ナタリーという美しくも凶暴すぎる殺し屋

「今から引っ越しだ」


 二日ぶりに帰って来た獅道。彼の顔を見て、希望はホッとなった。

 だが、帰って来るなり飛び出たのは、この言葉である。突然そんなことを言われ、希望は戸惑うばかりだった。


「ど、どういうことです?」


「引っ越しは、引っ越しだよ。もうちょっと居心地のいい場所に行く。テレビも風呂も水洗トイレもある部屋だよ。ただし、外出は出来ないけどな」


 一方的に語り続ける獅道だったが、希望の方は唖然となっていた。自分はずっと、この暗い廃墟のような場所に監禁される……漠然と、そう思っていたのだ。

 すると、獅道は首を捻った。


「ほう、嫌なのか? ずっと、ここにいたいのか? まあ、人それぞれだからな。ここが気に入って引っ越したくないなら仕方ない──」


「い、いえ、引っ越します!」


 ・・・


 その頃。

 白土市のとある裏通りにて、恐ろしい事件が起きようとしていた。


向井ムカイさん、由佳ユカの奴どうします? あいつ、また客と揉めたらしいんですよ」


「またかよ。しゃあねえから、チンに売り飛ばすか。あの変態、新しい女を欲しがってたからな」


「うわあ、マジっスか。由佳、もう終わりっスね」


 藤川フジカワは、思わず顔をしかめた。

 チンとは、彼らの共通の知人である。フルネームはチン・シンザンというらしいが、その名前が本名であるかどうかは不明だ。恐らくは、偽名だろう。

 もっとも、本名を知る必要もない。ふたりにとっては、調達してきた商品おんなに大金を支払ってくれる大切な客である。買った商品に、焼きごてを押し付け奴隷のマークを付けたり、スタンガンで電気ショックを与えたり、さらには体に刃物で傷を刻む困った趣味があることは知っている。だが、彼らが痛みを感じるわけではないので気にもしない。

 さらに、チンに買われた女たちは生きて帰らないことも知っているが、これまたふたりには関係ない話である。藤川は顔をしかめているが、それは由佳が気の毒だからではない。チンの変態ぶりに対する嫌悪感である。




 この向井と藤川は、白土市を中心に活動している半グレ集団『白土連盟』の構成員である。半グレ集団とはいっても、両者の見た目は一般人とさほど変わりない。繁華街をうろつく二十代の若者、という印象を受けるだろう。

 彼らの今いる場所も、一見すると中小企業の事務所という雰囲気だ。裏通りのマンションの一室に、事務用の机と椅子が並べられている。机の上には、パソコンが置かれていた。向井と藤川はラフな服装ではあるが、昨今はスーツ姿を強要しない企業も珍しくはない。

 ふたりは、一般社会に完璧なまでに溶け込んでいる。見るからにアウトローというような風貌では、一般の人から引かれるだけだ。また、ヤクザのように見栄は張らない。面子にもこだわらない。あくまで実利を優先している。

 その結果、ヤクザよりも金を稼いでいた。

 

「んなことよりよう、ツバサの次の奴どうする?」


 向井の言葉に、藤川は首を捻る。


「あいつも、そろそろ飽きられてきましたからね。いっそ、次はスカトロでもさせますか。マニアには売れますよ」


「それ、いいかもな」

 

 そんな会話も、彼らにとってごく普通のものである。向井と藤川にとっては、平穏な日常でしかない。二人の仕事は、アダルト動画を撮ってネットで売ったり、調達してきた女たちに売春をさせたりしている。売上はかなりのもので、組織内でも上位の稼ぎ手である。

 今日もまた、彼らにとってごく普通の一日であるはずだった。ところが、予想外の事態が彼らを襲う。


「あれ? 誰だお前?」


 藤川が、すっとんきょうな声をあげた。だが、それも仕方ないだろう。部屋の中に、ひとりの女が入って来たのだ。長い髪は黒いが、対照的に肌は真っ白だ。アーモンド型の目は大きく、鼻も高い。完璧といってもいい顔立ちだ。服装はアーミージャケットにデニムパンツという飾り気のないものだが、その美しさを損なってはいない。このあたりでは、まずお目にかかれないタイプの美女である。

 向井と藤川は、思わず顔を見合わせつつ立ち上がった。唖然となりつつも、女へと近づいていく。この事務所に、商品おんなが送られて来ることはある。だが、たいていは夕方だ。まだ昼前なのに、新人が来るのは珍しい。

