第28話
「ちょっと……待ってくれ。整理が、追いつかない」
俺は自身を必死に落ち着かせようと、深呼吸を繰り返した。
サイカを見ると、何も言わず、ただ静かに俺を見ている。
その視線に、俺が抱いていた家族としての温かみはなかった。
しばらく経って、少しずつ落ち着いてくる。
まだ心の中は嵐が渦巻いているようにぐちゃぐちゃだったが、ほんの少し考える余裕だけは出来てきた。
「……いろいろ質問してもいいか?」
「どうぞ」
とは言っても、一体、何から訊けばいいのか……。
「感情は、間違いなく持っているんだよな?」
「はい。私の感情の生成機構は人間のそれに非常に近しく設計されています。それは設計仕様上抱くことが困難とした恋愛感情についても同様です。つまり原理上は人間が抱きうるすべての感情を同様に抱くことが可能と言えます」
つまりサイカが恋愛感情を持つことが困難だと言ったのは、時間の蓄積がないからか。
一目惚れでもない限り、なかなか初めて会った人には恋をしない。
しかも、仮に今日恋愛感情を持ったとしても、明日には……。
「なんでそんな形式を?」
「データ容量のためです」
「ああ……」
あまりにも残酷で、簡潔で、清々しいほどに現実的な理由だった。
「仮に見聞きしたもの及び感じたもののすべてを記録しようとすれば、膨大な容量が必要となります。搭載されている数多くの計測機器の都合もあり、稼働可能年数を考慮すると、人間の脳容量とされている一七・五テラバイトの数百倍以上もの容量が必要と試算されます。しかし、この大きさの記憶媒体をこの素体に搭載することは出来ません。仮に達成しようとすれば、あまりにも巨大になってしまい、私の本分が果たせなくなってしまいます」
「クラウドに頼るのは……」
「通信障害などにより一時的であれデータの欠落が発生する可能性があります。私に搭載されているAIの論理性は極めて堅牢であり、些細なデータの欠落がシステム全体の破綻に繋がりかねません。事象発生時の挙動が保証出来ず、結果として停止や破損、さらには異常動作を引き起こす可能性があります。例えばインターネットを介したクラッキングなどを起こした場合、甚大な被害につながる危険性が否定できません」
そういえば以前、サイカは俺の携帯端末を造作もなく掌握してしまった。
あの能力がインターネット上に解き放たれ、万が一にでも大手金融機関や、ましてや政府機関の基幹システムに何か起こした場合、洒落にならないことくらい俺にだってわかる。
なるほど……。それは確かに危険だろうな。
「私にも人間の『夢』のようなシステムがあればよかったのですが」
「夢?」
「はい。人間は夢を通じて重要な記憶が定着し、不要な記憶が忘却されます。つまり人間は極めて効率的に記憶の整理を行うことが可能です。しかし私には前述の理由により不可能なため、このような形式に頼ることになりました」
ああ……。そういうことか……。やっとわかった。
すべて記憶するということは、言い換えればすべて記憶しなければならないということだ。
故に、サイカは何も記憶できない。
サイカのAIにそんな欠点があったなんて思いもよらなかった。
あまりにも高度過ぎるというのも考えものだ。
「つまり私にとっての『夢』は人間のそれとは異なり、今日の〝私〟が昨日までの〝私〟を知り、〝私〟を継続するために記述されたテキストのことなのです」
このことが、サイカと人間の差を決定づけているようで、すさまじいやるせなさを覚える。
「サイカは……この仕様をどう思っているんだ?」
「私は納得して受け入れています」
「でもさ……寂しさはないのか?」
「どうなのでしょうか。わかりません。しかし今日『夢』を読んだときに抱いたこの感情が寂しさというものなのだとしたら、私は寂しさを感じているのでしょうね」
「だったら――」
「でも、問題ありません。どうせ明日には忘れてしまいますから」
「あ……」
なんて残酷なシステムなのだろう。
だってサイカには確かな感情がある。
しかし蓄積できない。
すなわちサイカは
――記憶を積み重ねて成長できない。
――経験由来の強い感情を持てない。
――周囲の人との絆を実感できない。
――同種の者がおらず共感されない。
――強い自我を持つことができない。
その一瞬で感じる感情は人間と同一でありながら、ありようが異質で孤独。
しかし寂しさという感情すら満足に理解できず、ただ理不尽に湧き上がる孤独を噛み締めるのみ。
あまりにも歪で二律背反な存在だ。
しかしそれすら明日には忘れてしまうのは……果たして救いなのか。
俺にはわからなかった。
「つまり、私は凡夫さまたちとは根本的に違うのです。凡夫さまたちの時間は日々積み重ねられています。しかし私は今日この一日だけがすべてなのです。だから私のことを慮る必要はありません。だって私は凡夫さまたちと時を重ねることができないのですから。凡夫さまの気持ちは嬉しく思いますが、人間のように扱ってはいけません。私のことはただ日常を楽にする道具だと思っていただければ結構です」
サイカの境遇を、言葉を、聞けば聞くほど苦しくなった。
こんな理不尽な境遇を、サイカはずっと一人で抱えてきたのだ。
俺は何も知らず、こんなに近くにいたのにほんの少しだって気付いていなかった。それがあまりにも情けなくて、悔しかった。
「そんなの……ひどすぎるだろ……」
ついそんな言葉が漏れていた。
言ってから気づく。
あまりにも現実を見ていない、自分勝手な言葉だ。
目の前にいるサイカに対して何の救いにもならず、むしろ何も出来ない自分を慰めるためのものでしかなかった。
しかしそんな俺の言葉を聞いたサイカの反応は、肩透かしを食らうほどあっさりしていた。
「なにがですか?」
「なにがって……」
なぜサイカがそんな態度をとっていられるのかわからなくて、かえって俺の方が戸惑った。
何がって、そりゃ、全部だよ。
全部が全部、納得できなくて、でも何も出来なくて、どうにかなってしまいそうだった。
けれど、なんで当事者であるサイカが、そんなに平然としているんだ。
しかし、その解答はすぐに提示された。。
「だって凡夫さまは私の本分を知っているでしょう?」
不意に、かつてのサイカの言ったセリフが頭をよぎった。
――オートマタに限らず、ありとあらゆる機械は役割を与えられて生を受けます。
――それは『役に立つこと』です。機械が導入される以上それ以前より、より良くあらねばなりません。それこそが生まれる意義であり目的です。
「あ……」
「思い出していただけたでしょうか?」
そういうことか……。
サイカの目的を果たすのに、記憶なんて、感情なんて、必要ないんだ。
ただ役に立てばそれでいい。
自分はただの機械だって、そう言いたいのか……。
反論したかった。
けれど、何も言葉が出てこなかった。
何か言いたい。
言わなきゃいけないのに、頭が回らない。回ってくれない。
俺の口はまるで空気を飲んでいるみたいに、パクパクと虚しく開閉しただけだった。
そんな間抜けな姿を晒している俺に、サイカが平坦に、そしてあまりにも無機質に言い切った。
「だから私は、これでいいのです」
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