第45話
その少年は、シャリルと名乗った。
赤い頭巾が似合う、金髪の少女然としたローブ姿が道案内してくれる。彼の話では、助けてもらった御礼に一宿一飯の面倒を見させてほしいとのことだった。
勿論、ヤイバたちにも異論はない。
というか、実にラッキーなことである。早くも結社の関係者に接触できたし、宿泊費も節約できるのだから。これぞ、情けは人の為ならず、である。
そうこうしていると、薄暮の薄闇に教会らしき建物が見えてきた。
「私はこの孤児院の生まれなんです。大したおもてなしはできませんが、どうぞ」
ドアを開けると、中からどっと子供たちが押し寄せてきた。
皆、てんでばらばらな服を着てて、サイズの合っていない者がほとんどだ。
だが、どの子も眩しい笑顔で一行を出迎えてくれる。
「シャリルさん、おかえりなさいっ!」
「あれえ? お客さんだ! マザーに知らせなきゃ!」
「入って入ってー、お客さんはいつでも大歓迎だよぉ」
孤児たちの表情は明るい。
どうやら、日々楽ではなくともしっかり生きているようだ。一歩足を踏み入れれば、院内は清潔感に満ちている。古い建物だが、とても手入れが行き届いていた。
ステンドグラスとパイプオルガンのある本堂を通り抜け、生活スペースへ移動。
チイやカホルたちも、物珍しさに目を丸くしていた。
ブランシェだけが、早くも同世代の子供たちに打ち解けつつある。
そうしてシャリルに食堂へ案内されると、年老いたシスターが出迎えてくれた。
「まあまあ、ようこそ当院に。なんでも、シャリルが大変お世話になったとか」
見るからに温厚そうな、包容力の塊みたいな老婆だった。
ヤイバが挨拶を口にして頭を垂れると、チイは両手でスカートをつまんで挨拶。それを横目に真似てみて、カホルもギクシャクと倣った。
「こちらこそお世話になります、シスター」
「うふふ、堅苦しい話はこの辺にして、一緒に夕餉といたしましょう」
「ありがとうございます」
空気が温かで柔らかい。
夜の帳が舞い降りる中、頭上のろうそくが穏やかな光を広げていた。
ヤイバたちは長い長いテーブルの隅に座って、あっという間に子供たちに囲まれてしまう。皆、目がキラキラと好奇心で輝いていた。
「お兄ちゃんたちはどこから来たの? 旅人なの?」
「おっきな荷物だね! えっと、森を越えて北に行くのかなあ」
「いいなあ……ボクも大きくなったら、世界中を旅してみたいな」
「王都にも行ってみたいよね! あと、伯爵の御料地にも!」
意外なとこから伯爵の名が出た。
多分、キルライン伯爵のことだろう。
そう思っていると、シャリルが頭巾を脱ぎながら近づいてきた。
「この孤児院は、キルライン伯爵の御厚意で運営されているんです」
「……そうなんだ。っていうか、シャリル、君」
「あっ! 耳! 耳がちょっと尖ってる! え、どゆこと?」
「カホルさん、人を指さしてはいけませんよ? ……これは、つまり」
頭巾を脱いだシャリルの耳は、小さく尖っていた。
その理由を、彼は笑顔で教えてくれる。
「あ、私はハーフエルフなんです。父がエルフらしいのですが……会ったことはありません」
「そっか。ん、ごめんね。なんか、大げさに驚いてしまって」
「いえ、お気になさらずに。私は赤子の時に、この孤児院の前に捨てられていたそうです。こんな時代ですから、母も持て余してしまったのでしょう」
それで彼は、赤い頭巾で頭を覆って町に立っているのだ。
魔王討伐から10年後の世界……おそらく、シャリルは同世代に見えるので、彼が生まれた時代はまだ動乱の真っ只中だろう。
人間がエルフたち亜人と協力し、共に戦って生き延びていた時代。
それでもやはり、ハーフエルフの赤子というのは面倒だったのだろうか。
だが、シャリルの表情は明るい。
先程から彼は、ずっと笑顔だ。
「でも、マザーに拾っていただいてよかったです。それに、伯爵のお陰でこうして皆も……だから、私は伯爵のお手伝いをさせていただいてるんですよ」
「……自然を愛する仲間たち、かな」
「ええ。この星は今、本当に危ない状態です。空には排煙が広がり、海には汚水が垂れ流されている。それは私たちには……あ、ごめんなさい! まずは食事にしましょうね」
質素だが温かな食事がテーブルに並んだ。
具沢山のスープが一皿、パンは皆で千切って分け合う。
子供たちの数はだいたい、50人程度だろうか。
皆、行き場のない孤児なのだろう。
シスターの話では、10年前の戦いで親を失った戦災孤児も多いという。
「さあ、皆さんでいただきましょう。主に感謝を、そしてキルライン伯爵にも感謝を」
皆で祈るので、ヤイバたちも合わせる。
だが、隣のカホルが肘で脇腹を小突いてきた。