 いや、それ以前に……こういう場合、事前に連絡があるはずなのだ。彼らは、報告・連絡・相談を重視している。連絡もないのに、新人が来ることなど有り得ないはずだった。


「おい、こんな女が来るなんて聞いてないぞ。お前、聞いてたか?」


 向井の問いに、藤川はかぶりを振る。


「いや、俺も聞いてないっスよ。お前、誰だ? 国どこだ? 日本語わかるか?」


 首を捻りながら、女に向かい矢継ぎ早に尋ねる藤川。すると、相手はにっこり微笑む


「私の名は、ナタリーだ。いや、本当に良かったよ」


 顔からは想像もつかぬ、流暢な日本語だ。藤川はきょとんとなった。


「はあ? お前、何言ってんだ?」


 それが、藤川の最期の言葉になった。直後、ナタリーは拳銃を抜く。

 乾いた銃声とほぼ同時のタイミングで、藤川の眉間に穴が空く。彼は、自分の身に何が起きたか把握できぬうちに、短い一生を終えた。

 向井もまた同じだった。目の前で何が起きたのかわからぬまま、ただただ唖然となっていた。

 だが、ナタリーの方は次に何をすればいいか心得ている。向井の足に銃口を向け、拳銃のトリガーを引いた──

 弾丸は、向井の右の太ももを貫く。さらに、もう一発。次の弾丸は、左の太ももを撃ち抜いた。

 一瞬遅れて、向井は倒れる。己の足を押さえ、狂ったように喚き出した。しかし、その声を聞いているのはナタリーだけだ。この部屋は、完璧なまでの防音設備を備えている。先ほどの銃声も、向井の喚き声も、外には洩れていない。

 ナタリーはしゃがみ込むと、向井の襟首を掴んだ。


「本当によかったよ。お前らみたいなクズなら、ためらうことなく殺せる」


 言いながら、銃口を向ける。向井は、ひっと叫んだ。

 直後、銃声が響く。

 弾丸は、向井の左手を撃ち抜いた。彼の左手は、もはや原型を留めていない。手の甲には穴が空き、小指と薬指がちぎれている──

 痛みのあまり泣き叫ぶ向井。その髪の毛を、ナタリーは鷲掴みにした。冷静な口調で尋ねる。


「お前たちは、家出した娘を拉致しているらしいな。どこに集めている?」


「そ、それは──」


 口ごもる向井の左手を、ナタリーは思い切り握りしめた。途端に、悲鳴が響き渡る。


「も、もうやめてくれ! 言うから! ちゃんと言うから!」




 それから三十分後、ナタリーは別の場所に来ていた。

 彼女の前には、五階建ての古いマンションがある。外壁はボロボロで、落書きが目立つ。非常階段は錆び付いており、今にも崩れ落ちそうだ。事実、ここは一年以内に取り壊しになる予定の場所なのだ。住民は、ひとつの部屋を除き全て立ち退いている。

 宅配業者のような制服を着た彼女は、片手にダンボール箱を持ち、ゆっくりと五階の廊下を歩いていた。防犯カメラの類いは見当たらないが、用心するに越したことはない。帽子を目深に被り、慎重に進んでいった。

 やがて、目指す部屋にたどり着く。唯一、住民が立ち退いていない部屋だ。さりげなく周囲を確認した後、インターホンのボタンを押した。

 少しの間を置き、ドアが開いた。


「なんだ、宅急便か? お前、どうやって入ったんだよ?」


 不機嫌そうな声と共に顔を出したのは、チンピラの見本のごとき若者だった。髪は茶色で、鼻と耳にピアスを付けている。裸の上半身には、タトゥーが数ヶ所彫られている。背はさほど高くないが、目付きは鋭い。体全体から、凶暴さが滲み出ていた。


「それは、御想像に任せます」


 言った直後、ナタリーの持つダンボール箱から銃弾が放たれる。弾丸は、狙い違わず男の眉間を撃ち抜いた。男は、バタリと倒れる。言うまでもなく即死だ。

 ナタリーは、そっと室内に入っていく。中は広く、綺麗に片付いている。ゴミひとつ落ちていなかった。向井から聞いた話によれば、あと二人いるらしい。

 すると、リビングから声が聞こえてきた。


「おい加藤、何やってんだよ。お前の番だぞ。伊沢さんを待たすなよ」


 その言葉から察するに、残りの二人はリビングにいるらしい。ならば、さっさと仕留めるだけだ。ナタリーは音も立てず歩き、すっとリビングに入って行った。

 二人の男が、床に座り込んでテレビを観ている。彼らの手には数枚のカードがあった。トランプを用いたゲームに興じていたらしい。侵入してきたナタリーには、未だ気づいていないようだ。

