第6話 除霊されてなんてあげないわよ?


 十日目の深夜十二時。


 私で散々遊んだ翌日、お客達は“楽しい時間ほど早く過ぎ去る”と言い残して帰って行ったけれど、当然ながら玩具にされる側の私にはその意味が分かったことなどなかった。でも皮肉なことに今ならあの言葉の意味が分かるわね。


 今夜は持ち帰った仕事を片付けている最中に眠ってしまったのか、彼は片肘を執務机についたまま居眠りをしていた。本当ならその広い背中に毛布の一枚でもかけてあげたいところなのだけれど……触れられないから仕方がないわね。


 そんな言い訳を思い浮かべつつ抱き付いて、透けた指先で触れられない前髪を梳く真似をしていたら、閉ざされていた目蓋が持ち上がり、やや気怠そうに彼が「君か」と呻いた。


 ふぁっ……!? ちょっと掠れた声が、彼の普段の硬派さと相反する退廃的な色気を感じさせていいわぁ。この声で名前を呼ばれたりしたらそれだけで消滅してしまいそう。身体があったら絶対腰砕けになるわ。絶対よ。


『――……気怠い雰囲気の貴男も素敵だけれど、少し顔色が悪いのは減点よ。せっかくの私との逢瀬に仕事を持ち帰るだなんて。貴男って思ってたよりも無能だったのかしら?』


 普通に注意しても無視されそうなのと、浮かれすぎた内面が漏れ出さないようにわざと煽れば、彼の顔に僅かに苛立ちが閃く。その薄く開いた唇から出た鋭い舌打ちの音にキュンとくる。普段礼儀を重んじる彼の意外と粗暴な一面……! 素敵!

 

『不興を買いに来たわけではないから、今日のオススメ令嬢を紹介するわね?』


 おどけるようにそう言って、彼の顎を指先で持ち上げる仕草で誤魔化す。一瞬その日に焼けた唇に視線を吸い寄せられたけど、我慢よ。私は娼婦ではあるけれど痴女じゃないもの。けれど彼はふとこちらを見つめたまま口を開いた。


「少し話さないか」


 ――スコシハナサナイカ……って言った? 言ってないわよね? え……怖、私ったらついに幻聴? 霊体になっても幻聴ってあるのね。前々から拗らせきった自覚はあったけれど、ついにここまで落ちぶれてしまったか。


 凍り付く私を訝かしそうに見つめる彼の視線から目を逸らすのは勿体ない。なのでそれはしっかり受け止めつつ、ここは幻聴なんて聞こえてないことを証明するためにも、普通に話した方がいいという結論に辿り着く。


『今夜のオススメ令嬢はレグラント男爵家の三女ね。十八歳なのに最近設けられたばかりの女性文官試験を受けようとしている先進的な子よ。そういえばもう今夜で貴男にご令嬢を紹介するのは九人目だけれど、どなたか気になる方は――、』


「アメリア嬢。俺は今、君と少し話しがしたいと言った。受けてくれないか」


『――よっ、よろしくてよ?』


 何なのこの不意打ち、ご褒美? それとも私の心の声が漏れていて討ち取る気できたのかしら? どちらにしても初日以来の名前呼びが幸せすぎて逝ってしまうところだったわ。


 彼は短く律儀に「感謝する」と言って、次の瞬間思いもよらない方向に話の舵を切った。その話題というのが――。


『私がこんな姿になった事件の犯人?』


「ああ。心当たりは少しもないのか?」


 真剣な表情でそう訊ねてくる彼には申し訳ないけれど、何だか的外れな質問すぎて肩透かしを受けた気分になってしまう。


『逆よ。分かっているくせに。心当たりがありすぎて分からないわ。きっと貴男と婚約する前にちょっと遊んで振った相手か何かよ。それか、そういう男の婚約者。でも彼女達は何も悪くないわ。好きな男を取られそうになって嫉妬するなんて可愛いじゃない』


 少なくとも今の家に引き取られて、生きていく為だったとはいえ売り物になって穢れた私にしてみれば、彼女達は可愛らしいお姫様だ。王子様の心を奪おうとする魔女に敵愾心を燃やしても何の罪もない。


 魔女は王子様を振り回して遊ぶのが楽しいだけで、彼等の愛を欲した訳では微塵もないのだもの。


「そうは言うが、君の嫉妬は可愛かった記憶がない」


 纏わりついていた彼の背中から執務机に腰かけ直し、脚を組んで彼を見つめる。その眉間には、今夜も深い皺。


『それはそうよ。私の貴男への想いは嫉妬というよりも執着の域だったもの。狂気よ。本当に馬鹿よねぇ。そんなことをしたって好かれる訳がないのに』


 改めて口にしてみたら、まったくもって馬鹿な女ね、私は。とっくに狂っていたのね。知っていたけど。


『純粋じゃない想いなんてただのゴミ。吐瀉物以下。それに私はこうなったことでその誰かを恨んだりはしていないわ。むしろ感謝したいくらいよ。この話はもう終わり。時間の無駄よ』


「…………そうか」


『ええ、そうよ』


 静かな夜は、耳を澄まさなくても彼の低い声を聞き取れるから、大好き。治安を守ることに熱心な彼には、まだ殺人未遂・・事件でも見逃せないのだろうけれど。


『心配しないでも大丈夫よ。ベッドの上の私が死んだら、この事件の犯人は次に罪を重ねたりしないわ。すぐに皆、こんな女のことなんて忘れるわよ』


 自分のことなのに思わず鼻で嗤ってしまった。馬鹿な女。こんな女に好かれた可哀想な貴男。


『次でいよいよ十人目ね。そろそろ貴男の幸せな表情を引き出せる女性を見つけたいわ。好みがあれば聞かせて頂戴?』


「……特に思いつかない」


『でしょうね。でも安心して? 私はずっと貴男を見ていたんだもの。きっと貴男より貴男の好みを把握しているわ』


「…………」


 あ、ひょっとして余計なことを言って怖がらせちゃったかしら? 大嫌いな相手からこんなこと言われたら気持ち悪いわよね!? くっ……たくさん会話が続いたからはしゃぎすぎたわ。


『と、とにかく、明日もまた深夜十二時に会いましょう?』


 もしも会いたくないと言われたら嫌なので、黙り込む彼の視線から逃れるように空気に身体を溶かしてさっさと退散してあげたわよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る