伝書鳩の夏休み 第十八回
十八 事件の終わり
「皆さん、お集まりいただけましたね。」火芝君が手を叩き一同の視線を集めた。彼は、パーティーの司会者のように慇懃な一礼の後「今回の一連の殺人――その犯人が判明いたしました。」
僕は、このまま火芝君が最後まで話し切ってくれないかと淡く期待したが、彼は「そうだよね、野崎君。」と言って僕の腕を掴んだ。
一同の視線が一斉に僕に集中した。
「犯人は青山じゃないのか。」水口氏が言った。
「それに、一連の殺人ってどういうことかしら。青山君は誰かに殺されたの?」緑野氏も首を傾げた。
僕は、ぎゅっと目を瞑り深呼吸をして言った。「その通りです。」
一同の間に、ざわめきとも混乱とも取れるさざ波が起こった。
嶌津さんから受け取った『伝令』の内容は、全て僕の頭に入っている。「順番にお話しましょう。――赤沢氏、青山氏の死は、両方とも明確な意思を持って行われた殺人の結果でした。しかし、赤沢氏殺しに関して言えば、|殺意を持っていたのは実行犯では無かったのです《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。赤沢氏は、周囲に人が大勢いる状態で殺害されました。殺意無き実行犯――それは、緑野千草さん、あなたです。――緑野さん、答えてください。赤沢林檎氏には、味覚障害があったのではありませんか。」
彼女は唇を噛んでいたが、やがて弱弱しい声色で打ち明けた。「警察が調べればすぐに分かることだものね。そうよ、生まれつきの顔面麻痺のせいでね。あの子が、実は楽観的な性格だったなんて、きっと誰も信じないでしょうね。」
「偏食はありましたか。味覚障害者にありがちなことですが、例えば、極端な甘味を好んでいたとか。」
「まさしく、あの子は甘いものに異常に執着していた。私がいつでもあの子の口にするものに砂糖を入れていたことの証言は、同郷の子たちからすぐに取れるはずよ。」そして、緑野氏は顔を覆った。「私、今でも何が何だか分からないの。」
僕は彼女の言葉を首肯した。「ええ、あなたには少しの殺意も無かった。無いことの証明はできませんが、僕は断定して構わないと考えます。なぜなら、あなたほど、多く被害者と行動を共にしている人物なら、わざわざ衆人環視のあの瞬間を選ばなければならない理由がありませんから。」
「うーん、ダメ、分かんなくなってきた。」北府刑事が小声でつぶやいた。実のところ、さっきからずっと首を捻っていた。
満願警部が、授業参観に来た親のような口調で言った。「つまりだね、赤沢さん殺害の背景には黒幕がいたということだね。」
僕は頷いた。「その通り。そして、その黒幕というのが――」真っ直ぐに伸ばした左腕で、僕はある人物を指差した。「
全員の視線が彼の方へ集まった。彼は、狼狽える様子も無く僕を斜に見た。
「光栄だなァ。坊主には、俺がそんな賢い男に見えるのか。」
対する僕は、両方の拳を握りしめ負けじと睨み返す。「あなたの目的は実に明快でした。一生楽に暮らせるだけの金が欲しい。そこに、問いただすほどの理由は無いでしょう。あなたは鋭い観察眼で青山氏の弱点を炙り出した。そして考えました。横領をネタに夫を揺するか? その妻を殺して保険金を奪うか? あなたの回答は両方でした。
さて、保険金殺人に於いて最も気を付けなければならないこととは何でしょう? それは、被保険者の死亡に自分が関わっている証拠を決して残さないようにすることです。そのために、あなたが用意した身代わりこそが緑野氏だったのです。」
緑野氏は少し腰を浮かせて水口氏を睨んだ。
「水口さんはカウンター席に座っていたそうですね。基本的に、一人客というのは端から鑑賞するにはつまらないものです。よって、誰も注意を払わない存在に簡単になれるのです。あなたはゲームの間ずっと機会を伺っていた。そして、チャンスがやってきた。頭の悪い鳥が窓にぶつかって死んだ瞬間、全員の視線はカウンター席と反対方向に集まりました。
――瞬間的な視線の空白。
その瞬間、あなたは赤沢氏のテーブルの上に置かれた砂糖の瓶を毒入りの物とすり替えた。当然、赤沢氏は死にました。」
聴衆はじっと話に聞き入っている。
「そうしてあとは、緑野氏に有罪判決が下され、赤沢氏の保険金が青山氏へ相続されるのを待ちながら、横領をネタに揺するだけで良かった。しかし、そこで問題が発生した。親馬鹿な赤沢氏の両親が、娘の為に大げさも大げさな葬式を計画しているというのです。またしても、あなたは考えた。小心者の青山氏が自首してしまうのではないか。そうでなくとも、発狂などして事の一切を誰かに知らせてしまうのではないか。金が手に入らなかっただけでなく、逮捕などされてはつまらない。もはや、青山氏を生かしておくのは危険すぎる。ですが、今度の殺人は赤沢氏の時とは違い、急拵えの計画でした。あなたは幾つかの失敗をした。ひとつは、遺書の捏造です。わざわざタイプライターで作成し、筆跡を残さなかったのころまでは良かったが、その内容はというとお粗末なものですね。青山氏はバーにはいなかったはずなのに、どうして赤沢氏の飲み物に毒を入れることができましょう。そして『証拠』ですが……あまりにあっけない証拠でした。」僕は、ポケットからそれを取り出した。「火芝君が僕の病室に置いていったものです。ええ、シルクのハンカチ。ここにイニシャルがありますね。M.S.と。」
さっと水口氏の表情から色が消えた。
「これがどこに落ちていたのか。」僕がちらと火芝君を見ると、彼はゆっくりと頷いた。
思えば、ここへ来た当初からすると、僕たちの関係は随分変わってしまった。
けれど、こうも思う。つまりそれが、友達から親友になるということだと。
「火芝君の部屋です。犯行に使われた五袋の睡眠薬は、青山氏が知鶴さんから受け取っていたものではありません。凶器となったあれらの出処は、星造君が知鶴さんの部屋から持ち出したものを、更に彼の部屋からあなたが持ち出したものだ。」
知鶴さんが驚いてひっくり返ってしまったのに構わず、僕は言い切った。「星造君が持ち出した十三袋のうち、星造君が相沢に飲ませたのが五袋。あなたが青山氏に飲ませたのが五袋。残りの二袋は、まだあなたの手荷物の中にある。」
水口氏は、もう笑わなかった。
代わりに一言「興ざめだ。」とだけ残して立ち上がり、警官たちと共にジニア荘から立ち去った。
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銘酒探偵シリーズ 万雷 冬夜 @Bannrai
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