彼女は声をひそめて、唇を耳によせてくる。
「ねね、ヤイバっち……これってあのパターン? 悪人が実は裏ではいい人でした、みたいな」
「善悪の話はおいといて、どこの世界の人間にも多面性があるってことだね。それと」
「それと?」
「僕たちがキルライン伯爵を追うという目的は変わらない。イクスさんを助けるためにもね」
悪の親玉が実は、倒されてから「実は慈善事業をしていた」ということが明かされる……よくある話だ。小説や漫画で嫌というほど見てきた。
だが、ヤイバは惑わされたりはしない。
そもそも、キルライン伯爵の人となりは問題ではないのだ。
理解したくもないし、その必要はないと思っている。
彼は環境テロリストで、イクスから魔法を奪おうと画策し、ブランシェを道具のように使い潰してきた。そして最後には、イクスをさらってこの異世界に逃げたのである。
やや事実とはことなる記憶もあるかもしれないが、ヤイバの認識は揺らがなかった。
だが、カホルはどうやら違うらしい。
「あのさあ、ヤイバっち……もしも、もしだよ? 伯爵を見つけたら……少し、話してみたらいんじゃね? って。あーし、頭悪いからわかんないけどさ」
「ん……まあ、そうだね。それと、頭が悪いんじゃなくて、それはカホルが優しいからだよ」
「だってさ、なんかこう、イメージ違うって言うか」
「なにか事情があるんだろうね」
食卓は子供たちが賑やかで、二人のひそひそ声は誰にも届かない。
と、思っていたら、カホルとは逆の隣側でチイが大きく頷く。
「カホルさん、対話はとても大事です。ふふ、昔からヤイバ君は少しドライなとこがあって、極端なんですよ。それと、意外と短気ですし」
「そ、そかなあ。なんか、あーしは今ちょっと混乱してるよ」
「まあ、伯爵から見てなにかしらのメリットがあるから、孤児院に寄付をしている。そういう可能性もありますが……私も最初は対話をもって接することには賛成です」
「うう、チイたんやさすぃ~! だよね、やっぱあーしもそう思うんだわあ」
ヤイバはヤイバで、伯爵のことにはあまり興味がない。
最悪、イクスさえ救えればどうでもいいと思っていた。
それに、チイもやはり頭が回る少女だ。カホルを気遣いつつ、暗に彼女はこう訴えているのだ……教会への寄付は、それ自体が伯爵の利益のために行われている可能性があると。
例えば、寄付によって王家からの課税を逃れるという可能性もある。
こうして各地の孤児院で子供を育てて、結社の仲間に引き入れてるかもしれない。
それはでも、今は考えても詮無いことだった。
そんな時、テーブルの向こうでシスターが立ち上がった。
「そうそう、シャリル。今日、伯爵からお手紙が届いていましたよ。なんでも、本部で結社の集会があるとか」
「私にですか? ああ、この封筒ですね」
シスターから封筒を受け取り、彼は丁寧に封印を剥がしてゆく。その手つきも恭しさが感じられて、彼がどれだけ伯爵を好意的に思っているかがヤイバにも伝わった。
彼は手紙を読み、ふむふむと何度も頷いた。
そして、大切そうにまた封筒にしまう。
「マザー、私は明日からちょっと王都に行ってきたいと思います」
「あらあら、急なお話ね」
「結社の集会が本部であるのですが、伯爵自らが同志たちにお話があるとかで」
その言葉を聞き逃すヤイバではなかった。
思わず椅子を蹴って身を乗り出す。
そう、自分で思う以上に短気で短慮だと思う。幼馴染の評価は間違ってはいない。だが、衝動が自分を支配して、前のめりにグイグイと押し出してゆく感覚があった。
「シャリルさん。僕たちも丁度、王都へ旅する予定だったんです。よければ明日から、一緒に旅をしませんか? 人数が多いほど、旅路は安全になりますし」
チイもカホルも、突然の急展開にまばたきを繰り返している。
ブランシェだけが、美味しそうにスープを匙で食べていた。
「申し出はありがたいのですが、ご迷惑では。私はこの通りの身で、なにかトラブルに巻き込まれてしまうかと思うと」
「いえ、迷惑だなんてとんでもないです。それに、僕も結社の思想には興味があります」
「そうですか! 私も伯爵のお考えを少しでも多くの方々に知ってほしく思います。それでは、明日からよろしくお願い致しますね。そちらの、ええと、チイさんもカホルさんも」
「わたしもいるー」
「うん、ブランシェちゃんもね」
王都へと向かう北への旅路。
途中には深い原生林があって、ロ=ロームという名の町もある。
地図を思い出しつつ、ヤイバは一縷の望みを掴んだ気分で心にガッツポーズを歌うのだった。
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