第25話「禁忌の秘術、その数13」

 結局大混乱の中、イベントは中止になった。

 その騒ぎに乗じて、ヤイバたちもこっそりと抜け出し帰宅していた。

 イクスは三人を咎めもせず、無事でよかったとにっぽり笑う。

 そんな優しさが年寄りじみていて、どこかヤイバには悔しかった。


「えっと、イクスさんは熱いお茶がいいかな? チイとカホルは?」

「あーし、冷たいやつ! 麦茶とか牛乳とか、チェリーコークとか!」

「チェリーコークを常備してる家は多分、日本にはないよ。チイは?」

「わたしはイクスさんと同じもので」


 おざなりな空返事のチイは今、肩を落とすイクスのそばに付いている。彼女の言葉に頷きつつ、イクスはやはり落胆の様子だ。

 なまじ見た目が美少女なだけに、その憂いを帯びた姿が儚くも美しい。

 しかし現実には、またしもてキルライン伯爵にしてやられたという訳である。


「物理的な射撃を防ぐ矢避けの魔法じゃから、まあ、悪用は難しいかと想うけどのう」

「逆に、あの魔法で防げない攻撃っていうのは」

「まあ、近距離での打撃や斬撃、あと魔法じゃのう。逆に、遠距離からなら隕石の落下にも耐えられるわい。……術者の魔力にもよるがのう」


 とんでもない魔法に今日、ヤイバは生命を救われた。

 そして、改めて複雑なこの戦いのルールに唸らされる。

 ブランシェに魔法をかけてはいけない。どんな魔法であれ、彼女はイクスからそれを奪う呪いを身に受けている。そして、そんなブランシェ自身を殺す訳にはいかない。彼女は伯爵に利用されているだけなのだ。

