第6話 集会




 そうして迎えた、あやかし集会当日。

 公務を終えて蒼山宮に戻ってきた伯蓮のもとに、朱璃は夕餉を運ぶ係を任されていた。


「失礼いたしますっ」


 ハキハキとした朱璃の声が聞こえて、部屋にいた伯蓮の表情にピッと緊張感が走る。

 扉が開くと、侍女としての風格が増してきた朱璃が、配膳台を押しながら登場した。

 しかし、椅子に座って待機する彼には目もくれない。肉魚料理と野菜炒めの大皿などを、一人で次々と机に並べていく。

 そして筒杯に水を注ぎ手渡しする時に、ようやく伯蓮と目を合わせた。


「あ、お待たせいたしました!」

「? ……ああ、ありがとう」


 違和感を覚えながら食事を開始した伯蓮だが、やはり気になって朱璃に視線を向ける。

 すると、何かに惚けているような表情をしながら、時折頬を赤くして口元をニヤニヤ緩ませた。

 仕事中なのに仕事に集中していない朱璃を見たのは、初めてだった。

 伯蓮は侍従の関韋の存在も気にせず、個人的に朱璃へと声をかける。


「朱璃」

「は、はい!」

「……その。何か、良い事でもあったのか?」


 尋ねられて我に返る朱璃は、伯蓮と関韋に見守られながら、今日一日の出来事を振り返る。

 日課となっている掃き掃除と窓拭き。仲間の侍女が簪を紛失してしまい、一緒に探したけれど結局見つからなかった。

 だから特別良い事は起こっておらず「いつも通りです」と答えようとしたのだが……。

 この後、あやかしたちとの集会を控えているという現実に、再び顔が緩んで笑い声が漏れた。


「ふ、ふふふ……へへ」


 たくさんのあやかしを交えた、夢のような集会。

 できればあやかし好きの伯蓮も誘ってあげたいけれど、夜中の集合に皇太子を誘うわけにもいかず。

 朱璃はグッと堪えながら、当たり障りない返答をした。


「いつも通りでございますよ?」

「…………そう、か」


 腑に落ちない表情を浮かべた伯蓮は、朱璃に嘘をつかれたことに気づいていた。

 そして勝手に悲しい気分に襲われて、食べ物の味がわからなくなる。

 関韋もそばに控えているから、朱璃と唯一共有できるあやかし話も今はできない。

 伯蓮の食欲は失せてしまったが、それでも食事をやめないのは。

 少しでも朱璃と同じ空間にいたいと、そう思ってしまったから――。



 *



 大門が閉まる時に鳴る鐘は、今日という日の終わりを知らせる合図でもある。

 外廷に残っている官吏は急いで門を出て帰宅し、内廷にいる者はみな就寝の準備をはじめる。

 鐘の音がゆっくり繰り返される中、伯蓮は膝の上で星を撫で、私室の窓から夜空を眺めていた。

 秋も終わりに近づいているのか、夜風が冷たい。

 就寝前にもかかわらず、頭が冴えてしまう。


「流の行方不明から、もうすぐ一月か……」

「ミャウ」

「しかし今は朱璃が懸命に探し回ってくれているから、きっとすぐ見つかる」


 言いながら星に視線を落とすと、入眠寸前の吐息を立てていた。

 そんな可愛らしい姿に微笑みを漏らすも、伯蓮はすぐに深刻な顔をする。

 夕餉時の朱璃の様子を、未だに引きずっていた。


(あれは、何かを待ち侘びているような顔だった……?)


 伯蓮には目もくれず淡々と仕事をこなす朱璃の姿は、侍女としては正解だ。

 しかし、“あやかし好きの仲間”としては、どこか距離を感じてしまった伯蓮。

 あやかしを通して、朱璃とは徐々に仲が深まっていたように思えていた。

 その矢先に嘘をつかれたことで不安に駆られ、初めての胸騒ぎを覚える。

 これは一体なんという気持ちなのか、伯蓮は見当もつかない。

 ただ、朱璃の存在が他の侍女と同列ではないことだけは自覚していた。

 それが“あやかし好きの仲間”という言葉の表現でしっくりくるのかと問われれば、伯蓮はきっと首を傾げてしまう。

 頭の中で答えの出ない思考を巡らせていた時、わずかな物音が耳に届いた。

 窓際へ身を乗り出して、音が聞こえた方に視線を落とす。


「ん? あれは……?」


 暗闇が広がる蒼山宮の敷地内を、コソコソと歩く人影を発見した。

 その者が灯籠を横切った時、悩みの種である朱璃の姿が浮かび上がる。


(朱璃? こんな夜中に一人でどこへ向かおうとしている?)


