第4話 上書きラッピング
「──これでよし、と」
うららかな春風に便乗して地面を滑ろうとする緑の葉。
その逃げ場を塞ぐようにさっさと地面を撫で上げ、塵取りに集め、ゴミ袋に入れる。
ゴミ袋は既に土ぼこりとポイ捨てされた煙草の吸殻で一杯だ。
ふぅ、と汗を一拭いしていると、
「あら、蘭花ちゃん。いつもお仕事ご苦労様」
「ありがとうございます」
杖をついた近所のお婆さんが柔和な笑顔で話しかけてくれる。
ゴミ袋の口を結いながら、お婆さんが改札を通る姿を見送っていると。
「んれ、もぉー来てんべな」
「おはようございます、
荏河駅のもう1人の駅員、荒子さんが欠伸をしながら窓口から出てくる。
「まだ7時やが。なしてんで頑張るとよ?」
「早く仕事を覚えたくて……」
「はんえー、物好きな奴だなぁ」
ふくよかな腹に滴る汗をタオルで拭いながら愉快そうに笑う。
「んじゃ、後の仕事は頼んだべ、ほんだら駅長にもよろしくなぁ~」
「え、まだ勤務時間じゃ、ちょ、ちょっと荒子さん!?」
私の声など荒子さんの耳には届きもせず、そそいと荷物をまとめて荒子さんは駅からさっさと去ってしまう。
まだ交代まで2時間あるというのに。
「いや、人のことを気にしてる暇なんてない」
私に今出来ることをするのみだ。
長間さんから教わったことを私なりに解釈して、期待を超えなきゃ。
『出来ないのなら、私が社長になってみせます。この状況を打破するために』
山手さんのあの言葉が、やけに頭に焼き付いて離れない。
西側が窮地に立たされている今、私たちが主体的に取り組まなければ路線の存続はない。
そんな思いに駆り出されて、私はがむしゃらに目の前のことに取り組んだ。
それが主体的な動きなのか、それともただの現実逃避なのか、私には良く分からなかったけど。
「バカ野郎」
その言葉ではっと目が覚めた。
どうやらデコピンをされたようで、首元には微かに痛みが残っている。
長間さんだった。
「何時間働いた」
「3時間、だと、……思います」
「バカ、6時間だ」
改札にある薄汚れた時計を指差す。
13時だった。
「お前、飯は」
「まだです」
「昼飯でも食って休め。コンビニで適当に弁当買って休憩室に置いてるからそれでも食べてろ。文句があんなら今度から自分で休んで買ってこい」
「あ、ありがとうございます」
はぁ、と深い溜息交じりに長間さんは呆れつつ煙草をポケットから取り出す。
もしかしてあの道端の吸殻は長間さんが……?
いや、まさか。
「聞いたぞ。お前、7時から働いてるんだろ。給料も出んのにどうしてそんなに働きたがる」
長間さんもまた、荒子さんと同じことを尋ねてくる。
これで今日二度目だ。
「……以前まで霞山線を通学で使っていて、思い入れがあるんです。だから、少しでも恩返しがしたい──のかもしれないです。だから、今私に出来ることは何でもしたいんです」
「恩返し、か……。そんなこと考えもしないな」
線路と私に背を向け、長間さんは煙を吐き出す。
線路の枕木の隙間からは、陽の光を浴びて雑草が生き生きと力強く茂っている。
「――よし分かった。お前にもう一つ仕事を教えてやる。昼食い終わったらホームに来い。急ぐなよ」
「ッ! はい!」
長間さんの提案に、私は力いっぱい返事をして、階段を2段飛ばしで登っていったのだった。
「……ったく、神戸のボウズ、世話のかかる奴送りやがって」
午後2時頃。
春ののどかな日差しの下、長間さんと私はホームで列車を待つ。
改札に誰も居ないけどいいんですかと尋ねると、来たらどうにかすればいい、と長間さんは楽観的に答えてみせた。
相変わらずの適当ぶりである。
ということで、早速長間さんは駅の中央にある設備へと移動する。
簡易的な屋根が付けられた倉庫のようなものの中に、錆びついた大きな鉄の棒が4本並んでいて、古びた油のにおいが鼻につく。
「まずここにあるのが信号テコ。信号の『停止』『進行』の現示を変えるやつだ」
そう言いながら握ったテコを前に倒す。
「こうすると場内信号が進行に変わる。要するに駅に入ってきて良いですよ、ってわけだ」
指差す方向には、信号が青になっている様子があった。
「んで、次はこのタブレットっつーものを運転士に渡す。通行手形みたいなもんだな」
見せられたのは白く大きな輪っかのようなもの。
これが通行手形?
