【第二部完結】いうなり宮様のそうなし草子 ~宴松原の怨霊~

月夜野すみれ

第一部

第一章

第一話

えんの松原で?」

 私が聞き返すと、

「そうなんです! なんでもうめき声のようなものが……」

 乳母子めのとごのヨネが身を乗り出して言った。


「わたしも聞いた事があります!」

 女房の上総がすかさず食い付いてくる。


「つまらないことを」

 私はヨネ達の話を切り捨てた。


 今でこそ伊勢にいるが私は内裏で育ったから知っているのだ。

 宴の松原には何もいない。


 いえ、宴の松原で何度か声は聞いたことがありますわよ……。


 夜中に内裏を抜け出して宴の松原に覗きに行ったことがあるのだが、いつもいつも物陰で男女が逢引あいびきしているだけだった。


 乳母めのとや女官達に叱られただけで良い事は何もありませんでしたわ……。


 しかも私はいたいけな童女だったのに、大人達のあられもない姿を何度も見せられたせいで裳着もぎもすんでいないうちからめた性格になってしまいましたわ!


 そう、内裏で育った私はお兄様達としょっちゅう乳母や女官達の目を盗んで抜け出していたのだ(そして怒られていたんですわ)。


「宮様、中将様が中納言様のお使いでいらっしゃいました」

「いいわ。通して」

 私がそう答えるとヨネや女房達が御簾みす几帳きちょうを整え始める。


「まぁ宴の松原で?」

 私の代わりにヨネがそう伝える。


 父親と夫以外の殿方との会話は御簾越しだし、私の言葉も女房に伝えて、それを女房が言うという、まどろっこしい方法でしなければならないのだ。


 裳着を済ませるまでは御簾無しで直接話せましたのに……。


「そうなんです! なんでも呻き声のようなものが……」

「それは女房が殿方と逢引あいびきしているときの声でしてよ」

 私がそう答えると、

「まぁ、なんて恐ろしい」

 とヨネが全く違う言葉を言う。


「そうでしょう!」

 中将が身を乗り出してそう言うと、

「ええ、まったくです」

 と、ヨネが答える。


 私はまだ何も言ってませんわ!


「それで、その呻き声の正体はお分かりですの?」

 と、ヨネが勝手に話し始めた。


「一の大納言様がおっしゃるには、その昔、宴の松原で首を吊った女ではないかと……」

 中将もきょうに乗った様子で話し始める。


 ちょっとちょっと……!


「宴の松原で首を吊った女なんていませんわ!」

 と言った私の言葉を無視して、

「なんて恐ろしいんでしょう」

 ヨネが大袈裟に驚いてみせる。


 中将は嬉しそうな表情であることないこと話し始める。


『大納言様が、大納言様が』と一の大納言から聞いたという話をあれこれしている。

 一の大納言というのはずっと出世できないでいるのに一向に引退しようとしない。


『一の』というのは四人いる大納言の筆頭という意味で、同じ名字の大納言は複数いるときに区別のために付ける(ことがある)。

 一の大納言が筆頭になれたのは長年大納言の座にしがみついていたからである。

 なにしろ大納言の上は大臣だけ。


 それも常任は左右の大臣の二人だけで、稀に太政大臣や内大臣が選ばれる程度だから大抵は大臣になれそうにないと察すると諦めて引退するのだが、一の大納言だけは『いつか』を夢見てねばっていた。


 まぁ、当然だが大分年がいっている。


 十五歳の私が生まれる前から大納言だったのだから、どれだけ長く大納言をやっているのやら……。


 中将はしばらくつまらない噂話をしてから帰っていった。

 それと入れ違いに女官がやってきた。


「宮様、院からの使いが……」

 女官はそう言ったものの、何やら歯切れが悪い様子だ(院というのはさきの帝のことで私のお父様ですわ。上皇ともいいますのよ)。


 悪い知らせかしら?

 もうお歳だし、崩御ほうぎょされたのかもしれないわ……。


 そう思った時、

「帝がご退位遊ばされたそうです」

 女官が言った。


「まぁ、なんてこと……」

 とは言ったものの別に驚くようなことではない。


 お兄様は常々自分が即位したら左大臣は左遷させると公言されていた。


 そういうことは左遷させてから仰ればよろしいのに、と思っていたのだが、もう何年もお目に掛かっていなかったから奏上そうじょうする(申し上げるという意味ですわ)ことが出来なかったのだ。


 それでどうして知っているのか?


 女房達が噂していたからですわ。


 ほとんど会っていない私が聞いていたくらいだから当然左大臣の耳に入っていただろう。

 それでとりあえず即位させるだけ即位させてすぐに退位させたということのようだ。


 ということは今、女房の一人が言った『院』というのはお父様のことではなくお兄様のことでしたのね。

 院が二人になったので、お父様は『本院ほんいん』、お兄様は『新院しんいん』と呼ばれることになる。


「新院は自分の退位は左大臣に騙されたと申されているそうです」


 まぁそうでしょうね……。


 即位されたばかりで二年もってないし、健康であられたのだ。

 退位する理由がない。


 自分を左遷させるなんて言ってる帝なんて私だって退位に追い込みますわ。


 大方、花見の行幸とでも言われて寺に連れて――。


法会ほうえの行幸と言われたそうです。新大納言に」

 私の表情を読んだヨネが言った。


 なるほどね……。


 左大臣に言われていたら警戒しただろうが、最近されたばかりの大納言に言われたから油断してしまったのだろう。


 お兄様はホントに脇が甘いですわ……。


「では、私は都へ帰るのね」


 新しい帝が即位すると、斎王も新しく選びなおされる。

 私はお兄様の斎王として伊勢の斎宮にいるのだから、お兄様が退位されれば私も退下たいげして都に帰ることになる。


 斎宮に選ばれると、内裏(または大内裏)の一角に作られる初斎院しょさいいんというところに入る。

 そして次の九月を待って都の外に作られる野宮ののみやというところに移って次の九月まで待つ。

 それから九月の吉日に群行ぐんこうという数百人の行列で伊勢の斎宮に向かうのだ。


 だから斎王に選ばれてから伊勢に来るのは早くても一年と少し、十月に入ったばかりの頃に選ばれたりすると二年近く掛かる。


 私は一年半前に選ばれた。

 伊勢に来てだ一月もっていない。


 お兄様は即位してから二年と経たずに譲位させられてしまったのだ。


「はい。詳しいことは斎宮頭さいぐうのかみが説明に来るはずですわ」

「退位したばかりなら次の斎王はまだ選ばれてないわね」

「まず探すことから始めないと……」


 探すというのは女性の皇族を、である。

 今は斎宮になれる条件を満たせる女性は少ないのだ。


 まぁ、私には関係ありませんわ……。


 それより、今はもっと大事な事があるんですの。

 それは――。


 準三后じゅんさんごうのことですわ――!



 そういう訳で退下たいげした私は様々な手続きを経て帰京した。


 都に戻ったら、まず最初にお兄様が出家した寺に挨拶に行くように、とのことだった。


 おそらくお兄様の指示だろう。


 帝や春宮というのは内裏で大勢の人に囲まれていつもにぎやかだが、退位して院になると周りから一気に人がいなくなる。


 お兄様もきっと急に一人になってお寂しいのだろう。

 どうせ今上(弟)では準三后じゅんさんごうのことはどうにも出来ないだろうから左大臣に掛け合わなければならない。


 けれど、お兄様でもその程度のことはなんとかできるかもしれないし……。


 私はお兄様がいるお寺に向かった。



「左大臣に騙された!」

 寺で再会した早々、お兄様が言った。

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