8 初めての対面
イザベラお母様は出発の日の前夜、お部屋へわたしを呼んだ。
わたしを見るなりレースのハンカチで口元を押さえ、
「相変わらず汚い娘だこと」
嫌悪に満ちた眼差しでわたしをじろじろ眺める。
「あなたたち、エステルとの用が済んだら呼ぶから、後で部屋の掃除を念入りにしてちょうだい!」
そう言って使用人たちを遠ざけると、イザベラお母様は大きな鏡台の前にわたしを座らせた。
「いつ見ても不吉な色だこと」
首がぐい、と引っぱられて、わたしは椅子の上で倒れないようにふんばった。イザベラお母様がわたしの髪を手首に巻きつけて引っぱったのだ。
「この闇色の髪も翠の目も白い肌も、すべてあの女を思い出させる。おまえはますますあの汚らわしい女に似てきた」
もう一度ぐい、と髪をひっぱり、イザベルお母様はわたしの耳元でささやく。
「いいこと。その忌々しい容姿でトレンメル辺境伯をたぶらかし、操るのよ」
「そ、そんなこと、うっ……」
「口答えはおやめ! あんたはどうせ、あの女のように男をたぶらかすしか能がない役立たずなんだから!」
「お母様のことを悪く言わないでくださ――」
「おだまり!」
「うっ……」
ぷつぷつ、と髪の毛が抜ける音がした。さらに髪の毛を引っぱられて思わず涙がにじむ。身動きができない。
そんなわたしに、イザベルお母様は、夫婦の夜の営みについてじっくりと吹きこんだ。
わたしは恥ずかしくて聞きたくなくて、思わず身をよじろうとしたけれど、そのたびに髪の毛を引っぱられるので動けない。
「辺境伯に逆らわず、従順に、たぶらかして虜にするのだ。辺境伯の家をおまえが牛耳るくらいの気持ちでいるのよ。それが役立たずのおまえにできるリヴィエール家への恩返しなのですからね!」
イザベラお母様は思いきりわたしの足の先を踏んづけた。ヒールの踵が足の甲に食いこんで思わず呻く。
「わかったの!」
「わ、わたしにはそんなこと……できそうにありません」
「なんですって!?」
イザベルお母様の目に怒りが灯る。その手が大きく振りあがったのを見て全身がからどっと汗が噴き出す。わたしは思わず目を閉じて叫んだ。
「ごめんなさい! わかりました! 言われた通りにしますから! だからぶたないで!」
「ふん、わかればよろしい。せいぜい、竜殺しの残忍で下品な男に骨の髄まで喰いつくされるがいいわ」
震えるわたしを、イザベラお母様が鏡越しに満足そうに見下ろした――。
「――っ」
あのときの光景を思い出し、震える肩を自分で抱く。
きっとわたしには、イザベラお母様に言われたような「夫婦の営み」で辺境伯を「たぶらかす」ことなんてできない。
マリアンヌのように女性らしい豊満な身体ではないし、イザベラお母様はただ耐えればいいと言ったけれど……怖い。
でも、記憶の花を見つけるまでは、ここを追い出されるわけにいかない。
「夫婦の営みではなく、他のことで辺境伯様のお役に立てたら、ここに置いていただけるかしら? 何か、何か方法は……」
どうすればいいのか。
ちゃんとした答えの出ないまま、グスタフさんがわたしを呼びにきた。
「エステル様、お夕飯の仕度が整いました。参りましょう。クラウド様がお待ちです」
「は、はい」
クラウド。辺境伯の名だ。
どんな人なのだろう。
竜を退治するくらいだから、きっと身体が大きく力が強い人だろうとは想像するけれど。
「今日はクラウド様もエステル様もお疲れかと思いまして、御夫婦の居間にお食事をお運びしております」
隣の隣の部屋の扉を、グスタフさんが叩いた。
「エステル様をお連れしました」
「入れ」
低いけれど、よく通る声だった。
部屋へ入ると、広いわたしの部屋よりももっと広い部屋の中央に食卓テーブルが整えられていて、とても良い匂いがしている。
そのテーブルを背にして、長身の青年が立っていた。
磨いた銀のように輝く髪の、とても美しい人だ。
けれど、わたしはこんなに鋭い目を見たことがなかった。
竜殺し、血みどろ伯爵、冷酷辺境伯。そんな異名が脳裏をかすめる。
こんなに美しい人が冷酷だなんて信じられない気もするけれど、底冷えするような視線の冷たさを目の前にすると噂は本当なのだろうと思える。
射貫くように見つめられて、思わず頭を下げた。
「す、すみません」
ややあって、困惑した声が降ってくる。
「なぜ謝る?」
「いえ、その……」
「貴女がエステル・リヴィエール公爵令嬢か」
「は、はい」
「俺はこの城の主、クラウド・フォン・トレンメルだ。王都より遠路はるばる、ご苦労だった」
「は、はい……」
緊張で声がかすれる。辺境伯様への挨拶は考えていたけれど、頭が真っ白になって言葉が出てこない。
ぎこちない沈黙を静かに解いてくれたのは、グスタフさんだった。
「さ、さあさあ、スープが冷めてしまいます。クラウド様もエステル様も、どうぞお座りください」
グスタフさんの一言にホッとして、わたしはおそるおそる席についたのだった。
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