 もっとも、気づいていたとしても結果は変わらなかっただろう。ナタリーは、ダンボール箱に隠していた拳銃を取り出す。

 ひとりが、ようやく侵入者に気づく。だが手遅れだった。ナタリーは、ためらうことなく拳銃を撃つ。立て続けに、数回トリガーを引いた。

 一瞬のうちに、二人を射殺した。




 ナタリーは、奥にあるドアの前で立ち止まった。ドアには頑丈な南京錠が取り付けられており、中からでは開かない仕組みになっている。つまり、誰かを閉じ込めておくための部屋だ。

 南京錠の鍵穴に、細い器具を差し込む。数秒で、鍵は開いた。ナタリーは、ドアを開ける。

 そこには、三人の女がしゃがみ込んでいた。恐怖のあまり顔を引き攣らせ、ナタリーを凝視している。

 女たちは全員が幼い顔つきで、しかも一糸まとわぬ姿である。この姿は、死体と化して倒れている男たちを喜ばせるためではない。単純に、全裸ならば外に逃げられないから、という理由である。

 この部屋に閉じ込められているのは、全員が家出少女であった。グループのリーダー格である向井がネットで家出少女と接触し、言葉巧みに誘い、この部屋まで連れて来る。後は、お決まりのパターンだ。全裸にして部屋に監禁し、いわゆる「ハメ撮り動画」を撮影する。逆らえば、ネットに拡散するぞと脅す。これで、もう逃げられない。後は、向井らの言いなりだ。

 こことて、あくまで仮の宿である。彼女らは最終的に、チンのような金持ちの変態に売られていく。そこで、誰に知られることもなく奴隷として生き、奴隷として死ぬ。死体は綺麗に始末され、痕跡は残らない。つまり、この世界から完全に消えてしまうのだ。警察も、行方不明者のひとりとして処理する。


 そんな事情を知り尽くしているナタリーは、少女たちを睨みつけた。直後、拳銃を抜く。

 天井に向け発砲した──

 途端に、少女たちは悲鳴をあげる。恐怖のあまり、本能的に後ずさり壁に背中をつけた。

 そんな彼女らに向かい、ナタリーは静かな口調で語り出す。


「いいか、私はお前たちが誰か知っている。お前たちの家族がどこに住み、何をしているかも知っている。もし、私の情報を一言でも警察に漏らしたら、お前たち全員を殺す。さらに、家族も皆殺しにするぞ」


 そこで言葉を止めた。いきなり部屋を出ていく。

 数秒後、彼女らの目の前に死体を引きずってきた。先ほど殺したばかりの、名も知らぬ男たちのひとりだ。

 少女たちは、ヒッと叫んで後ずさる。だが、ナタリーはここで終わらせる気はない。ポケットから、大型のナイフを取り出した。

 死体の手に、ナイフを突き刺す。小指を切り取り、少女たちに投げつけた──

 少女たちは、またしても悲鳴をあげる。啜り泣く者までいた。だが、ナタリーは止まらない。さらに、もう一本の指を切り取る。

 少女たちに投げつけ、じろりと睨みつけた。


「忘れるな。余計なことをべらべら喋ったら、お前らの手足の指を麻酔なしで一本ずつ切り落とす。その指をパンに挟み、お前らに無理やり食べさせる。いいな?」


 冷ややかな口調で語ったが、少女たちは震えるばかりだ。恐怖のあまり、声も出せないのだろう。

 すると、ナタリーは拳銃を掴む。

 天井に向け、発砲した──


「返事は!?」


 言った途端、少女たちは弾かれたように叫ぶ。


「は、はい!」 


 その声を聞き、ナタリーは立ち上がった。


「ここから外に出たら、左の方向に真っすぐ走れ。五百メートルほど行けば臨時派出所がある。全力で走り、そこに駆け込め。途中で通行人に遭ったら、力の限り叫べ。近所中に響きそうな声で、助けを求めるんだ」


 言い放ち、銃口を向ける。


「さあ、早くしろ! 他人に裸を見られるのと、ここで死ぬのと、どっちを選ぶんだ!」


 その言葉に、女たちは反応する。恐怖のあまり顔を歪め、全裸のまま外に飛び出して行った──




 この後、白土連盟の幹部ら数人が誘拐および監禁で逮捕された。

 当然ながら、この事件はマスコミに大きく取り上げられる。様々な憶測が飛び交ったが「裏の世界の抗争が始まった」という見方が多数派を占めていた。

 真実を知る者は、高村獅道とナタリーだけだった。








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