分からないことが沢山だ。
私の理解より先にクリーム色のでん──気動車がホームにやってくる。
列車のドアが開くも、乗降する客の様子はない。
時間帯にもよるのだろうが、相変わらず閑散としている様子だ。
まあ今回は改札に誰一人として居ないので助かったが。
……大丈夫かな。駆け込みで乗ろうとした人居たりしないかな。
長間さんはそのタブレットという輪っかを運転士に渡し、別のタブレットと交換し、そして軽く会話を交わして列車は出発する。
その後もテコを倒したり起こしたり、タブレット閉塞器というものの動作を見せてくれたり、さまざまなことを伝授してくれた。
それで私は良く分かった。
私にはまだ早すぎる話だった、と。
普段と違う仕事をしたからだろうか、今までにない頭の疲れに、休憩がてらチョコを口に入れる。
「……」
ぼんやりと天井を見上げる。
普段、あんなことしてたのか、長間さん。
ますます尊敬の念が広がるばかりだ。
「お疲れ様ぁ~」
荒子さんが夜番に来たところで、私は窓口を離れる。
「あんれ、まだ仕事か? んじゃおいらももう少し──」
「私、長間さんとホームに居るので窓口対応お願いします!」
そう言い残して事務室を勢いよく出ていった。
「──仕事したくないよぉ」
ホームに走っていくと、長間さんは信号テコを倒しているときだった。
「もう17時だろ。上がれ」
「長間さんの仕事、もう少し見学させてください」
「……そうか」
それだけ言って長間さんはもうじき入線するだろう列車の方角を見つめる。
すると列車はカーブを曲がって現れる。
長間さんもタブレットを握り、交換に備える。
クリーム色の列車はゆっくりとホームにやってきた。
「──え」
ポップな字体の落書きがされた状態で。
「……長間さん」
「分かってる」
ドアが開き、十数人の乗客が降りる。
日も落ちて、茜色の夕陽が列車の車体を照らしていた。
しばらくして、運転士が扉から顔を出す。
比較的若い青年だった。
「お疲れ様っす」
「お前さん、車ちゃんと見てるか」
「はい。落書きっすよね……。出庫点呼の時に確認はしたんすけど、定刻までギリギリだったんで動かしちゃいました」
「指令に報告してくれないか」
「……了解っす」
運転士はすぐに電話で連絡を取る。
「星鉄指令、星鉄指令。こちら──運転士ですどうぞ。──車体汚損がありまして。──はい、落書きがされています。──はい? あ、はい、今荏河駅です。──は、はい。……了解」
数十秒ほどで電話は終わり、受話器をかけて。
「運転続行みたいっす。車両が足りないらしくて。この車もさっき異音があった列車の代替で車庫から出したんで」
「……そうか」
よく分からない書体の文字を綴って自分たちの存在証明でもしているのか。
でもこの列車は、星凪鉄道のものだ。
「……ダメですよ」
「あ?」
「ダメです、こんな落書きをされたまま走らせるなんて……。これじゃあお客さんが見た時にどう思うか……!」
「ダメと言われましても、指令に言われたことは絶対なので……」
「でもっ!」
「千歳ッ!!」
声を荒げて怒鳴られた。
皺の多い長間さんの顔に、怒りが深く刻まれていた。
「……定刻だ。安全を心掛け運転を」
「……了解」
張り詰めた空気に、私は息も吸えない。
──やってしまった。
たかが1、2週間で分かったような気でいて、口出しして。
あまりに傲慢だ。
「……すみません」
「……」
長間さんがこっちを見ることはない。
カラスの鳴き声だけが、駅に響いていた。
ひたすら掃除をした。
このまま家に帰っても、胸に残る何か煮え切らない熱い塊を処理できない気がして、ただそれを燃料にして機械的に動いていた。
何か考えると、またフラッシュバックしそうになるから。
辺りも暗くなり、駅の電灯が、私以外誰一人居ないホームを不気味に照らす。
……終わろう。
疲れは無かった。
でもこれ以上は明日に支障を来たす。
足手纏いになるのだけは避けなきゃ。
清掃用具を持ち、窓口に戻る。
「お疲れっす〜」
「お疲れ様です」
机に足を乗せて少年漫画を読む荒子さんを横目に、私は奥の部屋、休憩室に入ろうとする。
「あ、千歳さん。なんか長間さんから差し入れあるってよぉ」
「長間さんから……? 分かりました」
さっき怒られたというのに何を差し入れるんだろう。
そんな疑問を抱きつつ、改めて休憩室に入ると。
「これは……」
机の真ん中に置かれたコンビニ袋。
その中にはポケットサイズのチョコと緑茶のペットボトルに手拭き。
そこに同封されていたのは、手紙だった。
『星鉄は今十分な設備を持ってない。災害で路線も潰れるし車両だって赤字削減で減らしてまともにない。異音だってしょっちゅうだ。でも乗客がいる以上動かさなきゃいけない。乗客にこれ以上不便な目に遭わせるわけにはいかない。だからどんな状況であれ鉄路は絶やさない。それは千歳にも理解してほしい。だが、落書きを看過できないのは俺も同じだ。あんな落書きをされて何も思っていないわけじゃない。だから、すまなかった』
ノート用紙は雑に切り取られ、皴もついている。
文字だって黒いボールペンで殴り書きされているし、その筆跡は擦られ汚くなっている。
「長間さん……」
でも、想いは伝わった。
ありがとう、長間さん。
丁寧に四つ折りにして、胸ポケットに仕舞う。
もっと、知らなきゃ。
星鉄のことを。
星凪のことを。
***
夕焼け小焼けの愛のチャイムが、茜色の空に鳴り響く。
西日も社長室に差し込んで眩しく、ブラインダーを閉めようと操作棒に手をかけたその時。
コンコン、と重い音がした。
「失礼します」
スラっとした長身に、皴一つない新品のような紺色のスーツ。
短髪にハリのある肌は、若さを想起させる。
そんなフレッシュさとは対照に、その双眼は覇気のない者を潰すかのような力のこもったもので。
「本日付で副社長に就任しました、
丁寧な口調と共に仰々しく礼をし、握手を交わす。
「さて、社長の貴重なお時間をこれ以上割くのも失礼ですので本題に入りましょうか」
「……そうですね」
ふぅ、と息を吐く。
息で揺らいだ空気も、張りつめたゴムのように、ピンと重苦しい空気へと戻される。
「就任にあたり、私が最優先で取り組ませていただく課題。それは星凪鉄道の財務改善。すなわち──」
「西部2路線の廃止です」
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