90 月に見守られて



 帰宅したのは、夕暮れ前だった。


「留守を任せてすまなかったな」「ただいまもどりました」

 わたしたちが玄関ホールへ入っていくと、顔を紅潮させたグスタフさんがやってきた。

「ああよかった、戻られましたね、クラウド様、エステル様」


 いつも穏やかで冷静なグスタフさんがなんだかそわそわと落ち着かない様子だ。

 どうかしたのですか、と聞こうとしたとき、玄関ホールにアグネスさんが飛びこんできた。


「おかえりなせいませ! お疲れでしょうけど、お支度できましたら大広間へおいでくださいね!」

「大広間ですか?」


 クラウド様とダンスの予行練習をした場所だ。

 もうすぐお夕飯の時間なのに、どうして大広間へ?


「なにやら騒がしいな」

 クラウド様も怪訝そうだ。

 アグネスさんがわたしの手を取って部屋へ急ぎながら言った。


「さっき、王都からの後続隊が到着したんですよ!」

 クラウド様は大きく目を見開き、笑った。

「そうか……そうか、後続隊の者たちがついに来たか」

「ええ。ですから今夜は、大広間でささやかですが祝宴を、と思いまして!」

「それはいいな。グスタフ、アグネス、差配に感謝する!」


 クラウド様は急いで走っていってしまった。


 アグネスさんが片目を閉じる。

「きっと東の棟へ行かれたんですよ。あそこは、後続隊の者たちの宿舎と決めていたのでねえ」

「後続隊の方々には王都でとてもお世話になりました」


 あのときは舞踏会のことで精いっぱいでほとんどゆっくり話もできなかったが、皆屋敷を片付けてくれたり護衛をしてくれたり、とても気持ちの良い人達だった。

 初めて会ったわたしにも、とても好意的に親切に接してくれた。それはガチガチに緊張していたあの時のわたしにとって、とても心強くありがたいことだったのだ。

 アグネスさんがわたしの着替えを手伝いながら「でも、エステル様には申し訳ないですね」と言う。


「平民も騎士も貴族もみんな混ざって祝宴というのは、貴族の習慣にはそぐわないでしょう? 失礼かとも思ったのですが……」

「そんなことないです!」

 わたしは力をこめて言う。

「ここへ来たばかりの頃、アグネスさんがアベルさんとルイスさんと食卓を一緒にしてくれたことがあったでしょう。わたし、とてもうれしかったんですよ」


 誰かと大勢であんなに楽しい食卓を囲むのは、エステルにとって初めての経験だった。

「わたしは、食卓は大勢で囲むのがいいと思います」

 そう言うとアグネスさんがうれしそうに笑った。

「ああ、本当にクラウド様は良いお嫁さんをもらいましたねえ!」





 大広間が大勢の笑い声で溢れ、明るい光が満ちている。

 巨大なシャンデリアに初めて明かりが入り、窓からは月光が降り注いでいた。


 この大広間には最初、ごてごてとした装飾品が多すぎて、それらは早々に売って民の復興資金に回したのだが、正解だった。

 おかげで空間に余裕があり、王都からの後続隊をこうして揃って迎えられた。


 前の領主はパーティー好きだったようで、異常に長いテーブルや椅子などもたくさんあったので助かった。


「前の領主の趣味も少しは役に立ったな」

 呟くと、ルイスが豪快に杯を干した。

「はーっ、美味いっ、美味い酒だ! この地ビールも前の領主が開発させたらしいしな。この種類豊富なハムも! へっぽこ領主でも役に立つところはあったってことだ! わははははは!」

「ですね。農地に向かないこの領地で、なんとか特産品を作ろうとしたんでしょうね。その考え方は評価しますが」

 アベルも数種類のハムを皿に取って食べ比べ、舌鼓を打っている。


「特産品といえば……『記憶の花』は領地領民のために使えるかもしれん」

「えっ」「なんだとぉ?!」


 俺はアベルとルイスに、キリルカ村からの帰り道の会話をかいつまんで話した。

『記憶の花』は一輪に一度だけ、死者の魂を召還できる魔力がある。 

 使者の魂を召還できるということは、『記憶の花』には相当な魔力が蓄えられているということ。そして魔力が多量ということは、癒しの力があるということ。

 その癒しの力を利用してさまざまな薬を作れないか、とエステルが言ったのだ。


「魔物の傷に、感染症、凍傷などの寒さによる怪我疾病。寒冷地であるトレンメル領には健康に関する課題が多い。それらに対応するべく、エステルは研究を続けたいと言っていた」

