84 ざわつく王都の夜



 ベルジェ伯爵家で楽しいひとときを過ごすと、すっかり日は暮れていた。


「にわか台所で献立が質素になってしまって申しわけございません」

「そんなことないわ。とても美味しい夕ご飯だったわ」


 アンは恐縮しているが本当に美味しい夕飯だった。

 確かに品数はいつもより少ないが、きちんと出汁を取ったシチューのお肉はほろほろとよく煮込まれ、パンも焼きたてだ。


「ありがとう、アン」

「慣れない場所で食事の支度は大変だろう。ご苦労だな、アン。明後日にはトレンメル領に帰るから、それまで頼む」

「は……はい! もちろんでございます! アグネスさんとエマさんに任されたお世話役、しっかり最後まで務めさせていただきますぅ!!」

 美麗な主二人に感謝され、アンは顔を紅潮させて気合を入れた。





 夜。

 湯殿の後で寝室に行くと、先に上がっていたクラウドはソファに座って本を読んでいた。

 この部屋の本棚にあった本らしく、ずいぶんと古びている。

 クラウドの手にあるその本は上下が逆さまになっているが、エステルはまったく気付かなかった。それどころではなかったのだ。


(ど、どうしよう、寝室が一緒だなんて)


 この屋敷は古すぎて、昨日、最低限使う部分だけをアンたちがなんとか使えるまできれいに掃除してくれたのだ。

 結果、クラウドとエステルの寝室は一緒となった。

 この部屋のベッドは大人が四人ほど休める大きさだし、周囲も夫婦の二人が同じ寝室になることに何ら疑問を持たなかったためだ。


 いたたまれなくて、でも今さら「他の部屋で休みます」とも言えず、エステルがもじもじと立っていると、

「座ったらどうだ」

 クラウドがさりげなく自分のそばにあったクッションを整えてくれたので、エステルはクラウドの隣にちょこんと腰を下ろした。


 クラウドの視線は本の同じところをずっと彷徨っていたが、ふと思い出したように顔を上げる。


「無事に養子縁組ができそうでよかった。ベルジェ伯爵は評判通りの人物のようだ」

 アベルに頼んだ調書によれば、ベルジェ伯爵は温厚な人柄で人望も厚く、妻と娘をこよなく愛しているということだった。そして、まさにその通りだった。


「商人として魔石鉱泉の利益のことも頭にあったのだろうが、それを隠さないところも気持ちいい。魔女のことも革新的な考え方をしてくれるようだしな。エステルの新しい実家として理想的だと思う」

「はい。ありがとうございます、クラウド様。わたし……今日という日をずっと忘れません」


 新しい家族ができた日。自分を虐げることなく、温かく迎えてくれる場所が王都にもあることに、エステルはこれまでにない安心感を抱くことができた。


「だから明日は領地へ帰る前に、リヴィエール公爵へ挨拶にいかなくてはな」

「はい」


 エステルはしっかりと頷く。なし崩し的ではなく、きちんとけじめをつけようとしてくれるクラウドの気持ちがとてもうれしく、ありがたかった。


 舞踏会でマリアンヌやイザベラと決別した。父とも、ちゃんと話さなくては。


 気が付けば、クラウドは本をテーブルの上に置き、そのままの姿勢で固まっている。

「クラウド様? どうなさったのですか?」

「あ、ああ……エステル、その、寝る場所のことなのだが」


 心臓がどくん、と跳ね上がった。


「エステルはベッドで寝てくれ。オレはソファで寝る」

 エステルは目を瞠った。

「そんな! そんなわけにはいきません! クラウド様がベッドでお休みになってください!」

「オレは野戦での野宿に慣れている。ソファで寝るのはどうということはない」



 ソファで寝る、ということより、エステルと同じ部屋で寝るということの方が大問題だった。



(やはり、そういうことは領地に帰ってからにしよう)

 昨夜は勢いでエステルをベッドに連れていってしまった。

 しかし頭を冷やしてみれば今は旅先。

 ここまで待ったのだから領地で落ち着いてそういう時間を設けたい、とクラウドは考え直したのだ。

 しかし、やはり同じ部屋で一晩寝るとなると、落ち着かない。

 愛する女がそばにいるのに何もしないでいられるほどクラウドも冷静ではない。

 しかしそこは鉄の精神力で乗り越えなくては。エステルを大切に想うのなら、ここは別々に寝るのがいい。そう固く心に決めたのだが。


 しかしそんなクラウドの決心をエステルの一言が見事に粉砕した。


「では、一緒にベッドで寝ましょう!」


 言ってからエステルはハッと顔を赤くする。

「い、いえその、決しておかしな意味では……わたしは、クラウド様がソファで寝るなんて耐えられなくて、でもわたしにどうしてもベッドで寝ろと言われるのならいっそ一緒にベッドで寝ればいいのではないかと……」


 必死に言い募るほど、どんどんクラウドを深みに追いやっていることにエステルは気付かない。


(くっ……せっかく決心したのにこれでは)

 同じ部屋でも危ういのにベッドを同じにしたら理性の暴走を止められる自信がない。


 そのとき、扉をノックする音とともに、鼻をすする音がした。


「アン?!」


 驚いたエステルが扉を開けてみれば、アンがかわいそうなくらい肩を落として立っている。


「アン、どうしたの?!」

「ううう……エステル様がお休み前に飲むお茶を、アグネスさんから預かっていたんですけど……あたし、淹れ方間違っちゃったみたいで! もう茶葉がなくて……うわーん、さっき最後までお世話を務めますって言ったのに、こんな失態をぉおおお!!」

 アンはしゃくりあげて泣いている。

 そんなアンの様子を見てエステルはアンの額に手を当て、眉をひそめた。

「アン、落ち着いて。疲れているんだわ。少し熱もあるんじゃない?」

「旅先で体調崩すなんて、あたしなんてメイド失格ですぅ……」

「そんなことないわ、アン」


 エステルは呆気に取られているクラウドを振り返った。

「クラウド様、わたし、アンを部屋まで連れていってきます」

「あ、ああ、頼む」


 そう言ってエステルはアンを連れてアンの部屋へ行き――そしてそのままアンの部屋で寝たのだった。

 アンの寝室は使用人部屋で、ベッドが二つあったのだ。


「クラウド様、奥様はアンの看病をするので使用人部屋でお休みになるとおっしゃっているんですが、いいんですか?」

 討伐隊で一緒だった兵士が、困惑気味に伝えにきた。

「問題ない。わかったとエステルに伝えてくれ」


(よかった、助かった……)


 クラウドはホッと胸をなで下ろしたのだった。







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