第3話 笑うのって難しいのよ?
私の母は貴族を相手にする高級娼婦だった。けれどあるときから何の欲をかいたのか、貴族の愛人になろうと薬を飲まずに行為に及ぶようになったそうだ。
そんな母の欲に運悪く引っかかったのが私の父だった。そうして母はまんまと父とまだ存命だった父の両親を脅して、屋敷とお金を手に入れ……まだ幼い私を屋敷に残し、愛人と旅行に向かう最中に
引き取られた先のバートン家は、有能だった先代から娼館通いで子供を作ってしまった息子の代になって、あっという間に身代が傾いていた。引き取られた私は当時まだ十歳だったけれど、その美貌を褒めそやされた母と良く似た私を使って、父は
元手はタダの高位貴族だけの会員制の商売はすぐに軌道に乗り、私は毎日大忙し。素晴らしい両親の元に生まれて本当に幸せね?
父の本妻と一つ下の妹は、私に唾を吐きかけておきながらのうのうと私の稼いだお金を使って生活した。可笑しくて、可笑しくて――……おかしくなりそうな毎日も、いつかは慣れてしまう。
デビュタントまでに汚れきった私には、デビュタントを迎えてからさらにお得意様が増えた。転がり落ちていく。どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも。母のように死んでようやく底につくのだろう。
彼に出逢ったときに私が抵抗していたのは、相手の男が
――ああ、本当に……たった、それだけのことだった。たったそれだけの出逢いが、こんなに胸に残るだなんて思いもしていなかったのよ。
***
四日目の深夜十二時。
前日とは違ってしっかり就寝の準備を整えて、ベッドに入ってから少し仮眠をとった様子の彼の上。腹這いになって眉間の皺にそっと触れると、私の下にいる彼は「また君か」とさらに眉間の皺を深めた。
『そう。また私なの。貴男に他に想う方がいらしたらごめんなさいね?』
「君という婚約者がいるのに、そんな相手がいるはずがないだろう」
はぅあっ……
駄目よ、落ち着いて私。このまま天に召されては勿体無いわ。踏ん張るのよ。冷静に、悪女に見えるように振る舞うの。
『それでいくと世の中には聖人しか存在しないわ』
「どんな状況だ、それは」
『ふふふ……そのままの意味よ。本当に貴男は綺麗な人ね。私と結婚して籍を汚してしまうまえで良かったわ』
――よしよーし、乗り切った。
半透明ならこの身に蓄積した汚さも半減されたような気がするから、私は安心してこの胸に頬を寄せることができる。温もりを感じられなくても、死に逝くまでの平穏だけは感じられそうだから。
『今夜のオススメ令嬢は、ラグドール男爵家の三女ね。あの子は頭がいいのよ。こう、政治的な動きに敏感で。貴男好みの才女だわ。見た目はキツいけど、そういうのは私で見慣れて……ないわね。貴男は私を見てなかったもの。いやだわ、自意識過剰。でも本当にキツめの顔立ちも慣れれば平気よ』
前夜のようにサッと簡単に説明を済ませれば、彼は前夜と同じように「そうか」と言った。その低くて深みのある声に頬が緩む。すると気難しそうな彼の表情がほんの僅かに困惑の色を含んだ。
『――ああ、良い声ね。こんなに近くで聞けるだなんて……もしかしなくても、今が一番幸せだわ』
いつも大きな夜会や舞踏会のある日は、会場裏で部下に指示を出すこの声を物陰から隠れて聞いて。この声を聞く会場なら安心だと、そんな普通のご令嬢のようなことを考えては、すぐに予約をされていた常連に部屋へと連れ込まれていた。
馬鹿みたい。
馬鹿みたい。
馬鹿みたい。
守るような綺麗なものなんて、生まれてから何一つ持っていないくせに。子爵だなんて惨めな嘘は、社交界の誰でも知ってる話なのに。お金を払えば身体を許す、爵位持ちの娼婦のくせに……初恋だなんて。笑い話にもならないわ。
『それじゃあ、今夜はもう行くわね』
昨夜のように引き留められる素振りもない。残念がる内心を押し隠して、彼の目の下にある薄い隈に指先を滑らせ別れを告げる。
『また明日も良い情報を持ってくるから、深夜十二時に会いましょう』
緊張気味の私の言葉にやはり彼が返事を返すことはなく。そんなことに傷付く自分が何だか無性に可笑しくなって、皮肉にも媚のない小娘みたいな笑みが零れた。
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