 周囲に注意を配っている様子から、誰かに見られては困るのだと伯蓮が勘づく。

 蒼山宮の三階から、伯蓮に目撃されているなんて考えもしない朱璃は、池の方へと消えていった。

 見て見ぬふり、このまま放っておくのが朱璃のため。

 そう思う一方で、何か困ったことに巻き込まれているのでは?と心配にもなる。


「……うーん」


 少し考えた伯蓮は、眠った星を架子牀まで運び衾の上にそっと置く。

 そして褐返色の外套を羽織り、静かに寝室を出ていった。



 *



 三々に指示された池までやってきた朱璃は、涼亭を見つけて急ぎ駆け寄る。


「お待たせー!」

「おう! もうみんな集まってるぞ」


 息を切らした朱璃を、三々が迎え入れる。

 涼亭には、手のひらに乗るくらいのあやかしから、抱き抱えられる大きさのあやかしまで。

 あらゆる種類の子たちが五十匹ほど大集合していた。

 あやかし好きの朱璃にとっては、まるで極楽のような世界。


「……か、かわいいぃ!!」


 朱璃は瞳をギラギラと輝かせて、よだれを垂らして感動していた。

 それを三々が、呆れた様子で窘める。


「興奮すな、目的忘れんなよ」

「ハッ、そうだった。三々、こんなにたくさんのあやかしを集めてくれてありがとう!」

「お、おう」


 満面の笑みを咲かせて、朱璃は感謝の気持ちを伝える。

 満更でもない反応で返した三々は、翼の先で頭を掻いた。

 少し冷静さを取り戻して、朱璃が集まったあやかしたちを見渡す。

 しかし、その中に馴染みの貂々の姿は見当たらなかった。

 きっと中庭の木の上から動きたくなかったんだと想像して、残念だけど貂々らしいなと微笑んだ。

 朱璃は気を取り直して、一枚の紙を取り出す。そして集合してくれたあやかしたちに、流の絵を見てもらった。


「約一月前に蒼山宮から姿を消した、空色のあやかしなの。何か知らない?」


 ゆっくりと屈んだ朱璃の手元に、あやかしたちが集まってくる。

 そして何か主張するように、特徴的な鳴き声と人間の言葉が混ざって大騒ぎになった。

 あやかしが視えない人々には、何の支障もない騒音。

 しかし朱璃には全てのあやかしの声が耳に届いてしまい、取りまとめるのに精一杯だった。


「あわわ、じゃあ挙手制にしようかな! 見たことある子ー!」


 すると、あやかしの集合体のあちらこちらから手が上がって、朱璃は感動した。


「今まで何の手がかりもなかったから、すごい成果だよ……!」


 手放しで喜ぶ朱璃は、すっかり安堵しきっていた。

 しかし、朱璃の肩で羽を休める三々は渋い表情で忠告する。


「安心するのはまだ早いぞ。詳細を聞くまで信憑性はわからないからな」


 まるで朱璃につく侍従のような、三々の働きぶり。

 確かにそうかと気を引き締めた朱璃は、手前にいるあやかしから順番に聞き込みを開始した。


「アタシはね、蒼山宮内で見かけたわ。でも随分前よ」

「わしは十日くらい前に、皇帝陛下の宮の近くで見たぞ?」


 一通り聞き込み終えた朱璃と三々は、あやかしたちの情報を時系列にして考えていく。

 どうやら流は蒼山宮を出てしまい、皇帝の住居区域である宮城きゅうじょうにまで移動した可能性が浮上した。

 捜索範囲が一気に広ま流ことを考えて、朱璃も少し不安を抱える。


「うーん。勝手に宮城には入ることできないし、伯蓮様の許可を貰ったとしても広すぎて……」

「朱璃の方が迷子になっちまいそうだな」

「へへ、そうなんだよね……」


 三々の見解を素直に受け入れて、朱璃がヘラっと情けなさそうに笑った。

 それでも、流を心配する伯蓮のために早く見つけ出してあげたい。

 何か策はないかと朱璃が唸った時、一番奥にいた蛙のあやかしが手を挙げた。


「昨日、そいつに似たあやかしを後宮内で見た」

「え⁉︎ 後宮?」


 今まで聞いた話の中で一番最近の目撃情報であり、その意外な場所に朱璃は驚く。

 昨日といえば、侍女になったことと勤務先が変わったことを貂々に報告するため、後宮に足を運んでいた。

 その時には、宮城を通過して後宮に入っていた流が、同じく後宮にいたことになる。


「後宮のどのあたりで見たの?」

