第32話 シブヤへ サポーターのリーダー、ゲン①

 ゲーム漬けの日々、しばらく誰からの電話もない。何もしないでいると苛立ちが募る。錠は眠気に襲われるまでコントローラーを離さず、時には食事も抜いてやり続けた。

 ここ数日は異様に蒸し暑く、フル稼働のせいもあってか、エアコンの調子があまりよくなかった。それも重なり、この日は息苦しさで目が覚めた。

 いつもより早い時間に電源を入れたゲーム機も、あっという間に熱を帯びていく。それにあおられるかのように、錠はロールプレイングのディスクを機体から取り出し、アクションゲームに手をつけた。

 苦手とあって、やはり思ったとおりに操ることができない。画面の中の自分が敵の攻撃を受け、どんどん傷ついていく。

 ボロボロになり、もうあとがない状況まで追い詰められた。何かにすがりたくなるが、何もない。誰かに助けを求めようにも誰もいない。

 いつものロールプレイングなら、育てた賢者に回復の魔法をかけてもらえばいい。そもそも最強の勇者を使えば無敵だ。だが、このゲームにはそんなものはいなかった。

 次第に誰も助けてくれないことに憤りを感じはじめ、己が戦っているはずの、ゲーム中の魔王になって世界を滅ぼしてやりたい、そんな衝動に襲われはじめた。

 俺は救ってやったのに。なのに――。

 コントローラーを持つ手が滑りはじめ、ゲームオーバー寸前で錠はリセットボタンを叩いた。

 汗をふく錠の目前で、沈黙した戦場から再びタイトルが浮かび上がる。

 ぎょっとした顔で、錠はこれでもかと言わんばかりにスイッチを切った。そして立ち上がると、玄関に向かいドアを開けた。

 久々に見る日の光、外のほうが当然暑い。それでも錠は、財布にキャップ、さらにサングラスを手に取り、靴を履いた。そしてその足で渋谷に向かった。

 日暮にはまだしばらくある夏の午後、街では思い思いのファッションで着飾った若者たちがあちらこちらで戯れていた。チーマーらしき一団からギャル、コギャルまで、彼らの表情が目に入るたびに錠は不快感を抱かずにはいられなかった。

「へん、群れやがって。俺はあの日、一人で敵を倒したんだ。一発で、しかも敵地でだぜ」

 しばし徘徊したあと、錠は表通りの自動販売機でペットボトルのドリンクを買った。そして雑居ビルに挟まれた狭い路地に入った。

 路地というよりはビル同士の裏口のスペースというべきか、奥は行き止まりになっていて、ビールケースや段ボールが重ねて積んであった。

 錠はあまり先へは行かず、少し入ったところで表通りをうかがいながらサングラスを外した。

 身を潜めるようにしてビルの壁にもたれ、キャップを開けたそのときだ。奥にある裏口らしきドアから男が出てきた。重そうにビールケースを重ねて抱えている。見覚えのあるその姿は、丸刈りのあのサポーターだった。

 店の名の入った前掛けをつけたその男を横目で見ながら、錠はドリンクを一口飲んだ。

 男は荷物をドアのそばに置くと、錠に気付かぬままそのあたりの整理を始めた。頭部からしたたる汗を前掛けでふき取りながら、黙々と仕事をこなす。

 錠は知らぬ顔で目の前の壁を見つめ、ペットボトルを一口一口傾けた。

 ドアの奥から大人の声がした。

「おーい、ゲン、今日はもういいぞ。明日はあっちの仕事早いんだろ」

「いいや、大丈夫ですよ、やらせてよ」

「そうか? じゃ、少し休め」

「ああ、それじゃあ、すみません」

 丸刈りの男、ゲンはそう言いながらも手を休めなかった。奥から続けて声がする。

「フランスに行くためとはいえ、頑張るよな」

「夢だからね。ワールドカップは」

「あのゲンがなあ」

「へへ、それは言わないでよ」

 ゲンは照れくさそうに笑った。錠の胸に激しく嫌悪が込み上げる。

 なんだ、気楽な夢だぜ、まったく。そういうのは夢じゃねえ、趣味っていうんだ。見てるだけのくせして。

 ああはなりたくない、錠はそう思った。

 やがて、木箱を運ぼうと表通りのほうに歩を進め、ゲンはようやく人影に気付いた。

「うお……、ジョーか。なんでここに」

 錠はうっとうしそうに眉をひそめ、表のほうを見た。

「なんでって、訳なんてあるか。たまたまだよ。てめえなんかに興味はねえ」

「ふ、随分だな。代表にそんなふうに言われんの、初めてだ」

「へっ、あいつらは犬だからな。てめえらなんざにシッポを振りやがって」

 ゲンは苦笑いしながら木箱を置いた。

「まあ、いくつかあるサポーターグループの中でも俺たちは過激なほうだろうな。もとはこのへんの店のオーナーを中心に集まったんだけど、街のワルだったやつもけっこういてね。俺もそうだったけど、もう二十歳過ぎだ。少しは落ち着いた」

 ゲンは木箱に腰を下ろした。

「ただね、みんなもきついこと言うけど叱咤激励のつもりなんだ。代表にほんとに勝ってもらいたくて応援してるんだ」

「他人の夢に勝手に乗っかっといて言いたいことだけ言いやがって。特に俺はてめえらに雇われてんじゃねえんだ」

 そう言い放ったあと、錠は思い出したように付け加えた。

「まあ、俺はもう代表じゃないけどな……」

 そう言ってペットボトルを口にした。

「そうか、ブラジル戦は選ばれてなかったな」

「……辞退したんだよ、辞退」

「辞退? なんで?」

「興味なくなったんだよ」

 錠は少し声を震わせた。ゲンは少し間をおいて、

「もったいない。もったいねえよ」

 錠ごしに表通りを見やりながら、そう言った。

「ここに集まるやつらはさ……、みんな自分の存在に価値を求めてやってくるんだ。周りにイケてると思われたくて、周りからつまんないと言われたり、それを自分で認めてしまうのが大嫌いなやつらなんだ。だからここで目いっぱい自分を主張しようとする」

 ここまで聞いて、錠は目線を外したままアゴでゲンを指して言った。

「群れていい気になってるだけじゃねえか。お前らサポーターと一緒だ」

 ゲンは、いなすように軽くうなずいた。

「ここは刺激的でね。居ついたやつらもみんな将来の夢を描きはじめるんだけど、でっかいチャンスはなかなか落ちていない。現実問題、どんなに個性を主張して粋がってても、結局ほとんどが平凡に納まっちまう。そのうち好きなこと、やってられないときがくるって悟るんだ」

「それで? だから俺にどうしろってんだ」

「錠にはレインボーがある」

 錠は思わずゲンのほうを見た。

「き、気安く言うんじゃねえよ。お前らの勝手はもううんざりだ。結局ここのやつらもほとんど落ちこぼれるって話だろ。それで群れて他人のことに口出して憂さ晴らすってか? 冗談じゃない。お前らだけで慰め合ってろよ」

 吐き捨てる錠に、ゲンの言葉が少しテンションを上げた。

「確かにここのやつら、何もたいしたことはできない、格好だけかも知れない。時には自己満足や仲間に認めさせるためだけに他人を傷つけるようなくだらないこともする。だけど一つ言えるのは、みんな自分から逃げてない。戦ってる、現実と」

 錠は正面の壁に目をやった。耳から入った言葉が表通りの喧騒と混ざり合う。

 日も暮れかけて街はさらに混雑しはじめた。ビルの挟間に、湿った風が緩やかに吹き込む。

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