第2話 うつけ者、織田信長

 一方の織田信長である。

 生まれは天文二十三年(一五三四年)というから、このころ二十三歳。

 斎藤道三の娘を嫁にし、清洲城城主となっていた。それまでは織田一族もいくつかの派に分かれており、尾張一国すらまとまっていなかった。

 だが、織田家の主流派であった大和守信友を暗殺し、清洲城主となって尾張家を束ねる者としての資格を得たのである。 


 その清洲城にて、ある新月の夜。外はずいぶんと静まりかえって、寝所にいっそうの闇を映し出していた。

「濃姫、起きておるか。」

信長は隣でわずかに気配を発しながら背中を向ける濃姫に向かって呼びかけた。

「はい。余りの静けさ、かえって眠れませぬな。」

 戦国の世では、城にいる者は、誰しもが明日をも知れぬ命を生きていた。ぐっすりなど眠ってはおられない。しかし、濃姫は落ち着いた静かな声で応えた。「美濃で父上に逢うてからずいぶんになりますの。道三殿が後ろに控えておってくれればこそ、清洲の城でこうやって寝ておれるのじゃ。」

「いえ、そのような。それはあなた様にそのような運の強さがあったからでしょう。」

濃姫は上半身を起こし、はだけた襦袢を整えるとそう言った。

「ありきたりの事を申すな。そなたはこの私(ワシ)を殺める機会を待っていたのであろうが。」

濃姫を見つめる信長の目は静かではあったが、殺気を感じさせるほどの鋭い目であった。

「まぁ、よいわ。おおよそ、城主の妻となる者、人質じゃからの。いったん合戦となれば、殺されるか、自ら死を選ぶか、城主を殺すかじゃ。生きて戻れるなら、よほどの幸運じゃ。濃姫よ、しかし、お前はそうではないと思うておる。斎藤の親父殿の血が流れておるのじゃ。おのれの意志で道を開く才覚があると思うておるのじゃ。」 

 信長から先ほどの殺気は消えていた。そして遠くを見つめるように、濃姫から視線を外し顔を上げた。

「私をそのようにお思いでなされましたか。確かに、父からは『そなたが婿殿を世間が言うように”うつけ”と思うたなら、迷わず首を取れ。』と言われておりました。しかし、私の目からはただの”うつけ”には見えませなんだ。」

「そうか。お前にはそう見えたか、濃姫よ。」

 再びふたりは見つめ合うと、そのまま身体を重ねた。


 しかし、この時、斎藤道三最期の戦いが始まろうとしていた。のちにいう「長良川の合戦」である。二人はまだこのことを知らない。

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