第25話 足利将軍 義昭 擁立

北畠具教は義輝暗殺の報を聞くや否や、明智光秀に連絡を取った。この政変を受けて、自分の動きが探られないよう、会見の場所は慎重に選ばなければならなかった。


三日後、具教と明智光秀は柳生に集まった。後に柳生の里となるこの地域は吉野に近く、山深い場所にあった。ここに柳生石舟斎の庵があった。剣豪として名を知られた人物であったが、住まいは道場というには小さく、十二畳ほどの稽古場と、隣に六畳一間の板間、それに続く台所の土間があるばかりで、世話をする「おなごし」(女中)もいなかった。その道場に明智光秀、北畠具教、大川助九郎、柳生石舟斎がいた。


「光秀殿、このような小さき道場にわざわざおいでくださり、申し訳ない次第です」

まだ四十歳になったばかりの痩せた男は、自分で入れたお茶を勧めて挨拶した。


「いえ、上泉信綱殿に師事を受けた剣豪として、お噂は私もよく存じております。私はそちらの方は不調法で、いつも具教様に学んでおります」

光秀は丁寧にお辞儀をして出された茶碗を取り、お茶をすすった。


「ところで、光秀殿、義輝様が身罷られたこと、聞いておられると思うが、幕府の周りが騒がしくなるの」

「はい、すぐにでも次の手を打たねばならぬと思いまする」


具教と光秀の話の切り出しは、ゆっくりとした時間に緊張感を高めるのに十分であった。


「信長殿はどうされる?」

具教は信長の様子を知りたかった。世の中の動きに繊細に準備をする信長のこと、次の戦略はすでに考えているだろう。このところ、信長に対して一抹の不安を持つ具教だったが、話によっては政略に乗ってもよいと考えていた。光秀はゆっくりとした口調で話し始めた。


「実は、ちょうどよいことに、面白い人物をかくまっておりまして」

光秀は足利義昭をかくまっていると話し、次期将軍にこの義昭を立てて上洛する政略を打ち明けた。


義昭は義輝の弟で、幼くして仏門に入り「覚慶」と名乗り、一乗院門跡となっていた。そして今回の政変において還俗していた。

光秀は、この情報を古くからの親友でもあった細川藤孝から得て、三好勢に暗殺されるのを恐れて、かつて仕えていた朝倉義景を頼り、かくまってもらっていたのである。


『さすがは信長』だと具教は思った。


「して、その義昭殿という人物はどのような人物か」


具教は光秀に問いただした。次期将軍になる人物には非常に難しい性格を必要としていると考えていた。兄義輝の恨みを晴らすためだけに生きているようでは生死はおぼつかない。また、ただのお人好しでは信長の傀儡政権となれても、他の側近にそそのかされる危険性をはらむ。民を心から思う気持ちも必要である。このような条件を満たす人物はなかなかいないと思っていた。


「義昭様は出家していた経験から、特に京庶民の暮らしをよくご存じです。そして民の暮らしが『楽にならない政は、真の政ではない』と仰せでした。このたびの政変により、自分が真の政を行うのだという欲はあるように思われます。ただ、政の細かなことはご存じではないので、信長様のご意見は通りやすいかと思われます。

よって、信長様が奉じる人物として最適かと思いまする」


光秀が自信を持ってそう答えると、黙って聞いていた柳生石舟斎が付け加えた。


「以前、覚慶と名乗る僧がこの庵に訪れたことがあり、記憶に残っております。下々のことを憂いておられました」

そういうとお茶を淹れ直し、客人の前に提供した。


「ただ」


一息つくと柳生石舟斎は続けた。


「権力を持つと人は変わります。ましてや、人からいただいた権力というのは、よほど自分が謙虚でなければ、その力の使い方を誤りやすいものと思いますが」

石舟斎は下を向いたまま静かに語り終えた。


具教にも思い当たることがあった。義輝は同じ剣豪として気の合うことはあったが、特に三好勢が力を持ち始めた頃から、三好勢との争いに注力するようになった。『昔はこの世のありようなど語り合ったものだったが』。そう思うとなおさら将軍としての器は難しいものだと感じ入っていた。


帰り際、柳生石舟斎は小さな門の前で挨拶した。


「具教殿、お互いの師匠は相まみえることはなかった。私の師、上泉信綱はとうとう塚原卜伝様との対決はできませんでした。生前、一度対峙してみたいと言っておりましたゆえ、是非とも私たちの代で相まみえたいものですな」

「そのような機会があればよいですな」


この時代、まだまだ修行中の剣客はいたが、剣術も武道という形に変わりつつある時期であった。そのため、流派のはっきりした剣術の持ち主ほど、他流試合は行わなくなってきた。


ただ、この二人には、昔の剣豪の血が残っており、強い者同士が立ち会うことに憧れを持っていたのである。それはこの二人にしか通じない意志であった。


同じく、塚原卜伝に学んだことのある大川助九郎は、剣豪の気持ちが少しは理解できるような気がして、このやりとりを懐かし見ていた。



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