「あれは……確か食堂の近くだったような」

「どんな様子だった?」

「普通に歩いていた。困っているようには見えなかったよ」


 蛙のあやかしは見たままを正直に話し、朱璃も真剣に聞いた。

 あやかしは、基本的に食事を摂らないから空腹の心配はいらない。寒暖差にも強いと三々に教えてもらっている。

 そういう点では少し安心できるが、宮城から後宮まで大移動している流の目的がわからない。

 迷い込んでしまったまま後宮にたどり着いたのか、それとも――。


「いや、考えても仕方ない。私は伯蓮様のために流を見つけて無事に帰すことが使命だから」


 本来の自分に課せられた任務を肝に銘じて、朱璃が気合い入魂の拳を作った時。

 突然あやかしたちがザワザワして落ち着かない様子。

 どうしたのかと思っていると、屈んでいた朱璃の頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。


「何をしている」

「ひああ⁉︎ は、伯蓮様⁉︎」


 その声は紛れもなく伯蓮のもので、朱璃は心臓が飛び出るほどに驚き腰を抜かす。

 宮に勤める者はみな寝静まる頃に、伯蓮は従者もつけずに背後に立っていた。

 そもそも伯蓮にはあやかし集会のことを伝えていなかったのに、なぜこの場所がわかったのか。

 朱璃が目を丸くしながら不思議に思っていると、肩に乗っていた三々がぼそっと告げる。


「初めから尾行されていたぞ」

「え! 三々気づいていたの⁉︎」

「朱璃が全然気づいていないから、あえて黙っていた」


 伯蓮に尾行されているなんて、想像もしていなかった。

 集会の開催を知らせなかった朱璃は、申し訳なさそうに伯蓮から視線を逸らした。

 あやかし好きな伯蓮に内緒にしていたことに、多少の後ろめたさを感じていたから。

 しかし、そんな朱璃の反応にも不満が生じた伯蓮は、腕を組み威圧的な態度で尋ねた。


「なぜこんな集会があることを、私に黙っていた?」

「え、えーと……夜中の集会ですし、伯蓮様の翌日の公務に支障が出ては悪いと思い……」

「あやかしの情報は共有するのではなかったのか?」

「う……それは……」


 何も反論できなくなった朱璃は、そのまま沈黙してしまう。

 いつも冷静な伯蓮が、集会に呼ばれなかったことをこんなに怒るとは思っていなかった。

 しかし朱璃は大きな勘違いをしている。

 実際の伯蓮は、あやかしを独り占めする朱璃に嫉妬したわけではない。

 夜中に一人で出歩く、朱璃のことを心配していた。

 王宮だからといって全てが安全とは限らない。派閥だ何だと、水面下で繰り広げられる争いはどこにでも存在している。

 目障りな人間を陥れようと目論む者が、すぐそばにいるかもわからないのが王宮という場所だから。


「内廷とはいえ、夜中に出歩くのは今後禁止だ」

「は、伯蓮様こそ従者もつけずにこんなところまで……」


 朱璃の台詞に被せて、伯蓮はついに感情を露わにしてしまう。


「朱璃はおなごだ、何かあったらどうする!」

「っ……!」


 その危険性を知って欲しくて、切羽詰まった表情で伯蓮は強く訴えた。

 いつもと様子が違い緊迫感が漂う伯蓮に、朱璃もようやく事の重大さを理解して反省の弁を述べる。


「…………申し訳ございません、でした」

「あ、その……私も強く言いすぎた。すまない」


 しゅんとして首を垂れる朱璃は、伯蓮の想像以上に落ち込んでしまう。

 すぐに謝る伯蓮だったが、一向に顔を上げてくれない。

 それがものすごく悲しくて、伯蓮の心が痛いほどにぎゅうっと締め付けられる。

 朱璃にはいつも笑っていてほしい。そんな思いでその頭を撫でようと手を伸ばしかけたとき。

 解決策を口にしながら、朱璃が勢いよく顔を上げた。


「では! 次回からあやかし集会開催は夕時に!」

「……え?」

「伯蓮様にも必ずお知らせいたします!」


 そうすれば夜中に出歩く事もなく、人目のない場所での集合であれば伯蓮も参加できるかもしれない。

 これで万事解決!と言わんばかりの満面の笑顔を、伯蓮に向けた。


「伯蓮様は、あやかしのことになると本当に熱いお人ですね〜」