 つまり、伯爵からブランシェを引き剥がせばいいのだが、ブランシェ本人にはその意志はない。そして、接触する都度伯爵は、あの手この手でイクスの持つ魔法を脱がせてゆく。


「はあ……ワシ、やっぱり元の世界に帰ろうかのう。ツルギとミラの子にも会えたし」

「それは悪手ですよ、イクスさん」


 やかんを火にかけ、氷の入ったグラスに麦茶を注ぐ。

 そうして居間に戻りながら、ヤイバは断言した。


「イクスさん、向こうの世界で頼れる人はいるんですか?」

「……10年前、こっちでいう20年前だったら、仲間が沢山いたんじゃがのう」


 そう、そして魔王との決戦が行われた10年前でさえ、既にエルフは少なくなっており、他の亜人たちもそうだろう。人間の協力者には寿命があるため、今は期待できない。

 もうずっと大昔から、イクスは少数精鋭を強いられていたのだ。

 それこそ、別の世界から少年少女を召喚せねばならないくらいに。


「イクスさんが元の世界に帰れば、伯爵もあとを追うでしょう」

「でもさ、エルフさん! えっと、イクスさん? そう、イクスん! それ駄目だし!」


 ヤイバの言葉尻を拾って、喋りつつカホルがグラスを手にする。

 彼女は冷えた麦茶を一気に半分以上飲み干すと「ぷはーっ!」と感嘆に息を吐き出した。そして、グイと恐縮したようなイクスに迫る。


「あーし思うんだけどさ、伯爵から逃げ回るにしろ、戦うにしろ、一人じゃ大変だって」

「しかし、こちらの世界にこれ以上迷惑もかけられん」

「迷惑じゃないし! あーしらが側にいたほうが。それに」


 そう、それにイクスを孤立させる訳にはいかない。

 全ての魔法を修めし、究極の生ける魔導書……エクストラ・ロール。スペリオールの称号を持つ最強の魔導師、それがイクスだ。

 だが、物理的には3,000歳の老婆で、長寿のエルフでももう年寄りなのである。

 体力的に、彼女が一人で伯爵と渡り合える可能性は低い。

 あの狡猾で残忍な伯爵を相手にするには、あまりにもイクスはか弱すぎた。


「ところでイクスさん、こう……魔法の学術的な体系とかはわからないんですが。僕たちの世界の娯楽では、いわゆる『魔法を封じる魔法』みたいなの、あるんですけど」

「ああ……しかし、魔法封じでは呪詛の類は防げんよ」

「逆ですよ、逆。イクスさんがまず、魔法を使えないようになるんです。自分で自分に魔法をかけて」

「……むむ?」

「一応、イクスさんが魔法を使わない限り、ブランシェを通じて伯爵に奪われることはないです」


 複雑な話に、カホルが小首を傾げる。

 逆に、チイはなるほどと手を叩いた。

 やかんが湯気を歌い出したので、キッチンに戻りつつヤイバは言葉を続ける。


「なるほど、ヤイバ君はまず、魔法が盗まれる前提から崩そうというのですね」

「ふむ……いやっ、それは駄目じゃ!」

「どうしてですか、イクスさん。魔法を盗られる心配さえなければ、わたしたちで」

「お主たち若者を、それもこんな平和な世界で戦わせてはならん。あちらの世界の問題は、あちら側のワシたちで決着をつけねばならんのじゃ。それと」

「それと?」


 イクスは一同を見渡してから、静かに頷く。

 熱い茶を淹れて、湯呑みと急須を手にヤイバもその言葉に耳を傾ける。


「魔法封じの魔法、確かに存在する。それをかければ、対象は魔法が使えない状態になるのじゃ」

「いーじゃん、それ! イクスん、それで普通の人になっちゃえばさ、魔法奪えないんだからあの伯爵ってのも、襲ってこなくなるんじゃね?」

「あやつはその程度の男ではないのう。それに……いざという時、皆を魔法で守れなくなる」


 そう、この奇妙なゲームの一番厳しいレギュレーションがこれだ。

 伯爵はブランシェを、道具として割り切って使っている。しかし、イクスはそのブランシェさえも守ろうとするのだ。勿論、ヤイバたち三人も、無関係な一般市民も守る。

 結果として、その優しさを逆手に取られて何度も呪文を奪われたのだった。


「あの魔王との大戦争でも、多少の犠牲は必要と主張する者もおった。しかし、ワシには犠牲を前提とした救いなど認められぬよ。ふむ、さてどうしたものかのう」


 とりあえず、熱い茶をイクスとチイに出して、ヤイバも一同と共に座る。

 静かな沈黙の中で、四人は詰みへと近付く難儀なパズルを脳裏に描いた。


「とりあえず、状況を整理しましょう。あと、ヤイバ君」

「あ、うん。今度は羊羹が怖い、ってやつだね」


 暗に茶菓子を求められて、再度ヤイバはキッチンへ立つ。自分もなにか飲もうかなと思ったが、不思議と喉の乾きが感じられなかった。

 極度の緊張感に支配され、またしても失敗し、まんまと相手に逃げられた。

 今日の失態はもしかしたら、自分に原因があったかもしれない。

 そう思うと、呑気に茶を飲んでる気持ちでもなかった。

 それでも、水分補給にと冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出す。

 その間もずっと、チイの平静な声が淡々と響いていた。


「まず、戦いのルールとしては『ブランシェに魔法を当ててはいけない』というのは、理解できたかと思います。いいですね? カホルさん」

「わ、わかってるし! ちょ、顔! 顔近いし、チイたん! ……近い、し」

「わかってるなら結構です。それで……恐らくですが、イクスさんがここ都牟刈家に滞在していることは、ばれていないのではないでしょうか」

「なんで?」

「伯爵が知ってるなら、とっくに襲われてます

「なるほど!」


 仮に我が家をセーフホームだとしても、じっと隠れてる訳にはいかない。

 そのことも指摘し、チイは眼鏡のブリッジをクイと上げる。


「なので、停電騒ぎや今日のイベント乱入のように、伯爵が自ら騒ぎを起こすことで事件は必ず発生します」

「んー、じゃあさ、チイたん。無視しとけば?」

「あなたにそれ、できますか?」

「わはは、むーりー! ブン殴りたくなるもん」

「でしょう? イクスさんは責任を感じて、事態の収拾に動かざるをえないという訳です」


 大雑把にいうと、毎回このパターンで魔法を奪われている。

 そして、カホル自身が自分で言ってるように、見過ごせぬのがイクスであり、ヤイバたちだった。一度でも伯爵の跳梁を許し、それを黙認すれば……次はさらに派手な事件が起こるだろう。

 小さな町の停電騒ぎとか、企業のイベントが駄目になるとかなら、まだいい。

 あちらには既に、最強の雷系魔法が奪われているのだ。

 やろうと思えば、もっと恐ろしいこともできるだろう。


「ふーむ、どうしたもんかのう。……やはり使うかのう、禁術を」

「禁術って、イクスさん。もしかして」

「ワシが持つ魔法の中でも、とびきり危険なものじゃ。それ故、当時の全国家によって使用が禁止されておる。あまりにも恐ろしい、13の呪文。禁忌中の禁忌じゃ」

「た、例えば?」


 カホルがゴクリと喉を鳴らす。

 ズズズと茶をすすりながら、静かにイクスは呟いた。

 その時なぜか、優しい彼女の顔立ちがぞっとするほど冷酷に凍って見えた。


「星を降らせる魔法、かつてこれで一夜にして国が地図から消えた」

「ひええっ!」

「あとは、核熱魔法。あらゆる防御を無視し、全てを消滅させる。ワシはこれで一度、巨大な龍を消し飛ばしたことがある。……あれはやりすぎじゃったのう」

「おおう……」

「まあ、そんなこんなで、他にも死者の再生や時間操作なんかが禁術なんじゃよ」


 ふむ、とヤイバは頷き思う。

 そんな危険な魔法、奪わせる訳にもいかない。

 そしてイクス自身、この世界で使う訳にはいかないと思ってるだろう。

 使うかのう、と言うのはつまり、それでも使えないから手詰まりだという話だ。


「まあ、今日はでも助かったぞよ? 少年、それにチイもカホルも。本当に感謝じゃ」


 そう言うとイクスは「疲れたから少し休む」と自室に引き上げていった。

 その小さな背中が今は、すぐにでも消えてしまいそうな程に心細くかんじられるのだった。

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