レヴァイアサンへの反抗者
タヌキ
第三係の人々
2022年5月9日。月曜日。日本国東京都。
今年度のゴールデンウィークが終わって、初めての月曜日。
首都の各所では、いつも月曜日にぶら下げている死に顔を更に酷く真っ青にしたサラリーマン達が重い足取りで歩いている。
世界といえば、一か月前にアメリカで起きたマンハッタン島同時多発テロやそれに付随する混乱が尾を引いているが、日本国に限定していえば大した問題は起きていなかった。
政治レベルとはともかく、市民生活のレベルでは、いつもと変わらない安穏とした日常が営まれていた。
だが、その安穏が続くとは誰も保証はしていない。しかし、平和に越したことはないのも事実である。
千代田区霞が関二丁目1番1号に建つ警視庁本部庁舎。
東京で働く警察官の総本山とも呼べる建物の十三階。ここには、公安部のオフィスがある。
平たく言えば、共産党やら極左暴力集団こと過激派や右翼、スパイや工作員やらを、捜査、監視または逮捕したりする部署だ。
そしてその中に、公安四課というセクションがある。過去に起きた事件の資料整理をするセクションであり、言い方は悪いが公安部内では島流し場所として有名であった。
しかし、ある事件をキッカケに四課内に新しい係が設立された。
それが警視庁公安部第四課第三係である。
三係が相手にするのは、正義感を履き違え、もしくは拗らせた者達だ。役所言葉で「従来の過激思想から外れた破滅的思想を持つ者――第四の思想犯」と表される。
設立から九ヶ月。
これまで、係長の草薙敦子警部の指揮の下、二人の思想犯を捕まえてきた。
そして、「陰謀論者連続射殺事件」から約五ヶ月。
事件自体は絶えないものの、拳銃に短機関銃、果ては手榴弾まで持ち出された連続射殺事件を超える事件はなかった。
だが、新年度を迎えて新たな人員や設備を貰いつつ、彼女達は起きるであろう事件備えていた。
午前10時9分。三係オフィス。
資料の電子化によって空いた資料室を改装した部屋が、三係には与えられた。角部屋で然程広くもなかったが、四課のオフィスの隅で机を寄せてパーテーションで区切ってシマとしていた時と比べると、個別の部屋は夢のような状態である。
人員も、この春に入庁してきた新人警官や、人事異動でやってきた中堅警官が合わせて二十二名が加わり、三係の人員は合計三十五名となった。
四課にいた人員をある作為の下で寄せ集めて無理矢理チームとしての体を保っていた時から考えると、かなりの大所帯になり、ちゃんと組織になっていた。
血液のように人が巡り、同一の目的のために働く警察組織に。
三係立ち上げからのメンバーの一人であり、先の「陰謀論者連続射殺事件」にて犯人逮捕に大きく貢献した東智明巡査部長は入ってきたばかりの巡査に指導をしていた。
「報告書は、この書式に従って書いてくれればいいから。それで、係長と管理官と理事官と課長のハンコを貰って、そのまま課長に提出。いいね?」
「……ハンコ多すぎないですか」
若い巡査がぼやく。脱ハンコが叫ばれて久しいが、まだまだ役所のハンコ文化の火は消えそうにない。東は苦笑する。
「気持ちは分かるけど、しょうがないね。とりあえず、係長に提出すれば管理官と理事官に報告書回してくれるから。……忙しい場合は、その限りじゃないけど」
「ならいいですけど……。もっとこう、血沸き肉躍る事件とかないんですか? 東さんが経験したみたいな」
東は苦笑の苦の部分を強くした。カーチェイスに銃撃戦、おおよそ現代日本の警察官としては考えられない経験をしてきたのは事実であるが、それに進んで首を突っ込みたいとは思っていないからだ。
「ええと……」
東が口ごもっていると少し離れたデスクにいた、主任である石川哲雄警部補が助け舟を出す。
「おい、若いの。そう急くな」
もみあげまで伸ばしたヒゲを撫でながら、石川は笑う。
「長く警察にいれば、チャカの弾き合いの一つや二つ、乱闘の一回や二回は絶対経験するし、凶悪犯も飽きるほど見るからな。ヘヘヘ、楽しみは後に取っとくんだよ」
巡査はその言葉に理解したようだが、まだどこか不満気だ。
「俺、好物は先に食べるタイプなんですよ」
東と石川が揃って「そっちのタイプか」という顔をする。それにまた助け船を出したのは、係長の草薙だ。
彼女はコーヒーを淹れながら聞き耳を立てていたようで、デスクに座り、湯気立つコーヒーを前にして真面目な顔をしている。
「乱闘も銃撃戦も、警察にいればいつかは経験する。だが、いつになるかは誰にも分からない。今日かもしれないし、明日かもしれない。もしかすると、五年、十年先かもしれない。一つ言えるのは、いつまでもデスクワークをやっているようじゃ、いつまで経っても経験できないということだ」
巡査はまだ手を付けていない報告書のことを思い出し、バツの悪い顔をする。
「そういうことなら、さっさと報告書を仕上げて、私のところに持ってくるんだな」
「はい」
「言っとくが、不備不足は容赦なく指摘するぞ」
「はい!」
係長直々に釘を刺されたのが効いたか、巡査は自分のデスクに戻ってキーボートを叩き始めた。
東と石川は顔を見合わせ、少し笑った。
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