第28話

 白銀に輝く月影の中に、その美貌は浮かんでいた。

 時にあどけなくあえ思えるその顔は今、怒りに凍っている。

 真紅の眼差しは射殺すような勢いでキルライン伯爵に向けられていた。


「伯爵、貴様……本当にワシを怒らせおったな?」


 ヤイバがイクスの服を持ち出したので、彼女はネグリジェに下着姿だ。

 そして、その額から首元、胸からヘソ、下腹部へと光の紋様が浮かぶ。

 その数、13。

 肉体の中心線に刻み込まれたそれを、咄嗟にヤイバは察した。


「なんだ、あの刻印……まさかあの光は、禁術」


 呼応するように、イクスの全身で魔法の紋様が光りだす。まるでその輝きは歌っているようだった。静かに、ひんやりとした夜気が震える。

 流石の伯爵も、口をあんぐりと開けて固まっていた。

 ただ、見上げるブランシェだけが、小さな声を呟き零す。


「……き、れい……あれが、ハイエルフ」

「ヤイバっち! あの子、喋った! って、イクスんは!?」

「き、消えた? カホル、気を付けて。大きな魔法が来るかも!」


 突然、空に浮かぶイクスが消えた。

 夜の公園に人の気配はないが、街のド真ん中である。

 異世界において禁忌とされ、イクスの身体に封印されし禁術……それが今まさに炸裂しようとしているのか? 思わず身構えた瞬間、背後で声がした。


「これ少年、この娘と下がっておれ」


 とても冷たい声だった。

 振り向けば、イクスがチイと立っていた。

 チイは予定通り、離れた場所に伏せていた筈だが……本人も、突然自分が公園に来ていることに頭が回らないらしい。ひたすら瞬きを繰り返す彼女の隣で、またイクスは消えた。

 それを見た伯爵が声を張り上げる。


「あ、あ、あっ、あれは! 封印されし13の禁術! よもや実在していたとはっ!」


 その時にはもう、イクスの姿は再び月の中にあった。

 それが揺らいで消える、残像だ。

 無数の残像、それは空中に遺した彼女の足跡。

 あっという間にイクスは、伯爵の背後に回り込んだ。

 最初に気付いたブランシェの手首を掴むや、イクスは冷徹なまでの声で静かに呟く。


「今じゃ、少年……伯爵の脚を止めよ」

「え、あ、はいっ! チイ、カホルも!」

「と、とりあえず直撃さますね……なにがどうなってるのかしら」

「いやちょっと、あーしに飛び道具なんて、ん、やっ! で、出たっ! なんか波動拳的なものデター!」


 ジャングルジムの伯爵へと攻撃が殺到する。

 ヤイバも、変なところにあたらぬように祈ってナイフを投擲した。

 必死で避ける伯爵のマントから、バラバラと沢山の写真や絵が散らばった。


「ああっ! 我輩のコレクションが! ひいいい!」


 イクスは慌てふためく伯爵家から、ゆっくり離れて地に降りた。

 すぐにヤイバには理解できた。

 今、恐るべき禁術が発動したのだ。

 本当に恐ろしいものは、時に当たり前過ぎて地味なものである。核融合爆発も隕石落としも、時間操作も行われた形跡がない。

 ただ、イクスが点から点へとワープするように動いていた。


「これは……瞬間移動!」


 原理はわからないが、そうとしか思えなくてヤイバは走り出す。

 イクスは瞬時に伯爵の死角へと移動し、ブランシェを引き剥がした。そこにヤイバたち三人の集中攻撃が殺到したのである。

 そこまではよかった。

 ただ、着地したイクスはそのまま片膝をついて崩れ落ちる。

 どうにか握るブランシェの手を、放すまいとしているが苦しげだった。


「イクスさん! 今、行きますっ!」

「危険じゃ少年! 来るでないっ!」


 刹那、稲光が走った。

 強力な電撃の魔法が、ブランシェからほとばしる。それは、術者たるブランシェ本人をも巻き込むような落雷と化した。

 慌ててブランシェを抱き締め、イクスが必死で地面を転がり逃げる。

 あれは、最高レベルの雷属性魔法……触れた全てを蒸発させる圧倒的な電力の塊だ。

 ブランシェが立て続けに雷を落とす。

 だが、魔導師としてはイクスの方が格が上だった。

 魔王をも倒した、3,000歳のハイエルフ。

 スペリオールの称号を持つ、最強の魔導師の術が冴えわたる。


「氷よ! おいでませぃ!」


 突然、気圧が急激に低下する。

 肌をひりつかせる冷気と共に、突如として巨大な氷がせり上がる。

 夜空を奪い合うように、無数の柱が屹立した。

 雷は全て、氷の牙に吸い込まれていく。

 まるで避雷針だ。


「あ、あれ……? れれ? まほう、きかない」

「お主、受けた魔法を奪う呪いを受けたものの、魔法戦闘は素人じゃな!」

「そんな、こと、ない……次は、もっと強く」

「無駄じゃよ! 何千年の経験差があると思うてか!」


 ブランシェの魔法が、ひときわ煌々と輝いた。

 まるでそれは、雷の龍。

 轟音と共に、それはまっすぐイクスへと落ちてくる。

 今度はもう、氷の避雷針を出している隙がない。あれならば直接ブランシェに魔法をかけていないため、奪われる可能性はなかった。

 だが、イクスは「チィ!」と舌打ちをするや、防御の魔法を張った。

 ブランシェごとイクスを見えない結界の壁が包む。

 激しい衝撃音と共に、巨大な雷電の轟きが消え去った。


「……今のは、盗られたのう。まったく……じゃが、もう終わりじゃ」

「う、はなして……あっ!」

「これ、暴れるでない……お?」

「あの子、怪我、してる」

「あっ、これ! 手を……くっ、こんな時にもぉ、力が……この老いぼれめ!」


 不意に、ブランシェがイクスを振り切った。

 その手を振り払って、走り出す。

 フォローに飛び出したヤイバの前には、すっと影が降り立った。

 そこには、いつもの笑顔を痙攣させた伯爵が立っていた。


「やってくれましたなあ、イクス殿! それに、勇敢な子供たち!」

「そこをどいてください、伯爵っ!」

「よもや、神代の太古に消えたと思われた禁術……この目で見ることができようとは」

「くっ、チイ! カホル! ブランシェを保護してっ!」


 抜いたナイフの刃を寝かせて、殴るように振るう。

 しかし、伯爵はそれをステッキで受け止め、その反動で大きく背後へ飛び退いた。その腕が、ヒョイとブランシェを取り巻くベルトの端を掴む。

 そのブランシェだが、何故か胸に猫を抱いていた。

 たまたま公園を通ってしまった、不幸な野良猫だ。


「今日はさがりますぞ、イクス殿! 嗚呼、実物がやはり一番お美しい。……ん? なんですブランク・スクロール。その獣は」

「さっきの魔法、この子、当たった。怪我、してる」

「捨て置きなさい。取るに足らない命です」


 だが、ブランシェは血を流す猫へと回復魔法お使った。その温かな光を連れたまま、ブランシェごと伯爵は夜の闇に逃げてゆくのだった。

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