「さすがはエステル様ですね。ご熱心であられる。というか、『記憶の花』をお探しに行っていたのですか? 私はてっきり、お二人で墓参りかと」

「オレは二人でピクニックかと思ったね。やっとゴタゴタが終わって二人きりだねってな感じで」


 酔ったルイスが絡みついてきたのでさっさと振り払う。


「墓参りでもあり、ピクニックでもあり、エステルの望みが叶った日でもあったな」

「え? では……」

「『記憶の花』はキリルカ村にあった」


 アベルとルイスは顔を見合わせる。


「そうだったんですか。それはまた……」

「運命ってのはこういうのを言うんだろうな」

 二人は神妙に頷く。

「エステル様は、嫁ぐべきしてこの地にやってきたのですね」

「クラウドおまえ、エステル様をぜったいに離すなよ。エステル様はおまえにとって幸運の女神だ。運命の女ってやつだな」


 俺は視線を遠くに移す。広間の真ん中で、王都からの後続隊の者たちに囲まれて、美しい淑女が楽しそうに笑って、話している。

 俺はもう、あの笑顔が無い生活は想像できない。

 たしかにエステルは俺にとって運命のひとなのだろう。


「ああ。そうだな」


 答えた途端、なぜか両側から避難の声が浴びせられた。


「そこはあっさり肯定するんですね。はあ、あてられちゃいましたよ。まったく、エステル様が嫁いでくるときの大騒ぎはなんだったんですかねえ」

「まったく顔が緩みまくりやがって。やってらんねーな。あーあ、オレも可愛い嫁さんがほしいなー」


 睨まれるが、俺の顔は緩んだままだ。

 視線の先では、エステルが幸せそうに笑っているから。





 夜も更けて、さっきまでの賑わいが嘘のように城内は静かだ。

 茶葉が開くのを待ちながら、わたしは窓の外を見上げる。

 空には皓々こうこうと、満ちた月が輝いている。


「今日は、とても良い日でした」

 お茶を注ぎながら、わたしは思わず心の声が口から出てしまった。

「そうだな」

 お茶のカップを置くと、クラウド様も端麗な顔を和ませる。

「次にキリルカ村に行くときは死ぬときだと思っていたからな。なんだか生まれ変わったような気持ちがする」

「わたしも……ずっと探していた『記憶の花』が見つかって、お母様の魂と会うことができて……長年の願いが叶って、心につかえていたものがなくなって、そう……生まれ変わったみたいな気持ちです」

「そうか」

 クラウド様はうれしそうに微笑んだ。

「キリルカ村にエステルを連れていってよかった」


 わたしたちはしばらく無言でお茶を飲んだ。湯気が上がるお茶には、ミントが多めに入っている。


「ミントは気分がすっきりするな」

「はい。今日はいろいろなことがあったので……よく眠れるようにと思いまして」


 そう言ってから、わたしは自分の言葉にどきりとする。


 今夜は夫婦の寝室にいる。

 初夜以来だ。


 あの時は冷酷辺境伯への緊張と恐怖で、何も考えられなかった。

 でも今は。

 今は、見つめてくれるクラウド様の優しいまなざしに溶かされるようで、何も考えられない。


「いつもありがとう、エステル」

「い、いえ、そんな」

「これからも、よろしく頼む」

「そんな……わたしこそよろしくお願いします」


 座ったまま頭を下げたわたしの顔を、クラウド様の手がそっとすくい上げる。


「エステル。愛している」

「――はい」


 端整な顔が近付いて、わたしそっと目を閉じる。

 微かなミントの香りと互いの息遣いに目眩がした。

 それでも、わたしはずっと伝えたかった言葉を紡ぐため、長い口づけの後、クラウド様を見上げる。

 真っすぐに、その紫色の双眸を見つめて。


「クラウド様。わたしはクラウド様とずっと一緒に歩いていきたい。――愛しています」


 美しい宝石のような瞳が驚きに瞬いた後、クラウド様が立ち上がり、軽々とわたしを抱き上げた。


「そうだな。共に行こう。この先、何があっても」


 そっとベッドに降ろされ、口づけられる。

 クラウド様がわたしを抱きしめるように、わたしもクラウド様の背中に強く手を回した。

 わたしたちは互いの存在をなぞるように、互いに触れ、静かな夜に溶けていく。



 大きな月が、そんなわたしたちをそっと見守っていた。





~完~





*******


皆さま


お読みいただき、ありがとうございました。

完結できたのはひとえに、皆さまの応援のおかげです。重ねて、本当にありがとうございます。

誤字脱字の御指摘もたくさんいただき、ありがたかったです……!

そんなこともあり、整理したい部分もあり、改稿できればと思っております。

また、あのタヌキジ……こほん、国王グレゴリオ三世との物語も書ければいいなあと思っておりますので、その際には! また読みに来ていただけるとうれしいです!


これからも拙作をよろしくお願いします!



桂真琴

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