「……あ、まあ、朱璃ほどではないが……」


 憮然とした表情で応えた伯蓮を、三々だけが憐れに思っていた。

 伯蓮の中では、朱璃を女性と認識していたからこそ出た台詞と心配の気持ち。

 陰険で傲慢な徘徊官吏に出くわしたら何をされるか、想像しただけで嫌悪感を抱く。

 そんな伯蓮の複雑な心情に全く気づいていない朱璃は、あっけらかんとして話を続けた。


「それよりですね! ついに流の目撃情報を手に入れました!」


 話題は流の捜索関連に移行して、伯蓮も息を呑む。


「昨日、後宮の食堂付近にいたらしいです!」

「こ、後宮⁉︎」


 小さな体で、よく後宮まで行ったと感心してしまう。

 一方で、もしも帰り道がわからなくなっているなら今頃相当困っているはず。

 早く迎えに行ってあげたくて、伯蓮の逸る気持ちが顔に出ていた。

 それを察した朱璃は、自身の胸をドンと叩く。


「あやかし捜索係の私にお任せください! 明日から後宮に出向いて流を探してきます!」

「……朱璃一人では大変だろう、私も――」

「伯蓮様はお国のための公務もありますし。それに私は、一人ではありません」


 言いながら肩に乗る三々、涼亭に集まってくれたあやかしたちを眺めて朱璃が微笑んだ。


「こんなにたくさんの仲間たちがいるんですから!」


 おかげで行方不明の流の発見に、また一歩近づけたと喜ぶ。

 だが、三々はため息をついて冷たい一言を漏らした。


「捜索は手伝わねーぞ、俺だって意外と忙しいんだから」

「わ、わかってるよ。でもみんなの力が必要になったら、また集合かけてもらっていい?」


 朱璃の上手なおねだりは、肩に乗る三々を悩ませたあとに頷かせた。

 人たらしならぬ、あやかしたらし。

 ただ、人にもあやかしにも明るく素直な朱璃だからこそ、力になりたいと他者が思う。

 そう考えた伯蓮もまた、朱璃が困っていたり悩んでいたりしたら――。

 一番に駆けつけて守れる男になりたい。そんな願いを密かに抱くようになった。


「じゃあそろそろ解散するぞー」


 三々があやかしたちに呼びかけて、みんなが退散して住処へと戻っていく。

 朱璃は心から感謝を伝えて、最後の三々を見送るまで涼亭を離れなかった。

 そうして静まり返った涼亭には、朱璃と伯蓮の二人だけが残る。


「伯蓮様もありがとうございます。最後まで付き合わせてしまい、すみませんでした」

「謝ることはない。王宮内にこんなにたくさんのあやかしがいたことに驚いたが、みんなに会えて私も嬉しかった」


 新しい発見に満足げな伯蓮。その横顔を見られて朱璃も自然と嬉しくなる。

 その時、急に冷たい風が強く吹いて、二人の髪を靡かせた。

 同時に寒気を感じた朱璃が、一つのくしゃみをする。

 すると伯蓮は、おもむろに外套の紐を外して朱璃に優しく羽織らせた。


「……え?」

「外は冷える。宮に戻るまで着ていろ」


 ふわりと良い香りに包まれた朱璃は、慌てて返却しようと外套に触れた。

 上質な手触りと厚みのある暖かさが指先に伝って、ますます恐縮してしまう。


「い、いけません! これでは伯蓮様が風邪を引きます!」

「私なら平気だ」


 余裕の笑みを浮かべた伯蓮は、蒼山宮に向かって歩きはじめた。

 困惑するも仕方なく外套を拝借したまま、朱璃が一歩踏み出す。

 そのとき、万が一伯蓮が風邪を引いてしまい、あの関韋に怒られることを想像した。

 朱璃の背筋が、ひゅっと氷が走る。


「やっぱりお返ししますー!」

「いやだ、朱璃が使え」


 走り出した朱璃が隣に並ぶも、伯蓮は全然立ち止まらない。

 はたから見れば、若い男女が仲良く追いかけっこをしているようだった。

 そんな二人を、複雑な表情で木陰から覗いていたのは――後宮から東区域の池までやってきた、あやかしの貂々。

 集会の話は三々から聞いていて、わざわざ足を運んでいたのに。

 結局、集会の一部始終を観察しただけで最後まで顔を出すことはなかった。

 貂々は静かに、朱璃と伯蓮の遠ざかる背中を見送る。

 その表情は、どこか複雑で儚げだった。



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