拾弐話 多少は効く

 冬幻城城下町。よく整備され、人々の話声と笑い声の絶えない場所である。冬幻城が落ちた今も、その情報が伝わっていないのか、それとも知っていて尚毅然と振舞っているのか。残念ながら、今回は前者であったのだけれども。

 基本この町の人々は、鷹揚で朗らかな性格をしていることが多い。この非常事態でそれが吉と出るか凶と出るかは、未だわからない。

 さて、その町のはずれの方。知る人ぞ知る、と言ってしまえば大袈裟かもしれないが、穴場として知られている酒場に霞は下りてきていた。あの戦いの後、璃桜たちとは顔を合わせていない。

 遊びに来ているわけではないが、霞の仕事上で知り合いの男がその店の暖簾をくぐった瞬間に目に入ったのは、何本か並ぶ空いた酒瓶と、ぐだりとだらしなく卓に身を預けている霞の姿だった。


「よぉ、情報屋。……おい、大丈夫かそんなに飲んで」


 霞が時々山から下りるのは、大抵二つ、どちらかの理由だ。一つは食材や生活用品の買い出しと霞と伊織で作った薬の売り出し。もう一つは情報屋として情報を他の諜報員や間者、情報屋とやり取りをするためだ。今回は主に、後者が目的で来ていた。

 璃桜たちが来たせいで備蓄に不安がでてきて伊織にこき使われているというのも間違いではないのだが。

 とはいえ、常にこのようなだらしない姿を見せているかといったらそれは決して否である。むしろ、酒の類の誘いは断り、用事が終わればさっさと姿を眩ませているのが霞の常だ。本当にその名は仮のものであるとはいえ、妙にあっている。

 普段は冷静に振舞っているはずの霞が、どうして今日は酒に溺れるようなことをしているのだろうか。当然、店にいた情報屋の仲間たちは気になった。

 好奇の目にさらされているのを承知でぐだぐだと管を巻いていた霞だったが、更に追加されたことで諦めたのか身をしゃんと起こした。空いている酒瓶の数を考えると随分しっかりした動きである。


「……酔いたいのに、酔えない」


 頬杖をつき、杯に残った酒を流し込む霞。杯が空になると酒瓶からまた酒を注ぐ。まだその瓶は空にしていなかったらしい。様々な酒を飲んでいたようだが、今ついだ酒瓶に書かれている銘柄は酒精が強い事で有名な酒だった。顔色を変えずに、注いだ一杯も瞬く間に飲み干すと、また注ぐ。杯の六割を超えたあたりで、酒瓶から三滴、二滴と酒が落ちる。どうもまた一瓶空けたようだ。


「だいぶ珍しく荒れてるじゃねえか。何があったんだよ、一体」

「……お前、好きだけど嫌いな奴っているか?」


 壁に掛けられている、酒場独特の筆跡で書かれた品書きの札の中からまた酒を一つ店主に指さして、残っている酒がないか空いている酒瓶を片っ端から揺らしながら霞が聞いた。


「意味がわからねえな」

「いるんだよ、俺には。ずっと忘れようと思ってたのに……、もう、関わり合いになんかならないと思ってたのに、何の因果かまた逢いやがった」


 酒精も高く、値段も高い酒が次々と飲み干されていくのに、内心ほくほくしつつ、霞が飲みすぎていないかと心配している店主が霞の頼んだ酒を置いて会話に混ざる。


「その子と何かあったのかい?」

「別に。……何も、何もない」

「何もねぇのに嫌いなのか」

「何もないから困ってる。強いて言うなら、知らない、のが、一番許せない……」


 素直に口を割ると、不機嫌そうに顔を歪めて、店主と情報屋の男にも酒を押し付ける。奢るから、と言ってそれぞれ一杯二人の口に流し込んだ霞はため息を吐いた。

 曰く、『こんな事、素面で言えるか。素面の奴にも言えるか』、だと。


「仲は、良かった。でも母親の仇の女の、子どもなんだ」


 冷静な霞が、隠しきれず瞳にだした璃桜への憎悪。それの答えがこれだ。だとすれば、伊織が言っていた『もう復讐という単純な話ではない』というのにも頷ける。

 冬幻城が落ち、璃桜は逃げた。ではその母親は今どこへいるのか。そして霞はどうして母を璃桜の母に殺されているのか。そしてそれを伊織が知っている経緯はなにか。

 酔っていて尚、霞は多くを語らない。だがそれはずっと隠さなければと思っていたこと。やはり多少は酔っている。


「まったく、こんな酒の肴にもならない話はやめだ。なにか他に面白い話はないのか」

「……面白いといえば不謹慎だが、最近こんな噂を聞くな。……曰く、冬幻城の殿様が死んだんだと」


 唐突に変わった話題に、触れてはいけないものを感じ取ったのか情報屋の男は素直に話題を変えた。きちんと違う話題を用意できるところに情報屋としての優秀さを感じる。きっかりと霞に向かって掌を差し出しているし。

 霞は袖口から乱雑にとりだした銭を数えると、頼んだ酒代のぶんをきっかり店主に渡すと、まだ掌いっぱいに余っている銭を全部情報屋の男の掌に叩きつけた。


。だいぶ不謹慎な噂だが流れているのはどこからなのかね。店主、ごちそうさん」


 霞はその世界では有名な情報屋だ。だからきちんと自分の影響力というものを理解している。

 だからちゃんと牽制をしておくのだ。嘘にしろ本当にしろ、碌な目に遭わないから探るのはやめておけと。無条件に信じられるわけではないが、ちゃんとした効能はもつ。そうだな、霞に対する酒よりは圧倒的に効くだろう。

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幻は桜吹雪の舞う頃に 白昼夢茶々猫 @hiruneko22

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