしまったからだと後悔を抱えた。

 大木本人も、何も満足のできる結果ではない。むしろ三流と言われるくらいなら行かないほうがよいとさえ思えた。

 だが、責任を抱え込む家族を見て、大木は自分がうしろ向きではいけないと思うようになった。だから今は胸を張って進学し、卒業するときには納得のいく結果を出すと誓った。

 そのために始めたのが司法試験への挑戦だ。己のため、大木家のため、在学中になんとしてもという思いで励んできた。

 だが、そんなに甘いものではなかった。在学中の合格など、一流大の学生とて至難の業だ。やはり大木も現実に直面した。保険として一般企業への就活も行ってきたが、そこには学歴の壁が立ちはだかった。

「うちの大学、大手からはレッテル張られちゃってるからな。俺は実力なくても、コネあったから入れたけど」

 河野はあっけらかんと本音を口にしたが、錠にはそれが意外に思えた。

「あいつはそのレッテルとも戦ってるんだな。力はあるのにな」

 大木はもう一年挑戦するらしい。本人は持っている内定のなかからベストなものを選んで就職すると決心したが、家族との話し合いでもう一度夢を追うことになったようだ。

「大木の妹、バイトして金貯めてさ、それ使えって持ってきたんだって。夏休み中はこっちで働いてるみたいだな」

 河野は胸を打たれたように、しみじみと話した。

「大木が俺に謝らせようって言い出したらしい」

 錠は銀縁メガネの顔を思い浮かべた。思えば、河野相手にそんなことを言い出せるのも大木ぐらいだ。

 しかし竹内らも河野にここまで大木の事情を話して大丈夫なのか、錠は気をまわした。

「でもさ、俺もいい機会だったかも……。謝んなきゃ、いつかもっと後悔したかも」

 気付けば結構な時間、河野と話していた。錠に前回のような嫌悪感はない。昔はこんなだったのだろうか。

「なんかさ、頑張ってほしいよな。他人のことなんだけどさあ」

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